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入学式5

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 幽霊とかお化けとか、非科学的な存在を僕は信じていない。魔法が有って、妖精とかが存在する世界で何を言ってるんだと笑われるかもしれないけど、僕はかたくなに信じないから。別に怖いとかじゃない。怖いわけじゃないさ。
 ノエル先輩の背中にくっついてた、と言うよりも抱きついてた黒髪のお姉さんは半分透けてたけど、足があったから幽霊ではないと言い切れる。足、と言うより尾鰭だったけど。人魚とか、セイレーンの類かな。そういう種族が存在してたはずだけど、それらは存在してるならはっきり見えるはずだし、僕が認識できたのは先輩が振り返った一瞬だけ。

「――ベルサ・ヒュル」
「は、はい……」

 前の列に座っていた女の子が自信なさげに返事をして教壇の前へと向かう。名前を呼んだミセス・エイジャーはにっこりと女の子に微笑み、「前へ」と促した。
 女の子の正面、教壇の上には平たい器に透き通った水が満遍なく入れられており、器を照らすように金の燭台が置かれている。

「手を前に。呪文を唱えるのです。――力よ、汝の姿を示せ、と」

 さあ、と促され、女の子は恐る恐ると言った様子で手を器の上に翳した。

「ち、……力よ……汝の姿を、示せ」

 すると不思議なことに器の水が柔らかな光を灯し、次の瞬間に緑が舞った。
 ひらひらと深緑の葉が少女の周りを踊るように舞っているのだ。

「え、え、えぇ?」
「ベルサ・ヒュル。貴女には緑の魔力と風の魔力が宿っているようですね。緑は博識、風は自由です。どのように才能を伸ばすかは貴女次第。これからの学校生活が豊かなものになることを祈っていますわ」
「……はい!」

 ミセスは器からなかったはずの緑の石を掬い、ヒュルの手のひらに乗せた。ぐるぐるとナニかが渦巻いている気配がする。多分、ヒュルの魔力が具現化した姿だろう。
 手のひらに乗せられた石は一瞬にして霧散し、キラキラと光る粒子はどこかへ飛んでいってしまった。

「あとで講堂の輝石を見に行くといいわ。貴女の名前が刻まれているから」

 笑みを浮かべてトテトテと元いた席に座ったヒュルを視界の横で捉えて深呼吸をする。
 そろそろ、僕の番。

「クリスティアン・オールブライト」
「はい」

 カタン、と席を立ち、教壇に向かう。教室中が注目しているのだと思うと、背中に変な汗をかいた。注目されるのは好きじゃない。人前で発表したり、すごく苦手だ。胃の奥がひっくり返されるような気持悪さを我慢して表情を取り繕う。

「さぁ、クリスティアン。手を前に。後は、わかりますね」

 頷いて、水の張られた器に手を翳す。ひんやりと冷たい空気が立ち上っていた。
 前の新入生たちがやっていたのを見ていたからわかる。手のひらから魔力が器に移っていた。属性を調べるってことは魔力の性質を調べるってことでしょ。
 魔力の操作は得意だ。ほんのちょっと、雫を垂らす容量で器に魔力を落とした。

「力よ、汝の姿を示せ」

 ほんのちょっぴり、雨粒くらいの魔力を垂らすはずだったのに、掃除機に吸われるみたいに指先から体中を巡る魔力が抜けていくのが感じられた。

「えっ」

 驚愕に目を見開き、カクンと膝が折れてその場に崩れ落ちてしまう。
「クリスティアン?」とミセスが駆け寄ってこようとする前に、器の中で揺らめいていた水が爆発した。文字通り、爆発した。
 間欠泉の如く噴き上がった水は僕を頭から呑み込んだ。教室のざわめきが遠くに聞こえる。『黒い水』は僕を包み込んだ。

『おやおやおや、とっても綺麗な子だね』

 それは喋った。

(あな、たは……)

 息をするのも忘れ、美しいそれに魅入る。
 宝石を嵌めた黒曜石の瞳に、深淵の闇を思わせるぬばたまの髪を水中に靡かせて、それは白魚の指先を僕の頬に滑らせた。

『わたしはタナトス。死を司る一柱の神さ』

 ねぇクリスティアン。わたし、貴方のこと気に入っちゃったよ。
 語尾にハートがつきそうな声音に肩を震わせた。言いようのない恐怖に襲われると同時に、全身から残りの魔力も抜けていく感覚に肌が粟立った。
 華奢な腕に抱きしめられる。ひんやりと冷たさが体を包み、生命の源とも言える魔力がほとんど底を尽きた僕は気怠さと急激な眠気に襲われて目を閉じた。

