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盛夏の夜の魂祭り(第三話)嫉妬の業火は諸刃の剣
05 抜けば珠散る恋風魔風
しおりを挟む十五にもなれば、男子も女子も色気づく。
彼女は今年の四月に、桜風のようにやってきたと、クラスメイトの高梨は言った。
どうにも十五にしては雰囲気が大人っぽい。細い体は均整がとれていて、胸も大きく腰も安産型だ。志弦だって見た目は非常に可愛いが、その子の目じりは長いまつげがスッと彩って、男を射殺す妖艶さがあった。首にまでおしろいをはたく薄化粧。細くてやわらかそうな猫っ毛のほわほわした髪。みつあみは緩く編まれて、野暮ったさというものがない。猫族の長いしっぽも、常にくるりと思わせぶりに巻いていた。
合唱でのアルトがまた色気があって溜まらないんだよなぁ、というのが高梨の言。玉砕覚悟で告白してみたが、「あなたとはお友達のままでいたい」と体よく振られたようだ。
友達が気にしている女だから、詠も少しは気にかけていた。今年の春に転校してきたその女は『みさき』という名前だった。
六月に入り、梅雨の湿気と夏の暑さで閉口する時期が来た。
彼女から結び文を渡されたとき、詠は驚いた。もしかして高梨との仲を考え直す気になったのかと、いそいそと和紙を開く。
『放課後、音楽準備室で待ってます』と書かれていた。詠は高梨には内緒にして、神兵隊の訓練に直行せず、音楽準備室に行った。
そこには吹奏楽部の楽器などもたくさん置かれていた。防音処理のされた縦四畳の狭い部屋で、めずらしく髪を結いあげた『みさき』は、信じられないことを言った。
「わたし、本当はずっと高梨くんより櫻庭くんが気になってたの。強い男の人が好き。ふつつかものですが、良かったら、付き合ってください」
彼女は少し斜に構えた普段の態度とは違って、きっちりと詠に頭を下げた。『返事はいつまでも待ってます』と謙虚に告げて、準備室を出て行った。窓からのぞくケヤキの葉が、瑞々しく健やかに見えた。
詠は驚きながら帰路につき、考えた。
高梨にはとても打ち明けられない。だが、普段しゃなりと色気のある彼女が、まるで大和撫子のように礼儀正しく申し込んできたことを思うと、「高梨に悪ィからさ」なんて単純に振ってしまっては悪いと思った。それにほかでもない高梨自身の吹聴で、彼女の魅力は理解してしまっている。
俺のこともカッコいいと思ってくれる女の子がいたんだなぁ、というのが、詠の素朴な実感であった。男としての自信を与えてくれただけで、『みさき』には感謝したかった。
自慢になるかとも思ったが、詠は清矢に相談してみることにした。渚村でみんなの耳に入ったら、冷やかされてしまうだろう。清矢を誘って、県庁所在地の松嶋市まで連れて行き、料金を払って「春宮」の庭園に入る。清矢は「今の季節は紫陽花がきれいだろ」と微笑んだ。そういえば、今年はここでお花見をしなかった。
梅雨の晴れ間で、わんと咲きほこった紫陽花は非常に豪華だ。花手水に手をひたしてはしゃぐ。柳の枝はすだれのように風のかたちを教え、合歓の木は夢色の幻想的な花を咲かせる。
『みさき』と来てみたらどうだろう、とフッと思ってしまって、詠は恥ずかしくなった。どうせ断るにしても、一回くらいデートをしたって罰は当たらない気がする。池のそばにあつらえられた東屋に席を取っていったん落ち着くと、詠は清矢に『みさき』のことを報告した。
目を輝かせて話に乗ってくるか、それともほくそ笑みながらからかってくるか。どちらかだと思ったのに、清矢は深刻そうな顔をした。
「そいつ一体何者だよ。四月に転校してきたって……そんな新参は信用できない」
思ったよりも辛辣な意見に、詠はむくれた。
「素性のわかったやつじゃねーと付き合っちゃいけねぇのかよ」
清矢は恋愛ごとになんか興味もないのか、上から目線で言いつけてきた。
「当り前だろ、俺たちの参戦それ自体が祈月軍閥の機密だ。絶対に断れ」
「そりゃ高梨に悪いから、ホントに付き合う気はねーけど……」
煮え切らない語尾に清矢がきつい目を光らせた。
「詠、これ命令だぜ。父上の軍閥の一員になるんだから、俺の言うことは聞いてくれ」
その一言に、詠はカチンときた。
