73 / 88
上司ではなく、今度は部下の私が頑張る番です。
いつき
しおりを挟む『ゆるすよ……』
そして水色のパジャマを着た彼は、ゆっくりとうつむいた。
尖らせた唇はひよこの嘴(くちばし)のように尖っていて、ふっくらした頬が印象的だった。
朝日にはっきりと照らされた『幼いころの自分にうりふたつな存在』は、二十六の自分よりもずっと大人だった。
(俺はこの年になっても、他人はおろか、自分すら許すことができなかったのに……)
茫然と幻を見ているような気持ちで彼を見ていた大河だが――。
それはほんの数秒のことだった。
(いや、ちょっと待て)
大河は瞬きを忘れて、目の前の、ごく普通の部屋の真ん中に敷いた布団の上に立っている子供を見つめる。
「――いつき……?」
呼びかけると、彼は目線だけゆっくりと持ち上げる。
『なに、おとうさん』
「――」
おとうさん。
おとうさん?
今確かに、『いつき』は自分に向かってそう言ったようだ。しかも唇も動かさないまま、直接大河の頭の中に語り掛けてきた。
超感覚的知覚。いわゆるESPと呼ばれる能力は術式とはまた違う、いわば魔法の領域だ。かつて竜はその力を自由に使ったと聞く。ドアを内側から押さえていたのは、その能力の一端のように思えるが、彼は竜ではない。
などと、あれこれ考えていた大河だが。
「いや……おと……え?」
大河はじっと『いつき』を見おろした。
(今、彼はなんと?)
人は理解が及ばない状況になると、目の前のことですら情報を処理できないらしい。
大河は凍り付いたように、自分をじっと見つめる『いつき』を見下ろす。
大きな目に、さらさらの黒髪。バランスのいい美しい顔だ。瞳は墨のような漆黒だが白目は青みがかって澄んでいる。
今では眉間のしわが深い、愛想もなにもない男に育ってしまった大河だが、かつて山尾がたくさん残してくれて彼の家に秘蔵コレクションとして残っているアルバムの、幼いころの自分の写真と、彼はうりふたつだった。
それこそ、血縁としか思えないレベルで――。
『しっかりしてよ、おとうさん。ぼーっとしてるばあいじゃないんだよ。ほんとうにもう……』
そしていつきは、ふうっとため息をつき眉間にしわを寄せた。
大河の様に――。
「樹っ!」
突然ドアがバタンと勢いよく開いて、廊下から悟朗が飛び込んできた。
「樹ぃぃぃぃ~!!!!!」
半泣きの悟朗は布団の上の樹をひょいと抱き上げた。
「いったいどうしたんだ~! なにもされなかったかぁぁ!!!! じぃじがよしよししてやるからなぁ!」
『いたいいたい……おじいちゃん、いたい……』
樹は不服そうに小さな手のひらで、全力で頬擦りしてくる悟朗の頭をぺちぺちと叩く。
「そうかそうか、こわかったかぁ!」
だが悟朗には樹の声は届かないようだ。樹は眉を八の字にして、ふうとため息をつきつつ、悟朗のされるがままになっている。
「じぃじ……おじい……ちゃん?」
大河がぽつりと口を開くと、悟朗がはっとしたように目を見開いて、樹を腕の中にかくまうように抱きしめる。樹の姿がすっぽりと隠れて見えなくなってしまったが、悟朗は達磨に似たいかつい顔でさらに眉を吊り上げ叫んでいた。
「ああ、そうだよ。樹は俺の最愛の娘、六華が生んだ世界で、世界一かわいい孫だ! でもな、六華はシングルマザーだからって、仕事をおろそかにしたことは一度もねえからな! 自分を育ててくれた姉を守りたいって、その一念で危険な警備隊に入ったんだ! 樹だってこんなにちいせえのに、わがまま言わずに母親の帰りを待ってるんだ! それを母親だからって理由で辞めさせようってんなら、出るとこ出てやってもいいって思ってんだからなっ! いいか、わかったか隊長さんよ!」
どうやら悟朗が必至になって樹の存在を隠そうとしていたのは、六華のためを思ってのことらしいが――。
一方、大河の脳の処理能力は、限界を迎えようとしていた。神経がチリチリと音を立てている気がする。
(彼が言うように、俺がこの子のお父さんで、この子のお母さんが六華なら……)
「矢野目さん、樹くんの年は……?」
大河の声はかすれていた。
「としぃ!? 五つだよ。かわいい盛りだろう! まぁ生まれてこの方、ずっと右肩上がりでかわいさマシマシ天井知らずだけどな!」
よっぽど樹を溺愛しているのだろう。
ふんふんと鼻息も荒く、悟朗は言い切って胸を張る。
「五歳……」
自分は元服前後、本当にひどい生活を送っていて、自分に近づいてくる女たちをとっかえひっかえしては、自暴自棄な生活を送っていたのだ。身に覚えがないわけじゃない。
(もし、過去の俺が傷つけた女たちの中に、六華がいたとしたら――)
大河の全身から血の気が引いた。
大河はぎゅっとこぶしを握る。骨がみしりときしんだ音をたてた。
ようやくいろんなことに合点がいった。
(六華は知って……いたんだろうな。当然……)
脳内に、えへへと笑う六華の顔が浮かぶ。
六華に惹かれ近づこうとする大河に、『恋なんかできない、するつもりもない』と言った六華。それでも自分がぐいぐいと近づけば、困ったようにしながらも拒むことは一度もなかった。
(それは俺が……樹の……父親で……)
脳内に、過去の記憶が次々とフラッシュバックする。
荒れていた自分。他人から最低だと罵られることにほっとしていた自分。
アルコールに弱いくせに毎晩飲み歩き、愛されたいともがきながら、誰も心に入れようとしなかったあの頃――。
白いTシャツとデニムという、飾り気のない向日葵のような少女が唐突に頭に浮かぶ。
顔のあたりに靄がかかって、よく見えない。
(君は誰だ……もしかして……六華なのか……?)
