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上司と急接近してます。

タチの悪いオトコ

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(久我大河、だよね……?)

 長身と厚い胸板をタキシードで包み、さらさらの黒髪はフォーマル仕様でサイドとバックに流している。実に堂々とした美男子ぶりだ。
 自分がこんな状況でなければ、周囲の女性たちのように純粋に見とれてしまったかもしれない。
 だが六華は茫然と、突然やってきて自分の肩を抱く上司の顔を見上げることしかできなかった。

 一方、六華に手を出そうとしてあっけなく退けられた貴族の男は、悔しさをにじませて背の高い大河をにらみつけていた。
 プライドを傷つけられたのだろう、顔を真っ赤にして怒っている。

「たっ、確かにぶしつけだったかもしれないが……奥方をひとりにするなんて、そもそも君に責任があるんじゃないのかねっ?」

 完全に言いがかりだが、男もとりあえず貴族として体面を保ちたいのかもしれない。

(まぁ、久我大河なら適当にさらっと流すだろうな……。心配はいらないか)

 とりあえず合流できたのだから、問題ないはずだ。
 そう思って安心しかけた六華だが――。
 左肩に乗っていた大河の指に、ぐっと力がこもった。

 どうしたのだろう。
 違和感を覚え、変だなと目をぱちぱちさせていると、

「――そうですね。おっしゃる通りです」

 大河は男の挑発にうなずき、六華の肩先を包むようにのせていた左手をゆっくりと動かし始めた。

「私は爵位を頂戴したばかりの貿易商なのですが、貴族の血を引く美しい妻は本当におてんばで天真爛漫……いつも振り回されてばかりです」

 最初は肩を丸く、それから首筋に移動して、優しく指をはわせる。

(へっ……?)

 鎖骨のくぼみをなぞり、それから長い指先で遊ぶようにチョーカーの下に指を差し込んだ。

「あっ……」

 六華の体がびくんと跳ねて、唇から小さな声が漏れた。

「だから私は、いっそ彼女に首輪をつけたいって、思っているんですよ」

 大河は男から視線だけはそらさず、六華の耳に唇を寄せ、低い声でささやきながら言葉を続ける。

「巴里(パリ)から取り寄せたこれ、よく似合っているでしょう」

 大河の長い指が、チョーカーの下の六華の肌を横一文字になぞっていく。

 意味深に見せかけて、直接的で、みだらな指先だ。
 適当にさらっと流すどころの話ではない。
 なんと大河は、チョーカーを所有権を意味する首輪に見立てて、妻に手を出そうとする男を煽っているのである。

 六華はめまいを起こし、倒れそうになった。

 演技だ。
 これは全部、最初から最後まで全部演技だ。
 そうわかっているのに、六華の胸は甘くうずく。ぐりぐりと心をわしづかみにされて、揺さぶられている気分になる。

(こっ……この男―!!!!)

 わけのわからない感情が押し寄せてきて、六華は自分を制するのに必死になっていた。
 貴族の男以外に、久我大河が六華のチョーカーの下に指を差し入れて遊んでいることなど、誰も気づかない。
 遠巻きには『恋人に肩を抱かれ頬を染めている女性』にしか見えないはずだ。
 そして大河は、誰もが見とれるような優雅なほほえみを浮かべ、六華にほおずりせんばかりに顔を近づけて、のろけているような態度をとる。
 形ばかりの謝罪どころか挑発してくる大河に、貴族の面目は丸つぶれだ。

「こっ……これだから成り上がりはっ……」

 貴族は自分のことを棚に上げて捨て台詞をはくと、どたばたと踵を返し、その場から逃げるように立ち去ってしまった。当然、六華を狙っていたほかの男も、恥をかいては大変だとそそくさと姿を消していく。
 一瞬で、周囲から人がいなくなってしまった。元の喧騒が戻ってすぐにロビーは騒がしくなった。
 まるで嵐の様だった。驚いたが、これでよかったのだろう。

「――あの」

 六華はとりあえず、『会えてよかったですね』などと、あたりさわりのない笑顔で声をかけようとしたのだが、

「ちょっとこっちに来い」
「えっ? あっ……!」

 笑顔から瞬時に真顔に戻った大河に、ひきずられるようにロビーの柱の陰に押し込まれてしまった。

 なぜ?
 もうすぐ晩さん会が始まってしまう。こんなことをしている暇はない。

「ちょっと……」

 困惑した六華が抗議の声を上げようとした瞬間、頭上に、大河が突然左ひじを突いた。
 その瞬間、ドシンと音がして柱が揺れた気がした。

「……っ!」

 そんなはずはない。柱は大理石でできた非常に重いものだ。人が手をついたからと言って、揺れるはずがない。
 だが大河は続けて右手のひらを六華の腰の横あたりに乗せ、柱を背にした六華を両腕の中に閉じ込めた。これで完全に身動きが取れなくなった。

(ちっ、近いっ……!)

 六華はとにかく男性に免疫がない。しかも相手が自分が唯一心惹かれた男となるといつもの調子が出なくなる。

「なんで……」

 ごにょごにょとつぶやくと、大河が声を押し殺したようにささやいた。

「お前ってやつは……」
「えっ……?」

 彼の声が低すぎて、よく聞こえなかった。
 六華はきょとんとしつつ、声を拾おうと大河に顔を近づける。

「隊長?」

 その次の瞬間、大河は切れ長の目をカッと見開いて、額がくっつきそうなくらい六華に迫り、声を押し殺し、叫んでいた。

「その目で、顔で、今の俺を隊長と呼ぶなっ……!」

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