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悪役聖女の今際(いまわ)

私をコワすのは…っ、、

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 「暗殺者が自ら姿を見せるとは、慢心では?」

 嘲笑を交えつつ本心では警戒を最大に身体を緊迫させていた。

 「俺暗殺者じゃないからそんなの関係ないよ?」

 キョトンとしたその仕草に、どうも真実味が見えるのが可笑しい。

 「…ではどのようなご用でこんな夜更けに?」

 「『聖女』が見てみたかったんだ。此処まで来るの結構大変だったんだよ?」

 ぶぅと口を窄める彼だったが、そんな口調で済まされれば事はそんなに重大になっていない。

 「それで、ご尊顔に叶いましたか?」

 「うん! 俺君のこと大好きになっちゃった。ねぇ、俺と『カケオチ』しない?」

  彼の言葉に一切の嘘偽りない。だけどそれは少なくとも、善人にだけ許された権利でもない。

 「大変魅力的なご提案ですが、お断りします。もうお帰りいただけますか? 明日も早いので…」

 もうヤケクソなのかベッドへと向かう。睡魔が勝ったのもあるだろうが、話が通じない輩の意地の悪さはよく知っているから早く切り上げたのだ。

 「やだ。ねぇ、しよーよー。俺ホントに君のこと気に入ったんだよ?」

 「………」

 もう瞼が開かない。返事も面倒になり布団を丸被りして何回も無視を続けていたら、イカれ野郎の本当の怖さを思い知らされた。

 「…ぁーあ。俺のモノにならないなら、もういらない」

 ゾワリとした感触は、既視感とともに尋常でないほどの胸の高鳴りをもたらした。

 ガッ…ッ…?!

 「っ…! な…っに、を…!」

 布団を引き剥がされ馬乗りになって首を締め付けられる。それも一切殺すことへの抵抗がない程の力で、その瞳にはもう価値のなくなった古びた玩具を映している。

 「ほら、抵抗しないと死ぬよ?」

 そうさせている本人が言わないと狂人は皆みんな気が済まないのだろうか。痛いとか、苦しいとかはずっとあるのに、でもこれで最後だと思えばそれもいいかと思ってしまう私もいる。それが悲しいことだとは、もう思えない。

 ろくな抵抗もしない私の様子が気になったのかゆっくりと首を緩めていく。それに合わせて呼吸のリズムを直していくのだって、悲しいかな身体が覚えきっている。

 「ふぅん、慣れてるね。どうして?」

 「どうしてでも…っ、いいでしょ…ぅ?」

 ぎゅっぅ…っ。

 「本気で殺されたくないなら俺の質問にだけ答えてよ」

 「っぅ…っ。ぅうう゛…っ、、っ」

 「ほら、早く」
 狂ってる…。狂ってる、くるってる、クルッテル…。この世界の全部全部、私をぐちゃぐちゃに壊すの。私が『私』じゃなくなるまで、この世界は終わらない。

 ねぇ、もういいよ…。

 小さな私が『私』に囁(ささや)く。眼にはハイライトの一つもなく、擦りきれて救いようがないほど消耗している。

 もうやめようよ。もう、私がたえられないの…。

 涙を流す余裕もなく、空っぽな瞳だけが私を捉える。そんな私が、これ以上あの男に弄ばれるぐらいなら死んでしまいたいと嘆いている。

 …うん、そうだね。

 私は小さな私をそっと抱き締めて、疲れきった笑顔で「私もだよ」と泣いてしまった。

 「…わたっ、しを…。ころしたいならっ、ころして、くださ、…ぃ。あなたのて(オルカの手以外)なら、しんでもかまいませ、…んっ」

 ぎゅぅう……

 本気で首を締めに来たけど、私は深く目蓋を閉じたまま抵抗することはない。最初からこうしていれば良かったのかもしれない。

 原作の前に死んでしまえば私は、あんな殺され方をしないで済むのだから。もう確定された未来に怯え地獄を受け入れる日々から解放される。何故こんな簡単なことに気付けなかったのだろう。それでも最後に気づけて、良かった。

 あぁ…、苦しいなぁ。生理的な涙が一筋、溢れた。そしたら何故か、私の首に当てられていた手が離された。

 「ケホッ! ゲボッ…ッ! カハッ! カヒュー、ハヒュー…」

 身体が必死に空気を求めるものだから、離された後の方が苦しい。結局口の周りが涎(よだれ)でべとべとになってようやく落ち着いた。 

 苦しむ私を見て当の本人はただじっと私を観察していた。それはもう、物珍しい物を見つけた無邪気な子どものように。私の呼吸音だけが静寂を遮って、この時間はなんなのだろう。

