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飼い主は組織犯罪集団の幹部でした。
しおりを挟む兄のアズィール・イリスと弟のイズラク・イリス。巷じゃちょっとどころかとても有名な双子の兄弟だ。
青みがかった柔らかな銀髪に、理智的な紫の瞳は目尻が垂れていて柔らかな印象を与える甘い顔立ち。瞳に影を落とすほど長い睫毛に、緩く弧を描いた唇。歓楽街を歩けば絶えず声がかけられる美しい見目の兄弟だった。
顔が瓜二つな兄弟の相違点を上げるとすれば、アズィールはイズラクよりもルーズでマイペースで、あとは髪型とファッションの好みくらいだろう。
「リーシャにはこういう、ふわっとしたほうが似合うって」
「いーや、もっとぴったりしてるのがいいだろ」
「大体、にーさんが選ぶ服は品がねぇんだよ。スカート丈短すぎ」
「イズのやつは無駄にひらひらふわふわしすぎなんだよ。ムッツリかよ」
置かれている物の少ない広いリビングで、リーシャを挟んでこめかみに青筋を浮かべるふたり。
湯を浴びてすっかり体の汚れを落としたリーシャは、濡れ髪にタオル一枚体に巻き付けた格好でソファに座らせられていた。目前にはふわふわひらひらすけすけな、いろんな服が広げられている。一般人には到底手が出させない、高級ブランドのショップバッグが隅の方に投げ捨てられているが、肌着一枚何万するとは知らないリーシャはなんでもいいから早くしてくれないかな、と小さくくしゃみをした。
街中の高級住宅街にある高層ビルの最上階、ワンフロア丸々兄弟の持ち物の部屋に連れてこられたリーシャは、見る者すべてが真新しくてつい目をきょろきょろとさ迷わせた。兄弟に挟まれながらおっかなびっくりの様子でリビングまで連れられていく様子は、それこそ野良猫みたいだったとアズィールが笑う。
イズラクがシャワーの使い方をめんどくさがりながらも丁寧に教えてくれたおかげで、髪を洗うのがシャンプー、体を洗うのがボディソープと新しい知識が身についた。
「リーシャはどれがいい!?」
最終的に、お互いの意見を譲らない兄弟はリーシャに決めてもらうことにしたらしい。
アズィールが選んだ服はなんか透けてるし、丈も短くて寒そうだし、イズラクが選んだ服はひらひらふわふわしていて動きづらそうだった。できれば、なるべく肌の露出が少なくて、動きやすい服装がいい。もし何かあったとき、裳に足を取られては笑い話にもならない。
「……ふたりのような、ズボン? というのは」
『却下』双子よろしく揃った声に眉を下げる。そもそも、あと寝るだけ(おそらく)ならなんでもいいのではないだろうか。
「寝間着は、どれでしょうか」
「はぁ? ……あ、そっか。あと寝るだけか」
「その……肌寒くって」
「じゃーこれでいいだろ」
ぽいっと服の山から引き抜かれたのはシルクのワンピースだった。さらさらの肌触りに、思わず頬が緩む。
「ていうか、髪濡れっぱなしじゃん! ドライヤーの場所わかんなかった?」
「その、どらいやーが何かわからなくて……いつも自然乾燥に任せていましたので」
一体どんだけ辺鄙な田舎の生まれなんだ、と紫の目を点にした。ビルも、電飾看板も、車も、シャワーも、何もかも初めて見た、と好奇心に金色を輝かせる横顔に、兄弟とひそかに目を合わせた。
事実、リーシャの生まれ故郷では電気ではなく灯篭や燭台が夜を灯す明かりだったし、車ではなく馬や馬車、牛車が当たり前だった。水道じゃなくて井戸だったし、シャワーの代わりは風呂桶だった。こちらの生活に慣れてしまえば、祖国に戻ったときにとても不便を感じてしまうだろうな、とは思いつつも、初めての外の世界にリーシャは好奇心を抑えることができなかった。
「髪はそのうち乾くでしょうし、その、あの、さらしをくださいませんか? さすがに、裸にこんな上等な絹をまとうのは気が引けて」
