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扉の外

30話 告白

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 あかりの料理はすこぶる評判が良かった。
 内容物は既存の缶詰で完結しているのだが、調味料による絶妙なバランスの味付けで、それは立派なご馳走へと昇華されていたからだった。

「ごちそうさま。」
「本当に美味いなぁ……アカリメシは」
「うふふっ ありがとうございます!」

 川辺で雑談を交えながらの食器洗い。辺りはかなり暗くなっているので、常に三人一組の行動を心がけている。

「もしかしたらあのクリオネも味付け次第で化けるんじゃないか?」

 小森は勝手気ままに浮遊するクリオネを見ながらそう言った。

「いえ……火通すと爆発しますし、さすがに生食はちょっと」
「ふむ、体液さえ抜けばと思ったが……そうだな、寄生虫が怖いか」

 小川の水はそのまま飲めそうなほど澄んでいて、少し温かい。
 流れてくる上層の気温と、こちら側に温度差があるせいだった。

「だいぶ冷えてきましたね」
「霧も出てきた。」
「そろそろ戻るか」

 テントがすぐ近くにあるとは言え、先の『光の柱』のようにどんな危険があるか分からない。小森は不利な状況を作らないよう、慎重に行動していた。

「おそらく、まだまだ気温は下がっていくと思う。テントは冷気を完全に防いでくれるわけで訳ではないから、しっかり毛布をかぶるように」
「もう、おやすみするんですか?」
「やっぱり夜の行動は危険だと判断した。たくさん寝て明日に備えよう」

 テントは三人入っても十分なスペースがある。
 あかりもヌーも体格が小さいのが幸いだった。

「さて……眠れるでしょうか」
「あかりは働き者だからな。」
「俺も寝られそうにない」
「小森が真っ先に寝るだろ。賭けてもいい。」

 毛布に包まり他愛もない会話を続けるうち、次第に身体が温まっていく。
 ほどけていく緊張感は、代わりに微睡まどろみをもたらしていた。

「……なべ。湯気でてる。」
「川の水を煮沸させて飲めるようにしているのです」
「ああ、でもこのままだと全部蒸発してしまうな」

 そうは言うものの、小森は動こうとしない。

「よし。ヌーが一番入り口に近いな」
「……ぬぅ。」
「鍋を火からどけといてくれ」
「……ぬぅ。」
「蓋はしっかり密閉しといてくれな」

 ヌーもテントの入り口を向いたまま、動かなくなっている。

「ヌー?」
「……ぬぅ。……ぬぅ。」
「ヌーさん、もう眠っているみたいですよ」
「……紛らわしすぎるだろ」

 小さな獣人は『ぬぅぬぅ』と一定のリズムで寝息をたてていた。
 ふさふさの尻尾は無意識によるものなのか、ぱたぱたと不規則に動いている。

「無防備だな」
「小森さん、触って起こしては可哀想ですよ? 大事な休息なのです」
「う、うむ……」

 小森は伸びていた手をそっと戻して、寝返りを打った。
 すると、ニコニコと笑顔でいるあかりと視線が合う。

「あかり君はいっつも笑顔だよな」
「わたし、楽しんでますから」

 少し微睡んでいるのもあって、あかりの声のトーンはいつもよりずっと落ち着いている。

「こんな状況でもか」
「こんな状況でも、です」

 あかりは小さくウィンクをしてみせた。

「うおっ、まぶしっ」
「あははっ、あんまり騒ぐとヌーさんが起きてしまいます」

 照れ隠しに顔を覆った小森は、しばらくそのままの体勢でいた。

「目が冴えてしまったな」
「――小森さん、わたしは何歳くらいに見えますか?」

 小森は覆った手の間から、そっとあかりの顔色を伺う。
 真剣なのか、微笑んでいるのか。なんともつかみ所のない表情をしていた。

「うーん。中二かな」
「今は、そうですね」

 初めて出会った時は高校生だった。
 今は幼くなって中学生。

 元は──元の世界では何歳だったのだろうか。

 それを考えたことは何度もあったが、小森から聞くような事は無かった。

「実はすごいおばあちゃんだったり」
「小森さんにはそう見えますか?」
「うーむ……」

 自立心が強く大人っぽいところもある。
 夢見がちな、子供っぽいところもある。

「あははっ、ちょっと意地悪でしたね。実はわたし……何を隠そう――」
「あー、待ってくれ。この話は本当に俺たちに必要なのか? 今のままでいいんじゃないか」

 小森は臆病な男である。保守的に生きて、ありとあらゆる刺激から隠れるように生きてきた。
 傷つきたくない。心を平穏に保っていたい。
 そう思って今まで生きてきた。

「小森さんがよくても、わたしは違います」

 あかりは真っ直ぐに小森の目を見返した。

「まずですね。わたしがのは、青春時代に戻りたいなという気持ちがあったからだと思います」
「ふむ……」

 釘を刺された手前、小森は相槌を打つことしかできなかった。

「毎日通勤して、夜遅くまで残業して、家に帰れば誰もいなくて、疲れてベッドに飛び込んで、気付けばまた会社にいて――わたしは自分が何なのか分からなくなっていました」
「ああ、俺の嫌いなルーチンワークだ」
「最初小森さんと出会った時は、『理想の生き方をしている人』だと感じましたよ。でも、一緒に過ごしているうちに気付いたんです。――理想の生き方というより、『理想の人』だったって」
「……」
「ちょっと月並みな感じでしたか?」

 あかりは恥ずかしそうに笑っている。
 それに対して、今度は小森が神妙な顔つきになっていた。

「小森さんは以前、大人が嫌いって言ってましたよね」
「……今もな」
「わたし、何を隠そう――小森さんと同い年なのです。大人なのです」

 そう告げられたところで、小森が表情を変えることはない。

「わたしの二度目の願い。中学生の姿になったのは、小森さんに好かれたかったから……なのですよ」

 ――小森さんは小さな子がお好きなのですね。
 いつか言われた言葉が小森の胸の奥に反響する。

「わたし、ヌーさんに嫉妬していたんです。だからこんなに幼くなっちゃって。でも、本当は大人なのです」

 どこか自嘲するような笑顔。子供が絶対しないような表情が、幼いあかりの顔に浮かんでいた。

「だから、今もこんなに楽しいのです。小森さんと一緒にいる限り、ずっと笑顔でいられます」
「俺はな」

 小森は覆っていた手をゆっくりとおろして続けた。

「──あかり君のことが好きだ」

 あかりの笑顔が一瞬、ぐにゃりと歪む。
 目の奥に滲む涙をこらえるかのように。

「それは……ひとりの女性として、ですか?」
「まあ……そういうことだ」
「――ヌーさんよりも、ですか?」
「なんだって? ……比べられん。というかヌーはそういう目で見てないぞ」

 あかりは、初めて小森から目をそらした。
 笑顔の崩れた自分を見られたくなくて、ぐるりと大きく寝返りを打った。

「わたし、卑怯なことしてますね」
「気にすんな、俺は嘘をついてない」
「んずっ……ちょっと、顔洗ってきますっっ!」

 あかりは素早く立ち上がり、ヌーを大きくまたいだ。
 ――跨ごうとして、しっぽを軽く踏んづけた。

「あいたっ。」
「ずびばぜん……っ!」

 そして、急いで靴を履くと川の方へと走って行った。

「おはよう、ヌー」
「ぬぅ……。まだ暗いぞ小森。あかりに何があったんだ?」
「トイレだってさ」

 小森の胸のうちには、意識しないようにしていた新しい気持ちが芽生え始めていた。

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