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第三章
《 三 》
しおりを挟むピシ、ピシ、ピシッ。
ぱらぱらぱら。パラパラパラ。
どこからか小さく音が聞こえる。頭の上に、石の破片が落ちてきた。嗚呼、なんだか、新鮮な空気の香りがする。アぁ、生きている人間の匂いがする。
恨めしい。憎らしい。慈悲もなく、救済もなく、このような暗く狭く、汚く臭いところに高潔な我らを押し込めたあの男が憎らしい!
ドンッ、と一際大きな衝撃が走り、一筋の光が差し込んだ。光りを、空気を、空を求め、我先にと体を押しのけ手を伸ばした。
祠の外へ駆けて行った蓮雨の後を追い、花仙が目にしたのは今にも割れそうになっている墓穴の蓋だった。
「花仙、あれ、ちょっと、まずくないですか……?」
「ちょっとどころか、だいぶまずいな」
ドン、ドン、ドン、と地面すら揺れる音に、大岩がぱらぱらと破片を散らす。地面の下から何かが動く気配がして、うめき声が時折聞こえてくる。
荷車の男の話なら、あの岩の下には異境の民の躯が数え切れないほどに投げ込まれていると言う。
邪教道士は、自らの血を媒体にして泥人形や魔獣を操ると言ったが、邪教が邪道・鬼道と呼ばれる所以は、僵屍(硬直したまま腐っていない死体。キョンシー)すらも血で操ろうとするからだ。どんな理由であれ、躯を好き勝手に触れていいわけがない。道徳に反し、正道から外れていると白い目で見られる。
――もし、泥人形の道士が祠に対して呪詛を吐いていたのが、大岩の封印の効果を弱めるためだったとしたら? 事切れたのは、無数の僵屍を操り蘇らせたためだったとしたら?
嫌な予感に悪い考えが次々と思い浮かんでくる。こめかみを冷や汗が伝い、地面の揺れが大きくなっていく。
「ぁ、手だ……」
ボコリ、ぼこり、ぼこ、ボコボコぼこ。
泥の中から、手が生えてくる。泥でできた手ではなく、青白く、不自然な形で硬直した手がいくつも泥の中から生えてくる。ぬかるむ地面に手をついて、無理やり這い出て来ようとしているのだ。より一層、大岩は大きく揺れ、ついに激しく割れて崩れてしまう!
オォ、オオオ、と骨にまで響く低い呻き声の合唱と共に、口を開けた墓穴からぶわりと黒い瘴気と怨念が溢れ出す。悍ましい光景だった。墓穴から手が伸びてくる。がりがり、がりがりと聞こえる音は深い穴をよじ登るために壁を掻いているのだろう。
恨めしい、憎らしい、我らを生き埋めにしたあの男のにおいがする。
違うはずなのに、耳のすぐそばで聞こえたしゃがれた声に全身の毛穴から汗が噴き出した。頭から血の気が引き、指先の感覚が無くなる。
「花仙、どう、どうするんですか」
「お前は俺が守る。俺の後ろから、出ないように」
死者が動き出す、恐ろしい光景を前にして、花仙はあまりにもいつも通りに美しく、柔らかく微笑んだ。
「――そんな甘っちょろいことを言っている暇があるなら貴様は剣を抜きたまえ。花だ雅だ何だと抜かしているから怪我をするんだ」
まるで立ち込める霧を一蹴する雷のような鋭い声だった。凛と背筋が伸びる冷ややかな女性の声にきょとりと目を瞬かせる。声は、頭の上から降ってきた。パッと空を見上げると、怜悧な目元が印象的な美しい女性が剣の上に立って空を飛び、こちらを見下ろしていた。
墨を落とした黒髪をキツく結い上げて、飾り気のない珠簪を一本だけ挿している。化粧っ気もなく、目尻に紅を引いているのみ。低い声だがそれは確かに女性の声で、まさに男装の麗人というのが相応しい。花仙よりも勇ましく、ピンと針金でも入っているかのような立ち姿はまるで武人のようだ。
は、とそこで思い至る。もしや、彼女が私たちを門前払いした武神仙なのでは?
「神仙のひとりであろう貴殿が、傷を負うなどなんと嘆かわしいことか。花を愛でるよりも山籠もりでもしたほうがよいのでは?」
「ははは、久しぶりに顔を合わせたというのに、随分と冷たいことを言うではないか。助けに来てくれたのかい?」
「ハッ。笑止千万。我は娘々から僵屍が大量発生したと知らせを受けただけのこと。――足手まとい故、早々に去ね」
「なるほど。俺たちのことが心配で弟子に様子を見させていたのか。ありがとう、武神仙。助力、感謝するよ」
耳を疑った。武神仙の照れ隠しなのか、花仙が前向き思考なのか。武神仙の宇宙を見たような表情が全てを物語っている。
もはや返事もせず、墓穴の中に飛び込んでいった武神仙に思わず声が出る。
「大丈夫。彼女は武術を極めた武神仙だ。剣術にしろ体術にしろ、そこらへんの、ましてやたかが僵屍の集団に傷一つつけらえるわけがない」
次の瞬間、大地どころか空をも揺るがす雷が墓穴から空へと昇って行った。
「……」
「ほらね。俺たちが彼女の心配をすることこそ烏滸がましいのさ。さぁ、彼女が出て来る前にさっさと行こう。この調子なら、呪符も浄化してくれるだろう」
あまりの規模の違いに言葉を失う。武神仙の苛烈さをこの目に焼き付けさせられた。墓穴の中にいた僵屍たちは塵一つ残さずに焼かれてしまっただろう。
茫然とする蓮雨の手を当たり前のように引いて、泥から突き出された手を踏んで行く。
素直じゃない彼女の性格を考えると、おそらく癒神仙の差し金だろう。彼は全てを見通す千里眼の持ち主だ。順番では、武神仙の次は秀神仙の元へ行くつもりだったが、礼を言うのも兼ねて右腕の治療をしてもらうために先に癒神仙の元を訪れよう。彼なら、門前払いなどせずに快く受け入れてくれる。
――蓮雨の手前、格好つけているが正直なところとても痛い。ジクジクと皮膚が焼かれ、鉄板に押し付けられているような感覚だ。
呪血は邪教道士ならば誰でも持っている道具のひとつだが、もし触れてしまった際の対処がとても面倒なのを花仙は知っているので、早めに癒神仙に診てもらうつもりでいた。まさか、蓮雨があんなにも不安で泣いてしまいそうな顔をするとは思わず、被ってよかったな、と内心で思っていた。
「罰当たりめ。癒師でも秀師でも、一度厳しくしてやればいいのだ」
花仙の打算的な思考を見抜いていた武神仙は、流麗な眉を顰めて鼻を鳴らし、苛立ちを解消するように僵屍を愛剣で真っ二つに叩き斬った。
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