『大事に大事に、わたしが守ってあげようね』

 それの、タナトスの言葉を最後に僕は意識を失った。



 カーテンの隙間から光が差し込む。
 ぱちりと目を開いた僕は眩しさと突き刺すような頭痛に呻き声を上げた。

「……どこだ、ここ」

 消毒液の匂いと、やけに白い室内。ベッドを囲むカーテンを捲ろうと伸ばした手は空を切った。

「起きた?」
「え、あ、」
「驚いたよ。ミセス・エイジャーからクリスが倒れたって聞いて」
「……申し訳ありません。お兄様に迷惑をかけてしまって」

 カーテンを捲ったのはヴィンスお兄様だった。変な位置をさまよっていた手を取られ、頬に手のひらを当てられる。タナトスとは違う、温かい手だ。
「気分は?」と聞かれ、そこで僕が入学式の途中で意識を失ったことを思い出す。魔力が抜けていったのはタナトスの仕業だろう。
 神は存在する。天使も存在する。精霊も、妖精もいるけど人の目には映らない。しかし悪魔は意図的に映ることができる。人を誘惑するためだ。けれど魔法使いの使い魔は誰にでも見える。見える、見えないの境界線は複雑怪奇だ。普通は見えない。使い魔として契約しなければ存在を認知できないから、この学校のようにいろんなところに妖精がいるのにその類いがとても珍しいと勘違いをしてしまうのだと思う。僕の考えだけどね。ちゃんと知っていく必要があるかもしれない。
 けれどどうしてだろう。僕は使い魔の契約をしていないのに、見えないはずの妖精が見えるし、言葉も交わせる。これも転成トリップ特典って奴? それともクリスティアンにはそういう設定があったとか? 設定資料集とか買い集めてたけどそんな裏設定があったとか見たことない。もしくは忘れてるのかもしれない。

「ちょっと頭痛するけど、それ以外は大丈夫、だと思います」
「本当に? 嘘は吐いていないね?」

 お兄様に嘘なんて吐くわけないじゃないですか、と声を張ったら思いのほか響いて恥ずかしかったし、こめかみの後ろあたりに猛烈な痛みがしてベッドに逆戻りだ。

「クリス!?」
「お兄様は心配しすぎですって……。それより、入学式ってどうなったんですか?」
「新入生の名前が刻まれた石を見に行った後、大聖堂で校歌斉唱して今はお昼休みだよ。食堂行けそうかい? 無理なら持ってくるけど」
「行けます!」

 お兄様をパシリに使うなんて僕にはできない。頭痛なんて些末だ。嘘、ほんとは結構つらいけど。たぶん魔力が足りてないんだと思う。タナトスめ……。
 件のタナトスの姿はない。どこに消えたのかは知らないが、僕の中に新しい繋がりが増えたのは確かだ。契約なのか、使役なのかわからないけど繋がった糸の先にいるのはきっとタナトスだろう。
 死を司る一柱の神とか言っていたけど、言うなれば死神でしょ。僕、死神に気に入られたの? なんだかどんどん闇落ち要素が増えていってる気がする。

「本当に大丈夫なんだね? クリスは小さい頃から無理をしがちだから。兄としては、頼ってほしいと思うよ」

 儚く笑うけど、僕はお兄様に頼ってばかりだ。今だってお兄様がいて安心しているし、生まれてからもお兄様がいなかったら気が狂っていた。
 靴を履くのに起き上がったらお兄様に抱きしめられた。嬉しいけど、靴が履けないよお兄様。

「あの、靴、」
「はいはい。まったく、クリスは我儘だねぇ」

 仕方のない子、と言うように跪いたお兄様は僕の足を取って片足ずつ靴を履かせてくれる。焦った。物凄く焦った。お兄様にそんな下男のようなことをさせるなんて!
 軽く取り乱す僕を面白がって笑いながらも靴を履かせるのをやめないお兄様に羞恥がこみ上げてくる。小さい頃は、五歳とかそんくらいのときだったら履かせてもらってたけど、この年になってこれはとても恥ずかしい。時々だけどお兄様はこういうことするから困る。物凄く困る。

「ダメそうだったら言うんだよ?」
「はい、心配してくれてありがとうございます」
「いいさ。ただクリスが無事であってくれればいいんだから」

 大好きなお兄様に手を引かれて医務室を出る。お兄様と手を繋ぐのは好きだけど、学校ではちょっと恥ずかしい。放そうにもお兄様が放してくれない。
 この学校にきてからいろんなモノが見えるようになった。妖精。精霊。どうして家にいるときは見えなかったんだろう。単純に妖精がいなかったんだろうか。それとも才能が開花したとか。
 一番気になっていて、あえて触れなかったことがあるのだけど、ヴィンスお兄様の背中にぶら下がってるのはなんだろう。目線とか合わせないようにしてるけど、ぶら下がってるのがめちゃくちゃ見てくる。睨みを利かされてる。
 ブロンドヘアに、ブルーアイの可愛らしい幼女。ふわふわした白いドレスに、背中から生えてるふさふさの白い羽根。そしてさらに決定的なのが頭の上に浮かんだ輪っか。俗に言う天使の環、だと思う。
 お兄様、それは天使様じゃないんでしょうか。

「……とは聞けないよなぁ」
「ん? 何か言ったかい?」
「食堂楽しみだな、って」

 ノエル先輩の背中にも何かくっついていたし、お兄様の背中にもいるし、まさか僕の背中にも、と思って振り返った。
 振り返らなければよかった。にこにこと美貌に微笑みを浮かべたタナトスがいた。
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