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第3話 光の聖女の私

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「聖女様、献上の果実でございます」

 村人から差し出された果実の山に、朱莉は眉を下げて、赤い果実をひとつだけ手に取った。

「こんなにたくさん、私だけじゃ食べきれないので、皆さんも食べてください」
「おぉ……! お優しい聖女様……! ありがとうございます!!」

 大げさすぎるくらいの感謝に、小さく頭を下げて護衛の人たちと村を後にする。
 付き添いのリオン王子は、疲れた表情の朱莉に労いの言葉をかけた。

「今日はこれで終わりだ。城へ戻ったらゆっくりしよう」
「……あの、いつお姉ちゃんに会えるんですか?」

 紅茶色の瞳が鈍く輝く。
 この世界に来て一か月。バタバタと一日が過ぎ去っていき、気づけば一か月だ。その間、一度も姉と会うことができていない。
 お姉ちゃん、と口にするたび、この世界の人々は顔を顰めて嫌そうにする。
 教育係の先生が「黒とは忌み色で、それを身にまとう者は闇の者を意味します。穢れた、忌まわしき色なのです」と口にした瞬間、コップに入った水を顔にかけていた。

 お姉ちゃんは私のお姉ちゃんで、私の大好きなお姉ちゃんだ。綺麗で、優しくて、頭の良いお姉ちゃん。なんだかんだ言いながらもお願いを聞いてくれて、私のことをあまり好きじゃないだろうに、結局付き合ってくれるところが好き。

 優しくてお人よしなお姉ちゃんを穢れた者だなんて、許せなかった。許せるはずがなかった。
 頭が沸騰して、力が暴走して、リオンに止められなければ先生を殺してしまうところだった。

 その一件から先生は別なおじいちゃん先生に変わった。ことあるごとにお姉ちゃんを『下げる』発言をする人だったから、優しいおじいちゃん先生に変わって万々歳。お姉ちゃんに会えたらもっと嬉しいのに。

「……実のところ、初日以来私も会えていないんだ。どこかの部屋で保護していると聞いているのだが、父が教えてくれなくて」
「お姉ちゃん、無事なんですよね? 私、お姉ちゃんといられるから聖女としての仕事を引き受けたんですよ。なのに、もう一か月も会えてない! お姉ちゃんに合わせてよ!!」

 瞳に涙が浮かぶ。
 周りの人たちはとても優しくて親切だ。けれど、それは朱莉が『光の聖女』だから。

 時折嫌な視線を向けてくる人もいる。媚びる声で、取り入ろうと、懐柔しようとしてくるのだ。
 考えなしの馬鹿じゃない。悪い人はきちんと見極められる。唯一、信頼できると思ったのはリオンだけだった。真摯な態度で、真面目に本音で向き合ってくれる。
 彼の兄、第一王子はダメだ。欲のこもった目で、舐めまわすように体を見てくる。気持ち悪い変態と一緒だった。

 朱莉は十五歳の女の子だ。家族に甘やかされて、大切に大切に育てられた箱入り娘。
 そこらへんのお家よりもだいぶお金持ちで特殊な家だったけど、お父さんは優しいし、お兄ちゃんはイジワルだけど、お姉ちゃんが優しくしてくれるからそれでよかった。

 あの日、いつも以上に姉は暗い顔をしていた。父と話した後に気落ちしているのはいつものことだったけど、あのまま放っておいたらどこかに消えていなくなってしまいそうで、掴んだ手を離せなかった。――でも、と。手を掴まなければ、姉は巻き込まれなかったんじゃないか。そう思うけれど、姉が一緒で安心する自分もいた。

 黒髪の綺麗な、色白のお姉ちゃん。紫の瞳が光を受けてキラキラと輝くのが好きで、ずっと見つめていたら恥ずかしそうにそっぽを向かれてしまったのが最高に可愛かった。
 お父さんと同じふわふわで明るいミルクティー色の髪が嫌いだった。小学校の時はいつもからかわれていた。お姉ちゃんと同じ、真っすぐでツヤツヤな黒髪が良かった。

