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上司と急接近してます。

あなたを守ってみせる

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 防護壁はもって五分といった雰囲気だった。
 久我大河はどうやって鵺を押しとどめるつもりなのだろう。
 隠し持っているはずの暗器で太刀打ちできる気がしない。
 不安でたまらないが、二番隊が皇太子のところに来ていたのだから鵺退治にほかの隊士も集まっているはずだ。
 彼らが間に合っていると信じるしかない。

(きっと大丈夫!)

 六華は飛ぶように廊下を走り、晩さん会の間に飛び込んだ。
 倒すべきモノがいたらすぐに切れるようにと、すうっと息を吸い込んで気を巡らせる。
 だが六華の目に広がったのは――。

「え……」

 崩れ落ちた防護壁。鵺の死体と、壁際でひとりぽつんと血まみれで立っている久我大河の姿で――。

 頭から冷水を浴びせられた気がした。
 全身から血の気が引いた。
 六華はたまらず彼のもとへと駆けつけ、正面に回り込む。

「たっ、隊長! すごい血じゃないですか、大丈夫ですかっ!」
「――」

 ぜーっ、ぜーっと、大河は肩で息をしていた。
 だが大きな声で六華が呼びかけたというのにまったく視線が合わない。
 黒い目の瞳孔は大きく開かれていて、軽くトランス状態になっているようだ。
 端正に整えられた髪は乱れ、血と汗でべったりと額に貼りついている。

「隊長! しっかりして、早く手当てを受けないと!」

 彼の腕をつかんで、顔を見上げる。
 だが相変わらずの無反応で、不安が募る。
 まるで心だけどこかに落としてしまったかのようだ。

「どうしよう……隊長……!」

 今更だが、自分が残って大河が殿下について行けばよかったのだ。
 なぜそれがわからなかったのだろう。

「ああっ、私の馬鹿ッ!」

 悔しくて頭がどうにかなりそうだった。身を振り絞るように叫ぶと、

「りっちゃん、隊長は怪我してないよ! それ全部返り血だってば……!」

 背後からの聞き知った声が響く。
 驚いて振り返ると、玲が駆け寄ってくるのが見えた。

「玲さん……」

 落ち着いて周囲を見回すと、部屋には彼以外にも三番隊の隊士たちが五人ほど来ている。
 実況見分(じっきょうけんぶん)の最中らしく、白衣を着ている科学者の姿も見える。

(みんないるじゃん……。っていうか私、久我大河のことしか見てなかった……!)

 恥ずかしくなりながらも、とりあえず無事だったのだ。
 ホッと胸をなでおろす。

「よかった……玲さんたち、間に合ったんだ。隊長ひとり残したから心配で……」

 すると玲はどこか困ったように眉毛を下げ、首を横に振った。

「ううん、それは違うよ」
「違うって……それどういう意味ですか?」

 六華は首をかしげる。

「ほんの数分前、僕たちが駆けつけた時にはもうこの状況だったってこと」
「え……?」

 六華はそこでもう一度、鵺を見つめる。
 全長五メートルほどだろうか。
 防護壁に張り付いていたときは黒い塊にしか見えなかったが、よく見れば蛇に似た尾がだらりと床に伸びている。

(これをどうやって倒したの?)

 六華の疑問は当然だ。
 壁際で立ち尽くす大河の手には武器がない。
 なのに鵺は無残にも死んでいる。黒っぽくて血だらけでわかりづらいが、腹のあたりに大きな穴があいているように見える。
 三番隊が駆けつける数分の間に、いったいなにが起こったのだろう。

「りっちゃんとやりあった時から結構やるじゃんとは思ってたけど、想像以上だ。これほどのあやかしを一人でなんて完全に力量を見誤ってたよ。ちょっと怖いくらいだな」
「怖い……」

 おどけてはいるけれど、玲の言葉は真実なのだろう。

「まぁ出番もなくて拍子抜けした、僕たちの剣士としての負け惜しみみたいなもんだよ」

 玲はさっぱりした調子でそう言うと、「血の匂いに、今日はいつもより悪いものが集まってくるだろう。夜勤を増やしたほうがいいかもしれない。山尾さんに相談してくるね」と、フロアから出て行ってしまった。

(久我大河……)

 六華はぼんやりと大河を見つめる。
 彼は六華の視線にも気づかず、相変わらず焦点があってない目ののままではあるが、手の甲で何度も額をぬぐっていた。
 ごしごしと、何度も……。
 六華は無言で彼へ向き合うと、正面に立ち手を伸ばした。

「――大丈夫だよ」

 なにが大丈夫だというのだろう。我ながら意味が分からない。

 だけどそう言わずにはいられなかったのだ。
 血をぬぐおうとして余計に汚れていく大河が、なんだか怯えているように見えたから、私が守らなければと思ってしまったのだ。

(ああ……六年前と同じだ)

 六華は両手で大河の手を取り、そっと包み込む。

「もう終わったよ」

 ぬくもりが伝わってほしい。
 あなたはひとりではないと気づいてほしい。

「リン」

 子供のころの呼び名で声をかけたのは、彼が小さな子どもに見えたから、かもしれない。
 六華の胸がぎゅうっと、締め付けられる。
 もう理屈ではないのだ。

「私を見て」

 呼びかけると、大河の漆黒の目にそれまでなかった理性のきらめきが宿った。

「返り血だって聞いたけど、本当にどこもケガしてない?」
「――」

 六華の問いかけに、大河は何度かまばたきをして、それから唐突に、くしゃりと自分の前髪をつかむ。
 己を痛めつけるように髪をつかむ指が白く変色して痛々しいが、自分が存在しているこの世界に、なんとか馴染もうと努力しているようにも見えた。

「ああ……かすり傷程度だ」

 そう答える大河の長いまつ毛が、六華の視線から逃げるようにゆっくりと伏せられる。

「本当に?」

 やっと彼の声が聴けたと思うと同時に、悲しくてたまらなくなる。

 かすり傷ならなぜそんなに苦しそうなの。

 言葉を飲み込んだ六華はたまらなくなって、大河の血まみれのタキシードのジャケットをつかみ、引き寄せていた。
 体が近づくと鼻先にあやかしの血の匂いがした。
 あまったるい、鼻につく嫌な香り。

「お前……」

 大河の体がこわばる。拒絶される気がして、されてなるものかと六華は引き寄せる手に力を込める。そして少し強引に彼の背中に腕を回した。

 大丈夫だよ。
 大丈夫。
 私はここにいる。
 あなたを苦しめるものから、きっと守ってみせる。

 彼のたくましい背中を手のひらで何度もなでながら、六華は願わずにはいられなかった。
 そうやってしばらくすると、大河の体から少しだけ力が抜けた。
 それからゆっくりと上半身を下ろし、六華の肩に額をのせ、

「……こんなこと……本当になんでもないんだ」

 と、小さな声でささやいたのだった。
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