上 下
55 / 88
上司がぐいぐいきます。

知ってて黙ってた?

しおりを挟む

 赤面しつつも、乱れた髪を手のひらで撫でつける六華だが、鏡もないのでよくわからない。

「俺にやらせろ」

 大河が苦笑して、指先で六華の髪を整えていく。
 大河の手つきは完全に子供にしてやるようなそれで、恥ずかしいったらない。

「すみません……」

 どんどん赤面していく六華だが、一方大河はひどく楽しそうだった。

 前髪と一体化していた長い髪を指でとり、六華の耳にかける。
 丁寧に、丁寧に。こんなふうに扱われたら、自分がとても大事な存在のように思えて、なんだかいたたまれない。

(こういう感覚、久しぶりかも……)

 普段は自分が守る側で、守られる側ではないと思っているので、六華は妙に緊張してしまうのだった。

「柔らかい髪だな」

 一瞬六華の耳に大河の指先が触れて、六華はびくっと体を震わせた。
 やめてほしいような、もっと触れてほしいような、不思議な感覚が体を包む。

 思わず上目遣いで大河を見上げると、
「ここでそういう目は反則だぞ」
 と、大河は即座に手を放し、腰に手を置いて視線を斜め上に向けて軽くため息をついた。

「反則?」
「キスしたくなる」
「ひえっ!」

 思わず変な声が出てしまった。
 昼休みが始まったばかりで、竜宮の職員だけでもそれなりに人通りがある。

(えっ、ここで!?)

 とアワアワしていると。

「しねえよ。職場のすぐ近くだぞ」
「もうっ!」

 からかわれた六華は子供のようにプンスカしてしまった。
 大河はそんな六華を見てククッと喉を鳴らすように笑い、
「行くか」
 さっさと歩き出してしまった。

「あっ、待ってくださいっ!」

 慌てて六華もあとを追いかける。


 連れて行かれたのは、竜宮から徒歩十分程度の場所にある五階建てのビルの最上階だった。重そうな扉が一枚、その横に小さな看板が掛けてあり、ひらがなで「あずさ」と書いてある。
 大河のエスコートで店内に入った六華は、「わ」とつぶやいて目を輝かせた。
 入り口には季節の花が大ぶりの花瓶に生けられて、店内はとても清潔で明るい。二人掛けのテーブルが三つに、五、六席ほどのカウンターがある。ちなみにすべての席が埋まっていた。
 年は六十代くらいだろうか。濃い眉につるりとした禿頭(とくとう)と白の作務衣姿の男が顔を上げて、「いらっしゃい」とほほ笑んだ。
 愛嬌があるが、それとなく厳しさも感じさせるそんな顔立ちと雰囲気だ。

(だるまさんに似ている……!)

 六華はそんなことを思いながら、軽く会釈した。

「個室をとってます。どうぞ」

 アルバイトらしい若い男性が小走りでやってきて、六華たちを奥へと連れていく。
 のれんをくぐった奥には六畳ほどの小さな個室があって、畳の上にはイスとテーブルが置かれていた。
 大河は当然のように椅子を引いて、六華をエスコートする。

(慣れてる……)

 六華は緊張しながら椅子に腰を下ろして、正面に座る大河を見つめた。

「竜宮から歩ける範囲にこんな店があるとは知りませんでした」
「実は俺も初めて来た」

 大河がなぜかいたずらっ子のように微笑む。

「えっ?」
「山尾先生に教えてもらったんだ。竜宮周辺で飯を食える店をよく知らなくてな」
「先生にって……」

 六華は大きく目を見開いた。

「えっ、もしかして私とふたりで行くって話したんですかっ?」
「ああ」

 それがなにかと言わんばかりに大河は頬杖をつく。

(いやいやいや……! 先生!)

 山尾は今朝もいつも通り朝礼をし、六華とも他愛もない雑談をしたがランチのことを一言だってほのめかしたりしなかった。

(知ってて黙ってたんだ……もうっ!)

 そう思うと、浮かれていた自分の気持ちを知られているようで恥ずかしくてたまらな
い。

(私に子供がいるって知ってるはずなのに、先生が私と久我大河の仲を応援するなんて、そんなことあるかしら……)

 正直言って、不思議で仕方ない。

 山尾は六華の大恩人だ。
 未婚の母になることを選んだ六華は、当然厳しい意見や冷たい眼差しも遠く近くの知人や親せきに向けられてきた。

『こどもがこどもを生んでどうするの』
『将来がめちゃくちゃになってしまうぞ』
『まともに育てられるわけがない』

 たくさんの言葉に、六華は傷つけられてきた。
 だが子供のころから六華を知る山尾は一言もそんなことを口にしなかった。
 妊娠してからは六華の健康を気遣い、まるでわが娘のように慈しんでくれたのだ。
 そして樹が生まれてからは、病院や幼稚園、習い事なども逐一山尾に相談してきたし、竜宮警備隊へ入れたのも双葉のコネではなく、山尾が六華の剣の腕を保証してくれたからだと六華は思っている。
 とにかく母子ともに世話になりっぱなしで、彼はもはや身内のような存在だった。

(樹も大きくなってきたから、私に結婚しろって言いたいとか?)

