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第5話 黒い子供と黒いわたし

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 シヴェラは、決まって紫璃がひとりの時にやってきた。

「紫璃、今日は顔色がいいね」

 小さな手が頬に添えられる。背伸びをしたシヴェラが、キスをしてくるのがくすぐったかった。

 この年頃の子供というのは、こんなにも大人びているのだろうか。妹がこれくらいの時は、もっと賑やかだった。感情表現がとても豊かで、喜怒哀楽の激しい子だった。それに比べて、シヴェラはとても大人びている。無理して背伸びをしている様子もなく、もともとそういう子なんだろう。

 紫璃よりも低い体温のシヴェラに触れていると妙に落ち着いた。触れ合った先から冷たい体温が移って、体の熱を中和していく。
 すべすべの手も気持ちいいし、ふわふわなほっぺはずっとつついていたくなる。愛玩動物のように接する紫璃を、シヴェラは面白いものを見る目で観察していた。

「最近は、食事の量が増えたの。元々食べていた量にはまだまだ戻らないけど、スープを完食したら妹が感極まって抱き着いてきたわ。……その拍子に戻してしまいそうになったけど」

 溜め息混じりに吐き出した。妹は、ことあるごとにボディタッチをしてくるのだ。無意味に手を繋いだり、抱き着いてきたり。そのたびに鳥肌が立って治まらなかった。

「妹……聖女サマだっけ? 嫌いなの?」
「あまり、好きじゃないわ。あの子は、わたしとは違うもの。太陽に愛された子。みんなに愛される子。……何をやっても中途半端で、できそこないのわたしが姉なんてかわいそう」

 無意識に言葉が零れた。

「人と触れ合うのは得意じゃないの、あの子、体温が高いから余計に気持ち悪くて……」
「え、でも、俺のこと抱きしめてるじゃん」
「シヴェラは……うーん、シヴェラは別。ひんやりしてて気持ちいいし、触り心地がいいから」

 思案に紫の瞳を揺らす紫璃は、とても表情が豊かになった。シヴェラの前でだけ、だが。同じ『黒色』で、毎日遊びにくるシヴェラに絆されたと言ってもいい。
 にこにことあどけなく無邪気な笑顔で慕ってくれる綺麗な子供を、邪見にするなどできなかった。

「紫璃は俺のことが大好きなんだね!」
「大す、ッ……えぇ、そうね。誰よりもシヴェラのことが好きよ」
「あははっ、じゃあ俺たち両想いだ」

 嬉しそうに破顔するシヴェラ。笑みに細めた赤い瞳が収縮して、キラリと紫璃を映し出す。血のような真っ赤な色だった。
 戯れのように、シヴェラは細く薄い手に唇を落とす。ぷるりと柔らかくて冷たい唇だ。左手の薬指にキスをするのを眺めながら、右手でふわふわな黒髪を撫でた。

「いッ……!?」

 窓辺に視線を反らして時、まるでそれを咎めるかのように指に痛みが走る。

「ゆふぁり、ひゃんと見ふぇなひゃ」

 驚いて視線を戻せば、薬指を咥えたシヴェラがじとっと上目遣いに見ていた。指の腹を熱く滑った感触がして、カッと頬が熱くなる。子供相手に何をしているんだ。否、何をされているんだ、わたしは。

「し、シヴェラっ」
「んっ、もう、ちゃんと見てなきゃダメじゃないか」

 仕方ない子供を叱るような口調に、どうして怒られなきゃいけないんだ。
 離された薬指は、付け根を小さな歯型が一周していた。ぷつりと血が滲んで、まるで結婚指輪みたいだ、と思ってしまった自身に動揺と困惑が走る。
 十歳は離れているだろう少年に、抱いていい気持ちじゃない。

「ねぇ、紫璃。俺は紫璃が好きだよ。同じ黒だからとかじゃない。ちゃんんと、紫璃の中身が好き。ちょっと後ろ向きで卑屈な性格も、憂いを帯びた儚い横顔も。これが恋っていうのかな」

 まっすぐにこちらを見つめてくるシヴェラに言葉がでてこない。真紅の瞳は熱を帯び、紫璃を捕らえて離さなかった。

 この世界には、悪魔が存在するという。人成らざる姿をしている者もいれば、人間と酷似した姿をしている者もいる。
 心のどこかで、シヴェラは悪魔の子供だとわかっていた(・・・・・・)。
 人にしては低すぎる体温に、瞳孔の鋭い真っ赤な瞳。小さな唇から時折除く八重歯は吸血鬼のように尖っている。人でない存在だとしても、不思議と怖くなかった。シヴェラが慕ってくれるから、優しくしてくれるからだ。

 紫璃に触れる小さな手はいちいち優しくて、時折もどかしさすら感じてしまう。弱り切っていた紫璃に、シヴェラの優しさは甘い毒だった。嗚呼、こんな幼い子供に恋心を抱いてしまうなんて、なんて邪まではしたないんだろう。罪悪感で首を吊ってしまいたくなる。
 いっそ、できることならその小さくて冷たい手に首を絞められたい。浅ましい自分勝手な思考に嫌になる。本当に嫌になる。

