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悪役聖女の今際(いまわ)

馬車の中で…

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 …静寂は長く続かなかった。彼が望む答えを出せずただ固唾を飲んでいる私に一層微笑みが深まり瞳は乾く。

 「シルティナ、返事は?」

 「…っ、ぁ…。お、かえりなさっ…、ぃ」
 
 分かってる。…現実はこんなものだと。頭はでは理解できているつもりなのに、どうしても私が拒絶する。身体はこんなのなのに、口から発することばはまさに調伏された『それ』だ。

 奥深くに刻み付けられた恐怖こそ私たちの間にある絶対的関係。それ以外を許さないとでもいった、純度100%の『恐怖』。

 「全く、折角の再会だというのにヒドいな。挨拶は目を合わせてと『散々』教えたはずだろう?」

 「っ…、はぁ、はぁ…っ」

 オルカの言葉の一つ一つに過去が愕然(がくぜん)と掘り出されその忌々しさに必然と過呼吸が起こる。アレが教育と言うのなら、その定義は虐待に等しい。

 「ごめ…、ごめんなさっ…! おねがっ…。ゆるして。ゆるしてくださっ…!」

 「…シルティナ。【聖女】という者が魔物に身を寄せて、駄目だろう? 此方(こちら)においで。駆逐してあげるから」

 無理だ…。この手を離すことなんてできない。それほ自分から命綱を切ることなのだから…。ガタガタと誰がどう見ても哀れむほどのあられもない姿を見せる私に端(はな)からオルカに対し威嚇MAXのシムルグ達。

 だけど、例え彼らでも到底オルカには敵わない。歴代最高峰の神力を持っている私でさえ、オルカとの実力は天と地の差あるのだから。私が今できるのは、彼らを見逃してもらえるようにオルカに懇願すること。

 「だ、…め。シムルグたちは、ゼルビアおー、こくに…」

 「シルティナ。此方(こっち)に来なさい」

 異論を許さぬオルカに、ぐっと目に見えぬ『ナニか』で口が縫い付けられる。諦めればいい。諦められれば…。でもそれじゃあ、ずっと私が苦しめられるに決まってる。

 大丈夫。大丈夫だからとシムルグ達を落ち着かせる振りをして己を鼓舞する。壊れかけの機械人形のようにドギマギとしてようやくオルカと目を合わせることができた。

 瞬間的に飛び出そうとした悲鳴を殺して、何度目かの空白の後に声を震わせて懇願した。

 「おねが、い…。何でもするから、この子達を殺さないで。おねがい。おねがい…っ」

 怖い。怖い怖い怖いこわいこわい…。今だってこのまま気絶してしまいたいぐらい怖い。だってオルカは今、【怒って】いるのだから…。

 あの時の、私が失踪した後のオルカと面影が重なる。滅多に私的な感情を表に出さないオルカは怒るとより笑みを深める。されど瞳だけは乾ききって、空虚なガラス玉に濁る。それが何より怖いときのオルカだ。

 「シルティナ。今すぐ私の元に来るか、それともお仕置きされ無理矢理帰るか、好きな方を選ぶんだ」

 【お仕置き】。あの発狂しそうなほど人間の加虐性が充満した行為に、私は耐えられるほど強い人間じゃない。でも、もう後戻りもできない。

 「おし、おき…、されるか、ら…。だからっ、この子達はみのがして…!」

 「シルティナ。本当に…?」

 「おねがいだからっ。お仕置きでも何でも受けるからっ! この子達はころさないでっ…、オルカ…」

 最後は鼻声でもう何も言えたものじゃない。ぐすっ…、ぐすっと無様を晒している私の後ろでシムルグ達が今にも戦闘態勢に入ろうとするのに対し、オルカは少し考えるような素振りを見せた。
だめだ。もっとオルカの天秤が重く傾くぐらいのものがなけらば…。

 「痛いことも…っ、苦しいこともしていいからっ! オルカの言うことも全部聞くのっ゛! だから、…だからおねがぃ。ころさないで…っ」

 「…ふぅん。そこまでしてその魔獣を守りたいんだ?」

 「…っ、おねがっ、…おるか」

 わざと直接的な答えは出さなかった。だってここでそれを言ってしまったらオルカの逆鱗に触れるから。そうなれば私の願いも何もなくシムルグ達は殺されてしまうだろう。

 「わかったよ。…その代わり、【お仕置き】だ」

 「…っん゛」

 小さく頷いた私を距離を詰めたオルカがシムルグ達から引き剥がす。そのままお姫様抱っこの形でオルカに抱き抱えられ、私はオルカの顔をできるだけ見ないようにするために首に腕を回すけど、今回はそれが許されなかった。顎を強く掴まれ下をねじ込まれる。それもシムルグ達の前で…。

 「っんん゛…?! んっ、ぁ…っ。っ、あ…んむっ…」

 オルカの舌は容赦なく口内を蹂躙する。歯揃いに沿って丁寧に舐められ、舌同士で絡ませられ合う。前世でも経験のなかったキスは、上手く息の仕方がわからなくて少し苦しかった。

 私にだって乙女心のようなものはあった。今となってはあるかどうかも不明なものだが、それでもファーストキスぐらい好きな人としたかったなという未練はある。

 しかしその相手がよりにもよってオルカで、初心者に手解(てほど)きの一つもないそれは一種の暴力だ。

 シムルグ達が怒りの唸り声をあげているがオルカの眼力で幸い手を出すことはない。彼らが賢い子達でよかった。そうでなければ私の努力の全てが無駄になってしまうのだから。

 別にたかが【人魚の涙】の四割程度でこんな苦痛に耐える訳じゃない。普段だったら私は彼らを見捨てていた。ただ今日は、どうしてもそれができなかっただけだ…。

 数分経ってようやく舌が抜かれ、二人の間には唾液が絡まって地に落ちる。私はやっと酸素を取り入れることができて必死になって空気を吸っていた。

 「まだ【お仕置き】も始まってないのに、もうキツイ?」

 返事をする余裕なんてなかったけど、どうにか首を左右に動かして続行を告げる。オルカはそれを見て仕方ないなとでも言わんばかりに肩をすくめ、生まれたての雛鳥のように空気を求める私の背中をよしよしとまるで善人かのように撫でた。

 「それじゃあシルティナがちゃんと改心するまで【お仕置き】してあげる」

 にこやかに微笑んでいるのに、吐いた言葉は何ともイカれ野郎の発想だ。オルカはシムルグ達の境界線として炎柱の線を描き、とっくの昔に転移魔術が使えるはずなのに徒歩で私を抱きかかえたまま森を進んでいく。
 
 なぜ、とは聞けない。聞くことなんてできない。それほどまでに私の身体は恐怖で緊縛している。そうした中、木のざわめきだけが聞こえる森で、オルカの鼻歌が響いていた。








 ######


 ガタンッ…、ゴトッ……

 補導されていない獣道とも言えよう道を一台の馬車が走っている。こんな道を馬車が走るのはあまりにも不自然で、どうせオルカが始めから手配していたものだと分かった。

 そして私たちはというと、あれから一度も言葉を交わすことはなかった。だがそれはただの【沈黙】ではない。

 「ぅっ…、ら…っ゛ぁあぁ゛っぐ!」

 馬車の中に響く曇(くぐ)もった私の悲鳴。その苦しみ悶える様を焼き入るようにして黄金に映すオルカ。この密閉した空間は、すでにオルカのテリトリーだ。

 これでまだ【お仕置き】の内に入らないというのだからもう心が折れかけている。限界の先を越えて失神寸前になったらパッと手を離し、その隙に生存本能からか肺が勝手に空気を吸う。それでまた落ち着いたらのときもあれば、たった一瞬の時もある。その不規則性がさらに私の思考力を鈍らせる。

 西の森から神殿まで馬車でも最低二日はかかる。まだ体感時間で半日も経っていない。それにこの『準備期間』が終わったとしても、まだ本命の【お仕置き】が待っている。

 開きっぱなしの口から涎が零れオルカの衣服に染みを作る。何時間もやられればある程度癖などで慣れてくる。それすらも熟知しているオルカは頃合いを見て指を喉まで一気に押し込んだ。咄嗟のことにろくな反応も取れず、盛大にえずいて哭(な)きまくっている。