 桜に攫われそうなお姉ちゃん。風が吹けば飛んでしまいそうなお姉ちゃん。雨と夜が似合うお姉ちゃん。お姉ちゃんが大好きだった。お人形さんみたいに綺麗なお姉ちゃん。お姉ちゃんが好きだ。ずっと一緒にいたい。美味しいものを一緒に食べて、お買い物に行ってお揃いの物を買って、幸せだねって笑い合いたい。

 ひとりだったら耐えられなかった。姉が一緒だから頑張ろうと思った。それなのに、その姉に会うことができないのだから朱莉の精神は参ってしまっていた。

 力を使うのはとても疲れる。闇の水を清めると、ごっそりと体力が削れて、頭が回らなくなる。
 毎日毎日、溢れる闇の水を清めに各地へ赴いて、頑張っているのに、どうしてお姉ちゃんに会えないんだろう。
 不満が爆発するのも当たり前だった。

「お姉ちゃんに会いたいよぉ……!」

 ボロボロと涙をこぼして泣き出してしまった少女に、リオンは眉を下げた。

 本当なら、紫璃はリオンの保護下に置くはずだった。それを却下したのは父である国王陛下で、いくら異議を唱えようと、絶対君主である父の決定は覆らない。
 闇の者、魔女、と人々は紫璃のことを蔑み、恐れ、嫌悪するが、たった一時間ほど言葉を交わしただけでも、彼女が闇に付き従う者とは考えられなかった。

 理性的に話のできる、とても育ちの良いお嬢さん。そこらへんの、ケバい化粧に派手なドレスを着た貴族のお嬢様方よりもよほど好感を得られた。
 朱莉の話を聞けば余計にそう思う。朱莉の故郷では、黒髪こそスタンダードで、朱莉の髪色のほうが珍しいと聞いた。

 突然異世界に召喚されて、よくわからないままに聖女をこなしてくれている。よく頑張っていると思う。時々感情に走ってしまうが、十五歳と聞けばまだまだ子供だ。感情は豊かなほうがいい。

「……来月の花の祝日に、君の功績を祝うパーティーがある。朱莉には聖女としてそれに参加してもらう」
「……」
「そこに、姉君も連れてくると約束をする」
「――ほんとう?」

 パチ、と瞬いた瞳から雫が零れた。

「私は君に嘘を吐かない。絶対に姉君を連れてくるから、それまで頑張れるか?」
「……ほんとうに、お姉ちゃんに会えるんだよね?」
「あぁ。絶対だ」
「なら、がんばる」

 涙に濡れた声だったが、紅茶色の瞳からはもう涙は溢れていない。前を向いて、強い光を抱いている。

 この国の人々は『黒』に過敏すぎる。過去に、黒髪を持って生まれた少女が魔女狩りと称して火炙りにされた事件がある。まだ七歳にもなっていない、小さな女の子だった。駆けつけたときにはすでに息をしておらず、人々は歓声を上げて祝いの宴をしていた。
 ――狂っている。幼気な少女を村ぐるみで殺しておいて、それを祝う宴だなんて頭がおかしいとしか思えなかった。

 第二王子という立場は非常に弱い。王妃の息子である第一王子と第三王子。しかしリオンは側室の子だった。第二王子でありながら、王位継承権は弟の第三王子よりも低い。
 側室の子だから、と蔑まれることもなく、父は平等に愛してくれる。兄は性格がひん曲がっており、酷い言葉を投げかけてくることもあるが、弟は純粋に慕ってくれている。リオンよりも王位継承権が上なことを気に病んでいる様子だった。
 弟はほかの人々に比べると『黒』に対して負の感情を抱いていない。
 城に戻ったら、まずは弟を味方に引き入れよう。末の王子に一等甘い父なら、弟が言えばきっと許可を出すだろう。そうしたら、次に紫璃の居場所を突き止める。――否、先に部屋を見つけるほうが先だ。もし不当な扱いを受けていたなら、一刻も早く保護をしなければならない。

 基の世界は、戦争のない穏やかで平和な世界だったと聞く。もし紫璃が傷ついていたら、リオンは自分自身を許せないだろう。

 だから、どうか無事でいてくれ――その願いが奇しくも砕けてしまうのはすぐだった。


 
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