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悪役聖女の末路

社交界デビュー【ヒロイン視点】

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 朝から叩き起こされるように目を覚まし、まだ意識も朧気(おぼろげ)な中浴槽に入れられる。パーティー当日の朝は皆険しい表情で支度をし回っている。
 
 一つでも作業が遅れればそれは全体の流れとなってしまうので些細(ささい)なミスされ許されないこの状況が少し居心地の悪いと言えば贅沢(ぜいたく)だろう。

 これも全て皆が私のために真剣に取り組んでくれている証拠だ。だから私はそんな皆の期待を背負って頑張らなくちゃいけない。

 お昼前になるとゾロゾロと参加者が会場に現れ、下級貴族からスムーズに入っていく。
 その様子を窓辺から見てドキドキと心臓が跳ね上げているのが分かる。

 本来であればデビューをする令嬢はパートナーとして婚約者か父兄弟を付き添わなければならないが、残念ながら今の私にそんな当てはない。

 陛下はもちろん、他の兄弟も私に好意的でないことは確かなのだから。

 だから今この会場に来る貴族は面白半分もあるのだろう。パートナーも連れず主役として現れる私の惨めさを皮肉りながら嘲笑うはずだ。

 今からでも逃げ出してしまいたいぐらい怖いのに、本当に私にできるだろうか。私に好意的な人間が誰一人いない状況で、上手く取り繕えるだろうか…。

 

 ざわざわ……ッ

 予想通り皇位貴族の殆(ほとん)どは顔を現さず、何故か会場にはグラニッツ公爵令嬢とウィリアムズ小公子が参席している。
 一応招待状には応じていたとはいえ、実際に来るとは微塵(みじん)も思っていなかった。ただ形だけの了承だと思っていたのに…。

 そんな予想が外れたのか彼女達の周りには大勢の人で囲まれて、これでは今回のパーティーの主役が誰だか分からないまでになっていた。


 「全くッ! あの貴族達は今日がどの御方のデビュー日か心得ていらっしゃらないのでしょうか?!」

 「大丈夫よナターシャ。それより、…一度だけハグしてもいい? 不安なの」

 「…もちろんです。皇女様、どうか気落ちしないでいらしてください」

 「そう心配しないで。ちゃんと頑張るから」

 そうは言ってもナターシャの表情から不安と心配が消えることはない。このパーティーで私が主役だと言って信じる人はどのぐらいいるのだろう…。

 ついこの間【皇族の儀】を執り行い、正式に皇族として認められたにも関わらずもはやそのようなことは重要ではない。
 皇族だから、という名目で社交界で迎え入れられることはないのだろう。だって姿を表していない今ですらこんなにも、…視線が痛い。

 
 「今宵お集まり申しました帝国貴族の皆様。今夜華々しい社交界デビューを飾るエルネ・フォン・ラグナロク第二皇女殿下のご入場です」

 、なんて嘘も方便に思える。今回のパーティーに関する費用はその全てがナターシャやヘルメス卿が負担してくれたものだ。

 本来支給されるはずの皇族支援金は最低限度額しか貰えず、人手も足りなかったためか完成度は中級貴族の中でも裕福なぐらい。決して【皇族】としては満足のいくものではない。
 折角皆が頑張ってくれたのに、私がこんなこと思っちゃ駄目だな…。社交もなく暇を持て余した分だけ精度を増したマナーを存分に発揮して、優雅に階段を降りる。


 「ご紹介に預かりました。エルネ・フォン・ラグナロクです。私の生い立ちに関しまして、様々な噂が流れていると存じております。しかし今宵は真(しん)に交流を深め、嘘か真かをお確かめ下さいませ」

 針の筵(むしろ)なんて言葉が今一番相応しいのかもしれない。何処からも痛いぐらいに感じる、価値を推し量るような視線。
 無礼だとは思わない。私もそうしなければならなくなった立場なのだから…。

 
 「それでは皆様、随分お待たせしてしまったことでしょう。乾杯の言葉は省略致しますので、皆様今宵の出会いを楽しんでいらして下さい」

 この後は、貴族達の列をなす挨拶だ。
 爵位の高い公爵家から順に始まるため、まずはこのパーティー唯一の公爵家であるグラニッツ公爵令嬢との顔合わせになる。

 
 「社交界デビューおめでとうございます。第二皇女殿下」
 「ありがとうございます。グラニッツ公爵令嬢もウィリアムズ小公子とのご婚約おめでとうございます」

 グラニッツ公爵令嬢の横に並ぶウィリアムズ小公子は一度挨拶したきり一切口を開くことなくグラニッツ公爵令嬢が喋るのだけを見つめている。それだけで愛の深さがどれだけのものか分かる。

 羨ましい、なんて言ったら贅沢かな…。
 帝国一のカップルだと私の宮殿まで噂が届くのも納得できる二人の姿に、惨めさだけが増していく。


 「私ずっと殿下とお話したかったんです。もしご迷惑でなければ…、お友達になって頂けませんか?」

 公爵令嬢の発言に驚いたのは私だけではない。他の貴族たちにとっても寝耳に水と言いたげな驚きようだ。
 そんな中で唯一蚊帳の外にいるような張本人とウィリアムズ小公子に、一体何が目的なのかと疑心を抱く。

 帝国の寵子(ちょうし)と謳われる彼女が私と親しくなって得られるものなどないに等しい。にも関わらず彼女が望む理由。
 まさか、小間使いとしてあちこちに連れていき立場の違いでも分からせられるの…?

