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人気者の苦悩

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「概ね皆月の想像通りだ。俺たちのクラスにはイジメがある。そして、その標的になっているのが三崎だ。『なんで』とか『どうして』とか『いつから』とかは訊くなよ。それは俺の方が知りたいくらいなんだ。気が付いたら始まっていて、あっという間にエスカレートしていった。今じゃクラス全員が三崎へのイジメを認識していて、積極的に加担するか見て見ぬ振りをするかのどっちかだ」
 

 イジメとはそういうものだ、と久遠は思う。
 
 例えるなら感染病みたいなもの。たまたま三年二組という場所にイジメのウイルスが存在し、たまたまそのウイルスを吸い込んだのが三崎綾乃だった、というだけの話である。
 
 周囲の人間は感染しないように距離を取るか、いっそ自らすすんで感染しようとする。
 
 病気(イジメ)そのものを治療するより、感染してしまった方がむしろ楽(楽しい)になれるから。


「言葉にするとなんかあっけない感じだな。でも、三崎が受けているイジメは、皆月が考えているより遥かに酷いはずだ。だから、委員長も転校初日から、お前にあんなことを言っちまったんだと思う」
「でも、僕が見る限りだと、そこまで露骨なイジメは受けていないように思えたけど」
「今は皆月が転校してきたばかりだからな。転校生のお前がどんな出方をするか分からないから、イジメの主犯格たちも手を休めているみたいなんだ。もっとも、それは見える部分の話であって、裏では何が起こっているのか俺にも分からないんだけど……」
 

 いつも明るく軽いノリで話す健人。だが、今はそんな彼の言葉に、ずっしりとした重みが感じられた。
 
 しかし、健人の話を聞いていると、このクラスで起こっているイジメは、なかなか厄介なものであるように思えてくる。イジメを行う側は『自分がイジメをしている』という自覚が無い場合が多いと聞く。故に、熱中しエスカレートしていくわけだが、この場合は『転校生が来たから一旦イジメの手を緩めて様子を見よう』という不気味な冷静さが窺える。イジメの主犯格――その中には、かなり頭の回る奴も混じっているのかもしれない。
 
 そこまで話し終えると、健人はすっと久遠から視線を外した。


「あのさ……こっからは俺の独り言な。実はさ、俺と三崎は保育園からずっと一緒の幼馴染なんだ」
「え?」
 

 久遠が反応するも、健人は目線を合わせずに話を続けた。


「あいつ、昔っから大人しいつうか、感情表現が下手な奴でさ。顔にはすぐ出るから何考えてんのかはバレバレなんだけど、『欲しい』とか『やりたい』とか自分からは絶対に言えない奴だった。だから、ガキの頃は俺がいつもあいつの手を引いてやってたんだ。でも、やっぱ年齢が上がるにつれて、そういうのが恥ずかしくなっちまってさ。だんだんとあいつに対して距離を置くようになっていったんだ」
 

 感情表現が下手。自分の気持ちを口に出せない。
 
 健人の言葉が正しいならば、三崎綾乃はきっと嫌なことがあっても嫌だとは言えないし、そのことを誰かに相談することすらできない人間なのだろう。イジメを行う側にしてみれば、これほど都合の良い人間はいないはずだ。


「そんな感じで中学ではずっと疎遠だったんだけど、三年になって一度だけあいつから『一緒に帰らない?』って声を掛けてきたことがあったんだ。今になって考えるとさ、あの時のあの一言は、あいつにとって精一杯のSOSだったのかもしれない。でも、俺は断っちまった。ちょうど部活の大会が近くて、それを理由に『また今度な』って。もし、あの時、俺が一緒に帰ってちゃんと話を聞いてやれば、こんな酷いことになる前に何とかできたかもしれないのに……」
 

 絞り出すような健人の声からは、強い後悔の念と、三崎綾乃に対する特別な思いが滲み出ていた。彼は「恥ずかしくて距離を取るようになった」と言っているが、どうでもいい相手ならば恥ずかしさなんて感じない。疎遠になった後も、きっと彼は彼なりに幼馴染である彼女のことをずっと気に掛けていたのだろう。先ほど彼が言った『溜まっていた気持ち』の意味が分かった気がした。


「カッコわりいよな……。心ん中じゃ何とかしたいと思ってるのに、実際は空気に呑まれて、何もできずに目を背けちまってるんだ。そんで、転校生のお前にこうして愚痴をこぼしてるんだから、本当にどうしようもねえ……。あっ、でも、勘違いすんなよ!」
 

 そこで健人は、逸らしていた視線を再び久遠へと戻した。


「つか、もう独り言でもなんでもなくなっちまってるけど、俺は皆月に『助けてくれ』って言ってるわけじゃないんだ。転校生のお前が俺たちのクラスに来ちまったのは、運がなかっただけで、お前がウチのクラスのイジメに責任なんて感じる必要はないんだ」
「それってつまり……『余計なことに首を突っ込むな』って言ってる?」
「ああ。この先、見たくもない光景を見なきゃいけない時がお前にも来ると思う。その時は、何も考えずに目を瞑って、ただ時間が過ぎ去るのを待つんだ。実際、クラスメイトの半分以上はそうしてる。変な正義感をふりかざすのはやめて、見ない振りをしていればいい。それは恥ずかしいことでも何でもないからな」
 

 健人らしくないネガティブな発言。だが、裏を返せば、それだけ転校生である久遠のことを思いやっての言葉なのだろう。彼の言う通り、黙って大人しくしていれば、自分の身に火の粉が降りかかってくる可能性はかなり低くなるはずだ。


「分かった。覚えておくよ」
「そうしてくれ。まあ、俺が三崎について話せるのはこんなとこだ」
 

 久遠が了解すると、健人はふっと表情を緩めた。


「はあ~、俺、やっぱこういうシリアスな会話って向かねえわ。なんかメチャクチャ疲れた」
 

 それから、いつもの調子に戻った彼は大きく伸びをする。それだけで、今まであった重苦しい雰囲気は消えた。やはり彼は天性のムードメーカーなのだろう。


「色々と話しづらいこともあったよね。無理に訊いてごめん」
「いいって、どうせここで俺に聞かなくても、いずれ誰かの口から同じようなことを聞かされていたはずだから。でも、まあ、悪いって思うなら口直しに皆月の好みのタイプくらいは教えろよな~」
「どうして僕の好みのタイプを教えると口直しになるのか、イマイチよく分からないんだけど」
「まあまあ、難しく考えるなよ。転校してきてもう一週間だ。ちょっといいなって思う子くらいいるだろ? 案外、隣の席の委員長とか色々世話を焼いてくれるし気になったりしてんじゃねえか?」
 

 いたずらっ子のような顔で尋ねてくる健人。
 
 だが、それを聞いた久遠は「あれ?」と疑問に思った。


「委員長って、井上さん……だよね?」
「ああ、他にいないだろ」
「大森君って、井上さんと付き合ってるんじゃないの?」
「はあ!?」


『鳩が豆鉄砲を食ったような顔』というのは、この時の健人の顔を言うのだろう。


「お、俺と委員長が!? な、なんで!?」
「だって二人はすごく仲が良いし、周りも公認みたいな雰囲気だったから」
「いやいやいや、それはねえって! 確かに、委員長とはよく話すけど普通に友達だし、周りの奴らも単に面白がって煽ってるだけだから! 俺と委員長は断じて皆月が思っているような関係じゃねえよ!」
 

 全力で否定する健人を見る限り、久遠の勘は外れていたらしい。もっとも恋愛関係に疎い久遠の勘など、最初からアテになどならないのだが。


「そうなんだ。僕は結構お似合いだと思ったんだけどな」
「そんなわけあるか、って別に委員長のことを貶してるわけじゃねえぞ! 逆だ、逆! 俺なんかじゃ委員長と釣り合わねえってこと。成績優秀、家はお金持ち、ちょっと口うるさいところもあるけど、人当たりが良くて性格も良好。おまけに眼鏡を外せばかなりの美人ときてる。密かに狙ってる男はたくさんいるし、ノリと勢いだけで生きてる俺みたいな空っぽ男子じゃ完全に不釣り合いってわけよ」
「意外だな。大森君が井上さんのことをそんなふうに思っていたなんて」
「委員長には絶対言うなよ! 恥ずいから……って、なんで俺の話になってんだよ!? 皆月の好みのタイプを訊いてたはずなのに~」
 

 健人は「うが~」と叫びつつ、照れ臭そうに頭を抱えた。


「でもさ、こういう話になったから言っちまうけど、俺は委員長には皆月みたいな男が合ってると思うんだよな」
「えっ!?」
 

 思いがけない言葉に、今度は久遠の方が驚く。


「皆月はさ、ガツガツ生きてるって感じが全然しねえのな。どこか余裕があるっつうか、透明感があるっつうかさ。それに、上手く言えねえけど『こいつなら大丈夫かな』っていう安心感みたいなのがあんだよ。さっき話した通り、俺たちのクラスはかなり荒れてる。そんなクラスの委員長なんかを任されてるわけだから、きっと他人には言えない苦労をたくさん抱えているはずなんだ。だから、皆月みたいな奴が側にいてやれば、委員長も少しは愚痴や弱音を吐けるんじゃねえのかなって気がするんだよ」
「僕のことを買いかぶり過ぎだよ。前も言ったけど、ダラダラ生きてるだけだから、余裕があるように見えるだけさ」
「そんなことはねえと思うけどな~。まあ、恋愛をうんぬんは置いておくにして、委員長が困っていたら、できる範囲でいいから力になってやってくれよ。皆月も分かっていると思うけど、すごく真面目でイイ奴だからさ」
「僕なんかが力になれるかは分からないけど、一応、心に留めておくよ」
 

