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灰色の空気
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T県H市朝日ヶ丘(あさひがおか)中学校三年二組。
転校生である皆月久遠(みなづきくおん)は少し緊張しながら、その教室の前に立っていた。
久遠にとって転校は慣れたもの。
制服も前の学校と同じく黒の学ラン。
それでも、初めて新しいクラスに入るこの瞬間だけは、何度経験しても慣れるものではなかった。
「――――連絡事項は以上です。それでは、最後に転校生を紹介します。皆月君、入ってきて」
扉の奥から先生の声が聞こえてきた。
久遠は一つ深呼吸をして教室の扉を開ける。
クラスメイトたちの視線を肌で感じながら、久遠は担任である女教師の隣へと進んだ。
「東京の学校から転校してきた皆月久遠君です。それじゃあ、皆月君。みんなに自己紹介をお願い」
「はい」
担任に紹介され久遠は、好奇な視線を向けてくるクラスメイトたちに顔を向ける。
「えっと、皆月久遠です。受験生のこんな中途半端な時期に転校してきたので、みなさんには迷惑を掛けることもあるかもしれませんが、仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」
考えてきた挨拶を述べてお辞儀をすると、クラスメイトたちから暖かい拍手が送られた。
それを聞いて、ひとまず久遠の肩に乗っていた重さが消える。
「はい、ありがとう。みんな、皆月君が困っていたら助けてあげてくださいね。じゃあ、皆月君も席に着いてちょうだい。あそこの空いている席よ」
先生は廊下側最後尾の空席を指差した。
「それから、井上さん」
「はい」
先生に名指しされ、一人の女子生徒が立ち上がった。久遠の席の隣に座っていた彼女は、セーラー服をきっちり着こなした優等生っぽい女の子。三つ編みとメガネのせいで若干地味な印象を受けるが、目鼻立ちの整った綺麗な顔立ちをしている。男子の人気投票では意外と票が集まるタイプに思えた。
「彼女がこのクラスの委員長よ。分からないことがあったら彼女に聞くといいわ。それじゃあ、席に座ってね」
委員長と聞いて、久遠は「ああ、やっぱりそうか」と納得する。彼女は見た目からして、委員長といった風貌だ。久遠の席が彼女の隣なのも先生のはからいなのだろう。
久遠は「分かりました」と答え、自分の席へと向かう。
すると――。
「よっ、転校生!」
久遠の前の席に座っていた男子が、突然声を掛けてきた。
「俺、大森健人(おおもりけんと)っていうんだ。よろしくな」
カラっと笑いながら、彼は軽いノリで自己紹介をした。人懐っこい笑顔を浮かべた短髪の男子生徒。快活そうな雰囲気で、サッカーやバスケといった運動部に所属していそうな印象を受けた。
話し掛けてくれたことは純粋に嬉しかったが、久遠は少々戸惑ってしまう。クラスメイトとのファーストコンタクトは、てっきり先ほど紹介された委員長になると思っていたからだ。
「あ、うん。よろし――」
「ちょっと、大森君!」
久遠が返事をしようとすると、委員長の不満そうな声が久遠の言葉を遮った。
「先生に紹介されたのは私なのよ。こういう場合って、普通、私が最初に声を掛けるものじゃない?」
彼女を見ると、ぶすっとした顔で大森健人を睨んでいる。
しかし、彼の方は特に気にする様子もなく涼しい顔をしていた。
「堅いこと言うなよ、委員長。誰が最初に話し掛けるかなんて大した問題じゃないだろ」
「分かってないわね。こういうのは最初が肝心なのよ。転校生の男の子と、彼に最初に話しかけた女子生徒。何かが芽生えそうなシチュエーションじゃない」
「安心しろよ。都会から来た儚げな美少年と、田舎育ちの芋くさい委員長じゃ、恋の花はおろか、雑草一本生えないって」
「なっ!? 誰が芋くさいですって!? もう一度言ってみなさいよ!!」
二人のやりとりを聞いたクラスメイトたちからは、笑い声と共に「まーた夫婦漫才が始まったよ」「相変わらず仲がいいのね~」「いいぞ、もっとやれー」などの野次が飛ぶ。周囲の反応を見る限りだと、この二人のいがみ合いはクラスの名物みたいなものらしい。つまり、二人は「喧嘩するほど仲が良い」関係なのだろう。教室内に和やかな空気が広がったのが何よりの証拠。おかげで、久遠に残っていた緊張も消失した。
「ほらほら、皆月君も困ってるでしょ。夫婦喧嘩もそれくらいにしておきなさい」
先生に窘められると、大森健人は「はーい♪」と調子よく返事をし、委員長の方は不機嫌そうに顔を背けた。先生にまで言われているところを見ると、二人ともクラスのムードメーカー的存在なのだろう。転校してきたばかりの久遠にとって、彼らのような明るい生徒とまず接点を持てたことは、この上ない幸運だった。
「二人ともよろしくね」
久遠は二人に挨拶をして、自分の席に着く。
「それじゃあ皆さん、一時間目の準備をしてくだい」
先生が教室を出ていくと、教室には喧騒が満ちる。
久遠は鞄から筆記用具を取り出しながら、ざっと教室内を眺めた。
大人しそうな生徒もいれば、少しばかりガラの悪そうな生徒もいる。
そんなクラスメイトたちは、授業が始まるまでの僅かな時間を楽しそうに談笑しながら過ごしていた。
どこにでもありそうな中学三年生のクラス風景。
(見た感じは普通のクラスだな。でも――)
久遠が物思いに耽っていた、その時――。
「ねえ、皆月君。教科書は持ってる?」
隣に座る委員長から不意に声を掛けられた。
久遠は思考を中断して彼女の方へ身体を向ける。
「ううん、まだ持ってないんだ」
「それじゃあ、私のを見せてあげるね。それから、さっきは前にいるバカのせいで見苦しいものを見せちゃってごめんなさい。あのバカのせいで」
「おいおい、誰がバカだよ! つか、二回も言うな! そもそも俺は緊張しているであろう転校生の心をほぐすためにだな――」
「はいはい、バカは黙ってなさい」
話に割り込んできた大森健人を、委員長は「しっしっ」とあしらう。けれど、彼に堪えた様子は皆無。お約束とも言えそうな二人のやりとりを見て、久遠も自然と頬が緩む。
「そういえば、まだちゃんと自己紹介をしてなかったわね。私は井上優子(いのうえゆうこ)。一応クラス委員をやっているから、困ったことがあったら何でも言ってね」
「うん。ありがとう」
久遠がお礼を言うと同時に、始業のチャイムが鳴った。
立っていた生徒たちが慌ただしく席に着く。
しばらくすると、一時間目の先生が教室に入ってきて授業が始まった。
ありふれた、どこか懐かしさすら覚える授業風景。
だが、久遠は知っている。
今、目の前にある『普通』。
それは表の顔に過ぎないことを。
そして、このクラスに隠された裏の顔にこそ久遠がここへ転校してきた理由が存在する。
転校生である皆月久遠(みなづきくおん)は少し緊張しながら、その教室の前に立っていた。
久遠にとって転校は慣れたもの。
制服も前の学校と同じく黒の学ラン。
それでも、初めて新しいクラスに入るこの瞬間だけは、何度経験しても慣れるものではなかった。
「――――連絡事項は以上です。それでは、最後に転校生を紹介します。皆月君、入ってきて」
扉の奥から先生の声が聞こえてきた。
久遠は一つ深呼吸をして教室の扉を開ける。
クラスメイトたちの視線を肌で感じながら、久遠は担任である女教師の隣へと進んだ。
「東京の学校から転校してきた皆月久遠君です。それじゃあ、皆月君。みんなに自己紹介をお願い」
「はい」
担任に紹介され久遠は、好奇な視線を向けてくるクラスメイトたちに顔を向ける。
「えっと、皆月久遠です。受験生のこんな中途半端な時期に転校してきたので、みなさんには迷惑を掛けることもあるかもしれませんが、仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします」
考えてきた挨拶を述べてお辞儀をすると、クラスメイトたちから暖かい拍手が送られた。
それを聞いて、ひとまず久遠の肩に乗っていた重さが消える。
「はい、ありがとう。みんな、皆月君が困っていたら助けてあげてくださいね。じゃあ、皆月君も席に着いてちょうだい。あそこの空いている席よ」
先生は廊下側最後尾の空席を指差した。
「それから、井上さん」
「はい」
先生に名指しされ、一人の女子生徒が立ち上がった。久遠の席の隣に座っていた彼女は、セーラー服をきっちり着こなした優等生っぽい女の子。三つ編みとメガネのせいで若干地味な印象を受けるが、目鼻立ちの整った綺麗な顔立ちをしている。男子の人気投票では意外と票が集まるタイプに思えた。
「彼女がこのクラスの委員長よ。分からないことがあったら彼女に聞くといいわ。それじゃあ、席に座ってね」
委員長と聞いて、久遠は「ああ、やっぱりそうか」と納得する。彼女は見た目からして、委員長といった風貌だ。久遠の席が彼女の隣なのも先生のはからいなのだろう。
