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第7話
しおりを挟む派手好きのディモンド公爵。五大公爵家筆頭で、権力を笠に着ている典型的な御貴族様。
公爵家がいくら横並びの地位であるとは言っても、序列は自然と生まれてくるもの。初代帝王の弟君を先祖に持つ、最も王家に近い血筋の一族だ。
ちなみにサピロス家は、初代帝王の姉君を祖先に持つルペウス家の姫と三代目帝王の弟が婚姻をしてできた一族である。
本来であれば派手好き公爵の誘いなど断れるのだが、招待状の送り主がディモンド公爵に婿入りしたサピロス公爵夫人の実兄であったために断れなかったのだ。
ヴィンセントはできる限り、ディモンド一家と関わり合いになりたくなかった。公爵自身が苦手なのもあるが、その三人娘、さらにその子供が大の苦手だった。
はぁ、と憂鬱な溜め息をこぼして、隣に座る菊花の頬を指でくすぐる。
本当に綺麗で可愛い娘だ。
癖ひとつない真っすぐな黒髪に、キラキラととろける黄金の瞳。透けるように白い肌。小さくてぷるりとした赤い唇。――あのワガママ放題な従妹と同じ歳とは思えない可憐さだ。
「ビー様? 憂慮なお顔をしていらっしゃいます。お疲れですか?」
眉を下げて上目遣いに尋ねてくる姿も愛らしい。
気遣いもできて、立ち振る舞いも完璧。なんてできた子だろうか。菊花の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。いや、やっぱり菊花の体の一部を他人が摂取するなんて考えられない。この子は髪の毛一本だって誰にもやりたくなかった。
このまま屋敷にとんぼ返りしたくなった。
「……菊花、よく聞くんだ」
「? はい」
「ディモンド公爵は六十を過ぎたジジイでね、若くて綺麗な女の子が大好きなんだ」
「……はい」
「だから、菊花は俺の所有物という扱いをさせてもらう。そうでなければ、きっと公爵は君を欲しがるだろう。――なんていったって、この世のどんな花よりも、空で輝く星々よりも、君は綺麗で可愛らしいのだから」
羞恥で頬が赤くなる。
所有物扱いだなんて、今更だ。こうして綺麗なドレスを着せてもらえて、美味しい食事をさせてもらっているが、本来ならば家具も同然。プライド高いお姉様たちなら舌を噛み切っていた扱いも、菊花は耐えることができた。
「菊花は、俺のモノだ。わかるね」
「はい、ビー様」
「俺の許可なく言葉を発してはいけないし、俺の許可なく側を離れることも許さない。もし、それを守れないようならお仕置きをしなくちゃいけなくなる」
「存じて、おります。わたくしは、ビー様の所有物で、家具で、お人形でございますから」
そう告げると、「イイ子だね」とつむじのキスを落とされる。むず痒くて恥ずかしいけれど、これをされると嬉しくなる。
母様は自身の価値を下げるような発言をしてはいけない、と仰っていたけれど、ヴィンセントのモノであると口にするたびにどこか心の隙間が埋まっていく感覚がした。母も、兄も弟も、ほかのきょうだいも誰もいない。
支えてくれるのはヴィンセントだけだった。
ゆっくりと馬車が停車して、ディモンド公爵家所有の別邸に到着した。
先にヴィンセントが降りて、手を差し出される。
「お手をどうぞ、プリンセス」
タン、と軽い音をさして地面に降り立つ。ふわりとドレスのレースがひらりと浮いて、妖精の翅のようだった。
受付を担当する使用人たちは、美貌の騎士伯爵の登場に驚き、そしてパートナーの存在に度肝を抜いた。
サピロス公爵家の色とされるサファイアブルーに近い蒼のドレス。
異国情緒を漂わせる、透明感のある美しい顔立ち。少女と女性の成長途中のあどけなさは少女を無防備に見せ、人形めいた顔立ちが柔らかな笑みを浮かべることで生きているのだと実感できる。
少女を飾るすべてがサピロス家に由来するものであり、耳飾りはもしや、サファイアのピアスじゃないだろうか。
サピロス家に子供は小公爵ただひとり。その小公爵に婚約者や恋人ができたという話は聞いていない。
パーティーの開始時刻は迫っており、受付をしているエントランスホールにいるのも使用人と数名の貴族だけ。
どこの御令嬢だろう、にわかにざわめきが大きくなっていくが、ヴィンセントは素知らぬ顔をしているので菊花もそれにならって聴こえないふりをした。皇女だもの、注目されるのには慣れている。
菊花に向けていたとろけるような笑みは鳴りを潜めて、氷華の騎士伯爵の名に相応しい研ぎ澄まされた美貌をさらけ出した。
「ぐ、グウェンデル伯爵閣下。その、お連れ様のお名前は……?」
「なぜ、貴様に教えなければならない」
鋭すぎる言葉の切っ先が無防備な使用人を切り裂く。
「ぇ、あ、えっと、その、来賓の皆さまのお名前をお控えするように、と……」
「これは、俺の花だ。名を知らせる必要性を感じられないな」
使用人は冷や汗をかいて菊花にチラリと視線を投げる。
心優しい少女であれば、そっけないヴィンセントを嗜めて名前を名乗ったのであろうが、菊花は『ビー様の所有物で家具でお人形』だから、勝手に発言はできないのだ。
にっこりと、笑みだけを返してヴィンセントの影に身を寄せた。
「私たちよりも先についていたのか」
ヴィンセントよりも低く、艶のある声がエントランスホールに響いた。
黒のタキシードに、蒼のサテンシャツを着た壮年の男性。腕を組んでいる女性は、麗しい笑みを浮かべた公爵夫人。
「――父上。随分と時間ギリギリではありませんか」
「すこしゆっくりしずぎただけさ。それで、何を揉めている?」
「さ、サピロス公爵閣下……」
エドガー・サピロス公爵閣下。
かつて帝王の側近騎士を務め、現在は領地改革を切り進めている切れ者と名高い、下民にとっては雲の上の存在に等しい御人。
サピロス公爵一家が勢ぞろいしている珍しすぎる光景に、周囲の人々はつい注目してしまう。だからこそ、なおさら蒼いドレスの美しい少女が気になってしかたなかった。
「その、そちらの、お嬢様は、どちらの……」
「あたくしの娘よ」
「え゛ッ、し、しかし、確か御子は小公爵様のみでは」
「あたくしの娘と言っているのに、まさか疑うのかしら? このあたくしの言葉を、お前は嘘だと言うのね?」
「い、いいえ! いいえ! まさか、そのようなことはありません! どうぞ、ホールへお進みください!」
夫人の一言で、使用人は顔を真っ青にして乱雑にリストにチェックをつけていく。
鼻を鳴らしてホールへと向かう夫人に、公爵とヴィンセントは目を合わせて溜め息を吐いた。
「……さぁ、行こうか菊花。大丈夫、俺がついているから、君は真っすぐに前を向いているだけでいいんだ」
「はい、ビー様の言う通りに」
息子の溺愛ぶりを横目に、公爵は溜め息を飲み込んだ。
ディモンド公爵の孫娘――ヴィンセントの従妹が、この光景を見て当たり散らす様子が容易に想像できた。
敗戦国の皇女だが、あのディモンド公爵の孫娘と婚約させるよりはずっといいだろう。なにより、私のお人形に似てとても可愛らしいし。
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