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常世の昼の春物語(第二話)相棒は俺にヒミツを許してくれない

01 夏目雅呪殺事件

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 三年前、陶春県汐満市渚村。八月某日。村の中央会館にて、とある人物の葬式が行われていた。永劫の帝こと『永帝』を歓待するために、たった十二日間で季節の風流を味わいつくした『春夏秋冬の宴』以来、この地に根付いて村人の教育に従事してきた学者一族、夏目雅の告別式である。十二歳の一人息子文香は憔悴しきっていた。

 文香は通夜で滂沱して、主君源蔵も涙ながらに謝った。なぜなら、雅は源蔵の長男・夜空を誘拐されまいとして使者と戦い、呪言をかけられて世を去ってしまったからである。

 夜空は、焼香の際に泣き喚き、生前と何ら変わらぬ遺体にとりすがった。

「……帰ってきてよ! お別れなんて嫌だよ! 俺のせいだ、俺がもっと強ければ! 雅! 雅ーーっ!」

 弟の清矢は泣かずに黙っていた。先だってこの世を去った母親に続けて二度めの葬式だった。夜空よりもさらに幼い彼は、悲劇すらちゃんと認識できていないようだった。大人たちの真似をして抹香を押し戴き、そっと香炉にくべて、礼をして去った。現場にいた二人の従弟・草笛広大は、鼻をすすったものの何も言わずに焼香をした。こちらも自然な哀悼の意であった。

 おりしも源蔵たち祈月軍は長年政敵であった鷲津氏の清隆と同盟して、敵を打倒せんとしていた。汐満市には現状、皇統を強権ですげかえ、恐怖政治を行っていた悪将軍・藤内の部下であった灰狼族の暴れ者・呂壱剛毅りょいつ・ごうきが駐屯していた。藤内自身は討たれたものの、その残党が各地を荒らしまわり、ついにはこの地方にまで流れてきていたのであった。

 戦靴慌ただしき中、齢十一の夜空が同盟に際しての人質として乞われたのは、いわば世の中の趨勢でもあった。ただし使者がよくなかった。

「零時を迎えにきましたんやけど」

 夕暮れ時に尋ねて来たのは、茶髪を長めに伸ばし、軽くパーマをあてた白狐亜種の男だった。女を食い物にする典型的遊び人、そんな印象であった。零時というのは最近まで投宿していたよそ者の子だ。何でも、術を修行したいとの願いだった。松嶋市街に退魔の結界を張る安部氏の親族で、本人きっての希望で神社からこちらに通ってきていたのだった。不審者の到来に、村の古狼と慕われる夏目雅が応対した。白狼亜種が多数を占める渚村では、戦時とあって、私塾を経営する夏目家に子供を集めていたのだった。雅は朴訥な口調で言った。

「既にここは戦場。吉田零時は国元に返した。お前は一体何者だ」
「零時の父親の、宙明ひろあきと言います。祈月の坊ちゃんを同盟のよしみで鷲津さんの家へ、って要件を言付かってきとります」
「預かっている子供をそうやすやすとは渡せない。さては呂壱の手の者だな」

 夏目雅は、内心冷や汗をかきながら大柄な体躯に木刀を構えた。零時の父というにはいやに若い見た目の男は疑われたというのに余裕たっぷりに微笑んで喧嘩を売った。

「それでわいを撲つと言いますんか。おお怖い怖い。とんだ暴力親父やなぁ、文香ちゃんやっけ? 祈月の夜空はどこや。教えんか!」

 ごく真面目な小学生で、少し気弱なところもあった雅の息子、文香は黙って夜空を背にかばった。夜空は一つ年上のその少年の後ろに隠れた。

「庇うっちゅうことはそいつが夜空やな! 眼鏡のボンが文香やって、零時が言うとったわ! おまぬけさんは一等最初に死にさらせ!」

 三島氏。土御門家の庶流の家柄だが、呪いの力は随一。祈月氏の側近として陰に日向にその業を支えてきた夏目雅はその恐ろしさをよくわかっていた。人差し指から放たれた殺傷力ある悪意に気づき、すぐに夜空ごと息子を突き飛ばす。開け放たれた土間に、雀が、鳩が、烏が、ひばりが、何羽も何羽も侵入してきて屋敷内を飛び回り、つつかれた子供たちはぎゃあぎゃあ騒ぎながら部屋の隅に殺到した。

