悪役令嬢のペットは殿下に囲われ溺愛される

白霧雪。

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花籠の泥人形

13(エドワードside)

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 手のひらからすり抜けていったヴィンセントに、エドワードは愕然とした。どこか、覚悟を決めた顔つきだったから、強引に引き留めることもできなかった。

 アレクシス・ロズリア。愛しい人ヴィンセントの父親を名乗った男だが、パッと見て似ていないと感じた。いつだったか、ヴィンセントが「僕は年々、母に似ていっているそうですよ」と呟いていたが、確かに、父親から受け継いだ要素と言えば瞳の色くらいなものだったのだろう。
 物腰柔らかで、丁寧な所作は貴族らしいとは思ったが、ヴィンセントよりも薄い紫の瞳にはひとかけらの感情もなければ温度も宿っていなかった。まるで絵画でも鑑賞しているかのように、室内を見まわして恭しく口上を述べたロズリア伯爵に、うすら寒いナニかを感じたのも確かだった。

「……公爵、つかぬ事をお聞きしますが、ロズリア伯爵とはいったいどんな人物なので?」

 華美すぎず、落ち着いた内装の食堂だが、ひとつひとつの調度品は洗練された最上級品で、見てわかる者を目で楽しませる。
 レースのテーブルクロスが敷かれたテーブルには豪勢な食事が並び、よく磨かれたグラスに注がれた赤ワインは香りも良く、隣にヴィンセントが座っていたならもっと楽しめただろう。

 ワインを片手に談笑を楽しみ、デザートに差し掛かった頃、ずっと胸につっかえていたことを公爵へ尋ねたが、表情に苦さを滲ませたのを見止めて首を傾げた。

「……エドワード殿下は、ヴィンセント君とだと、ベアトリーチェから聞いております」
「おや、知っておられましたか」
「ヴィンセント君から、ロズリア家について何か聞いていますかな?」

 こくん、と濃厚で甘いかおりのワインで喉を潤す。チーズがあれば、もっと良かった。

 ヴィンセントが教えてくれたのは、母が失われてしまった事件と、気を病んだ父。自分とは比べ物にならないほど天才な腹違いの兄と、その兄の母である意地悪なおばさん。あまり、関わってほしくない、と沈んだ面持ちだった。

「ロレーヌ・ロズリア夫人がお隠れになった際の、だけ」
「……貴方に、ずいぶんと心を許していたのですね。彼女が亡くなってしまったを知っているのなら、十分でしょう。ロズリアの家について語るなら、私ではなく妻のほうがよく知っておりましょう」

 公爵に促され、重たい口を開いた夫人。おのずと、談笑の場は静まり返って、ベアトリーチェもレオナルドも、夫人へと注目していた。



「ロレーヌはとても美しく、可憐で、少女めいた女性でした。
 淑女としての所作やマナーはとても素晴らしいのに、知らないことのほうが多かったのです。例えば、フォークを髪飾りのように結い上げた髪に差してみたり、猫をマフラーのように首に置いてみたり。そう、まるで、大切にしまわれていた人形が意志を持って動き出したのか、妖精の庭フェアリー・ガーデンから攫われてきたのか、はたまた天上界より落ちてきた天使かのように、何も知らない、無知で美しい女性でした。

 ロズリアに嫁いだロレーヌの、世話役と言ってはなんですけれども、ロズリア伯爵直々にお願いをされまして、教師役のようなことを一月ほど行いました。
 何も知らない、無垢で無知なロレーヌは、するするとわたくしが教えたことを吸収して、一月経つ頃にはどこに出しても恥ずかしくない、立派な伯爵夫人となりました。

 ロレーヌは、とても不思議な女性でした。どこから来たのか、どこで伯爵と出会い、恋に落ちたのか。……恋とは、無縁な女性のようにも思いました。
 どこまでも美しく、無垢で、可憐で、純粋で、恋なんて知らない、花と戯れるのが似合う乙女でしたから、わたくしはひっそりと、ロズリア伯爵がどこからか攫ってきた箱入りのご令嬢なのだと思っておりました。

 そうして、一年と経たずに身ごもり、ヴィンセント君を出産してから、彼女は少しだけ変わりました。
 少女めいた女性から、子を持った母親へと、成ったのです。はじめは、わたくしも、旦那様も心配しておりました。産んだ子供を受け入れられないご令嬢もよくいらっしゃいます。ロレーヌ自身が少女のようでしたから、産んだとしても、受け入れられないのではないか、と。
 しかし、その心配も無用でございました。
 ロレーヌは、子に『すべてに打ち勝つヴィンセント』と名付け、それこそ箱に入れるように愛し、可愛がって、大切に育てておりました。

 はたから見ると、とても幸せな家庭でしょう。美しい母と、その母に似た美貌の令息。妻と子を愛する父親。

 ロズリアにおいて、ロレーヌは第二夫人でございます。
 第一夫人と伯爵の間には、幼少より天才と言われる令息がひとりいます。
 ――第一夫人のビアンカは、ロレーヌのことを良く思いませんでした。えぇ、えぇ、ローザクロスに与する淑女たちでの集まりに、わざとロレーヌを呼ばなかったり、いたるところで彼女の不出来さを吹聴したり。
 おそらく、屋敷の中でもロレーヌに強く当たっていたことでしょう。ただ、地に足がついていないようなロレーヌのことですから、強く当たられたとしても、嫌味を言われたとしても首を傾げて終わったに違いありません。
 教師と生徒だった頃、わたくしの叱責すら首を傾げて、テーブルに置かれたクッキーへ手を伸ばすような子だったのですから。