なんとか記憶を呼び戻そうとすると、
「っ……」
突然、ズキッと差し込むような痛みがこめかみのあたりに走る。あまりの激痛に眩暈がした。指でこめかみを押さえながら呼吸を整える。
「隊長さん、頼むよ。六華を首になんかしないでくれ……」
頭を抱える大河を、あきれていると思ったのだろうか。悟朗が心配そうに声をかけてきた。
「いや……そんなことは……決して……しない」
後悔先に立たずとはよくいったものだ。今ほど過去の自分の行動を悔いたことはない。
大河は首を横に振った。
「ならいいけどよぅ……」
悟朗がほっとしたように笑みを浮かべるのと、階下から、「隊長!」と声が響いたのはほぼ同時だった。加地だ。
「加地、二階だ!」
大河が叫ぶとダダッと階段を駆け上がる音がして、加地が部屋に飛び込んできた。
「矢野目の昨晩の足取りがつかめました! 至急、詰め所に戻ってください!」
それを聞いて大河は切れ長の目を見開く。
六華の足取りがわかった。
(今はうじうじと後悔などしている場合じゃない。そんなものはあとだ!)
「わかった。すぐに戻ろう」
大河は悟朗にぺこりと会釈をして、部屋を飛び出す。
振り返ると、悟朗に抱かれた樹と視線が重なる。
「必ず助ける」
樹はこくりとうなずき、階段を駆け下りていく大河の足音に耳を傾けながら、唇の端にほんの少しだけ笑みを浮かべたのだった。
0
お気に入りに追加
1,459
あなたにおすすめの小説
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
『番外編』イケメン彼氏は警察官!初めてのお酒に私の記憶はどこに!?
すずなり。
恋愛
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の身は持たない!?の番外編です。
ある日、美都の元に届いた『同窓会』のご案内。もう目が治ってる美都は参加することに決めた。
要「これ・・・酒が出ると思うけど飲むなよ?」
そう要に言われてたけど、渡されたグラスに口をつける美都。それが『酒』だと気づいたころにはもうだいぶ廻っていて・・・。
要「今日はやたら素直だな・・・。」
美都「早くっ・・入れて欲しいっ・・!あぁっ・・!」
いつもとは違う、乱れた夜に・・・・・。
※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんら関係ありません。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ただ貴方の傍にいたい〜醜いイケメン騎士と異世界の稀人
花野はる
恋愛
日本で暮らす相川花純は、成人の思い出として、振袖姿を残そうと写真館へやって来た。
そこで着飾り、いざ撮影室へ足を踏み入れたら異世界へ転移した。
森の中で困っていると、仮面の騎士が助けてくれた。その騎士は騎士団の団長様で、すごく素敵なのに醜くて仮面を被っていると言う。
孤独な騎士と異世界でひとりぼっちになった花純の一途な恋愛ストーリー。
初投稿です。よろしくお願いします。
異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました
平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。
騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。
そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
ヴァルプルギスの夜が明けたら~ひと目惚れの騎士と一夜を共にしたらガチの執着愛がついてきました~
天城
恋愛
まだ未熟な魔女であるシャナは、『ヴァルプルギスの夜』に一人の騎士と関係を持った。未婚で子を成さねばならない魔女は、年に一度のこの祭で気に入った男の子種を貰う。
処女だったシャナは、王都から来た美貌の騎士アズレトに一目惚れし『抱かれるならこの男がいい』と幻惑の術で彼と一夜を共にした。
しかし夜明けと共にさよならしたはずの騎士様になぜか追いかけられています?
魔女って忌み嫌われてて穢れの象徴でしたよね。
なんで追いかけてくるんですか!?
ガチ執着愛の美形の圧に耐えきれない、小心者の人見知り魔女の恋愛奮闘記。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる