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上司がぐいぐいきます。
現状維持?
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いつから自分はこんなふうに相手の出方を待つ女になってしまったのだろう。
六華は目の端で、同僚の隊士と眉間にしわを寄せて打ち合わせをしている大河を見て、目を伏せる。
彼と二人で過ごしたランチから十日ほどが経った。
竜宮はいよいよ寒さが深まり、ようやく六華にも女性用のコートが支給され、巡回にも安心して出られるようになったのだが、六華と大河の関係は特に変化はない。
(いや、なにをもって変化というのか……。私は何を求めているのか……。そもそも現状、三番隊は久我さんを中心にしてうまくまわっているわけだし、私も仕事に不満はないし、樹は毎日かわいいし……だからこれでいいのよ、そう、何も変わらなくていいの、現状維持! これで万事オッケー!)
六華は問題ないとしつこく自分に言い聞かせながら、ふうっと息を吐く。
大河が己の秘密を打ち明けてくれたことは嬉しいが、そのことで六華は新たな悩みを抱えてしまった。
最愛の息子である樹が――竜の血を引いているということだ。
樹の見た目は普通の幼稚園児である。
確かに愛らしさは天下一品、六華の目から見て世界で一番かわいいと思っている存在が、彼の丸い頭部には当然角などない。毎日暇があれば撫でまわしているが、なんの異変も感じない。
(久我さんは自分をツノナシだと言っていた。ということは、竜として生まれる子どもと、そうじゃない子どもがいるってこと。そして樹も久我さんと同じ、ツノナシってことなんだ)
竜の角がなければ、竜族とは認められない。
とはいえ竜の血を引く久我大河がただの人ではなく特別な存在ということは間違いなく、神童と名高い樹のその性質が、竜の血を引くからだということは否定できない事実だった。
(私ひとりで抱えるには、重すぎる問題だ……)
六華の相談相手と言えば双葉だが、彼女はおいそれと会える相手ではない。そもそも皇太子妃に、「私も竜の血を引く子供を産んだみたい」と言えるはずがない。
だったら大河の出自を知っているらしい山尾に、すべてを打ち明けてしまいたくなるが、そうなると当然だが、樹が大河の息子だとばれてしまう。
山尾のことは人として尊敬し家族のように思っているが、『実は久我大河は樹の父親なんです』と告白するのは怖かった。
お世継ぎ問題は、竜宮二千年の歴史の中で、国の最大事業の一つといっても過言ではない。だからこそ双葉はその命を狙われ、自分はここに来ているのだ。
(角がないからって、竜宮は見逃してくれるものなんだろうか。いや、甘い考えだ。竜宮がそんな場所であるはずない……)
六華と樹。そして悟朗の三人の、今まで通りの生活が続けられるとは思えない。
最悪、樹と引き離されるかもしれない。
そう思うとぞっとした。
樹は自分の宝だ。彼が生まれたとき、この子のためならなんでもすると心に決めた。
彼の成長を見守り、手助けし、そして大人になるまで育て上げて。しかるべき日が来たら彼の巣立ちを見送るのが自分の幸せだと思っていたが、まだ小学生にもなっていない樹を竜宮に取り上げられたら、六華は立ち直れない。きっと心が死んでしまうだろう。
(先生のことを疑ってるわけじゃない。先生ならきっと私の味方になってくれる。でも竜宮はきっと違う……)
大河は自分のことを『ツノナシの出来損ない』だと自嘲していた。
竜の血を引くのにその象徴を持たないで生まれた大河は、心無い人たちから、ずっとそうやって言われ続けてきたのだろう。
容姿端麗、気力充実、剣の腕に優れているはずの大河の自己肯定力が低いのは、そういう理由があったのだ。
二十歳そこそこで荒れていた大河の姿を思い出す。
かつて六華は、あの陰りに心惹かれて体を重ねた。
だが彼に不幸でいてほしくない。
暖かい場所で笑ってほしい。自分は誰かの大切な存在だと知ってほしい。
あなたにはただ生きているだけで価値があるのだと信じてほしい。切実にそう思う。
(だから……そんなところに樹をやるわけにはいかない……。絶対に渡したりなんかしない……!)
六華はペンをくるくると回しながら、来週に迫った新嘗祭関連の警備図を眺めつつ決意するのだった。
新嘗祭は竜王が神殿にて自ら五穀の収穫を祝う、簡単に言えば収穫祭のようなものである。毎年11月23日に行われ国民の祝日にもなっている。
当然六華たち三番隊は全員出勤して警備にあたるのだが、忙しいのは当日ではなく、むしろ前日の鎮魂からだ。
鎮魂祭とは、新嘗祭に臨む竜王がその霊力を高める儀式で大事な祭事である。このときからすでに新嘗祭の準備は始まっているといえよう。
(霊力を高めるというくらいだから、二番隊が警護に当たるんだな)
警備図に書かれた『二』という数字に、六華はふっとほほ笑んだ。
二番隊と言えば光流だが、あれから一度だけ連絡があった。
とりあえず過去十年の退職者扱いの女官を調べているらしいが、やはり個人で調べているせいか難航しているようで、もう少し時間がかかりそうだということだった。
(新嘗祭の前に、一度会って話をしてみるべきかな……)
六華はスマホを取り出して、光流に『近いうちに食堂でおやつ食べない?』とメッセージを送る。
すると運よく彼もスマホを見ていたのだろう。
『だったら今日。ちょうど話したいことがある』
と、返事が返ってきた。
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