何だよ、命令って。俺はちゃんと何でも隠さず打ち明けてるのに。ただ、いつも通り他愛ない話がしたかっただけなのに。
高次な話ではないのは確かだが、もっと親身になってほしかった。
「命令? ざっけんな! 俺たちは友達だろ! こんなことなら広大くんに相談すればよかった!」
清矢の肩を思いきりはたき、詠はその場を後にした。
相棒と頼む男は追いかけても来なかった。
詠はヤケになって帰宅すると『みさき』に返事を書いた。
『お互いの相性をしばらく試してから決めようぜ』。高梨は悔しがるだろうが、少しくらいなら分かってくれるだろう。
高梨は本当にいい奴で、「腕っぷしで俺よか詠か。畜生、幸せになれよ!」と目元をこすりつつ許してくれた。
『みさき』は詠が戦うところを見たいというので、神兵隊の練習場所を教えた。女友達と連れ立ってきて、若手は全員色めきたっている。付き添いの子も彼氏を探しているのか、「私たちと同じ年くらいなのに、皆さんすごいです。どんなメンバーがいるんですか?」と頬を赤く染めた。洋一は舞い上がって一人ずつ名前を挙げていった。
「あとは今日来てないけど、清矢とか。ピアノばっかで剣の腕はまだまだかな~。詠の親友なんだよな!」
何だか白々しい感じだが、詠は作り笑いでうなずいた。『みさき』が微笑みながら、詠の頬を突く。
「そっか。わたし、その子に会ってみたい。親友にも認めてもらいたいな、わたしが彼女だって」
こそばゆい気持ちがした。いつもは厳しい綿貫隊長も、「爽やかな、若人らしい交流だ!」と嬉しそうだ。戦の話なんか誰もしなくなった。そんな現実は存在もしないかのようだ。週末に、充希と連れ立って清矢がやってくる。『みさき』や他の野次馬たちがいるのを見て、一瞬目をすがめたが、何も言わなかった。その日は神兵隊の訓練に二組の客があった。遊びがてらの『みさき』たち。もう一人は、常春殿神官の葛葉寛だ。『日の輝巫女』と会話し、彼女の身辺の世話をするという罰当たりな役目を担っている。狐亜種で、昔から大社務めだっていうのに卑屈が染みついてしまったかのようなやつだ。
三白眼で、いつもせこせこと誰にでも腰が低い。『日の輝巫女』は魔物なのに、そんなやつにすら頭を下げている。
大社の仕事で会うと、必ず『ちゃんと常春殿の術はやってる?』とだけ話しかけてくるのもうっとうしかった。
「葛葉さん、どうしました。もしや『日の輝巫女』に異変ですか」
綿貫隊長が声をかけると、葛葉は『みさき』たちに目を止めた。
「『大巫女さま』に変わりはないですよ、それにしても、女人禁制とまでは言いませんが……なんで若い娘が大挙してここに?」
「詠の友達たちだそうです。見学して、親しみを持ってもらうのも良いと思いまして」
「へぇ~、まぁ、耀サマのころにもよくあったらしいですよね、そういう浮ついたこと。清矢くんいます?」
よりによって葛葉が清矢を指名したので、詠は口を出した。
「清矢くんに何の用だよ」
「お父上の軍勢の先行きがまた怪しいって聞いてます。良ければこれ、持ってってください。『神稲かむいな』です」
葛葉はそう言って、清矢に一束輝く稲を渡してきた。黄金色の稲がうすぼんやり発光している。清矢は受け取って手のひらに載せると、ためつすがめつ観察した。
「怪しいぜ、そんなもん」
詠があしらおうとすると、葛葉は逆に精米された完成品を押し付けてきた。
懐紙に丁寧に包まれたそれは、手のひらに乗った半透明にきらめく水晶のような米粒だった。詠は乱雑にポケットに突っ込んだ。
「また、貴重品の仙薬にそんな扱いをする。神兵隊では術の訓練は下火みたいですね」
「それ頼りになるのもいけませんからな」
憤慨ぎみの葛葉。小川先生が苦笑しながら説明した。『神稲』は大社祭神の加護がかかった稲で、服用すれば術のあと消耗された巫力(日ノ本では人間の魔力のことをこう言い換えることが多かった)を補填してくれるという。すっかり清矢の護衛気どりの望月充希は、葛葉なんかにきっちり九十度でおじぎして自己紹介した。
「望月充希と申します。月華神殿地方から、祈月の若君の窮地を救うため使者として参上しました。『神稲』は月華神殿でも作ってます。『日の輝巫女』について、教えてほしいんですが……」
葛葉ははじめ惚けたのか目をぱちくりさせたが、『満月刀』を見せられると普段はあまりしない講釈をはじめた。
「魔物といえどもあれを普段動かすのは歩き巫女だった『千秋』の精神。普段は高慢なだけの巫女さまですよ。まぁ戦時に焦りすぎる必要もないでしょう。今のところワタシが頭を下げるだけで満悦のようだし」
「よく、あんな魔物女に頭なんか下げれるな」
詠はずっと言いたかった皮肉を口にした。葛葉はくすくすと笑う。
「それだけであいつが人を食わないなら、ワタシは土下座でもなんでもしますよ」
いかにも厭味ったらしい返答で、詠は自分から喧嘩を売ったのに腹が立った。充希が深刻な顔で探りを入れる。
「月華神殿でも魔物を罪人の仕置きに使ってて、地元政府に問題視されてる」
葛葉はさばけた様子で言った。
「いや、問題視して当然だと思いますよ。必要悪だなんて私は思わない。ただ、常春殿も『日の輝巫女』を祓えていない以上、強くは言えないんだなぁ」
ちらり、と綿貫隊長を見る。猿亜種の公平がとんでもないことを言いだす。
「普段はあの巫女さま、魔物にはならないじゃない。どうしても俺たちが殺さないといけないの?」
詠はこの神兵隊に『日の輝巫女』を飼い続けようなんていう信じられない人間がいるものだと衝撃を受けた。誰も答えないので、清矢が単刀直入に聞く。
「葛葉さんの力では『日の輝巫女』を祓えないのか?」
葛葉は至極残念そうに言った。
「……それはね、出来ない仕組みになってるのよ。清矢くん、お父さんによろしくね」
葛葉は両手で清矢と握手すると、『神稲』を置いてそそくさと出て行った。隊員たちが剣舞や術を披露するたびに、女の子たちの黄色い声が響く。
訓練が引けるころ、『みさき』は清矢に話しかけた。
「わたし、詠くんの彼女の『みさき』。これからみんなで遊びに行かない?」
清矢は彼女の顔をまじまじと見て、すまなさそうに笑った。
「ごめんな、俺も用事があるんだ」
清矢はさっくりと断ると、充希と連れ立って帰って行った。洋一が顔をほころばせて「じゃあ俺たちとどっか行こう!」と『みさき』に話しかけている。蕎麦屋に行って腹ごしらえをして、思い思いの相手と別れた。『みさき』と二人きりになってひなびた道を歩きながら、詠は謝る。
「悪ィな、『みさき』。清矢ってけっこー忙しい奴なんだ」
「ううん。なんか、大変なことになってるんだね。『日の輝巫女』とか戦とか」
そのセリフはここ一か月の事件とは遥かに隔たった位置から発せられていた。ぱっと志弦のことが頭に浮かぶ。彼女は男装が必要とまで言われて、長い黒髪をばっさりと切ってしまったのだ。本人は首筋が涼しいと笑っていた。
『みさき』を改めて見てみる。
さりげない小花柄のブラウスにオレンジ色のカーディガン。ひざ下丈のプリーツスカートを履いて、普段は蓮っ葉にも見えるのに質実な格好だ。髪は結わずに垂らして、清楚な装い。彼女にふさわしい派手すぎないけど可愛らしい恰好。
……このままじゃあ危ないことに巻き込んじまうのかな?
悩みを忘れさせてくれる『みさき』の存在はありがたかったが、詠は自分が果てしなく間違っているように感じてきた。口からするりと言葉が出た。
「……あのさ、やっぱり俺たち、付き合うのやめようぜ」
「どうして? わたし、何か迷惑かけちゃった?」
「やっぱ高梨には悪ィし。俺、ホントは女の子と遊んでる場合じゃなくてさ……」
頭をかきかき言い訳すると、『みさき』は詠の胸に飛び込んできた。ふわりと甘い花の香り。額をちょこんと詠の心臓につけて、彼女は拗ねた声で言う。
「そんな簡単にフラないでよ。わたし、詠くんのためなら何でもするよ。詳しい話、聞かせてほしい……せっかく付き合えたのにもうお別れなんて、そんなの寂しい」
詠はドキマギした。何ていじらしい態度なんだろうと思った。手を引かれて、『みさき』の家に寄った。山の中にあるにしてはこざっぱりとしたモルタル壁の、モダンな文化住宅だ。誰もいないから上がってって、と誘われ、お茶を出された。『みさき』は台所に立ったまましばらく帰ってこない。緊張を紛らわせようと口をつけた。
そして意識が寸断した。
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