 すべてを諦めて、死んだように生きていくのだと思ったのに。

 シヴェラがいると、心が躍るのだ。何気ない会話が楽しくて、ただ手を握るだけなのに嬉しくなってしまう。こんなことで、元の世界に戻って、本家に嫁ぐことができるのだろうか。

「紫璃」

 ぐい、と頬に手を添えられて、いつの間にか俯いていた顔を持ち上げられる。目と鼻の先でザクロがキラキラと輝いていた。

「俺といるのに、そんな死んだ顔しないでよ」
「……しんでないわ」
「死んでるよ。紫璃は全てを諦めてる。生きるのも、あがくのも。だからこうしてこの部屋から出ないんでしょ? ねぇ、花畑に行こうよ」

 有無を言わせぬ声に、頷いていた。どうしてか、シヴェラの言葉を拒否できなかった。



 ふわふわのワンピースが風にあおられる。風が吹くたび、花びらが舞い上がった。

「この城の中で、ここが一番綺麗だと思う」
「そう、ね」

 手を繋ぎ、花畑を歩く。ソフィーにも言わず、勝手に出てきてしまったがいいのだろうか。毎日、にこりともしない自分の世話をかいがいしく焼いてくれるメイドには感謝している。それを言葉にするのも、感情で表現するのも難しいけれど。
 けれど、今は何よりもシヴェラが優先だった。ソフィーよりも、リオン王子よりも、――妹よりも。誰よりも深く深く、紫璃の心に楔を残していたのはシヴェラだった。

「お墓を作ってくれたんだよね」

 今いる場所からは少し離れたところに、黒い小鳥を埋めた小さなお墓がある。どうして、それを知っているのだろうか。悪魔だから、なんでもお見通しなのかな。

「そう。小さな、わたしのお友達だったの」

 瞳が翳る。思い出すのは、ひしゃげた翼と欠けた嘴。

「――ありがとう」
「え?」
「きっと、その小鳥はそう思っているよ。人間にとって、黒とは畏怖の象徴だから、あの小鳥も孤独だったんだ。それを紫璃は手を伸ばして、声をかけてくれた。短い人生だったけど、アレは紫璃に感謝を伝えているよ」

 ほら、と促されて空を見上げる。
 小さな黒い小鳥が、一生懸命羽ばたいて紫璃の元に降りてきた。

「小鳥、さん……!?」
「魔界では、生と死の境目は曖昧なんだ。昨日まで隣で呑気に笑っていた奴がいきなり死んで、ゾンビになってたりするなんてよくあることだよ。まぁ、それは下級生物に限った話だけどね」

 整えられた丸い爪先で小鳥の喉元をくすぐるシヴェラに呆然とする。

「紫璃が、この子によくしてくれるからお礼を言いに来たんだ。お墓を作ってくれたから、魔界に還ってくることができたんだよ。だから、ありがとう。紫璃のおかげだよ」
「しんで、なかった……! よかったぁ……! えあたしのせいでっ、死なしてしまったかと!」

 安堵に涙をこぼして崩れ落ちた紫璃の頭をそっと抱きしめる。ちょうど胸の位置に頭が来て、とくん、とくん、ととてもゆっくり聞こえる音にほっと息を漏らした。

「……いきてる」
「そうだよ。俺も、紫璃も、生きているんだ」
「悪魔も、人間といっしょ?」
「あはは、そんなこと言うのは、きっと君くらいだなぁ」

 幼くて綺麗な少年の姿がぶれて見えた。黒髪の、大人の男の人の姿が重なった。

「俺は、人間なんかに君はもったいないと思うんだ。こんなに綺麗な純黒なのに、人間どもはそれを忌み嫌い。聖女なんてもてはやされてる妹なんかより、ずっと純度の高くて綺麗な魔力が巡ってるのに。――ほら、集中してごらん。君の一番好きなものを思い浮かべてみて?」

 優しい声に導かれるまま、涙の零れる瞳を閉じた紫璃は静かな夜を思い浮かべる。真ん丸のお月さまが爛々と輝いて、濃藍の夜を照らすのだ。
 さぁ、と血の気が引く感覚がして、空気が冷たく肌に触れる。

「わぁ、やっぱり、俺が思ったとおりだ。紫璃は才能の塊だね。最初っからこんなことができてしまうんだもの、思った以上だ」

 楽し気に揺れる声に釣られて、目を開いた。

 夜が、広がっていた。澄み渡った濃藍の空に、白く輝く満月。窓辺から見ていた月よりもずっと大きくて、飲み込まれてしまいそうだ。
 何が起こったのか紫璃には理解できなかった。――でも、シヴェラが満足そうならそれでいっか。

 
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