 雅は背を低くし、木刀ごと体当たりをしかけて、三島宙明に峰打ちをしようとした。宙明はにやりと笑い、邪悪そのものの表情で言った。

「死ねやっ!」

 二度の呪詛を受けた雅は脂汗を垂らしながらしゃがみこんだ。今年中学生になろうかという前村長の孫、風祭銀樹かざまつり・ぎんじゅがハサミ片手に立ちはだかる。

「俺が相手になるっ! お前の首をちょん切るぞ!」

 まとめて掴んだ書道用の半紙を、素晴らしい速さで人型に切りぬき、その首をハサミで跳ねた。とたんに襲い掛かるかまいたちの風速。よろけた三島宙明の前を小鳥たちが飛び回り、三羽がばたばたと風刃に切られて落ちる。

「術師がおるんやな、どうせちんまい躯を晒すのがオチやで、夜空をよこせや!」
「あんたは人殺しだ! 自分の子供を面倒みてくれた人の恩を最悪な仇で返すんだ!」

 祈月軍閥のトップ、源蔵の第二の子分を自称する、張本家の娘・志弦も叫んだ。そして硯やらなにやらを投げまくる。三島宙明は顔面に硯の直撃を受け、墨をひっかぶった。

「夜空! てめーだけは捕まっちゃなんねぇ! 俺と一緒に勝手口から逃げるぞ!」

 夜空の従弟、草笛広大くさぶえ・こうだいが決然と叫び、文香にかばわれた夜空の手を引く。夏目屋敷の構造は勝手知ったるものだったから、夜空はうなずいて広大とともに逃げた。頭には、父の命なしに誰かの人質になるなという教えだけがあった。自分さえ無事に逃げ切ってしまえば、三島宙明は退散するだろう。齢十一の夜空の胸にはそうした確信があった。広大の機転に力を得た銀樹は、書道のために積まれていた半紙を次々とハサミで切り抜き、音に合わせて飛ぶ風刃で敵を牽制した。そしてその隙には喉を嗄らして仲間を励ます。

「文香! ありったけの風でさかまけ! 志弦は墨汁ぶっかけろ、全員で三島を押し返すぞ!」

 白狼村、渚村に今も暮らす村民たちの秘密が露わになる瞬間であった。

 かつて、皇軍として祈月家の祖・嘉徳親王に付き従った特別魔術兵。獣亜種ごとに統括された村人たちがその子孫。夏目も風祭も草笛も白狼亜種で、当時はエリート中のエリート兵であった。夏目の息子、文香は銀樹の号令に従い、泣きながらもつむじ風を纏って三島宙明に体当たりした。村の子供みなの師匠、文香の父である雅は朗々と吼える。

「ウォオオオオオオオオオオオオオン!」

 寸時、雅は一匹のけだもの、白狼に変化した。四つ足の体躯にまとわりつく衣服を嚙みちぎって、三島宙明を守ろうとする小鳥たちの猛攻を抜け、痩身の男に真向から襲い掛かる。喉を食い破られそうになった宙明は魂さえ突き破る強烈な憎しみで叫んだ。

「土御門に逆らう者は、去ねやぁああ!」
「お前こそどっか行っちゃえ!」

 志弦は泣きながら、落ちた木刀を拾い、墨まみれの宙明にやみくもに振るった。
 銀樹がいつの間にか即席の風車を作って、ふうっと文香とともに息を吹きかける。

「風よ! よそ者を押し返せ!」

 竜巻が吹き起り、大広間をめちゃくちゃにした。すでに、裏口から出た夜空と広大が触れ回り、領兵までが夏目屋敷にかけつけていた。三島宙明は取り押さえられ、事件は収束したに見えた。

 しかし、三度の呪怨を受けた夏目雅は、当時魔法医療も進んでいなかった日ノ本では、看病むなしく帰らぬ人となってしまったのだ。
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