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しおりを挟む寮の組分けはいたって簡単だ。
火の寮には火の妖精、水の寮には水の妖精、風の寮には風の妖精が住み着いており、それぞれの寮の妖精に選ばれるだけ。
妖精たちが宿る媒体が学園長室に用意され、これからマリーの組分けが始まろうとしていた。
聖なる火、清めの水、祝福の花がテーブルの上に置かれ、妖精たちがちらちらと姿を見せているのが可愛らしい。
わざとらしく咳払いをした学園長を恨めしげに見るレギュラスは、わざわざ組み分けなんてしなくともマリーが風の寮になるだろうと確信していた。
火の寮生のように情に厚いというタイプでも、水の寮生のように冷静沈着というタイプでもない。
かろうじて、魔法の才能から水の寮に組分けられる可能性も無きにしも非ずだが、ふわふわぼんやり地に足がついていない様子は間違いなく風の寮生タイプである。
長年、風の寮監督教師を務めてきたレギュラスには分かる。間違いなく風の寮だ。
「それでは――寮の組分けを始めます。妖精さんたち、どうぞ彼女の元へ、」
言い終わるよりも早く、祝福の花から薄緑の物体が飛び出した。
聖なる火は少し揺れるだけ、清めの水からは水の妖精が顔を出している。
きゃらきゃら、きゃらきゃら。
鈴を転がした愛らしい音で笑う風の妖精は、喜色満面の笑みでくるくるくる、とマリーの周囲を飛び回った。
ほらな、というレギュラスの視線を無視して、一分とせずに終わってしまった組分けに学園長は苦笑いを零した。もったいぶる暇も無い。
長いと三十分はかかるのに、歴代でも秒速で終わったんじゃないだろうか。
「……爆即で決定しましたね。では、マリー・フラウアさん。貴方は今日から風の寮の寮生です。風を司る精霊・シルフィードの祝福と加護がありますように」
はらりはらりと、頭上から花びらが降る。
上げれば、妖精がきらきらと光り輝きながら祝福をしてくれていた。
「ありがとう。わたしも嬉しいわ」
ふんわり、とそれこそ花を綻ばせた笑みを直視してしまった学園長は「ヒエッ」と喉から悲鳴が搾り出された。
きゃらきゃらと笑って媒体の鉢植えへと戻っていった妖精たちに手を振ってお別れをする。
常なら人形めいた表情も、今は愛らしい笑みをほんのり浮かべている。魅力割り増しでマリーがキラめいていた。
何よりも嬉しいのは、レギュラスと同じ寮だということ!
当のレギュラスはある意味問題児が増えた、と胃が痛くなりつつも、マリーを他の寮に取られなくてよかったと謎の安心感を抱いている。矛盾した感情に口をへの字にした。
「晴れて風の寮生となったわけで――引き続き、ブロッサム先生にはフラウアさんのお世話を頼みますね!」
「寮生になったのなら自分のことは自分でやるべきだと思いますが」
「生まれてからずぅっとお母様にお世話されてきたフラウアさんが、はいじゃあこれからひとりで生活してね、と言われてできると思いますか?」
思わない。
ぐうの音も出なかった。
シャワーの出し方もわからなければ、シャンプーとボディソープの違いもわからない。ボタンもかけられず、ひとりで眠れない。
たった一日だが共に過ごしてわかったことである。
寮は基本二人部屋になるが、途中編入のマリーはひとり部屋になる。
世話をしてくれるルームメイトもいない。もしかしたら知らないうちに野たれ死んでいるかもしれない。
ぐぬぬ、と唸ったレギュラスに、爽やかに笑って「お願いしますね」と言った学園長には小指をタンスの角にぶつける呪いをかけた。
マリーは世間知らずでひとりで何にもできないけれど、思っていたよりもずっと普通の女の子だった。
お嬢様であるからと高圧的な態度を取るわけでもなく、我が儘を言うわけでもない。レギュラスが教えて言ったことを素直に飲み込んで、実行できるくらいには物覚えも良い。
感情表現がとんでもなく下手くそで、黙っていると精巧なアンティークドールのような少女だが、人間味がないわけでもない。
時折見せるはにかんだ笑顔は可愛い。
だからこそ、育った環境を不憫に思った。
愛されすぎるのも考え物だな、と独りごちたレギュラスは、改めて何にも置かれていない寮部屋を見渡した。
ベッドと勉強机くらいしか置かれていない質素な部屋が、マリーの私室となる。
「今日から、ここがお前の部屋だ」
「物が少ないのね」
「それをこれから買いに行くんだ。資金は学園長持ちだから気にするな。この際欲しいもの全て買い揃えてしまえ」
いっそベッドも天蓋付きのに買い換えてしまおうか、と勝手に画策しながら、質素な部屋に必要そうなものをピックアップしていく。
本来二人で使う部屋をマリーひとりにあてがったため、それなりに広いワンルームだ。
ソファとテーブルと、女の子だからドレッサーも必要だろう。きっとマリーには何が必要か必要でないかなんてわからないんだから、レギュラスの好みと独断と偏見で勝手で決めてしまう。
いっそ、学園の一画にある何でも屋に注文したほうが早い気もしてきた。
アクセサリーから三時のおやつに日用品まで、なんでも取り揃えている何でも屋だ。学生だけじゃなく教師も時々利用している。
たまに掘り出し物の魔法道具なんてのも置いてあったりするからチェックがかかせなかった。
「いや、やっぱり買い物は無しだ。さきに学園の案内をしよう」
「街には行かないの?」
「行きたかったか?」
