29 / 32
第28話
しおりを挟む華美すぎず、けれどシンプルすぎず、そしてヴィンセントが好みそうな装い。
ボリュームが控えめのスカートは薄絹が幾重にも重なって自然なシルエットを描き、トップは上品さを演出するシフォンブラウスに濃紺のフリルリボンがアクセントだ。
結わえていったそばからしゃらりと流れていく黒髪に苦戦を強いられたが、すっかり手馴れた藤乃によって上品に、けれど可愛らしく編み込まれている。
差していた星空の日傘を閉じて、騎士団隊舎の入り口にある受付に声をかける。
「もし、そこのお方」
昼下がり、食後の眠気にうとうとしていた受付の男は、鈴やかな声にハッと膨らませていた夢提灯を割って「はい!」と背筋を伸ばした。
「は、へ、え、え?」
麗しい、歳若く可憐の美少女に微笑まれている。
男だらけの騎士団隊舎の受付をしていると女性と接する機会というのはグッと減ってしまう。
隊舎内はなんだかむさくるしくて気温が上がっている気がするし、ささやかな花を愛でる女性が恋しくなってしまう。
――かといって、帝国の女性たちが花を愛でるかと言えばそうじゃない。
どちらかと言えば、食べれる花と毒草を見分けるのが得意な女性たちだ。ついでに野営も得意だったりする。
男の理想は、ふんわりと微笑んで「おかえりなさいませ旦那様♡」と頬にキスをしてくれるような年下の可愛い女の子だ。
羽根を落とした天使か、人間を誑かす妖精か。しっとりと濡れた夜の美しさをまとっている。まるで月の光だけで成長した夜の花のような匂い立つ美少女が、目の前で微笑んでいる。
これは運命に違いない。
「私、ヴィンセント・サピロス様に仕える使用人でございます。旦那様はどちらにいらっしゃいますでしょうか?」
ぽーっと顔を赤くして上気を上げる男に、控えていた藤乃がやんわりと、けれど釘をさすように言葉を紡いだ。
余計な犠牲は出したくない。せっかく美しく着飾っているのだから、それを赤色で汚したくなかった。あと単純に、血って洗い落とすのが大変なのである。
「えっ……あ、副団長、ですか……えぇっと、今の時間なら訓練場にいらっしゃるかと、」
「なるほど。わかりました。何度か来た事があるのですが、記録帳にサインと来た時間と帰った時間を書けばいいんですよね?」
「あっ、はい、お願いします。あの、ところで、そちらの」
「はい。書けました。訓練場の場所が変わったりなどはしていませんか?」
「えっ? あぁ、はい。改装などはしばらくしていませんが」
「わかりました。でしたら、場所はわかりますので案内は不要でございます。さぁ、お嬢様、行きましょう」
ぱちぱちとけぶる睫毛を瞬かせ、にっこりと笑んで受付の男性に会釈をした。
男に話す間もなく藤乃が対応してくれたのだから、これ以上菊花から何かアクションする必要もない。ヴィンセントのいる場所が藤乃がわかるなら、案内係がいらないのも事実だった。
「えっ、あっ!」と中途半端に手を伸ばした男を振り返らずに、藤乃の後をついていく。
第一騎士団。ヴィンセントが所属する、なんかすごい騎士団(あくまでも菊花の認識)だ。
子供たちの憧れであり、国民の英雄的存在にして騎士団の象徴である。
祖国の、兵士たちの生活をしている隊舎は汚い、とよく兄たちがこぼしていた。
身だしなみに気を使わないガサツ共が多すぎる、らしい。
確かに、思い出せば大将の位についていた男は筋肉粒々とした男性で、とても野性的に髭を生やしていた。熊さんだぁ、と小さなきょうだいたちは指さして、その男も男で「ガオーッ!」とわざとやるのだ。
兄の命令で髭を剃らせた顔も見たことがあるが、整えればちゃんと見れる容姿をしているのに非常にもったいない男だった。その他もろもろの言動も含めて。
小綺麗な印象を持たせる隊舎に興味津々で目を動かしていると、剣を打ち合う鈍い音が聞こえてくる。
受付から隊舎の外側を沿うように歩いた先に、訓練場があった。
「お嬢様は此処で少々お待ちを、…………いえ、一緒に旦那様の元へ参りましょうか」
「えぇ。そうね。知らない場所にひとりぼっちじゃわたくし、心細いわ」
共にヴィンセントの元へ連れて行った場合、その他大勢に目に菊花の存在が触れることになる。その場合、ヴィンセントは静かにブチ切れるだろう。
人の目に着かない場所で菊花に待っていてもらった場合、誰とも知れぬ男に声をかけられ、ちょっかいを出される可能性がある。その場合もまた、ヴィンセントはブチ切れる。
どちらがよりいい選択かを考えた結果、共にご主人様の元へ行くことにした。
大事な大事な密書を渡し忘れた時点で、「どうにでもなーれ!」と藤乃は思っている。もちろん、できれば良い方向に事は運びたいが。
整えられた石畳を騎士たちが見える場所まで歩いていく。
太陽の光に、きらきらと白銀が輝いていた。蒼さを含んだ白銀は、どこか冷ややかで、汗をかいていても涼し気に見える。
シャツの袖を捲り、逞しい腕がさらけ出されていた。いつもしっかり閉じられている襟元も、ボタンが二、三個外されてくっきりと形の良い鎖骨があらわになっている。
指導をするヴィンセントはこちらに背を向けており、菊花たちに真っ先に気づいたのは周囲で見学をしている騎士たちだった。
「えっ、美少女」
「メイドさんだ」
「うわ可愛い」
訓練中だと言うにもかかわらず、意識を逸らした騎士たちにヴィンセントは注意の声を飛ばす。
「お前たち、訓練中だ。何をよそ見をして、――………………はぁ?」
聞いたことのない地の底を這う声音だった。
「旦那様、業務中失礼いたします。御届け物に上がりました」
きっちりと斜め四十五度にお辞儀をする藤乃と、ソワソワとした様子を隠せずに笑みをこぼす菊花。
「…………なぜ、ここにいる」
菊花が目の前にいる喜びとか、不特定多数の目に触れている怒りとか、いろんな感情がごちゃ混ぜになった形容しがたい声音だった。上司がいたなら爆笑間違いなしだろう。
「ビー様、お仕事お疲れ様でございます」
足を踏み出そうとした菊花の元へ、瞬時に駆け寄ったヴィンセントは額から汗を垂らしながら男共の目線を遮るように立った。
「わたくしがヴィンセント様にお会いしたくて、藤乃に無理を言って連れてきてもらったんです。その、忘れ物をお届けすれば、褒めていただけるかと思って……」
仕事に出ている間、屋敷で寂しい思いをさせている自覚がある分何も言えなかった。
