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三崎綾乃

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 久遠が朝日ヶ丘中学校に転校してきて最初の一週間が過ぎようとしていた。
 
 この一週間は、まさに絵に描いたような平凡で穏やか学校生活。
 
 特に事件が起こるわけでもなく、自然とクラスメイトたちとの交流が増え、彼らの顔と名前も一致するようになってきた。


『どこにでもある普通のクラス』
 

 転校初日に抱いた朝日ヶ丘中学校三年二組に対する印象は、今も特に変わっていない。むしろ、転校生である久遠にも積極的に話し掛けてくれる生徒が多く、良い意味で活気のあるクラスだと思ったくらいである。
 
 しかし、だからこそ久遠には一つ気になること――否、気になる生徒がいた。
 
 ちょうど久遠の席とは真逆にあたる窓際の一番前に座っている女子生徒――三崎綾乃(みさきあやの)である。
 
 転校してきてから今日まで、久遠はまだ彼女と言葉を交わしていない。ただ、『話をしたことがない』というだけなら、他にも同じクラスメイトが何人かいる。久遠が気になったのは、彼女がずっと一人ぼっち――『クラスの誰とも話している姿を見たことがない』ということだった。
 
 友達がいない、というのとは少し違う。明らかに他のクラスメイトたちが、意図的に彼女のことを避けているように感じたからだ。まるで汚物に触れまいとするような悪意ある避け方。嫌な言い方をすれば『集団無視』をしているように見えた。
 
 久遠がそのことに気付いたのは、二日前。
 
 以来、久遠はさりげなく三崎綾乃のことを観察していた。
 
 彼女の印象はとにかく『暗い』の一言に尽きる。常に下を向いて背中を丸めているので、小柄な身体が余計に小さく見える。加えて、短めの髪型にも関わらず、前髪だけは目にかかるくらい長いので、陰気臭さに拍車がかかっていた。
 
 反面、顔のつくりは端整でスタイルも悪くない。「ちゃんと顔を上げて笑っていれば可愛いく見えるだろうに」というのが久遠の正直な感想であり、間違っても容姿を理由に差別を受けるような女子生徒には思えなかった。
 
 けれど、彼女の身の回りに視線を移すと、迫害の爪痕と思しき点が散見される。
 
 まずは彼女の机と椅子。他のクラスメイトたちが使っているものと比べると、明らかに古臭い。椅子の背もたれには、破損している部分も見受けられる。清掃の際には、彼女の机だけが廊下に放置されることもあった。
 
 更に、教室後方の個人ロッカー。大半の生徒は、音楽で使うリコーダーや美術で使う絵の具など、イチイチ家に持って帰るのが面倒なものをロッカーに入れている(中には、教科書や体操服まで置きっぱなしにしている者もいるが)。そんな中で、彼女のロッカーだけは何も入っていない。更に、よくよく見てみると、彼女のロッカーには黒い染みが無数に付着していた。まるで墨汁でもぶちまけたような、そんな痕が。
 
 先日のイジメというワードに対する健人と優子の反応も考慮すると、三崎綾乃がクラスメイトたちから虐げられていることは、ほぼほぼ間違いないように思えた。
 
 だが、久遠はまだ決定的なイジメの現場を目撃したわけではない。
 
 ひょっとすると、三崎綾乃が単純に孤独を愛する性格で、ロッカーは死んでも使わない主義であり、たまたま掃除当番が彼女の机を片付け忘れただけ、という可能性もなくはない。
 
 それでも久遠は、一見すると活気溢れるこのクラスに、不吉な澱みのようなものを感じずにはいられなかった。


(今日で一週間か。こっちから動くなら、そろそろ頃合いかな……よし!)
 

 その日の昼休み、久遠は行動を起こす。


「ねえ、大森君」
 

 久遠は前の席に座っていた健人に話し掛けた。
 
 探りを入れるにあたって彼を選んだ理由は二つ。
 
 一つは、単純にこの一週間で最も仲良くなったクラスメイトが彼だったから。
 
 もう一つは、彼がクラスの人気者で、その交友関係の広さはクラス内の事情を知るのに最適だと思えたからだ。


「うん? どうした?」
「あのさ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど」
 

 休み時間のため教室内は喧騒に満ちているが、久遠は念のため声をひそめた。


「なんだよ、そんな小声で。はは~ん、さては女絡みだな?」
 

 健人はニヤリと不敵に笑うと、ぐっと身を乗り出してきた。健人の考えている『女絡み』とは絶対に違うが、三崎綾乃のことを訊こうとしていた久遠は少し気勢を削がれる。


「ま、まあ、女絡みと言えばそうなんだけど……。ちょっと気になる子がいて」
「はは、皆月もやっぱり男だな~。で、どの子だ? フリーかどうかくらいは教えてやれると思うぜ」
「そういうんじゃないんだけど……。まあ、いいや。窓際の一番前に座っている三崎綾乃さんなんだけど――」
 

 三崎綾乃の名前を出した瞬間、健人の表情が固まった。
 
 だが、久遠は構わず話を続ける。


「彼女が他の誰かと話しているところを見たことがなくてさ。僕もまだ彼女とは話したことがないし、なんか気になっちゃって」
 

 久遠が健人の顔を覗き込むと、彼の目が泳いだ。否、泳ぐというよりも、今の話を他の誰かに聞かれていないか気にするような素振りだった。
 
 僅かな沈黙。
 
 その後、健人は急に立ち上がり――。


「皆月、ちょっと来い」
 

 それだけ言って足早に教室を出ていった。
 
 久遠はすぐさま彼の後を追う。
 
 彼に連れていかれたのは、校舎の裏手にある非常階段だった。


「屋上は立ち入り禁止になってんだけど、この非常階段からだと上れるんだよ。屋上に通じる扉の鍵が壊れてっからさ」
 
 
 健人は階段を上りながら説明する。
 
 屋上には久遠たち以外誰もおらず、張り巡らされたフェンスの奥には、田舎らしい緑溢れる風景が広がっていた。


「あまりフェンスに近づくなよ。危ないとかじゃなくて、下から誰かに見られたら面倒だからな」
「うん」
 

 久遠たちは貯水タンクの陰へと移動する。


「ここなら誰かに聞かれることもないはずだ。で、皆月。お前、何か見たのか? それとも、誰かから何か聞かされたか?」
 

 久遠の方へ振り返った健人は、いつになく真剣な表情で尋ねてきた。


「何か、って言われても分からないよ」
「決まってるだろ。あや……三崎について、何か見たり聞いたりしたのかってことだ」
「いや、特に何も。ただ、彼女の様子っていうか、クラスメイトたちの彼女に対する接し方がちょっと変だなとは思ったけど」
 

 久遠が思っていたことを正直に喋ると、健人は「そうか……」と言って頭を掻いた。


「考えてみれば、皆月が転校してきてもう一週間だもんな。やっぱり気付くよな……」
 

 渋い顔で呟く健人。彼の表情を見る限り、まだ久遠に話すべきか否か迷っているように感じられた。


(まだ口を割らないか。これはダメ押しが必要かな)
 

 煮え切らない態度の健人に対し、久遠は更に一歩踏み込む。


「転校初日にさ、井上さんが僕に少し変なことを訊いたよね? 『都会の学校は陰険なのか?』って。あれってさ、遠回しに『君は陰険なことに耐性はある?』って訊いていた気がするんだ。でも、それって言い換えると『私たちの周りでは陰険なことが行われていますよ』ってことだよね? 僕の思い過ごしならそれでいいんだけど、何か隠していることがあるなら教えてくれないかな」
 

 久遠が問い詰めると、健人は観念したように小さく息を吐いた。


「皆月はなかなか鋭いな……。分かった。それだけ勘付いているなら、これ以上隠すのは逆効果だな。皆月もいつかは知らなきゃいけないことだし、ちゃんと話すよ。それに……転校生のお前なら、俺も溜まった気持ちを少しは吐き出せるから」
 

 健人はそう言って力無い笑顔を見せた。
 
 その笑顔と言葉の意味は分からなかったが、久遠は黙って彼の話を聞くことにした。


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