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悪役聖女の今際(いまわ)
シムルグ討伐要請
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苦しくても、苦しくても、抜け出せないとき、逃げ出せないとき、意外にも人間は『適応』を選ぶ。私がそうだったように、何も希望を抱かず無理な、何も夢見ることなく、全てを静寂のまま受け入れれば何てことのない日常に変わる。
感情を殺し、全てを偽り、心からの『聖女』となれば数多の理不尽でさえ受け流せる。大丈夫。大丈夫…。
私は生きた。生きた。生きた…。何度も死にたくなって、壊したくなっても、生き抜いた。
力が無かった。力を欲した。彼らを葬り去るだけの力。でも、届かなかった。温室の中で育てられる私と、日々戦場を駆けている彼らとはあまりに環境が違いすぎた。
私は諦めた。生きることを諦めた。この人生の消費期限を切に願った。最初の頃のように『死』を怖れなくなった。あまり泣かなくなった。笑わなくなった。
あと一年…。短い一方で、途方もない時間にすら感じる。庭園の長椅子に身を預け、目を閉じる。鳥が両翼を広げ元気に鳴いている。見えないものは全て想像が補ってくれる。
「聖女様、教徒への祝福のお時間です」
この息を吐く時間の終わりは神官からの声。私は一切の違和感を晒すことなく、聖女の微笑みを張り付ける。
「わかりました」
信者への祝福はこの八年一度も欠かしたことがない。一人一人平等に、分け隔てなく接する園献身な姿は彼らの『理想』には十分すぎるほどだっただろう。
「聖女様! この間は私を治してくれてありがとう!」
何も祝福するだけが全てではない。わざわざこうしてお礼を返すために長蛇の列に並ぶ者もいる。まだ小さな女の子の身長に合わせて私もかがんだ。
「ありがとう。部屋に大切に飾るわ」
「聖女様大好き!」
この子は一月ほど前に家族総出で治療を頼み込んできたのを覚えている。確か酷い高熱で今にも死んでしまいそうだった命が、今こうして花開いている姿を見るのはどこか心が温まる気持ちになる。
でも、一生懸命摘んできてであろうこの花を部屋に飾ることは残念ながら永遠に叶わないだろう。彼らは私が大切にしているものほどぐちゃぐちゃに壊してしまうから、この花は庭園を管理する庭師に渡して大事に育ててもらおうと思う。
最近ラクロスは滅多に姿を表すことがなくなった。どうやら本格的に裏の統括に力を入れ、やって来るときはいつも疲れきっていた。そのせいで吸血される量も大きく増えたがあの男の顔を見る回数が減ったと思えばプラスでしかない。
オルカともここ数年顔を会わせていない。此方も大規模な国家間の戦争要員に駆り出され日々命の奪い合いの中に身を置いているそうで嬉しいことこの上ない。
あとは『あの人』さえいなければ、の話だけど…、そう簡単に現実が傾くはずもなかった。今日は珍し教皇閣下に呼び出される。大体閣下が私を呼ぶのは人材の整理と私の派遣の報告ぐらいで、今回は後者の方だった。
「シルティナ。ゼルビア国から直々の要請で、凶暴化し西の森一帯をテリトリー化したシムルグを討伐、できれば手懐け国に還して欲しいという内容で詳しい情報は未明だ。すぐに迎えるか?」
「はい。ところで、頂いた対価の方をお聞きしても?」
閣下とは長い付き合いだからか聖女の仮面を被っていてもあまり意味はない。だからこうして軽口を叩けてしまうのだ。閣下だってニヤリと笑って聖職者にはあり得ないほどイケすかした顔をしている。
「【人魚の涙】だ」
【人魚の涙】。確か弱小国なら丸ごと買い取れるほどの価値を持ち、古代魔道具として魔術師の中でもたびたび議論としてあげられているゼルビア王国の悲報の一つ。これを条件として出されれば私を派遣するのも無理はないだろう。
「で、私の取り分はどれほどですか?」
予想通りの問いなのか閣下はすぐさま指を二本指し、にかりと笑った。
「二割」
「五割」
「三割だ」
これ以上は絶対に譲らないといった閣下だが、絞れるものは絞れるだけ貰うのが私の信条なのだ。
「仕方ないですね。四割にまけて差し上げましょう」
どちらも一歩も譲らず、私はイイ笑顔で指を四つ立てた。渋りに渋った閣下も表情を一切崩すことのない私と数秒対峙し根負けしたようだ。悔しそうな溜め息を吐いて承諾の返事を返した。
「交渉がずいぶんと上手くなったようで何よりだな」
「閣下こそ、負け犬の遠吠えがお上手になっておられますよ?」
「全く、こんなイケすかない人間に育ちおって」
「雛鳥は親鳥の背中を見ると言いますからね。きっとろくでもない親鳥だったんじゃないですか? 全く酷いですね。ぜひ閣下からもその親鳥にガツンと言ってしまってください」
高度な知略戦、なんてものはどこにもなく単にお互いを皮肉り合うこの会話も、見方を変えれば案外楽しいものだ。
閣下だって別に本気で私を嫌っているわでもない。かといって好いていると言えばそれもないだろう。この関係を言葉で表すのは難しいが、そこまで居心地の悪いものではなかった。
執務室から出てすぐに出発の準備へと取りかかる。まだ一般市民への被害は出ていないものの凶暴化しているのなら一刻を争う。
動きやすい服に着替えて転移魔術に特化した神官だけを連れていく。時を争うときに余計なものは不要なだけなのだけら。
久しぶりに髪結い上げ首筋に風が当たって気持ちいい。神殿にいるときは大体髪を下ろして装飾がつけられるからこんなに軽々しいのも懐かしい気分だ。
高難易度の転移魔術を時を置かず重複してしまい疲弊した神官をその場で休むよう指示し、ようやくついた目的地に防衛用の魔方陣掻い潜り侵入する。
ここで聖女と名を明かしても余計な騒動が巻き起こり、聖都の民に不穏を残すだけ。結果としてシムルグを沈静化させれば誰がどうしたかなどどうでもいいのならわざわざ面倒を招く必要はない。
髪や瞳の色で簡単に正体を知られてしまう為ボロ切れたローブで顔を隠して、西の森に一歩を踏み入れた。
感情を殺し、全てを偽り、心からの『聖女』となれば数多の理不尽でさえ受け流せる。大丈夫。大丈夫…。
私は生きた。生きた。生きた…。何度も死にたくなって、壊したくなっても、生き抜いた。
力が無かった。力を欲した。彼らを葬り去るだけの力。でも、届かなかった。温室の中で育てられる私と、日々戦場を駆けている彼らとはあまりに環境が違いすぎた。
私は諦めた。生きることを諦めた。この人生の消費期限を切に願った。最初の頃のように『死』を怖れなくなった。あまり泣かなくなった。笑わなくなった。
あと一年…。短い一方で、途方もない時間にすら感じる。庭園の長椅子に身を預け、目を閉じる。鳥が両翼を広げ元気に鳴いている。見えないものは全て想像が補ってくれる。
「聖女様、教徒への祝福のお時間です」
この息を吐く時間の終わりは神官からの声。私は一切の違和感を晒すことなく、聖女の微笑みを張り付ける。
「わかりました」
信者への祝福はこの八年一度も欠かしたことがない。一人一人平等に、分け隔てなく接する園献身な姿は彼らの『理想』には十分すぎるほどだっただろう。
「聖女様! この間は私を治してくれてありがとう!」
何も祝福するだけが全てではない。わざわざこうしてお礼を返すために長蛇の列に並ぶ者もいる。まだ小さな女の子の身長に合わせて私もかがんだ。
「ありがとう。部屋に大切に飾るわ」
「聖女様大好き!」
この子は一月ほど前に家族総出で治療を頼み込んできたのを覚えている。確か酷い高熱で今にも死んでしまいそうだった命が、今こうして花開いている姿を見るのはどこか心が温まる気持ちになる。