「一応聞くけどさぁ、さらしって何に使うの?」
「胸を押さえるのに、」
「はいダメー! せぇっかく綺麗な形してんのに崩れるでしょうが! さらしじゃなくって、これね、ブラね」
パッと手に持っていた洋服を放り投げて、ランジェリーショップの袋からさりげなく自分好みの下着を取り出したアズィールは、リーシャが恥じらうでもなく不思議そうにブラジャーを見つめているのに気付いて「つけれる?」とニマニマと上機嫌に尋ねた。
ふるふる、と首を横に振ったリーシャの隣に移動して、水の滴る髪に眉を寄せる。
手渡された「ぶらじゃー」なる物は、結んで固定するにしては長さが足りないし、なんか、ひらひらしてる。こんなので胸を支えられるんだろうか。とてつもなく心もとない。
「イズはドライヤー取ってきてぇ。その間に着せとくから」
「はいはい」
それにしても、警戒心が皆無である。普通、衣食住を保証するとはいっても大人しく付いてくるものではないし、タオル一枚巻き付けた格好で男ふたりと同じ空間に平然としているのもおかしい。羞恥心やらなにやらが死んでいるのではないだろうか。
「ムッツリスケベのイズラクが来る前に着替えちゃおうねぇ。はい、タオル外してぇ、ここに腕通してぇ」
「ん」
言われるがまま、されるがままに胸の上あたりで留めていたタオルを外すリーシャが心配になる。だからと言って辞めるわけではないけれど。真っ白い雪の肌は滑らかで、きっと触り心地も良いのだろう。曝け出された白い背中を目で存分に楽しむことにした。
Cの65だな、と抱き上げたときに確認はしたが、まさにぴったり。さすが俺。
内心で自分自身を褒め称えながら、白い背中でホックをかけてやる。いたずらにパチン、と手を放せば細い肩が揺れて恐る恐る花の顔が振り返った。
「どーお? さらしなんかよりもよっぽどいいでしょ?」
「思ったよりも、安定感があって、苦しくないです」
「でしょぉ? 肩紐はもうちょい締めてもいいかな。前、ちょっとごめんよぉ」
「へっ」
背中からすっぽりと抱きすくめて、カップの中に手を入れる。柔らかくてもちもち、マシュマロみたいだぁ、と気分をルンルンさせながら、しっかりと胸を寄せてちょうどよく収めた。サイズとアンダーが合っていても、おっぱいをちゃんと収めないと意味ないのよ、と教えてくれた過去のセフレに感謝だ。必要ない知識だったが、まさに今役立っている。殺さなきゃよかったなぁ、としみじみした。もう顔も名前も覚えていないけど。
むぎゅっと口を噤んで、金の瞳をぱちぱちさせるリーシャはかすかに頬を赤らめる。ほぼ裸同然の格好は、会場から救出されたときにとっくに見られているので羞恥心はないが、さすがに、直に触れられるとなると話は別。グッと握りしめた拳が行ったり来たりして、命の恩人を殴ってもいいものかどうか葛藤した。
「はい、完成~! うん、白いから赤が映えるねぇ」
「変態兄貴、終わったんならどけて。髪乾かすから」
「遅かったじゃん、ムッツリスケベなイズくぅん」
チィッ、とそれはそれは、大きく響いた舌打ちにアズィールはにやにやと笑みを深める。兄の、こういう愉快犯なところが面倒臭いんだ。
ドライヤー片手に扉の前に立ち尽くすイズラクは、ちら、とぼんやりしているリーシャを見やる。透け感のある真っ赤なレースに、フロントにちょこんと小さな黒いリボンが飾られている。ちゃっかり自分好みのやつ着せてるし。
「これ、セットのパンツだから履いてね」
「これが、褌……!?」
「ふん、……なんて?」
いそいそと足を褌もといショーツに足を通したリーシャだったが、やはり薄っぺらすぎて心もとなさが伴う。
眉を下げて不安げな下着姿の美少女を、兄弟は揃って観賞した。胸はもう少し大きいほうが、いや、育ててけばいいだろ、とか、至極真面目なトーンで話すものだから、リーシャは自身がおかずにされているとは思いもしなかった。
