裏ルート攻略後、悪役聖女は絶望したようです。

濃姫

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悪役聖女の今際(いまわ)

【ラクロス・フェルナンド】という男

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 どこかの数学者が提唱した理論に『時間の定理』というものがあったことを唐突に思い出した。

 詳細を長々と説明されたところで分かるわけもなかったが、今では何となく理解できる。つまりは楽しい時間は一瞬で過ぎ、苦しい時間は無限にも等しいと言いたかったのだろう。

 気がつけばなんと簡単な論理。されども気づくためには、想像以上の忍耐強い精神力が必要とされた。

 来月の初め、丁度雪解けが始まった頃に私は十五の誕生日を迎える。執務室から木に乗し掛かる重たい雪がドサリッ…と床に落ちる光景は今週で何度目だろうか。あの雪が完全にとけてなくなれば、【原作】は喉元まで来ている証拠だ。

 …それにしても、この十年で心境の変化は大きくあった。そもそも異常者の相手を何年もする時点で壊れることは覚悟していた。それでもやはり、私が気づかない内に内部から侵食されていたのだ。

 人は逃げようのない現実に迫られたとき、手の届くところにあるものに縋りつく。しまいにはそれに執着して、現実逃避を図る。私の場合、それが仕事だっただけだ。

 オルカから逃げ出す術を奪われ、刻々と近づく『死』の現実から少しでも目を背けるために私は早朝から深夜まで仕事に及んだ。

 仕事の合間を縫って神聖力の新たな理論を提唱し、論文に連ねた。だからこそ今の私は歴代の中でも最もたる『聖女』だと吟(うた)われる。そんな称賛の言葉も右から左に流して、私は身体を壊すようにのめり込んだ。

 今日も世話付きの神官を外して夜遅くまで書類の処理に追われていた。仕事が終われば悪夢が始まる。だから少しでも長く続けたかった。

 コンコン…

 …だけどそんな仕事中毒の時間も突然の来訪者に邪魔される。音のした外窓に視線を向けずとも『彼』の方から無遠慮に上がり込んでくる。

 「やっほ~、シルちゃん。今日はイイ夜だねー」

 勝手に土足で上がり込んでこんな風に私にモノを言える人間などこの世だ一人しかいない。

 「ラクロス、お帰りいただけますか?」

 「え、やだ?」

 首をキョトンと傾けあざとさを狙っているのか知らないが身長百七十cmを軽く越えている大の男がそれをやっても全く可愛くない。出会い当初ならいざ知らず、魅力の扱い方を一寸も理解できてないであろうその仕草に呆れより無が襲う。

 【ラクロス・フェルナンド】。この男との出会いもまた、数奇なものであった。

 #####

 聖女就任から四年程経ったある日の夜、彼は現れた。いや、この表現は適切じゃないのかもしれない。なぜなら彼は、姿を見せる前に私を殺しにかかったのだから…。

 ガキン…ッ…?!

 金属同士が重なり擦れたことによって生(しょう)じた耳に痛い音が脳に伝播する。私自身それに反応できた訳じゃない。私を守ったのは、皮肉にもオルカが施した防御魔術付与のブレスレットだった。

 異変と共(とも)に暗闇の中で影が揺れるのを捉え、ベットから起き上がる。神官が私を殺しにかかることはまずない。高位貴族ならば暗殺は普通だと認識は持っているが、『聖女』の暗殺は滅多にない。

 まず神殿への侵入が他の貴族より困難なのだ。至るところに魔術が施され、中央に向かうほどそれは厳重になる。さらに『聖女』や教皇レベルになると下手な一国の城主よりも難易度はハね上がる。

 だから、今回が私にとって『初めて』の暗殺だった。前世では、平凡に生きてさえいれば絶対に経験することのないそれは、どうも大半のことに麻痺した私には大した衝撃はなかった。

 私が彼の存在に気づいたとして、関係なく攻撃は続く。無音の攻撃に反応できるはずもなく、ブレスレットにヒビが入っていく。

 このまま攻撃が止まなければ確実にブレスレットに限界が来て息の根は止められるだろう。まだ怯えるフリでもしておけば可愛気(かわいげ)があったのかもしれない。だけどそれを感じられるほどの息を吐(つ)く余裕は、もう私には許されていなかった。

 使い捨てのナイフが次々に降り注ぐ。真夜中に響く金属音に似たものが嫌で中途半端に開けていた目が閉じる。

 「あ、寝ないでよー。僕だってそろそろ疲れてるんだから」

 そんな私を見て不満の声を子供が吐いた。それは未だ止むことのない容赦ない攻撃とは相反する、無邪気な子供の声だった。

 だけどそれで油断するわけでも、『本物』のように善を説き改心させるわけでもない。壊れかけの私ではどうしようもなく他人事だったのだから。

 「お帰りください。こんな夜に連絡もなしの訪問とは、無礼の程度(ていど)を知らないのですね」

 「…うーん、でももうすぐ『それ』壊れそうだし、そしたら君のその威勢も消えるんじゃない?」

 思った以上に厄介な相手に遭遇してしまったようだ。姿形は見えないが、少なくとも実戦の経験を多くしているのだろう。まだ数の少ない魔道具についての知識もある。ふざけている様に見えて抜け目のない人間だ。

 「貴方の相手をするほど私は暇ではありません。それに、礼儀のない殿方の不作法な求愛はお生憎ですが受け付けていません」

 「…きゅーあい?」

 皮肉った言葉にピンと来ていない声が上がったのを気づき説明するのも面倒なのでこのまま聞かなかったことにしようと決めたのも束の間、彼は余程気になってしょうがないのか攻撃そっちのけで問い詰めてきた。

 「ねぇ、きゅーあいってなに? なにがきゅーあいなの? 教えてよ。ねぇってば。教えろって」

 段々と言葉遣いに荒らさが出始め、本性が露になる。これ以上焦らしてもさらに面倒になりそうな気配がしたので結局三十秒も経たずに破ってしまった。

 「貴方の深夜の訪問のことです。それから一切止まない相手を配慮しない殺意満点の攻撃を皮肉った物言いですが、これで満足しましたか?」

 「した! そっか、『きゅーあい』だ! コレってきゅーあいなんだね!」
 
 わざわざ皮肉だと説明したのに、嬉々とした声調の彼に気味の悪さが芽生える。なぜならその様子は全面的にオルカを彷彿とさせるから。

 もし彼に少し性格の違う年の離れた兄弟がいたら、きっとこんな感じなのだろうとしたくもない想像をしてしまった。

 オルカの想像だけで一気に気分を害し「ぉえ゛…」と小さく心の内で吐いてはうつむいていると、いつの間にか私より十cm程背の高い少年が、今宵の三日月を背に隠して裏表のない無邪気な笑顔で、立っていた。

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