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上司ではなく、今度は部下の私が頑張る番です。
触媒
しおりを挟む光流はぽかんと口を開ける。
「なにを言ってるんだ」
「だから俺を切れと言っている」
大河は真顔で金剛を光流の胸に押し付けると、パッと手を放した。
「わあああ!」
三番隊のことを深く知っているわけではないが、彼らの武器が竜が鍛えた数少ない貴重な武器ということくらいは知っている。
床に落としてしまったら大変だと、光流は慌ててそれを両手で受け止めた。
「あっぶな!」
全身からどっと変な汗が出た。光流は手の甲で額の汗をぬぐい、手にした刀を見つめた。
黒い鞘に金の鍔(つば)。どっしりと重く、手のひらに吸い付くような不思議な感覚がある。
「名は金剛という。力ある刀だ」
大河はそう言いながら、右手で心臓のあたりを押さえる。
「ここを貫け」
「無理だろ!」
光流は鞘を握ったままぶんぶんと首を振った。
「人は心臓を刺されたら死ぬんだぞ!?」
「俺は死なない」
「はぁ……?」
光流は鞘を両手で握ったまま、ぎゅっと目を閉じる。
(落ち着け、僕……!)
この久我大河という男。何から何まで常識外れの規格外だ。
だから自身を刺せと言うのは理由があるのだろう。
だが光流が困惑するのは、とにかく自分が理解していないことが多いからだ。
ぎゅっと唇をかむ。
「わかった、とりあえず簡単でいいから説明しろ……!」
腐っても陰陽師。陰陽五行に通じたその道に通じるものだ。
きちんと道筋を立ててさえくれれば、理解できると思いたい。
「――そうだな」
大河が軽く目を細めて、ゆっくりと目を伏せる。
「金剛と竜は、一心同体。だから俺を死に至らしめることはできない」
金剛という竜の武器と、竜が一心同体。
だから――?
光流は閉じた口の中で大声で叫んでいた。
(お前は、自分が竜だというのか!?)
そんなはずはない。
竜はすべてその頭に角を持つ。
だがこの久我大河はどこからどう見ても人間だ。
(人間……?)
この男の尋常ならざる身体能力。そして六華の気配を感じ取った不思議な感応能力。
それがただの人であるはずがない。
それが答えだ。
そもそもこんな状況で冗談など言えるはずがない。彼は六華のために人殺しさえいとわないような男なのだから。
光流はすうっと息を吸い、それからゆっくりと息を吐く。
深い呼吸で自身の体に気を回していく。
(死なないにしても、なにかが起こるということなのだろう)
そのなにかが、矢野目六華を救う力になるのだとしたら迷っている暇などない。やるしかないのだ。
「わかった」
光流は鞘からすらりと金剛を抜く。
「死なないんだな……」
それは最後の確認だった。
「ああ。だがなにが起こっても驚かないでく――れっ……」
大河の最後の言葉が途切れる。
大きく踏み込んだ光流は、大河の最後の言葉を聞かないまま、言われた通り彼の胸を貫いていたのだった。
「かはっ……」
かすかに開いた口からぽたぽたと血があふれる。
貫いた金剛の刃から、血がしたたる。
二番隊は仕事中に手袋をするのだが今日はオフだ。
素肌に温かい血のぬくもりに、光流はごくりと息をのむ。
だが今更引けない。重ねて尋ねる。
「し……死なないんだよな……?」
なにが起こっても驚くなと言われたがなにも感じないわけではない。
光流に貫かれたまま、大河はにやりと笑ってうなずいた。
「ああ……死なない……っ」
大河は両手を伸ばし、光流の手を上からつかんでさらに金剛を押し込んでいく。
肉を切る音、骨がきしむ音。それは命が削れる音だ。
光流は灰色の目を見開き、それでも柄を握る手は離さずに正面から大河を見つめた。
頬がびりびりと震え始める。
床に滴り落ちたと思った血が真珠の粒のように浮きあがり、大河の周りを囲んでくるくると回り始める。
「黒き竜の眷属……この血を以て、触媒とするっ……」
「っ……!」
まばゆい光があたりを包む。
とっさに目をつぶってしまった光流だが、次の瞬間、光流の体は背後へと吹き飛ばされていた。
「うわっ……!」
床に叩きつけられた光流だが、慌てて体勢を立て直して顔を上げた。
部屋中に、しゅうしゅうと黒い炎のような気が流れている。
(実際の炎ではない、魔力だ……)
術式や陰陽道とは違う。この世の根源につながる神聖なる力。
だがよく見えない。
炎が光流の灰色の目――強い霊力を持つ目にも、それは形すら把握できないと言うのか。
「久我大河……お前、いったいなんなんだ?」
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