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悪役聖女の今際(いまわ)
嘘つき
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朝日が燦々(さんさん)と照らす眩(まばゆ)い朝は前日のあの醜い夜を覆い隠すかのごとく無駄に煌めきを持ってやって来る。
カーテンから差し込む光に目を伏せ、一時だけ呼吸を落ち着かせる。もう習慣になってしまった癖は、私を『聖女』にする儀式にも等しい。呼吸が整えられたらまたいつものように朗らかな笑顔を張り付けて、『聖女』が作られる。
コンコン…
「入ってどうぞ」
「失礼いたします」
ゾロゾロといつもの面々が足を踏み入れる。この瞬間から、決して『聖女』の仮面を取ってはならない。
「いつもありがとう」
小まめな感謝の言葉ほど従属の心を深めるものはない。ただ毎回言ってはその価値も半減するものだから、本当にたまに言うのが丁度いいのだ。
だからほら。馬鹿の一つ覚えみたいに皆身体を打ち震えさせている。最初こそこんな考え方を卑劣としていたのに、すっかり染まってしまったみたいだ。それは悲しいことなのか、良いことなのかはわからない。少なくとも、『生きる』上では良いことだと思う他ないだろう。
朝の祈祷(きとう)を済ませて月に一度の『お清め』の為、儀式用の服に着替える。『お清め』は聖水の湧き出る泉に身を入れ、半日そこで過ごすと言うものだ。聖水の効果か水中でも息ができる為何をするでもなくほとんど寝ていることが多い。
「行ってらっしゃいませ」
深々と頭を下げる神官達。彼らに見送られ、私は泉へと足を踏み入れた。此処に入ると不思議な感覚に陥る。
現世と隔絶されたような、自分が大地そのものであるような感覚。文献を漁っても歴代の聖女の中でも神聖力の大きさによってその感覚は異なったようだ。
泉の中では目を開けて自由に泳ぐこともできる。上がった後に肌がふやけないのだって前世から見れば十分にファンタジーだ。
いつもはこの時間に一息吐かせるが、今日は考えることが多すぎてそんな余裕もなかった。先日のあの一件もそうだが、オルカのこともある。
先月国境戦に再出向したオルカだが、いつ戻るのか予測がつかない。前回だって最低三年は掛かると言われていたのにたった一年足らずで戻ってきたのだから。それも辺境伯という大きな後ろ楯を連れて。
辺境伯と言えば貴族的地位では低いイメージがあるが事実は全くもって異なる。辺境伯はいわば国の砦。国境沿いの領地で野蛮属や敵国からの進行に備え軍事力の保持を皇帝直々に下賜されている。だからこそその領地の主には大きな発言力を持ち、皇帝からの信頼も厚いことになるのだ。
そんな大物から痛く気に入られたオルカはこれまで以上に勢力を拡散させ今回旅立った。この神殿に一体どれ程の諜報員がいることか、考えるのも億劫だ。
幸いなのはあの暗殺者、ラクロスの存在に気づかれていないことぐらいだろう。私の部屋には完全な防壁魔術が掛けられ、いくら優秀であろうとそれを突破し部屋の中を盗聴することはできない、…はずだ。その予想すらもいとも容易く越える男のことを考えても時間の無駄だと思考を停止させた。
…『聖女』という立場はどうも制約が多い。よくある異世界もののように前世の知識で商会を作って一儲け、なんて簡単にできることじゃない。
勝手に軍事力なんて持てたものじゃないし、なんならこの神聖力でさえ使用に許可がいるといった横暴ぶりだ。
私に与えられたものは何一つない。自分の力でさえ、他人の許可無しに使えやしない。私は誰かに決められた道を沿って歩かなきゃならないし、それをはみ出せばすぐに首を跳ねられる。
なんて『不自由』なんだろうか。己の運命を嘆くのは飽きたが、こうして憂いてもいない限り負のストレスが溜まるばかりでいつか手のつけようがなくなりそうだ。