頭からすっぽりとワンピースタイプの寝間着を着て、未だこちらを凝視する兄弟にきょとりと黄金を瞬かせる。
三人で座っても余裕のあるソファのアズィールの反対側に腰かけたイズラクは、手近なコンセントに電源を挿したドライヤーを床に置いて、片手で握れてしまうほどほっそりと華奢な首筋に手を伸ばした。
「やっぱ赤かな」
「赤一択だろ」
下着の話でないのはわかる。装飾品か何かだろうか。
「うん。赤だな。明日でも買ってくるわ」
「お前、仕事だろぉ。中抜けしてドヤされるのは勘弁」
「終わったらだわ。その間、にーさんがちゃんと面倒見てろよ。ほら、リーシャ、後ろ向いて。髪乾かすぞぉ」
ごぉぉ、とスイッチの入ったドライヤーの音に大げさに体を跳ねさせて、目の前にいたアズィールにしがみついてしまう。
「!?!?」
「わぁ、役得♡」
「にーさんッ!!!」
キングサイズのベッドはもともと兄弟共有で使っていた物だ。同僚には「いい歳した兄弟が同じベッドとか……キッッッショ」とドン引いた目で見られるが気にしていない。ふたりで寝た方があったかいんだからいいじゃないか。
成人男性が二人並んでも余裕のあるベッドに小さくて細っこいペットが増えたところでどうってことなかった。
柔らかな布団に包まれた途端、すやすやすぴすぴと寝てしまったペットに兄弟そろって吹き出した。野生をどこかに忘れてきたに違いない。
「生まれ、チーファだってよ。あの海の向こうの鎖国国家。てか、あの藪医者と同郷かよ」
「あのクソとこぉんな可愛い子がねぇ……良いとこのお嬢様なんでしょー」
寝入ってしまっているペットがすっかりお気に召したらしい兄が、黒髪を指先に絡めて遊んでいるのを横目に、イズラクは支給されている社用端末に送られてきたリーシャの情報に目を通していく。
気まぐれで拾った少女ががもしスパイだったら?
警戒心皆無ですやすや眠っている少女がまさかスパイだとは思わない(もしこの少女がスパイなら、選んだ組織はよっぽどのポンコツ揃いに違いない)が、万が一に備えて損はない。寝首をかかれたなんて洒落にならないし、そうなった場合クソムカつく同僚たちが腹を抱えて笑い転げるのが目に浮かんだ。ついでに器用なボスには笑顔で蔑んだ目を向けられるだろう。
もちろん、アズィールもイズラクもそんなヘマやらかさないが、念のためだ。ボスにとって害ある存在なら消さなくてはならない。諜報班に超特急で情報を寄越せと凄んだはいいものの、並んだ文字列に役立ちそうな情報はなかった。
チーファ国は海を越えた向こう側にある小さな島々が連なってできた国だ。権力を持ったいくつかの一族が国を治めている――くらいしか送られてきた情報には書かれていない。
外界との交流が必要最低限で、出入国は完全に制限・管理されている。半年に一度だけ港が開かれ、多くの商船がそこに集まっては大いに盛り上がるそうだ。国を出た身、と言っていたがなぜわざわざ国を出て来たのか。
悪趣味なオークション会場で宝探しをしていたときに見つけたリーシャの手荷物には、荷の奥底に隠すかのように何重にも布に包まれていた美しく鮮やかな鳥と赤い花の描かれた木簡が入っており、仰々しい木簡を見てすぐにピンときたイズラクは直感で少女の身分を表すものだとアタリをつけた。
大きい権力を誇る一族は色の名前をファミリーネームとしており、冠する色の服はその一族しか身にまといつけることを許されていない、とか。各国の要人の情報は頭に入れるようにしていたアズィールは、いくら海の向こうの辺境の島国とは言え、国を牛耳る一族のことくらいなら耳にしていた。現皇帝と、各一族の当主の顔写真は最重要機密に分類され、彼らの所属する組織でもトップシークレットとして扱われている。
国を牛耳るほど大きな一族なら、少しくらい情報は出てくるだろうと情報をあされば、軒並みその一族のお嬢様達が姿を消しているようだ。次いで、王が崩御し、国では内乱が起こっているとか。
つまり、この拾った猫は行方知らずのお嬢様のひとりに違いない。
「恩は売って損はないよなぁ」
「なにがぁ?」
「これのゴリョーシンに。おれらが思ってたよりも、ずぅっと尊いお嬢様らしいぜ」
「ふぅん。んで?」
「だから、これを返すときに、」
「やだ」
「は?」
やだやだやだやだぁ、とリーシャを抱きしめて頬擦りまでし始めた兄に頬が引き攣る。お気に入りの玩具を取られたくない子供みたいに駄々をこねる様子に言葉が詰まった。
大嫌いな同僚がこの兄を見たなら、「おうちに帰ってママのおっぱいでも吸ってろよ」と一発ブチかますだろう。想像したらムカついたので、明日本部で見かけたらとりあえず一発ブチかましてやろう。
「は、まさか、マジ?」
「これはもう俺たちのモノでしょぉ? なんで返すって話になってんの?」
きょとん、と瞬いた紫に、唖然とする自分が映る。
「俺たちのペットなんだから、俺たちが最後まで面倒見なきゃいけないんだよぉ。死ぬ最後まで、ね♡」
にんまりと童話に出てくる猫みたいな笑みを浮かべたアズィールに、詰まっていた息を長く吐き出した。
兄は一度言ったことは覆さない。嫌いなものばかりの兄の数少ないお気に入りになってしまったペットの少女。あーあ、と溜め息を吐く。こうなった兄は面倒くさい。
「……おれは、にーさん以外の家族なんていらねぇから」
「家族? ふふっ、イズはおにーちゃんが大好きだもんね♡ リーシャはペットだよぉ。家族じゃないっつーの」
だったらなんで、ペットに、そんな優しい目を向けるんだよ。
吐き出しそうになった溜め息をグッと堪える。端末に映しだされる文字は全然頭の中に入ってこない。集中力も気分も削がれてしまった。
投げやりに端末を放り投げて毛布をかぶる。明日は本部の地下室で、今日制裁を与えたオークションの元締めとお話をしなくちゃいけない。その前にはボスへの報告だ。朝イチで来いと命令されているので、遅れていくわけにはいかなかった。
アイリオス共和国北部の都市シェシャロニカ。首都に次ぐ人口約三十万人の大きな都市だ。賑わう歓楽街に観光客も多く、人の出入りは首都よりも活発だろう。その分、悪質な犯罪も多く、軍警が立ち入れない場所も多数存在する。
軍警も立ち入れない、タブーとアングラが入り交じった場所を取り締まるのが、アズィールとイズラク、否、兄弟が所属する組織犯罪集団――アントス・ファミリーだった。
歓楽街近辺はイリス兄弟の担当区域だというのに、よく違法行為を行えたものだと褒めてやりたい。ご褒美にじっくりシてやろう。今回の闇オークションは密告がなければ気づけないほど、巧妙に隠されていた。今頃部下たちが保護した被害者や、過去に売り飛ばされた人間たちの所在を調べているだろう。
我らがアントス・ファミリーの首領(ボス)は、裏切りを許さない。アントス・ファミリーが仕切る領地で、人身売買など裏切りに持って他ならなかった。
温厚で柔和でお優しいボスは、身内の人身売買も薬も犯罪も許していない。地元の市民たちには自警団とすら思われている。いかつい野郎が近所の子供に肩車をせがまれている様子は見ものだった。
明日のことを考えると頭が痛くなってくる。兄は勝手に有休消化だとか言って休みを取るし。そもそもマフィアに有休とかって存在するのだろうか。福利厚生なんて適応されないだろ。
「……にーさん、おやすみ」
「うん、おやすみぃ、イズ」
悶々と頭を悩ませながら、さっさと寝てしまおうと目を閉じる。
ベッドランプのほのかな明かりに照らされた寝室に三つの寝息が静かに重なった。
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