久遠は「分かりました」と答え、自分の席へと向かう。
すると――。
「よっ、転校生!」
久遠の前の席に座っていた男子が、突然声を掛けてきた。
「俺、大森健人(おおもりけんと)っていうんだ。よろしくな」
カラっと笑いながら、彼は軽いノリで自己紹介をした。人懐っこい笑顔を浮かべた短髪の男子生徒。快活そうな雰囲気で、サッカーやバスケといった運動部に所属していそうな印象を受けた。
話し掛けてくれたことは純粋に嬉しかったが、久遠は少々戸惑ってしまう。クラスメイトとのファーストコンタクトは、てっきり先ほど紹介された委員長になると思っていたからだ。
「あ、うん。よろし――」
「ちょっと、大森君!」
久遠が返事をしようとすると、委員長の不満そうな声が久遠の言葉を遮った。
「先生に紹介されたのは私なのよ。こういう場合って、普通、私が最初に声を掛けるものじゃない?」
彼女を見ると、ぶすっとした顔で大森健人を睨んでいる。
しかし、彼の方は特に気にする様子もなく涼しい顔をしていた。
「堅いこと言うなよ、委員長。誰が最初に話し掛けるかなんて大した問題じゃないだろ」
「分かってないわね。こういうのは最初が肝心なのよ。転校生の男の子と、彼に最初に話しかけた女子生徒。何かが芽生えそうなシチュエーションじゃない」
「安心しろよ。都会から来た儚げな美少年と、田舎育ちの芋くさい委員長じゃ、恋の花はおろか、雑草一本生えないって」
「なっ!? 誰が芋くさいですって!? もう一度言ってみなさいよ!!」
二人のやりとりを聞いたクラスメイトたちからは、笑い声と共に「まーた夫婦漫才が始まったよ」「相変わらず仲がいいのね~」「いいぞ、もっとやれー」などの野次が飛ぶ。周囲の反応を見る限りだと、この二人のいがみ合いはクラスの名物みたいなものらしい。つまり、二人は「喧嘩するほど仲が良い」関係なのだろう。教室内に和やかな空気が広がったのが何よりの証拠。おかげで、久遠に残っていた緊張も消失した。
「ほらほら、皆月君も困ってるでしょ。夫婦喧嘩もそれくらいにしておきなさい」
先生に窘められると、大森健人は「はーい♪」と調子よく返事をし、委員長の方は不機嫌そうに顔を背けた。先生にまで言われているところを見ると、二人ともクラスのムードメーカー的存在なのだろう。転校してきたばかりの久遠にとって、彼らのような明るい生徒とまず接点を持てたことは、この上ない幸運だった。
「二人ともよろしくね」
久遠は二人に挨拶をして、自分の席に着く。
「それじゃあ皆さん、一時間目の準備をしてくだい」
先生が教室を出ていくと、教室には喧騒が満ちる。
久遠は鞄から筆記用具を取り出しながら、ざっと教室内を眺めた。
大人しそうな生徒もいれば、少しばかりガラの悪そうな生徒もいる。
そんなクラスメイトたちは、授業が始まるまでの僅かな時間を楽しそうに談笑しながら過ごしていた。
どこにでもありそうな中学三年生のクラス風景。
(見た感じは普通のクラスだな。でも――)
久遠が物思いに耽っていた、その時――。
「ねえ、皆月君。教科書は持ってる?」
隣に座る委員長から不意に声を掛けられた。
久遠は思考を中断して彼女の方へ身体を向ける。
「ううん、まだ持ってないんだ」
「それじゃあ、私のを見せてあげるね。それから、さっきは前にいるバカのせいで見苦しいものを見せちゃってごめんなさい。あのバカのせいで」
「おいおい、誰がバカだよ! つか、二回も言うな! そもそも俺は緊張しているであろう転校生の心をほぐすためにだな――」
「はいはい、バカは黙ってなさい」
話に割り込んできた大森健人を、委員長は「しっしっ」とあしらう。けれど、彼に堪えた様子は皆無。お約束とも言えそうな二人のやりとりを見て、久遠も自然と頬が緩む。
「そういえば、まだちゃんと自己紹介をしてなかったわね。私は井上優子(いのうえゆうこ)。一応クラス委員をやっているから、困ったことがあったら何でも言ってね」
「うん。ありがとう」
久遠がお礼を言うと同時に、始業のチャイムが鳴った。
立っていた生徒たちが慌ただしく席に着く。
しばらくすると、一時間目の先生が教室に入ってきて授業が始まった。
ありふれた、どこか懐かしさすら覚える授業風景。
だが、久遠は知っている。
今、目の前にある『普通』。
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