でも、一生懸命摘んできてであろうこの花を部屋に飾ることは残念ながら永遠に叶わないだろう。彼らは私が大切にしているものほどぐちゃぐちゃに壊してしまうから、この花は庭園を管理する庭師に渡して大事に育ててもらおうと思う。
最近ラクロスは滅多に姿を表すことがなくなった。どうやら本格的に裏の統括に力を入れ、やって来るときはいつも疲れきっていた。そのせいで吸血される量も大きく増えたがあの男の顔を見る回数が減ったと思えばプラスでしかない。
オルカともここ数年顔を会わせていない。此方も大規模な国家間の戦争要員に駆り出され日々命の奪い合いの中に身を置いているそうで嬉しいことこの上ない。
あとは『あの人』さえいなければ、の話だけど…、そう簡単に現実が傾くはずもなかった。今日は珍し教皇閣下に呼び出される。大体閣下が私を呼ぶのは人材の整理と私の派遣の報告ぐらいで、今回は後者の方だった。
「シルティナ。ゼルビア国から直々の要請で、凶暴化し西の森一帯をテリトリー化したシムルグを討伐、できれば手懐け国に還して欲しいという内容で詳しい情報は未明だ。すぐに迎えるか?」
「はい。ところで、頂いた対価の方をお聞きしても?」
閣下とは長い付き合いだからか聖女の仮面を被っていてもあまり意味はない。だからこうして軽口を叩けてしまうのだ。閣下だってニヤリと笑って聖職者にはあり得ないほどイケすかした顔をしている。
「【人魚の涙】だ」
【人魚の涙】。確か弱小国なら丸ごと買い取れるほどの価値を持ち、古代魔道具として魔術師の中でもたびたび議論としてあげられているゼルビア王国の悲報の一つ。これを条件として出されれば私を派遣するのも無理はないだろう。
「で、私の取り分はどれほどですか?」
予想通りの問いなのか閣下はすぐさま指を二本指し、にかりと笑った。
「二割」
「五割」
「三割だ」
これ以上は絶対に譲らないといった閣下だが、絞れるものは絞れるだけ貰うのが私の信条なのだ。
「仕方ないですね。四割にまけて差し上げましょう」
どちらも一歩も譲らず、私はイイ笑顔で指を四つ立てた。渋りに渋った閣下も表情を一切崩すことのない私と数秒対峙し根負けしたようだ。悔しそうな溜め息を吐いて承諾の返事を返した。
「交渉がずいぶんと上手くなったようで何よりだな」
「閣下こそ、負け犬の遠吠えがお上手になっておられますよ?」
「全く、こんなイケすかない人間に育ちおって」
「雛鳥は親鳥の背中を見ると言いますからね。きっとろくでもない親鳥だったんじゃないですか? 全く酷いですね。ぜひ閣下からもその親鳥にガツンと言ってしまってください」
高度な知略戦、なんてものはどこにもなく単にお互いを皮肉り合うこの会話も、見方を変えれば案外楽しいものだ。
閣下だって別に本気で私を嫌っているわでもない。かといって好いていると言えばそれもないだろう。この関係を言葉で表すのは難しいが、そこまで居心地の悪いものではなかった。
執務室から出てすぐに出発の準備へと取りかかる。まだ一般市民への被害は出ていないものの凶暴化しているのなら一刻を争う。
動きやすい服に着替えて転移魔術に特化した神官だけを連れていく。時を争うときに余計なものは不要なだけなのだけら。
久しぶりに髪結い上げ首筋に風が当たって気持ちいい。神殿にいるときは大体髪を下ろして装飾がつけられるからこんなに軽々しいのも懐かしい気分だ。
高難易度の転移魔術を時を置かず重複してしまい疲弊した神官をその場で休むよう指示し、ようやくついた目的地に防衛用の魔方陣掻い潜り侵入する。
ここで聖女と名を明かしても余計な騒動が巻き起こり、聖都の民に不穏を残すだけ。結果としてシムルグを沈静化させれば誰がどうしたかなどどうでもいいのならわざわざ面倒を招く必要はない。
髪や瞳の色で簡単に正体を知られてしまう為ボロ切れたローブで顔を隠して、西の森に一歩を踏み入れた。
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