 ……話がズレてしまいましたね。

 南の生まれのビアンカは、とても気の強い女性で、伯爵に自分以外の愛する女性がいることを許せませんでした。

 だから、ロレーヌを殺すことにしたのです」



 静かな語り口が、そこで止まった。

「ころ、した……? ポチの、お母さまは事故で亡くなられたんじゃ」
「表向きの理由よ。まさか、夫人同士の諍いで亡くなったなんて、公言できるわけがないでしょう」

 重たく溜め息を吐き出して、夫人はエドワードをまっすぐに見つめた。凛とした、強い眼差しはいつぞやのベアトリーチェを思い出させる。

「あの子は、わたくしにとっても可愛い子です。ロレーヌにとってもよく似た、可愛い子。ビアンカは、ロレーヌに似たヴィンセントを嫌っています。アレクシスは、ロレーヌに似たヴィンセントに執着しています。殿下、これは、わたくし個人からのお願いでもあるのです。あの子は、ロズリアにいても幸せになれないでしょう。……いいえ、きっとなれない。だから、どうかあの子を愛してくれる貴方がさらってくださいませんか」

 幼く母を亡くしたヴィンセントにとって、もうひとりの伯爵夫人が母替わりとなるはずだった。しかし、ビアンカが拒絶したのだ。ヴィンセントをいないものとして扱い、存在を無視して過ごした。
 母を失った悲しみに暮れる子供の、今にも消えていなくなってしまいそうな儚さを目にした公爵夫人は、気が強いけれど懐に入れてしまえば優しい我が娘の友達にしてはどうかと公爵に提案した。――結果的に娘は綺麗な子供を気に入った。まさか「ポチ」だなんてあだ名をつけるほど気に入るとは思いもせず、大いに戸惑ったが、にいるよりはずっとマシだと夫人は受け入れることにした。

「旦那様は、いずれロズリア伯爵家を廃するつもりで動いています」
「……それは、どうして?」
「ロレーヌを失ったアレクシスの奇行は、とても一領主とは思えない。何のためかわからない課税に、町の女性をさらおうとする狂行。ビアンカには、横領の疑いもかけられています」

 ベアトリーチェは父から聞いていた。そして可愛いペットのポチにも伝えている。わたくしが拾ってあげる、と言ったのに、ポチは首を縦に振らなかった。殿下のために、僕ができることをしたいのだと、言っていた。
 ロズリアの家が無くなったとして、伯爵と第一夫人はこれまでの行いを罪に問われることになる。けれど、ヴィクトルとヴィンセントはそうじゃない。かと言って、貴族でもいられない。市井へと放り出されることになる。
 伯爵が迎えに来たとポチを連れて行ったとき、腸が煮えくり返っていた。飼い主の許可も取らずに、勝手に行動するなんて! おすわりをしていなさいと言ったのに。

「――ロズリアでなくなったヴィンセントを、私が、もらっても?」

 恐ろしいくらいに、静かなエドワード殿下に腹が立つ。内心、飛び跳ねるくらい嬉しいくせに、表面を取り繕って、王族お澄まし顔の王子様に鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
 父が苦笑いを滲ませるが、可愛いペットを取られたわたくしの気持ちは荒れに荒れている。
 どうして、あの時ヴィンセントを引き留めなかったのよ。こういうところ、このご兄弟はそっくりだ! もっと甲斐性を見せなさいよ。胸中でぶつくさと文句を言っていると、何か感じ取ったのか、殿下がこちらを見て、眉を下げた。

「……そのお顔、やめてくださいまし」
「レオと似ているだろう?」

 だから嫌なのよ! どうしてもレオ様の悲しげな表情かおが重なって、強く出られない。

「ふふんっ、俺と兄上はそっくりだからな」

 嗚呼、自慢げに笑うわたくしの獅子の君がバ可愛らしい。普段はとっても凛々しいのに、ふとした表紙にポンなところが出てしまう婚約者がいとおしかった。

「こほんっ。お話の途中でございますけど、エドワード殿下はロズリア家へ行くおつもりなのでしょう?」
「ウン。先触れの文は出しているけれど、返答はいただいていないんだよね」
「…………お父様、アレクおじ様ってここまででしたかしら」

 お断りできないように、エドワード直筆の刻印付きのである。返事をしないのはさすがに馬鹿のすることだ。

「断りの返事が来ていないなら、行ってもいいだろう。……本当であれば、今すぐにでも行きたいところだ」
「兄上、さすがに」
「わかっているよ。領地の視察という建前上、数日は有する。王子としての役割は全うするさ――今は、ね」

 残り少ないワインを飲み干して、席を立つ。

「明日はロサアルバを見て回るんでしたね。少し早いですが、休ませてもらいます」
「……エドワード殿下」
「なんですか、公爵閣下」
「貴方は、王として国の頂点に立つおつもりはあるのですか?」

 第一王子として、次代の国を背負う者として、エドワードへ問いかける公爵の声音には疑問と困惑が滲んでいた。

 さすが、千里を見通す慧眼と名高い宰相閣下だ。
 ゆるりと笑みを深め、レオナルドを見て、ベアトリーチェを見た。

「――それこそ、神のみぞ知る、というやつだろうね」


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