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上司ではなく、今度は部下の私が頑張る番です。

脱出

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 彼の胸を刺していた金剛は姿を消していた。

(取り込んだ……?)

 黒い炎に包まれた大きな影は、ゆらり、ゆらりと漂っている。小さく見えたり大きく見えたり、高く燃え上がる炎の影のようだ。

(霊力が高すぎる……)

 霊力が高すぎて、この次元に釣り合いが取れていないのだ。だから歪んで見える。彼が自身を竜だというのが事実だとしたら、これが本来の竜の力なのだろうか。

(皇太子殿下にも、こんな力が……?)

 物静かで穏やかな皇太子を思い出して、光流はじりじりと後ずさった。

 お、オ、を、お、O、オォ……。

 黒い炎が空気を震わせる。
 それは人の声にも、ヴァイオリンの音色にも、風がビル間を吹き抜けていく物悲しい音にも聞こえたが――。

「久我……?」

 呼びかけた瞬間、より一層、目の前の炎が大きくなった。

「っ……」

 炎に包まれる圧を感じて息をのんだ瞬間、炎はそのまま開け放った窓から外へと飛び出していく。

「えっ……!」

 光流は驚いて後を追いかける。ベランダに出て手すりをつかみ、マンションの下を見下ろした。

「落ちたのか……?」

 だが高いビルの下には誰もいない。そのまま視線を持ち上げると空高くに黒い太陽が見えた。

「あ……」

 まさかと目を見開いた次の瞬間、黒い塊はぎゅいんっと形を変えて西のほうへ向かって飛んでいく。
 果たして自分の声は聞こえていたのだろうか。わからない。だが自分は陰陽師だ。言霊を信じている。だから言わずにはいられない。

「――矢野目を……無事に助けろよ……頼んだぞ……」



 ひとりで残された六華は、しばらく牢の中でうろうろとさまよっていた。
 時間の感覚が分からない。
 玲に攫われて目を覚ました時、カーテンの向こうは夜空だったが、あれからどれだけ時間が経ったのか――。
 朝なのか、昼なのか……。そしてまた夜が来たのか。
 吐き気がする。

「どうしよう、どうしたら……」

 気を失った柚木を玲はどこに連れて行ったのだろう。
 正直、自分ひとりがここに残されるとは思っていなかった。
 和服の女性の『使う』という発言から、いけにえにされるなら柚木と一緒だと思っていたのだ。

「……もしかして処女じゃないから……とか? 確かにいけにえに乙女が使われるというのは鉄板かもしれないけど……」

 六華は格子をぎゅっと握って、目を閉じる。
 考えろ。考えるんだ。

「……」

 いけにえ云々は別にしても、おそらく自分は生き残れない。生かしておく理由はない。今が死ぬときじゃないとしても順番は回ってくる。

「っ……」

 こぶしを振り上げて、ガツンと鉄格子を殴る。
 痛みに頭の芯が揺れる。めそめそした気分が少しだけ晴れた。

 諦めるな。
 こんなところで大人しく死を待ってなるものか。
 なにがなんでもここから抜け出して、なおかつ柚木を助けなければならない。

 六華はカッと目を開き、それから改めて牢の中を見回した。
 床は畳敷きだ。部屋の隅には文机がある。
 天井を見上げると、つかない明かりが一つだけ。

(っていうか、トイレもないし……)

 長く閉じ込めておく場所ではないのかもしれないが、そのくせ畳敷きで机もあるのが、不思議だった。
 いけにえにされる女性はここに毎回閉じ込められていたのだろう。

「……もしかして、元は座敷牢だったとか……?」

 六華は意を決して畳の縁に手をかけると、「せいっ!」と気合を入れて畳を引っ剥がしていた。

「やっぱりね」

 はがした畳の下は板張りだった。気合を入れてすべての畳を外して壁に立てかける。
 靴の裏でトントンと確かめるように踏みながら、柔らかい場所を探し出した。

「よしっ……」

 六華は片膝をついて、呼吸を整える。

「――すう」

 それから親指を握りこんで、拳こぶしを固めると、そのまま垂直に床に向かってハンマーの様に叩きつけていた。

「はああああっ!」

 バリッと大きな音がして、床板がひび割れる。立ち上がって踵を打ち付けると、ぽっかりと床に大きな穴が開いた。
 ひざまずいて頭を差し入れると、ふわりとかび臭い匂いがする。
 だが残念ながら、猫のように開いた六華の瞳には何も映らなかった。
 即脱出というわけにはいかないようだ。

「うーん……」

 六華は頭を出してほんの数秒考える。

 地下でなかったのは僥倖ぎょうこうだが、このまま床下に降りても外に出られるかわからない。
 だがこのままここに残っていても仕方ないのだ。
 前に進むしかないだろう。
 六華は穴の中に両足を突っ込んで、そのままするりと穴の中に体を滑り込ませたのだった。
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