 だが相手が久我大河というのはさすがに不自然だ。彼は竜宮警備隊の隊長で、おそらくそれなりの貴族出身で、貧乏士族のシングルマザーの自分など釣り合わない。
 そもそもそんなおせっかいな男なら、今まで男性の一人や二人、紹介されていそうなものだ。なんといっても、彼は門下生を数千人規模で持つ『先生』なのだから。

 六華は首をひねるが、結局答えは見つからない。

(今日、ランチから帰ったら先生に聞いてみよう。一緒に食事に行ってるんだからもう隠す必要もないだろうし)

 六華は気分を切り替えて、顔を上げ、正面に座る大河を見つめた。

 好きな男が目の前にいる。
 今はただその喜びをかみしめていたい。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

本当の聖女が現れたからと聖女をクビになって婚約破棄されました。なので隣国皇子と一緒になります。

福留しゅん
恋愛
辺境伯の娘でありながら聖女兼王太子妃となるべく教育を受けてきたクラウディアだったが、突然婚約者の王太子から婚約破棄される。なんでも人工的に聖女になったクラウディアより本当の聖女として覚醒した公爵令嬢が相応しいんだとか。別に王太子との付き合いは義務だったし散々こけにされていたので大人しく婚約破棄を受け入れたものの、王命で婚約続行される最悪の未来に不安になる。そこで父の辺境伯に報告したところ、その解決策として紹介されたのはかつてほのかに恋した隣国皇子だった――というお話。

ピンク髪の悪魔は廊下を爆走する!なんてったってヒロインだからね!

白雪なこ
ファンタジー
ふと気がつけば、そこは異世界だった。前世で楽しんだゲームのヒロインに転生していたのだ。違和感バリバリだったヒロインのピンク髪にもいつの間には馴染み、可愛いヒロインとして、学園生活を楽しんでいたのだが。 *外部サイトにも登録しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【二章開始】『事務員はいらない』と実家からも騎士団からも追放された書記は『命名』で生み出した最強家族とのんびり暮らしたい

斑目 ごたく
ファンタジー
 「この騎士団に、事務員はいらない。ユーリ、お前はクビだ」リグリア王国最強の騎士団と呼ばれた黒葬騎士団。そこで自らのスキル「書記」を生かして事務仕事に勤しんでいたユーリは、そう言われ騎士団を追放される。  さらに彼は「四大貴族」と呼ばれるほどの名門貴族であった実家からも勘当されたのだった。  失意のまま乗合馬車に飛び乗ったユーリが辿り着いたのは、最果ての街キッパゲルラ。  彼はそこで自らのスキル「書記」を生かすことで、無自覚なまま成功を手にする。  そして彼のスキル「書記」には、新たな能力「命名」が目覚めていた。  彼はその能力「命名」で二人の獣耳美少女、「ネロ」と「プティ」を生み出す。  そして彼女達が見つけ出した伝説の聖剣「エクスカリバー」を「命名」したユーリはその三人の家族と共に賑やかに暮らしていく。    やがて事務員としての仕事欲しさから領主に雇われた彼は、大好きな事務仕事に全力に勤しんでいた。それがとんでもない騒動を巻き起こすとは知らずに。  これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。  火・木・土曜日20:10、定期更新中。  この作品は「小説家になろう」様にも投稿されています。

追放されたおっさんは最強の精霊使いでした

すもも太郎
ファンタジー
 王宮からリストラされた精霊の守護者だったアキは土の精霊から愛されまくるおっさんだった。アキの左遷は最悪な結末を王宮にもたらす事になったのだ。  捨てられたアキは左遷先で出会った風の精霊とともに南の島を目指して旅だってしまう。その後、左遷先に王宮からの使者がアキを探しに来るが、時すでに遅しであった。   (以下ネタバレを含みます)  アキは第二の人生として、楽園でスローライフを楽しんでいたのだが隣国の王から祖国の深刻な状況を聞かされて復興の為に本国に戻ることを約束する。そこで見たものは死臭を放つ王都だった。可愛らしい元悪役令嬢の魔女っ子と問題を解決する旅に出る事で2人の運命は動き出す。 旅、無双、時々スローライフなお話。 ※この作品は小説家になろう(なろう)様でも掲載しております

異世界転移、魔法使いは女体化した僕を溺愛する

月歌(ツキウタ)
ファンタジー
友人が拾ったノート。そのノートは異世界への入り口だった。異世界で僕は女体化し、妹は猫耳で、友人は最強の魔法使いになっていた。元の世界に帰る方法は、愛する人とセックスすることだって?ふざけすぎだろ。ギャグ時々切なく。 ★扉絵はAIイラストで作成しました。 ☆月歌ってどんな人?こんな人↓↓☆ 『嫌われ悪役令息は王子のベッドで前世を思い出す』が、アルファポリスの第9回BL小説大賞にて奨励賞を受賞(#^.^#) その後、幸運な事に書籍化の話が進み、2023年3月13日に無事に刊行される運びとなりました。49歳で商業BL作家としてデビューさせていただく機会を得ました。 ☆表紙絵、挿絵は全てAIイラスです

私の彼は、空飛ぶカエルに乗っている

饕餮
恋愛
会社が倒産してしまい、仕事を探していた。ハローワークに行った帰りに寄ったスーパーで見かけたのは、バイト募集が載っているフリーペーパーだった。 何気なくそれを持って帰り、見つけたのは立川駐屯地内にある食堂でお掃除のバイトだった。 期間は一年と短いものの、どうせ受かるわけでもないしと応募してみたら、まさか受かってしまった。 そこで出会ったのは――。 立川駐屯地の食堂の掃除のバイトをしている岡崎 紫音と、CH-47、通称チヌークのヘリパイである乙幡 和樹とのお話。 ★作中内にてチヌークが配備されていることになっていますが、実際にこの駐屯地には配備されておりません。架空の設定であることをご了承ください。 ★この物語はフィクションです。実在する団体及び登場人物とは一切関係ありません。

処理中です...