チチチ…ッ…
終わりを告げる光が差し込み水面に反射する。さして重みを感じない身体を泉から出せば逆に囚われた感覚に陥るのはいつものことだ。
『お清め』が終わると新しくなった身体でいつもの服に着替え信者への祝福を行う。ある者は生まれたばかりの赤ん坊への祝福を望み、またある者は病弱な弟の回復を望んだ。
誰もが私に感謝し頭(こうべ)を垂れる。着実に聖女としての信頼が築き上げられている。こうしてお札(ふだ)を手に長時間外で待機し祝福を求めるほとんどは貧民街からの来た人達だ。
以前は彼らを受け付けなかった神殿だったが、彼らの有効性を説くと閣下からのお許しがいただけた。そのお陰で聖女の噂は急速に広まり、貧民街にも活気が戻りつつあると報告を受けた。
「お願いします。お願いします聖女様っ。どうかこの子に祝福を…!」
泣き崩れて必死に縋りつくその様々は、母の鏡だ。腕に抱いた赤ん坊を決して落とさぬよう縫いとめ、救いを求めている。
羨ましい。こんなに貴方のことを愛してくれる人がいるなんて…。少しの嫉妬を心に秘めて、慈愛を込めた笑みで祝福を捧げる。
熱に浮かされていた赤ん坊はすっかり落ち着きを取り戻したが、そんな赤ん坊を見て母親は泣いて喜んでいる。
「ぁあ…っ。ありがとうございますっ! ありがとうございます…っ! このご恩は決して忘れませんッ…」
嘘つき。みんなみんな私を罵倒して葬り去るくせに。私は絶対に誰にも心を許さない。おじさん以外、私は信じられない。誰も彼も手のひらを返すなら、その手のひらの上には誰だって乗りたくない。
「健やかに育つことを心の底から願っております」
完璧な『聖女』で親子の後ろ姿を見送った。嘘ももう当たり前につけるようになったけど、それは嘘でしか彼らの祝福を祝えないということでもある。
私が誰かに愛されることをこの世界で願えば、与えられるのは破滅のみ。他は愛とも呼べない歪なものばかり。
あんな優しい愛に包まれたい。だけどその願いを抱えた私の後ろにあるのは、単純な『信仰』で成り立ったなんの繋がりもない白の人間ばかりだった…。
カーテンから差し込む光に目を伏せ、一時だけ呼吸を落ち着かせる。もう習慣になってしまった癖は、私を『聖女』にする儀式にも等しい。呼吸が整えられたらまたいつものように朗らかな笑顔を張り付けて、『聖女』が作られる。
コンコン…
「入ってどうぞ」
「失礼いたします」
ゾロゾロといつもの面々が足を踏み入れる。この瞬間から、決して『聖女』の仮面を取ってはならない。
「いつもありがとう」
小まめな感謝の言葉ほど従属の心を深めるものはない。ただ毎回言ってはその価値も半減するものだから、本当にたまに言うのが丁度いいのだ。
だからほら。馬鹿の一つ覚えみたいに皆身体を打ち震えさせている。最初こそこんな考え方を卑劣としていたのに、すっかり染まってしまったみたいだ。それは悲しいことなのか、良いことなのかはわからない。少なくとも、『生きる』上では良いことだと思う他ないだろう。
朝の祈祷(きとう)を済ませて月に一度の『お清め』の為、儀式用の服に着替える。『お清め』は聖水の湧き出る泉に身を入れ、半日そこで過ごすと言うものだ。聖水の効果か水中でも息ができる為何をするでもなくほとんど寝ていることが多い。
「行ってらっしゃいませ」
深々と頭を下げる神官達。彼らに見送られ、私は泉へと足を踏み入れた。此処に入ると不思議な感覚に陥る。
現世と隔絶されたような、自分が大地そのものであるような感覚。文献を漁っても歴代の聖女の中でも神聖力の大きさによってその感覚は異なったようだ。
泉の中では目を開けて自由に泳ぐこともできる。上がった後に肌がふやけないのだって前世から見れば十分にファンタジーだ。
いつもはこの時間に一息吐かせるが、今日は考えることが多すぎてそんな余裕もなかった。先日のあの一件もそうだが、オルカのこともある。
