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上司がぐいぐいきます。
違和感の正体
しおりを挟む仕事を終えた六華は悟朗に数時間程度遅くなると連絡し、それから足早に詰め所を飛び出そうとしたのだが――。
「六華」
「はいっ……?」
背後から声がして。振り返ると大河がデスクで手を上げ手招きしていた。
「なんでしょうか」
「ここに」
大河はちょいちょいと手を動かして、それからデスクの上で頬杖をついた。
(難しい顔をしてる……)
眉間のしわが深い。どうひいき目に見ても楽しそうとは言い難い。むしろ若干怖い。
あまり人に聞かせたくない話なのだろうか。
六華は大河のデスクの前まで行って、おそるおそる彼を見下ろした。
「なんでしょうか」
「お前……二番隊となにかもめてるのか」
「――えっ」
いきなりの直球に心臓がどきりと跳ねる。脳裏に光流の顔がよぎったたが、当然、首を横に振った。
「二番隊の隊長からお前のことを聞かれた。どういう人間なのか。信用に足るのかと」
「隊長から……?」
「お前が皇太子妃の妹という身分であることを承知の上で尋ねてきてるんだ。意味は分かるな?」
「――牽制(けんせい)でしょうか」
六華の胸に影が落ちる。
「ああ、そうだ」
大河は頬杖を外して、大きな手でこめかみのあたりをぎゅっと押さえた。
「二番隊はお前に対して、なにかしらの疑念を持っている。だからわざわざ俺を通してどんな人間なのかと揺さぶってきた。どんな人間かどうかなんてあいつらが本気で知りたいわけじゃないのにな。だがあいつらに目をつけられるのはまずい」
苦々しい表情だが、大河はそのまま上目遣いで六華を見上げる。
「お前、どこでなにをしているんだ」
「……調べごとを」
ここまで言われたらさすがに誤魔化すのも難しい。
「なんのだ」
大河の目線は相変わらず尖っている。その刺すような視線に心の裏側まで探られるような気がして六華は戸惑ったが、
「女官が失踪している事件を調べようとしています」
と、正直に答えるしかない。
その瞬間、大河の目と手に力がこもるのがわかった。明らかに強い感情を抑えている。
「具体的に」
大河が低い声でささやく。
(もしかして私、いけないこと言った……?)
気おされそうになった六華だが、それでもなんとかぎゅっとこぶしを握り、自分を奮い立たせながら大河を見つめ返した。
「一年に数人、竜宮に仕える女官が失踪していると聞きました。だから彼女たちの行方を――」
「やめろ」
まさか頭ごなしに反対されると思っていなかった六華は、デスクに手をついて大河に顔を近づける。
「ちょっ、ちょっと待ってください。私たちの任務は竜宮を護ることですよね。なのにちゃんと調べないのはどうしてなんですか?」
「必要ないからだ」
「え?」
六華は目を丸くしてぱちぱちと瞬きしたが、大河はそれ以上六華に説明するつもりはないらしい。
「それはお前の仕事じゃない」
「そんな……」
「話は以上だ。帰っていい」
大河は深くため息をつくと、長い足を組んで椅子をぐるりと反転させて、六華に背を向けたのだった。
(な、な、な、なんなのー!!)
一方的に話を打ち切られた六華は、まったくもって納得できない。六華は怒り心頭だった。
ドスドスと足音を響かせながら職員食堂へと向かい、柱の影でプリンを食べている光流の正面にドカンと腰を下ろした。
「なんだお前、ゴリラみたいに鼻息を荒くして」
「ゴリラっていうのやめてくれるー?」
「ああそうだな。ゴリラは基本賢く穏やかな生き物だ。比喩として正しくなかった」
光流はさらりとそういうと、ゆっくりとスプーンを口に運ぶ。
彼のそんな動作を見ていると、少しだけ頭が冷えてくる。熱しやすく冷めやすい。六華はそういう性質だった。
「――っていうか、隊長に注意を受けてしまって……」
大河とのやり取りを思い出すと若干へこむ。
もしかしたら手伝ってくれるのではないかと思ったのだ。そんなことを考える時点で、自分に甘えがあったということなのだろう。
「ああ、僕もだ」
「光流も……?」
「というか、僕があれこれ調べまわってるから、お前までとばっちりを受けたんだろう。悪かったな」
悪かったと言われて、六華は慌てて首を振った。
巡回中に異変を感じたら、光流に教える、協力すると言った時点で他人事ではない。それに利用されたわけじゃない。六華だって竜宮を護るためにここにいるのだから。
「……でもどうして私が光流と情報のやり取りをしてるってわかったんだろう?」
首をかしげると、「半分はカマをかけたみたいなものだとは思う」と、光流はスプーンを持ったまま、六華を見つめた。
「僕が竜宮内で情報にアクセスすればどうしても足跡が残る。その情報をかき集めれば、何を調べているかもわかるだろう」
「あ……なるほど」
竜宮内のデータベースは隊士であればたいていの情報はアクセスできるが、他人のIDでは閲覧できない。生体認証である。
「で、なにを調べているかがわかれば、お前が僕の情報源じゃないかと推測される」
さも当然といわんばかりだが、六華は不思議で仕方ない。
「いや、だからね。そこでどうして私がってことになるの?」
すると光流がプリンの最後のひとくちを口の中に入れて、声を潜めるようにしてささやいた。
「――柚木灯里が消えた」
「えっ?」
「お前が巡回中に助けたという女官だ。今日の昼休みから戻ってきていない。そのことがちょっとだけ二番隊でも話題になった。だからお前に結び付いた」
脳裏に柚木の笑顔が浮かぶ。
(柚木さんが……なんで……)
衝撃で凍り付く六華は、完全に言葉を失ってしまった。
激しく動揺する頭の隅で、シグナルが鳴る。
(私は大事なことを忘れている……大事なことを……この耳で確かに聞いたはずなのに……)
白い光が、ちかちかと瞬く。
(それは、なに……? なんだった……?)
六華の体が硬直する。
脳裏に走馬灯のように記憶がよみがえる。
(ああ、そういえば……)
『だって年頃の女の子だろ。つい昨晩飲みすぎたとか、外に恋人がいて羽目を外してしまったとか、ないこともないんじゃないかな』
同僚が失踪したかもしれないと言った柚木に玲はそう言って騒ぐことをたしなめた。
『年頃の女の子』だからと。
だが柚木はそんなこと――同僚が若い娘だとは一言も口にしていなかったはずだ。
ガタン!
六華は跳ねるように立ち上がる。膝裏に押された椅子が大きな音を立てた。
「――どうした?」
光流が怪訝そうな表情を浮かべたが、六華の耳には届かなかった。
そのまま数歩後ずさり、六華は無言で詰所に向かって走り出していた――。
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