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第二章
《 一 》
しおりを挟む花仙の統べる穏やか世界で過ごすこと七日あまり。てっきり他の神仙や、現地調査などに向かうものと思っていた蓮雨は花仙から「待て」を喰らっていた。
「おかえり、一春」
東屋の欄干に腰かけ、水面に浮かぶ花を眺めていた蓮雨は白魚の指先を伸ばす。りぃん、と響き渡る鈴の音に湖面に波紋が広がった。
伸ばした指先には、透き通る美しい蒼の夢蝶が止まっていた。
「母上の様子を見せておくれ」
蝶と同じ、蒼い瞳を目蓋の裏に隠してしまう。閉ざされる一瞬、蒼が鈍く輝いた。指先に止まった蝶の翅に、口付けを落とす。水華廊の東屋に光が差し込み、蓮雨を照らす。美しい細面は珍しく笑みを描いており、まるで神聖な儀式のようだった。
目蓋の裏に、一春が映してきた思念が流れ出す。
蓮雨は、自身の夢蝶に名前を付けている。一番から四番には季節の名をつけ、それ以降は番号で呼んでいた。
他のきょうだいたちは「見分けなどつくわけない」「アレは父上の気を引きたくて狂ってしまったんだ」と散々馬鹿にしてきた。
夢蝶たちは、こんなにも違うのに。翅の形も、色の濃淡も。違いの分からない彼らこそ、風流の分からない無粋者だ。
短く息を吐いて、思い出したくもない記憶に蓋をする。今は、一春が持ち帰ってくれた映像を見ないと。白黒の映像がぱちぱちと流れていく。声は聞こえない。あくまでも、様子だけだ。もっと蝶たちを操れるようになったなら念思や、口伝などもできるようになるのだろうか。花仙に乞えば、教えてくれるだろうか。
『――っ、――! ――!!』
「……母上」
映像の中の母は、いつも苦しそうだ。打ち拉がれている。愛する一人息子と引き離されて、身も世もなく泣き崩れる日々だ。
お可哀想な母上。来たくもなかった後宮へ大金と引き換えに無理やり召し上げられ、美しい花の宮に押し込まれ、挙句の果てには宝物すら奪われてしまった。食事もまともに取らず、夜は眠れずに気絶をするように意識を失って、蓮雨がいない朝が来ることに絶望する。このままでは、身体を壊して、蓮雨が戻る間もなく儚くなってしまう。どうにか、手だてを考えないといけなかった。
柔い下唇を噛む。ぷつり、と肉を断つ感覚と、鉄臭さが口内に広がった。ぷくりと膨らんだ赤色を親指の腹で拭い、爪先を噛む。右手の親指の爪だけ、がちがちと噛み癖のせいでボロボロだった。閉月公子、と呼ばれた彼には不釣り合いな爪だった。
遠目に、その様子を眺める花仙は、小さく嘆息をした。
「ああしていれば美人なのになぁ。月も恥じらい、花も閉じてしまう美しさ、か。しかし、美しいだけでなく棘もある。ふむ、なんとも、気難しい皇子様だ」
華蝶国の第三皇子・蒼蓮雨。
花神仙に捧げられた供物である。供物のわりには自由気ままで、屋敷内を好き勝手に歩き回っているが、咎めるつもりもないので花仙は好きにさせていた。
いつも眉間に皺が寄っていて、下唇を噛む癖がある。そして噛んだ下唇を親指で撫でる癖がある。柳眉を寄せ合わせると色を纏い、どこかそそられる表情をする。母が大好きで、蒸し菓子が好きで、花茶よりも甘露茶の方が好き。豆類が苦手で、食は細め、寝付きは悪いが、寝起きは良い。そして毎日、同じ時間に夢蝶を操っている。
「……――勿体ないなぁ」
たった七日。されど七日。それで十分だった。観察眼には自信がある。
独学の付け焼き刃で身に着けた仙術。仙門を潜り、基礎からきちんと学ぶことができれば、きっと素晴らしい道士になれる。身に宿る仙気も、そこらへんの道士より洗練され、量も多く質も優れている。霊蝶の夢蝶を自らの式として使役できているのも道士としての才能抜群だ。その上、開花もしている。
「さて、そろそろ見終わったかな」
丁度良い頃合いだろう。
廊をわざと足音を立てて歩く。
パチリ、と蒼が瞬いて、揺蕩っていた蒼は霧散する。
「やぁ。ご機嫌はいかがかな、――小花」
「……その、変なあだ名はやめてくださいといったでしょう」
「いいじゃないか。俺とお前の仲だろう」
「どんな仲です」
「まったく、もう七日も共に生活をしているというのに……俺の小花はつれないなぁ」
(だぁれが、俺の小花だ……!)
ギリギリと握りしめた拳に、元凶の掌が乗せられる。
「さぁ、小花。お出かけの準備をしよう」
「……は?」
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