白いきりんの子

青井青/堀由美(drop_glass)

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智慧の木の実

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 キリンのお母さんは、命の袋をくわえて森を歩いた。
 冷たい雪は風に乗り、僕たちを容赦なく襲う。
 お母さん、とても寒いだろう。
 けれど、僕が命の袋から顔を出すと、優しい瞳で見つめてくれる。
 どこに行くのか、どこへ向かっているのか。迷わずに歩いているような気がした。
 しかし、すれ違う動物たちの目が怖い。
 痛い視線は僕だけじゃなく、お母さんにも向けられた。

わざわいを呼んだバケモノの子。なぜキリンは育てようというのか」

 目だけじゃない。目だけならよかった。
 言葉だって。

「あの子がいる限り、この雪は溶けないんじゃないだろうか」

 胸が刺されたように痛い。お母さんを想うと。
 身体が小さい僕には、汚れた言葉に立ち向かう勇気はない。
 悔しい。
 僕のお母さんは、悪いことなどしていない。

「悪いのはあいつらなのに……」
「そんなこと言っちゃダメよ」
「どうして? お母さんは僕を救ってくれた。だれよりも優しい動物なのに、悪く言うのは間違ってる」
「喧嘩をしても考えは変わらないものよ。今はわからないでしょうけど、あなたが大きくなったころ、きっとみんなあやまちに気がつくのよ」

 つね日頃、他者を慈しみ、愛情深く手を取り合いなさい。
 それはとても、難しいことなのかもしれない。
 僕はお母さんを悪く言う動物たちが嫌いだ。
 川で溺れても、怪我をしても、助けようとは思わない。
 そんな動物たちを慈しみ、手を取り合う事などできるはずがなかった。
 しかしそれでは、極寒の冬は終わらない。
 僕が大きくなるころ、本当にみんな過ちに気がつくのだろうか。
 その日は、いつ訪れるのだろうか。
 この冬が長く続けば、動物たちにとって厳しい環境になるだろう。
 それがわかっているのは、僕だけなのだろうか。

「お母さん、このままだと、動物はきっと……」
「そうね。雪で覆われた大地では、食べ物は実らない。寒い冬が続けばどうなることか」

 僕たちは、いつまで生き続けることが、できるだろうか。
 
     ◇
 
 あの日から三日歩き、休んではまた三日歩いた。
 十日歩き、二十日歩いた。
 お母さんの長い足に血が滲む。
 雪を踏みしめていたから、凍傷とうしょうになったのだ。
 けれど、傷はそれだけにとどまらない。

「お母さん、もうミルクはいらない」
「ダメよ、坊やは沢山ミルクを飲まなくちゃ」
「でも、血が流れてしまうじゃないか……」

 お母さんはまだ小さい僕に、大きな木の下でおっぱいを飲ませてくれる。
 だけど、僕には龍の牙があるのだ。
 僕がミルクを飲むと、いつもお母さんを傷つけて血が流れてしまう。

「大丈夫よ。赤ちゃんはみんな上手にミルクが飲めないものなの。あなただけじゃない。みんな同じなのよ」
「でも、……あれ?」

 血が滲んだお腹から目を逸らした僕は、天を仰ぐ。
 そこに赤いものが見えたのだ。

「お母さん、僕いいもの見つけたよ!」
「なにかしら」

 僕たちが雪をしのぐために腰を下ろした場所は、リンゴの木の下なのだ。
 まだいくつか赤いリンゴをつけていて、見渡せば同じように実りがある木がある。

「リンゴだよお母さん! リンゴ!」
「まぁ、あれはリンゴと言うのね?」
「……リンゴ、って言わないのかもしれないけど」

 僕が知る人間がそう呼んでいただけ。

「あれなら坊やも食べられるわね」
「僕はいい。ミルクをたくさん飲んでるから」
「優しいのね」

 お母さんが褒めてくれるの、だいすきだ。
 大きな顔で優しく撫でてくれる。

「でも、どうやって摘もうかしら。私の首も届かないのよ?」

 知恵をしぼらなければならない。
 だれかを救いたいのなら。
 だれかのために、なにかをするためには、知恵と勇気が必要だった。

「僕が摘んでくる」

 お母さんは、大地に茂る草を食べられていない。
 ずっと木の皮を食べている。
 きっとリンゴを食べたら、喜ぶだろう。
 僕は命の袋を脱ぎ捨てる。
 そして、授かった翼を広げた。
 思ったよりも大きくて、少し驚いた。
 どうだろう、僕は、飛べるか。

「お母さん、……どうやって飛ぶの?」
「私にもそれだけはわからないのよ? ちからいっぱい羽ばたいてみたらどうかしら」

 僕は、白いキリンの子。

「やってみる」

 四本の足を踏ん張り、天を仰ぐ。
 暗雲垂れ込める冬空に向かう。
 力を込めて、羽ばたいた。

「……浮いた」
「まぁ。すごいじゃない。私の子はまだ赤ちゃんなのに飛んだのよ?」
「空を飛んだ……!」

 自由に。
 どこまでも。
 雪雲を揺らして、春陽の顔が見れるほど、力強く。

「あまり調子に乗ると怪我をするわよ?」
「――痛いっ!」

 少し浮かれて高く飛びすぎた。
 木の枝に絡まり、僕は墜落。
 幸い、憎い雪がふわふわのクッションになった。
 痛いのは頭だけだ。

「お母さん……」

 こんな時は、すぐにお母さんの胸に走っていこう。
 長い首に顔を寄せて甘えると、僕を優しく包み込んでくれるのだ。

「痛かったわね。大丈夫かしら?」
「大丈夫。でも、もう少しこうしていたい」

 僕はお母さんがいれば、寒くたってへっちゃらだ。
 赤ちゃんだから、いっぱい甘えたって怒られない。
 でも、僕は空を飛べた。もう命の袋は卒業しよう。

 自分の翼で、羽ばたくのだ。
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