 『いや』も『やだ』も『くるしい』も『たすけて』も言う暇を与えてはくれない。苦痛から逃れるためにその全てが【快感】に転換される。それが何よりの絶望。苦痛は苦痛のままでいい。が、いい。苦痛である行為に快楽を感じた時点で、この男の手に堕ちたも同然なのだから…。

 「っえ゛…! っがぇぁ…ッ?! ぉ゛え」

 オルカはもうこの一日表情を殺している。最初のあの笑顔も鼻歌ももうない。私を『苦しめる』こと以外の全てを放棄しているみたいに、彫刻のような顔を眉一つ動かさず非道なな行為を続ける。

 夜が更けた。馬車は進みを止めない。私はオルカの膝の上に頭を置いて気を失い眠りにつく。目を覚ました瞬間に私の髪に触るオルカとバッチリ目があった。きっと一睡もしていないのだろうとこんな馬鹿な予想は外れていてほしい。

 「…ふっ、ん~ーー…ッ、っぁ゛え゛…。ん゛ん゛~ーーー~~ッ??!!!」

 鼻と口を同時に押さえつけられ、首を絞められる以上の息苦しさに悶え叫ぶ。抵抗して口をほんの少しでも開けば指をねじ込まれる。生理的な涙が水溜まりを作って、涎と鼻水も混じってベトベトの感触が気持ち悪い。

 ゆるして…。『ゆるしてほしい』と懇願するように目尻に涙を溜めオルカの服に縋ろうものなら愛おしむように目を赤く蕩けさせ口づけされる。このときだけは『苦しみ』から解放される。身体はそれを覚え込まされ、徐々に自ら口づけを迫るようになる。もうどこからがオルカの手中(しゅちゅう)かはわからない。

 「っふぁ…、んっ。ぁつ……んむっ」

 お互いの涎が絡み合い、下に零れる。気持ちいい。気持ちいい、きもちいい、きもちいい…。身体が仄(ほの)かに火照っていく。

 散々手酷くなぶられた後のアメはどこまでも甘く、こんなものに縋る他ない自分の惨めさに涙が溢れる。変わっていく自分を認めたくない。もうとっくに諦めていることに、気づきたくはないのだ。

 こんなことなら苦しい方ごずっとマシだったと思いながら、身体はせばむようにアメを享受し続ける。オルカの瞳は全てを見据えて、満足の行く結果に愉悦に満ちている。与えられるだけのアメに溺れていると、唐突なムチが始まる。甘さを知ったからこその苦痛が長引き、その繰り返しに精神は蝕まれた。

 最終的に許しを乞う余裕も、泣き縋る力も毛根尽き果てオルカにお姫様抱っこの形で神殿に戻る羽目になってしまった。神殿に馬車が到着したとき、私が感じたのは嘲笑だった。閣下が存命するこの神殿で私に手を出すと言うことは即ち神殿の没落を意味する。今この瞬間をもって、新たな神殿の主が誕生したに等しいのだから…。

 滅多に目にかからない上級神官でさえ同じ階級のオルカに頭を垂れ礼儀を払っている。それは無理矢理のものじゃない。心からの崇拝で覆い隠された礼儀だ。そしてこの状況に何ら疑問を抱いていないのなら、『私』の存在は既に周知の事実なのだろう。

 「…ぁはっ。はは、はっ…。あははっ……」

 疲れきった私の身体はもう指一つ動かすことさえ叶わないというのに、嘲るように口角は上がりこの馬鹿馬鹿しい光景に乾いた笑いが止まらなかった。

 悲しいのだろうか。いや、そんな安っぽい感情じゃない。怒りだろうか。それもまた違うと断言できる。それじゃあこの、やりきれない『痛み』は何なのだろうか。それを教えてくれる人はもうどこにもいないことに更にやるせなさは増して、私はオルカの腕の中で揺られ神殿の奥に進んでいった。

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