 
 警戒MAXの猫状態の私に、キラキラと期待の視線ばかり送る公爵令嬢。数秒だけどそんな視線でじっと見続けられ、その内毒気をすっかりと抜かれてしまった。

 もしかしたらこの人は本当に、裏表なんてないのかもしれない。それにこんな私に初めて友達になろうって言ってくださった人を無碍(むげ)にはできない。


 「公爵令嬢さえ良ければ…、私もお友達になりたいです」

 「本当ですか?! 嬉しいです、殿下!」

 屈託のない笑顔で喜ぶ彼女に、少し、ほんの少しだけ嫉妬してしまった。
 いつの間にか彼女と同じ様に笑う自分の姿を想像できなくなってしまった私は、取り戻そうとすら思わなくなってしまった私は…。

 
 「お友達なら、エルネで大丈夫ですよ」

 「分かりました。それなら私も二人のときはエディスと呼んで下さい。もっとお話したい気持ちは山々なんですが、流石にこれ以上エルネを独占するわけにもいきませんからまた後で参りますね」

 「はい。楽しみにしています」

 彼女が本当に百年に一度の天才と言われる人物と同じなのか疑わしくなるほど純情で、まだ16歳の少女のように思える。
 だけどもしかしたら彼女こそこの息苦しい社交界で唯一心を許せる人間なのかもしれない。もう少しだけ、話してみたいという気持ちを抑え次の参列者に挨拶を続けた。


 エディス・テナ・グラニッツが好意を示したということで途端に積極的な態度を取るようになった貴族達の相手を続けること一時間。

 上位貴族のほとんどはエディスのもとへと行き、残った中級貴族の人達と他愛もない会話で場を満たす。


 この時点で既に派閥のようなものが形成されている。帝国の中枢を担う貴族はエディスの下へ、それにあぶれた家紋だけを保つ貴族は私の下へ。

 とんだハズレくじしか残されていないなんて、不公平も此処に極まるみたいだ…。


 話している最中も笑顔を保ち続け、ちらりと入場口の方を覗き見る。そこには出ていく貴族はいるものの、入ってくる者は誰一人としていない。

 もしかしたら陛下が遅れてやって来てくれるのかもしれない、なんて期待を抱いていた数時間前の私を一度叩いてやりたい。
 今になってもそんな叶わない想いを抱くだなんて、滑稽(こっけい)にしか映らない。

 期待は最初からしていなかったはずなのに…、勝手に傷を作ってしまうこんな自分が嫌いだ。
 何ヶ月も前から準備してきたハレの舞台はこんな嘲笑に晒され見世物になるためのものだったんじゃない。

 今すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちを必死に抑えて貴族達の相手を続ける。
 お酒は強くないのにどんどん進められて気持ち悪い。自分に合わない異物を無理やり身体に流し込んでるみたいだ。

 これ以上飲めないと分かっていても、貴族達との交流を繋げるためには無理をしてでも次々と入れ替えられる葡萄酒(ぶどうしゅ)を口に含むしかなかった。

 ようやく貴族らとの会話が落ち着いてきた隙を見計らって席を離れる。よって外の空気を吸いに足を伸ばし、丁度目に着いた人気のない噴水に腰を下ろした。

 頑張って着飾った割に水面には虚しく映る私の姿。
 ぼーっと意識を手放していると、何処からか足音とともに花のように芳(かぐわ)しい匂いが鼻腔(びこう)を掠(かす)めた。


 「ご令嬢、ハンカチを落としましたよ」

 「ぇ…? あ…、ありがとうございます」 

 綺麗な声とともにパッと後ろを振り返ると、まるで絵本から出てきたかのような紳士がハンカチを手に持ちながら微笑んでいた。

 いつの間に落としていたんだろう。わざわざ拾ってきてくれたであろう紳士からお礼を言ってハンカチを受け取るも、その最中に顔が近づき彼の美貌に思わず見惚れてしまった。

 彼の様子から見てどうやら私を皇女と知らないみたいだ。
 どこかの下級貴族にしては気品が高く、もしかしたら外国から滞在(たいざい)している来賓(らいひん)なのかもしれない。


 「…何かお悩みですか?」

 「……ぇ?、あっ」 

 「失礼でしたらすみません。憂(うれ)うような表情でいらしたので」

 久々に感じたナターシャやエメラルド宮以外の人から受け取る心配に心が締め付けられる。あぁ…、人ってこんなに弱かったんだ。

 私が皇女ということを知らないければ、あの噂だって分からないはずだ。何も知らないこの人になら話してみてもいいのかもしれない。


 「……少しだけ、話を聞いてもらえませんか?」

 「もちろんです」

 優しくて、落ち着いた声に私は警戒の糸をほどいてしまったのだろう。
 父のこと、デビューして馴染めないこと。詳細を濁(にご)して思いのままを吐き出した。


 彼の正体など知らず、この時は無意識な【恋】だとも知らずに…。

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