忘れ物? と内心首を傾げつつも、目を伏せる菊花がいじらしくて頬が緩んでしまう。
「俺のために、わざわざ来てくれたのか。ありがとう、嬉しいよ。……俺の執務室に行こうか。茶くらいなら出せるはずだ」
怒られないか、不安に瞳を揺らす菊花の頭を撫でるつもりが、汗をかいていたことに気づいて触れるのに躊躇った。
ムッと唇をツンとさせて、中途半端に持ち上がった手のひらに頭を押し付けてくる。
俺の菊花がこんなにも可愛い。
未だ、騎士団隊舎に菊花がいる事実を処理しきれていないヴィンセントは、周囲に部下たちがいるのも忘れて頬を緩ませた。愛おしいを溢れさせて、すり寄る菊花の好きにさせる。
あの冷徹冷血無表情がデフォルトの副団長様が微笑んでいる、だと。
部下たちは目を剥いて美丈夫と美少女が戯れる様子を目に焼き付けた。
――しかし、ひとりだけ、驚愕に目を見開く者がいる。
0
お気に入りに追加
97
あなたにおすすめの小説
ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。
曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」
きっかけは幼い頃の出来事だった。
ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。
その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。
あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。
そしてローズという自分の名前。
よりにもよって悪役令嬢に転生していた。
攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。
婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。
するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?
軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら
夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。
それは極度の面食いということ。
そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。
「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ!
だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」
朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい?
「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」
あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?
それをわたしにつける??
じょ、冗談ですよね──!?!?
ヤンデレ幼馴染が帰ってきたので大人しく溺愛されます
下菊みこと
恋愛
私はブーゼ・ターフェルルンデ。侯爵令嬢。公爵令息で幼馴染、婚約者のベゼッセンハイト・ザンクトゥアーリウムにうっとおしいほど溺愛されています。ここ数年はハイトが留学に行ってくれていたのでやっと離れられて落ち着いていたのですが、とうとうハイトが帰ってきてしまいました。まあ、仕方がないので大人しく溺愛されておきます。
転生先が羞恥心的な意味で地獄なんだけどっ!!
高福あさひ
恋愛
とある日、自分が乙女ゲームの世界に転生したことを知ってしまったユーフェミア。そこは前世でハマっていたとはいえ、実際に生きるのにはとんでもなく痛々しい設定がモリモリな世界で羞恥心的な意味で地獄だった!!そんな世界で羞恥心さえ我慢すればモブとして平穏無事に生活できると思っていたのだけれど…?※カクヨム様、ムーンライトノベルズ様でも公開しています。不定期更新です。タイトル回収はだいぶ後半になると思います。前半はただのシリアスです。
【完結】帰れると聞いたのに……
ウミ
恋愛
聖女の役割が終わり、いざ帰ろうとしていた主人公がまさかの聖獣にパクリと食べられて帰り損ねたお話し。
※登場人物※
・ゆかり:黒目黒髪の和風美人
・ラグ:聖獣。ヒト化すると銀髪金眼の細マッチョ
ヤンデレお兄様から、逃げられません!
夕立悠理
恋愛
──あなたも、私を愛していなかったくせに。
エルシーは、10歳のとき、木から落ちて前世の記憶を思い出した。どうやら、今世のエルシーは家族に全く愛されていないらしい。
それならそれで、魔法も剣もあるのだし、好きに生きよう。それなのに、エルシーが記憶を取り戻してから、義兄のクロードの様子がおかしい……?
ヤンデレな兄×少しだけ活発な妹
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
婚約破棄目当てで行きずりの人と一晩過ごしたら、何故か隣で婚約者が眠ってた……
木野ダック
恋愛
メティシアは婚約者ーー第二王子・ユリウスの女たらし振りに頭を悩ませていた。舞踏会では自分を差し置いて他の令嬢とばかり踊っているし、彼の隣に女性がいなかったことがない。メティシアが話し掛けようとしたって、ユリウスは平等にとメティシアを後回しにするのである。メティシアは暫くの間、耐えていた。例え、他の男と関わるなと理不尽な言い付けをされたとしても我慢をしていた。けれど、ユリウスが楽しそうに踊り狂う中飛ばしてきたウインクにより、メティシアの堪忍袋の緒が切れた。もう無理!そうだ、婚約破棄しよう!とはいえ相手は王族だ。そう簡単には婚約破棄できまい。ならばーー貞操を捨ててやろう!そんなわけで、メティシアはユリウスとの婚約破棄目当てに仮面舞踏会へ、行きずりの相手と一晩を共にするのであった。けど、あれ?なんで貴方が隣にいるの⁉︎
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる