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盛夏の夜の魂祭り(第三話)嫉妬の業火は諸刃の剣

01 幻想と崩壊のラ・ヴァルス

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 三拍子のリズムが不吉な旋律で響く。交響詩が描くのは、ガラスのハイヒールを履いた女性の手を夜会服の男性が取り、熱に浮かされたように踊る幻想だ。かかっているのはモーリス・ラヴェル作曲の『ラ・ヴァルス』。陶春県服飾の大店、草笛家の昼下がりには似つかわしくない音楽だった。しかも、アップライトピアノが備え付けてある子供部屋に大音量で鳴り響いている。

 くりくりした瞳をした短髪の少年が、二段ベッドの下段で寝転んで雑誌を読んでいる。身長が筋肉とは不釣り合いに伸びすぎてしまったのか、膝を折り曲げて多少窮屈そうだ。ダンス・ミュージックは狂騒的に加速していく。少年は落ち着かなげに白い三角の獣耳をひくつかせていたが、やがて起き上がって部屋の主に文句を言った。

「なー清矢くん。俺、この曲あんま好きじゃねーよ」

 しっとりした雰囲気の少年が軽薄に応じた。これまた白狼種と思しき三角の獣耳まで蓄音機にまっすぐ向けている。

「詠よみ、この頽廃のカタルシスわかんねーの? 最高じゃん! 俺、これがラヴェルの曲の中でいっちばん好き!」

 こちらは艶やかな黒髪をしゃれた段入りに整えて、瞳は黒く、煙ったように神秘的で、黙っていれば人目を惹く美貌をしている。詠よみと呼ばれた気立てのよさそうなほうの少年は呆れた顔をする。

「悪ィけど、頽廃のカタルシスって気分じゃねーんだよ。俺、今日の試合で洋一に負けちまったし」
「ああ……そっか」

 詠と清矢の所属する魔法軍事神殿・常春殿の警備兵、神兵隊の話である。本日は練習試合があったが、詠は隊長の息子の洋一に三戦目までねばって競り負けていた。もう一人の少年、祈月清矢きげつ・せいやはレコードを止めてベッドの傍らに座り込む。

 そして、詠にとっては過剰な慰めをくれた。

「でも、詠も頑張ったじゃねーか。魔法使えばもっと勝機もあったろ」

 詠は腕組みをして唇をとがらせた。

「ダメだよ魔法は。洋一には剣技だけで勝たねーと勝ったとはいえねー」
「偉いなあ。俺なんかハナから剣技だけで勝つなんてあきらめてるぜ」
「清矢くん、もっと剣にも本気になってくれよー。賞とかさ、付き合いだってさ、何もかもピアノばっかに熱心じゃん」
「まあまあ。ほんと、詠は大した奴だよ」

 陶春県では三年前に国立魔法大学の門前でとある事件が起きた。軍閥の私闘が耐えない政情にのまれ、悪しき術師が御曹司を誘拐しようとしたのだ、と報道は言う。その術師は六年前にも似たような事件を起こしており、止めに入った村の学者を呪殺していたと……。懲りないその男を力づくで捕まえ、司法の裁きを受けさせたのが魔法大学に勤める結城博士と、その親戚である祈月軍閥の御曹司こと清矢本人だった。

 実のところ、当日の戦闘には、当時十二歳だった櫻庭詠さくらば・よみまでが参加していた。同い年の友人、清矢のことを守る義侠のためである。

 幼い詠が多少なりとも自負を持ちはじめたのは、清矢との出会いがきっかけだった。

 清矢は常春殿神兵隊の特別兵にして実は宮様だったという英雄、祈月耀きげつ・ようの孫なのだ。呪いの小刀・新月刀と魔法剣を手にして特殊任務にあけくれた耀の武勇伝は今も神兵隊員の語り草だ。その最期は常春殿に巣くう人の姿を借る魔物、『日の輝巫女』によって時の朝廷に暗殺されるという悲劇であった。

 息子源蔵は世の混迷に立ち向かって正式に武官として身をたて、ライバル鷲津氏との闘いの中軍閥化してしまった今は故郷にはほとんど帰ってこない。肝心の母親は、重い病気にかかって長期入院中だ。

 要するに詠にとって清矢は血筋だけで既にまばゆい存在だった。

 美人の誉れ高い母親に瓜二つだという、耀サマの孫。耀サマが祈月氏として名字を頂き臣下に降る前の、白燈光宮家の歴史だってカッコいい。清矢はちっぽけな詠を親友と認めてくれた。事件の後も、神兵隊の同胞として技を磨きあって久しい。少年らしく英雄譚に素直にあこがれる詠にとって、清矢は単なる親友という枠に収まり切らない大切な憧れだった。弱音を吐いたというのに意外にも褒められて、思わず頬が赤くなる。

「どうしたんだよ詠。あれー? 照れちまったかー?」

 清矢は悪だくみの顔で二ヤついたと思うと、するりとベッドに滑り込んできた。詠の硬い短髪をワシワシと犬にするような手つきで撫で、半ば肩を抱いている。お気に入りのペットへのぞんざいな愛情そのものだった。

「やめろよ清矢くん、俺くすぐってぇ」

 ころころとじゃれ合う子犬のようだった二人も、十五歳になっていた。思春期の無邪気さは、好意を示すにも常にオーバーだ。火が付いたように笑っていると、もう一人のこの部屋の主、母方の従弟である草笛広大くさぶえ・こうだいが革の鞄片手に塾から帰ってきた。片親の清矢は母の生家に居候しているのである。気安い感じの同居人は、詠と清矢がじゃれ合っているのを見るとげんなり疲れた顔をした。

「何やってんでい! 俺たちもう中学も卒業だぞ。いい加減辞めろよそういうの」

 見た目よりは大分さばけた性質の清矢には、家族同然の従弟の叱責も馬耳東風だ。

「別にいいだろ、詠はあまえんぼなんだよ」

 だが、詠はさすがに今のは恥ずかしいシーンを見られたと思った。

「男らしくねーよな、やめる」

 醒めた声色で言うと、ふいっとベッドから這い出て雑誌とにらめっこを始めた。清矢だけが、狐につままれたように取り残されている。
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