「……ううん。お外は気持ちが良いけれど、なんだかとても疲れたから。あ、でもアイスクリーム? はとっても美味しかったわ」
疲れたのはレディ・トパーズのせいである。
アイスクリームの味を思い出したマリーははにかんで「また食べたいわぁ」と付け足した。
控えめな微笑も愛らしくて、胸を詰まらせたレギュラスは「また次の休みにでも街に行こう」と小さな頭を撫でた。
小さくて丸い、形のよい頭はとても撫でやすい。加えてさらさらの髪は指どおりがよく、つい頭を撫でてしまう。
傾国の美女と名高い母親の娘だけあって、大層美しく愛らしい容姿のマリーはつい目で追ってしまう。
どこか幼い言動に、歳の離れた妹を思い出しては生徒に抱く感情とは違うものを抱きつつあった。
あと純粋に、懐いてくる美少女が可愛くないはずがない。
ただの生徒に、レギュラスはここまで優しくも甘くもない。
厳格で厳しい真面目、ただし風の寮生にはちょっぴり優しい先生。
受け持つクラスの生徒たちが今のレギュラスを見たらきっと目を飛び出して驚くこと間違いない。
昼時も過ぎて、午後の授業が始まってうろついている生徒たちもいないだろうから、学園内の案内ついでに何でも屋にも寄っていこう。
「ひとまず、普段使う教室と、野外訓練場への行き方を教える」
「野外訓練場?」
「ああ。私が教える実践魔法学で使ったりする。あとは単純に体力強化授業などでも使うな」
この世に生まれた人間にはすべからく魔力が宿っている。魔力が宿り、魔法を使うからには魔法学校に通わなければならない。
魔力を暴走させて、事故を起こさないためだ。
過去に、学校に通わずに魔法を行使していた魔法使いが魔力を爆発させて町の半分を吹き飛ばした事例がある。
魔法使いのトップでもある協会が、法律で魔法学校に通うことを義務としたのだ。
世界でも五本の指に入るカルミラ魔法学園にはさまざまな種族の将来有望な魔法使い見習いが通っている。
マリーほどの膨大な魔力と才能があれば、学園から入学案内状が届いていても可笑しくないはずだが、と思わずにいられない。
「あと、購買にある何でも屋にも顔見せに行く」
「何でも屋?」
「何でも売ってる便利屋だ。顔を覚えてもらえればたまにオマケもしてくれる」
菓子も売っている、というレギュラスに頬を膨らませる。なんだか幼子扱いされているようで気に食わない。
頭を撫でられるのは好きだけど、手を引かれなくったってひとりでも歩けるのに。
「じゃあ手を離すか?」
口の端を上げてシニカルに笑う。揶揄われているのだ。
イジワルな質問に、小さく「離さない」と首を横に振った。
子ども扱いは嫌だけど、レギュラスに頭を撫でられるのも、手を引かれるのも嫌いじゃなかった。
「普段授業を行うのは西棟。魔法薬の実験や、実習授業が行われるのが東棟だ。今すぐに覚えなくとも、通っているうちに覚えていくだろう。校舎も気まぐれで道順が変わったりするからな」
道順が変わる校舎なんて覚えれる気がしなかった。
しばらくは寮生と行動を共にしたほうがいいだろう、というアドバイスに一抹の不安を覚える。ろくに外界の人と、つまり知らない人と会話をしたことがないのだ。友達を作れる自信がない。
友達百人できるかな、なんてわらべ歌をイオが歌っていたが、十人もできる気がしない。
つまるところ、マリーは人見知りだった。
顰め面のレギュラスに懐いたのは、星を守護に持つお兄さんだったから。あとはマリーがイメージする王子様の理想にぴったりだったからだ。
「あれ、ブロッサム先生? 今日はお休みだって、」
知らない第三者の声にキュウリを前にした猫のように肩を跳ねさせる。
「ジークか。授業はどうした?」
「やだなぁ、先生がお休みだから自習なんですよ。ところで、手を引いてる可愛らしいお嬢さんはどこのお嬢様で?」
「編入生だ。風の寮のな」
「ふぅん? 僕はノエリア・ジーク。水の寮の三年生だ」
にっこりと、中性的な相貌に笑みを浮かべた綺麗な人。女性的な男性にも、男性的な女性にも見えるが、スカートを履いているので女性なんだろう。
ハンサムヘアの白金髪に、深海を思わせる深い青い瞳。好意的な笑みに、マリーもほっと気が緩んでお辞儀をした。
「マリー・フラウアですわ。よろしくお願いします。ジーク、せんぱい?」
小説では、年上の人に先輩とつけていた。年齢や地位が上の人につける言葉らしいと本で読んだ。
「よろしくね、可愛らしいお嬢さん」と微笑んだノエリアに間違っていなかったようだ。
表情は硬く、声のトーンも低い。知らない、歳の近い女性に緊張した。
美しい少女の笑顔を見てみたいところだったが、人見知りをする性質なのだろう。これから仲良くなっていけばいいか、と頷いてノエリアはレギュラスに向き直る。
「休みの理由って、編入の手続きとかだったんですね」
「そうだ。今まさに学内を案内している最中」
「ありゃ、僕は邪魔ってことか。酷いなあ」
「雑談に講じるつもりはない。行くぞ、マリー」
声には出さなかったが、かすかに目を見開いて手を引く人を見た。
はじめて、名前を呼ばれた……!
「っはい!」
手を引いて、前を向いているレギュラスは気付かなかった。
今までで一番美しい笑顔を浮かべたマリーに。
「なんて、可憐なんだ……!」
そして、花の妖精の如く愛らしい笑みに心奪われた生徒がいることにも。
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