 「…ケホっ。…ぁ、の」

 「どうしたの?」

 私の言葉に耳を傾け、先程までの身勝手な姿勢が消えている。今は私が何を言うかに興味津々といった様子だ。

 「なぜ…、殺さないのですか…?」

 「う~ん、…わかんない!」 

 前言撤回。この男はやっぱり自分勝手だ。

 「強いて言うなら、君は皆みたいに泣き叫ばなかったから、かなぁ」 

 確かに、普通の人だったら必死に抵抗していただろう。しかし今の私にそんな無駄なことをする気力はない。

 「そぅ、ですか…。でばどぅ、ぞ。お帰りください」

 「…君は本当に不思議だね。普通ついさっき殺そうとしてた人間にそんな態度取らないよ」

 「腹が立ったのであればもう一度私の首を絞めてはいかがですか?」

 「それはやだ。だって君面白いもん。まだ殺すには勿体ない」

 連続快楽殺人犯の思考回路など知りたいとは思わないが、その代わり関わりたいとも思わないや。

 「君って本当に【聖女】の鏡だね。…ねぇ、君なら俺を満たせる?」

 「知りません。貴方が仮に満たされたとしても、またすぐに渇きが始まるだけです」

 「へぇ。俺のこともうそんなに理解してくれたの? 嬉しいなぁ。前に言った奴は満たしてあげるから殺さないでなんて泣き叫ぶだけだったんだよ?」

 過去の殺人をここまで堂々と話せるのも一種の才能だと思う。

 「貴方ほどその渇きを楽しんでいる人はいないのにそれを満たせなどと無茶を言わないでください」

 「…~~~っつ! 駄目だ俺、君のことが本当に気に入っちゃった! ねぇ、名前教えて?」

 「私は貴方と仲良くなどありたくありません。名前も教えません」

 さっきも同じことを言って平気で首を絞めた人間が何を言っているのだろうか。やはり信用とは一度崩れると二度と沸き起こらないものである。

 「俺はラクロス! な、これでおあいこだろ?」

 何をそう自信満々に言えるのだろうか。話が噛み合わないとここまで来るのか。どうせこのままごねても煩いだけだろうし…。

 「シルティナ・エレフィーナです。名前は言いました。早くお帰りください」

 「シルティナかぁ…。君にピッタリな名前だ。じゃあそろそろ警備隊も来そうだしお暇するよ。バイバイ!」

 「二度と結構です。次来るなら確実に私を殺すときだけにしてください」

 「やだ!」

 満面の笑みで取り約束を跳ね返したラフと名乗る快楽殺人犯はそのまま夜の茂みに消えていった。魔力の残痕すら残していない立ち振舞いは本職につけば確実にトップに立てる実力だろうが生憎あの人の性分ではないだろう。

 鏡に反射して自分の姿を見れば首元にくっきりと手の跡が残っている。神力で治せるけど、今はそんな気が起きない。

 どっと疲れが津波のように押し寄せてくる。前世ではよく震災の際に津波の映像が流れていた。自然の驚異が民家を襲い、全てを呑み込んでいく衝撃は、幼い子どもの心に強く刻まれている。

 まだ若干首に鈍い痛みがある。神官に見つかる前に治さなきゃいけないのに、ベッドに横になるとすぐ、睡魔に呑み込まれてしまった。

 夢を見た。私が私のまま私じゃなくなって、原作通り焼き殺される夢。今まで何十、何百と見た夢だったけど、いつもと違ったのは私を殺す人の顔が靄が掛かって見えなかったこと。

 皇帝の顔は乙女ゲームでしか出ていないからゲームをプレイしていない私は実際に会ってみないとわからない。それでも原作の設定で脳が勝手に人物像を作っているから今までは夢に出てきていた。それが無くなったのは単なる偶然か、それとも必然か。

 どっちにしろ私は焼き殺される恐怖や痛みで夢見が悪かったから、そこまで考えられる余裕はなかったけど…。

 最悪だ。もう滅多に悪夢なんて見なくなっていたのに…。しん…と静まり返った大きな部屋にぽつんと一人、今にも甦ったかのような顔をする少女が一人鏡に映し出されている。

 窓を眺めればもう日が暮れ始めている。気怠けな身体を叩き起こして首の跡だけでも消しておいた…。

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