僕とセンセイの秘め事

白霧雪。

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6月②

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「――水逆」

 階段下、立ちふさがる火尾の姿を見つけ、鞄を持つ手に力がこもる。

「なんだか久しぶりだ。体調とか、崩してない?」

 優しい先生の顔をした男は、心配するふりをして近づいてくる。逃げたいという気持ちが先行して、後ろへ下がった右足が階段にぶつかって体勢が崩れてしまう。バランスが乱れ、ガクンと膝から落ちていく。
 衝撃と痛みに備えてぎゅっと全身が硬直する。

「――意外とおっちょこちょいだったりする?」

 揶揄いを含んだ声が、すぐ耳元で聞こえた。

「ぁ、」

 いつまでたってもやってこない衝撃と、爽やかなにおいに包まれたことに、抱きとめられたのだと気づく。

「あ、りがとう、ございます」

 ショックでうまく舌が回らない。

「危なっかしいな。怪我はない?」
「はい、だいじょうぶ、です。……あの、もう離してくれて結構です」
「いやいや、また転んでしまうかもしれないだろ? 俺がエスコートしてやろう」

 肩を支えていたごつごつした手が、ほっそりした手のひらを掬い上げる。
 空いている手が華奢な腰を引き寄せ、密着した状態で歩き始めてしまう。慌てて、足を突っ張ろうにも大人の力には敵わない。

「あのっ僕、この後予定が」
「断れば?」

 言葉を失った。至極当たり前のように言うものだから、抵抗すら忘れて火尾を凝視する。

「約束したじゃないか。俺の言うことをきくって」
「でも、だからって」
「じゃあ――バラしてもいいんだ。水逆が氷室先生のこと、」

 手を伸ばしておしゃべりな口を塞いだ。

 グッと、息を止めた火尾は必死の形相の水逆を見下ろす。
 瞳孔が開き、目元が赤くなっている。ぽってりと色着いた唇はわななと震え、今にも泣きだしそうだ。きっと、声を殺して肩を震わせながらなくのだろう。いや、子供のように泣き喚くのかもしれない。――どちらにせよ、可愛いと思ってしまっている自分に寒気がした。
 口を塞ぐ手のひらを、ためしにベロッと舐めれば、変態を見る目を向けられた。

「な、な、なに」

 パッと、口から離された手のひら。無防備な手首を掴んで引き寄せた。
 抱き合う体勢に、どちらともなく心臓が大きく音を立てる。恋にトキメクような可愛い音じゃない。心臓が飛び出しそうな、緊張と恐怖で爆発してしまいそうな怖い音だ。

「別に? そう、水逆に教科準備室の片づけを手伝ってもらいたかったんだよ。前任の先生が片づけられない人だったみたいで、いまだに準備室が使える状態じゃなくってな」
「それ、僕じゃなくっても」
「俺の言うこと、きいてくれるんだろ?」

 口の端を上げた火尾に、バレてはいけない男にバレてしまったのだと今さら実感した。
 真風には申し訳ないが、遊びにいくのは中止だ。





 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆




 火尾の前任の教師はおっとりしたおじいちゃんで、よくプリントを失くす先生だった。ゆっくりとしたテンポで古典文学を音読されれば、数秒で夢の世界へ導かれる。午後一番の古典はとても苦痛だとみんなが喋っていた。見学に来ていた先生たちですら船を漕いでいたのは面白かった。
 定年を迎え、退職したおじいちゃん先生の代わりに赴任してきたのが火尾である。

 二学年の古典教科準備室に初めて入ったが、確かに、書類やらプリントやら、資料の冊子やらが所狭しと散乱していた。手近なところから片づけを始めたが、机の下からも紙類が出て来るものだから今日一日で終わるとは到底思えなかった。

「……これ、どこまで片づければいんですか」
「うーん。床が見えるまで」
「今日で終わんないですよ」
「明日も来ればいいだろ」

 暖簾に腕押し。投げれば打たれる会話に嫌気が差す。火尾を警戒しながらの片づけはとても疲れる。
 床に散乱したものを集めて整頓しても、それを置く机が散乱しているのだ。ひとまず、机の上から片づけ始めたものの、一昨年の採点テストが出てきたり、電話を受けたメモが出てきたり。溜め息しか出ない。

 バラされないために手伝っているが、仲良くなりたいとは思わない。むしろ、お近づきになるのは遠慮したいタイプだ。



 ――一時間ほど、過ぎただろうか。要らない書類と必要な書類を分別するだけで一時間だ。パッと見て、どこを片付けたのと言われそうだが、机の上が綺麗になってるだろ、とドヤ顔を披露したいくらいだ。
 からかっているのか、やけに距離が近い火尾にドギマギしながらの作業はとても心臓に悪かった。これがあと数日続くのかと思うととてもしんどい。

「お疲れ様。この分だと、一週間くらいかかりそうだ」
「……貴方がもっと積極的に動いてくれるともっと早く終わると思うんですが」
「俺が? やだよ。だから水逆にお願い・・・・してるんだろ」

 使い勝手の良いパシリを手に入れたとでも思っているんだろうか。教師がやっていい事じゃないだろ。
 半目になって火尾を睨む。

「こら、貴方じゃなくて、火尾先生、だろ」
「火尾センセイ」
「はは、なんだか意味深だな」

 カラカラと笑った火尾は、お疲れ様、と言って黒髪に指を通した。掬い上げるような、妖しい手付きにカッと頭の奥が沸騰する。

「や、……やめてくださいッ!」

 頬に朱色を走らせて、頭を撫でていた手を振り払う。氷室先生を上書きされるようでイヤだった。。我慢ができなかった。
 拒否した志鶴に、目を細めた火尾は意地悪く口元を笑みで歪める。不機嫌を露わにする男に、背筋にぞわぞわと鳥肌が立つ。

「氷室センセイには撫でさせるのに、俺はダメなんだ?」

 ひっ、と喉奥が引き攣った。声がかすれて、目元が痙攣する。
 どうして、それを知っている?

「撫でられるのはイヤだった?」
「……イヤじゃ、ないです」

 爪が食い込むほど手を強く握りしめる。言わされている。屈辱的だ。気に入らない。胸倉を掴んで、ヒステリックに喚き散らしたい。

「撫でてください、だろう?」

 強要される言葉に、頬肉を噛んだ。言いたくない。だけど言わないと、バラされてしまうかもしれない。

「なでてください」

 震える、小さな声。語尾はかすれ、怒りなのか恐怖なのか分からない感情が全身を駆け巡った。

「素直ないい子は好きだよ」

 先生とは違う、煙草の匂い。
 よく見れば、窓辺に灰皿とライターがある。学校内で喫煙なんて! 飛び出そうとした言葉は、火尾の顔を見て喉奥にしまい込んだ。
 ――なんて顔してるんだよ、この人。
 絆されそうになる。流されやすい自分に嫌気が指した。

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