第九皇女は氷華の騎士伯爵に囲われる

白霧雪。

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第29話

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「――菊花?」

 からん、からん。

 訓練用の剣が手指から零れ滑り落ち、決して小さくない音を立てる。

「菊花!!」

 艶のない黒髪を振り乱し、青年は最愛の妹に向かって手を伸ばした。

 白藍が、その手を叩き落とす。

「なんだ。喋れるんじゃないか」
「貴様ッ……!!」
「――燕風、兄上?」

 すこん、と表情を落としてしまった菊花につい舌を打つ。

 金眼が目一杯に見開かれ、見慣れた黒髪を映し出す。だが、すぐに視界はヴィンセントによって遮られた。

 思わず伸ばされた白魚の手を絡めとり、胸の中に閉じ込めてしまう。
 どこにも行かないように、どこにも行けないように。攫われてしまわないように。

「フジノ。執務室の場所を覚えているな。菊花を連れて先に行っていろ」
「……かしこまりました」
「まって、待ってください、ヴィンセント様……! 燕風兄上と少しだけでもいいのです、お話をさせて――!」
「菊花」
「ッ」
「フジノと共に行け」

 はくり。舌先まで出かかった言葉は無理やり喉奥に押し込まれた。

「菊花ッ! 行くなッ!」
「菊花、行くんだ」

 もの言いたげな藤乃に小さな声で「今は行きましょう」と促され、足を踏み出さざるを得ない。

 燕風の悲痛な叫びが、耳にこびりついて離れなかった。





 菊花たちが去り、奇妙な沈黙が流れる訓練場。

 部下たちによって取り押さえられた燕風は、技術と実力は申し分ないほどにあるが、細身の燕風は屈強な騎士たちに抑え込まれてしまえば振りほどくほどの力はなかった。
 力が足りないそのせいで、菊花の元へ駆けよることができなかった。

「――俺の菊花は、美しいだろう?」
「誰が!! 貴様のモノじゃない!! 菊花は、俺の妹だ!!」
「はっ……そんな目をしていながら、菊花のことを妹と呼ぶのか。血の繋がりとは、本当に厄介だな」

 薄く隈の浮いた目は、苛烈で過激な感情が渦巻いていた。

 ヴィンセントへの敵意、憎悪、嫌悪――その奥に、大事に大事にしまっていた菊花への感情が溢れ滲み出ている。
 親愛、安堵、懐古――情欲に、恋慕。血の繋がった妹に向けるべきではない、肉欲が溢れていた。

 掴まれた腕を振り払おうと、全身に力が入る。火事場の馬鹿力か、怒りが勝ったのか、噛みしめた歯がギリギリと音を立てる。
 ズ、ズッ、と両脇を固めている騎士ふたりが徐々に引き摺られていた。

「菊花に何をした……!!」

 まるで獣の咆哮だ。
 月に吠える獣のように、ぐわりと牙を剥く。

 ヴィンセントは彼が言葉を話せることを知っていたが、ほかの騎士たちは違う。燕風が口を利いていることに驚き、ジッと副団長とのやり取りに注目していた。

 突如現れた美しい御令嬢と、敗戦国の皇子。
 よほど察しが悪くなければ、気付ける者は気付いてしまった。

 一時期、噂になっていた「蒼い御令嬢」――その噂の本人が、さきほどの少女であり、グウェンデル伯爵あるいはサピロス公爵に下賜された旧雅國のお姫様なのだろう。――そして、第一師団に配属された燕風の妹。

 今まで以上にヴィンセントに対する殺意を高める燕風は、抑えられていなければ素手だろうがなんだろうが、飛びかかっていたに違いない。

「何もしていない」
「なら、ッ――なんで、あんなにも人間染みてる!?」

 は? アイスブルーを瞬かせて首を傾げる。
 言っていることが、理解できなかった。

「菊花は、俺たちとは違う! 夜に冴え渡る月の輝きのように美しかったのに……! 不完全なところが、菊花を菊花たらしめていたんだ!! 徒人なんかじゃない、天仙になりうる神子だったんだ!」
「――……はは、気持ちが悪いな」

 偶像に対する崇拝のような熱だった。

 不完全であるから美しい。
 壊れているから愛せる。

 あの妹にして、この兄あり、というようなきょうだいだ。否、雅國の皇子や皇女たちはみんなどこかしらが可笑しかった。

 どうして、捕虜のような扱いに耐えられる?

 この国の王族たちなら、自尊心が絶えられずに自死を選ぶ。自分だって、その立場ならそうしている。

 死ななければいずれ國を再興させられるとでも思っているのだろうか。もしそうだとしたら、なんと浅はかな考えだろう。

「俺の菊花を返せ……!」
「……誰が、お前のだって?」

 ピクリ、と眉が跳ねる。
 下げていた手が、腰に提げていた剣の柄を握った。

 キャンンキャンと喚き五月蠅い子犬を躾けなければならない。

「剣を持て。直々に相手をしてやろう」

 菊花の、感情を揺さ振る存在が自分以外にいるのが耐えられない。

「訓練に耐えられず、死んでしまう貧弱でした」と上司に報告をしたら怒られるだろうか。
 面倒事は嫌いだけど面白いことは大好きなあの性悪上司ユハは、きっと苦笑いして始末書を出せと言うだけだ。

 大切なきょうだいを殺したら、あの子はどんな表情をするのだろう。

 もし、涙なんて流したら――自分以外を見ないように、あのキラキラと美しい金の瞳を抉り取ってしまうかもしれない。

 
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