 久遠が承知すると、健人はニカっと太陽のような笑顔を見せた。


「うし、じゃあそろそろ教室に戻ろうぜ。野郎二人でこそこそしてても仕方ねえしな」
「あっ、僕はもう少しここにいるよ。ここから見える景色は、都会育ちの僕にはとても綺麗で新鮮に思えるから、もうちょっと眺めていたいんだ」
「そうか。それじゃあ俺は戻るけど、五時間目の授業に遅れるなよ」
 

 健人は後ろ向きに手を振って、屋上を去っていった。
 
 久遠は彼の姿が完全に見えなくなってから、


「凜音さん、いるんでしょ? 出てきてくださいよ」
 
 
 と、呟く。すると――。


「ええ、勿論いるわよ」
 

 聞き慣れた声が頭上から降ってきった。見上げると、凜音さんがいつものセーラー服姿で貯水タンクに腰かけている。どこか楽しそうに長い足をぶらぶらさせながら。


「人気のない屋上で男の子二人が、女の子について語り合う。いいわね~、青春って感じがするわ」
「そんな青臭い話はしてなかったと思いますけどね……。あと、パンツ見えてますよ」
「久遠君になら見られてもいい。むしろ、見てほしい」
「馬鹿なこと言ってないで早く降りてきてください」
「じゃあ――ちゃんと受け止めてね」
 

 言うが早いか、凜音さんは貯水タンクの上から飛び降りた。


「うわ!?」
 

 頭では、それが彼女の悪ふざけだと分かっていた。
 
 それでも、久遠の身体は反射的に彼女の身体を抱き止めにいく。
 
 重さを感じさせない彼女の身体が、久遠の両手に飛び込んできた。


「あ、危ないじゃないですか!」
「危なくなんてないわ。それは久遠君が一番分かっているはずでしょ?」
「ぐ……それはそうですけど……」
「でも、分かっていても、やっぱりこうして受け止めてくれるのね。久遠君は。これがさっき言われていた安心感の正体なのかしら。ふふ、この優しさが今後邪魔にならなければいいけれど」
 

 久遠の腕の中で、凜音さんは妖しく微笑んで見せる。
 
 全てを見透かされているような、そんな笑み。
 
 久遠は一つ溜息を吐く。


「……僕にはもう優しさなんてものは一欠片も残っていませんよ」
「あら、だったらどうして私は今あなたの腕の中にいるのかしら?」
「それは……女の子の身体に触ってみたい、という思春期男子なら誰もが持つ欲望のせいです」
 

 久遠が説明すると、凜音さんは「あははははは」と大きな声で笑い出した。


「そんなにおかしいんですか?」
「いやね、久遠君も言うようになったなあって思って。それに久遠君が私のことを『女の子』として認識しているんだと思うとおかしくて、あははははは」
 

 やっぱり凜音さんはどこかズレているな、と久遠は思う。だが、彼女の『ズレた感覚』は今に始まったことではない。彼女は存在そのものが、この世界から『ズレ』てしまっているのだから。
 
 久遠はやれやれと思いながら、依然として笑う彼女を立たせて少し距離を取る。


「はははは……って、いつまでも笑っている場合じゃないのよね。ターゲットもはっきりしたみたいだし」
「はい。三崎綾乃――彼女がターゲットです」
「ふふ、主役は女の子なのね。良かったじゃない、久遠君」
「何が良かったのか全く分かりませんし、彼女が物語の舞台に上がるかどうかもまだ分かりませんよ」
「上がるわよ」
 

 不敵に唇を歪めながら、凜音さんは断言する。


「それも久遠君が一番分かっているはずよ」
「……そうですね。でも、物語を紡ぐにはまだ駒が足りません」
「さっき彼が言っていたわね。『見たくもない光景を見なきゃならない時が来る』って。焦ることはないわ。必要な駒はいずれ全て久遠君の手に集まる。だから、今は静かに待ちましょう。時が満ちるのを」
 

 凜音さんは、その大きな瞳をすっと空へと向ける。
 
 その時、一陣の風が吹いた。
 
 凜音さんの長い髪が、まるで本のページをめくるように揺れる。
 
 これから紡がれようとしている物語。
 
 その表紙が開く音を、久遠は聞いた気がした。



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