先月国境戦に再出向したオルカだが、いつ戻るのか予測がつかない。前回だって最低三年は掛かると言われていたのにたった一年足らずで戻ってきたのだから。それも辺境伯という大きな後ろ楯を連れて。
辺境伯と言えば貴族的地位では低いイメージがあるが事実は全くもって異なる。辺境伯はいわば国の砦。国境沿いの領地で野蛮属や敵国からの進行に備え軍事力の保持を皇帝直々に下賜されている。だからこそその領地の主には大きな発言力を持ち、皇帝からの信頼も厚いことになるのだ。
そんな大物から痛く気に入られたオルカはこれまで以上に勢力を拡散させ今回旅立った。この神殿に一体どれ程の諜報員がいることか、考えるのも億劫だ。
幸いなのはあの暗殺者、ラクロスの存在に気づかれていないことぐらいだろう。私の部屋には完全な防壁魔術が掛けられ、いくら優秀であろうとそれを突破し部屋の中を盗聴することはできない、…はずだ。その予想すらもいとも容易く越える男のことを考えても時間の無駄だと思考を停止させた。
…『聖女』という立場はどうも制約が多い。よくある異世界もののように前世の知識で商会を作って一儲け、なんて簡単にできることじゃない。
勝手に軍事力なんて持てたものじゃないし、なんならこの神聖力でさえ使用に許可がいるといった横暴ぶりだ。
私に与えられたものは何一つない。自分の力でさえ、他人の許可無しに使えやしない。私は誰かに決められた道を沿って歩かなきゃならないし、それをはみ出せばすぐに首を跳ねられる。
なんて『不自由』なんだろうか。己の運命を嘆くのは飽きたが、こうして憂いてもいない限り負のストレスが溜まるばかりでいつか手のつけようがなくなりそうだ。
チチチ…ッ…
終わりを告げる光が差し込み水面に反射する。さして重みを感じない身体を泉から出せば逆に囚われた感覚に陥るのはいつものことだ。
『お清め』が終わると新しくなった身体でいつもの服に着替え信者への祝福を行う。ある者は生まれたばかりの赤ん坊への祝福を望み、またある者は病弱な弟の回復を望んだ。
誰もが私に感謝し頭(こうべ)を垂れる。着実に聖女としての信頼が築き上げられている。こうしてお札(ふだ)を手に長時間外で待機し祝福を求めるほとんどは貧民街からの来た人達だ。
以前は彼らを受け付けなかった神殿だったが、彼らの有効性を説くと閣下からのお許しがいただけた。そのお陰で聖女の噂は急速に広まり、貧民街にも活気が戻りつつあると報告を受けた。
「お願いします。お願いします聖女様っ。どうかこの子に祝福を…!」
泣き崩れて必死に縋りつくその様々は、母の鏡だ。腕に抱いた赤ん坊を決して落とさぬよう縫いとめ、救いを求めている。
羨ましい。こんなに貴方のことを愛してくれる人がいるなんて…。少しの嫉妬を心に秘めて、慈愛を込めた笑みで祝福を捧げる。
熱に浮かされていた赤ん坊はすっかり落ち着きを取り戻したが、そんな赤ん坊を見て母親は泣いて喜んでいる。
「ぁあ…っ。ありがとうございますっ! ありがとうございます…っ! このご恩は決して忘れませんッ…」
嘘つき。みんなみんな私を罵倒して葬り去るくせに。私は絶対に誰にも心を許さない。おじさん以外、私は信じられない。誰も彼も手のひらを返すなら、その手のひらの上には誰だって乗りたくない。
「健やかに育つことを心の底から願っております」
完璧な『聖女』で親子の後ろ姿を見送った。嘘ももう当たり前につけるようになったけど、それは嘘でしか彼らの祝福を祝えないということでもある。
私が誰かに愛されることをこの世界で願えば、与えられるのは破滅のみ。他は愛とも呼べない歪なものばかり。
あんな優しい愛に包まれたい。だけどその願いを抱えた私の後ろにあるのは、単純な『信仰』で成り立ったなんの繋がりもない白の人間ばかりだった…。
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