第三皇子の嫁入り

白霧雪。

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第一章

《 三 》

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 花神仙。

 花を愛で、慈しむ美しい女仙――と、書物には書かれていた。書物に書かれているのは、所詮書き手の妄想だ。存在していない神仙の容姿が、どうしてわかるものか。

 ギィ、と。ゆっくり御輿の担ぎ手が歩みを止める。馬車ならもっと早く着いただろうに、古狸共は古臭い習わしや見た目ばかりを気にする。

蒼蓮雨ツァンリェンユー第三皇子。梦見楼閣に到着いたしました」
「ご丁寧に教えてくれてどうもありがとう。それで、私はいつまでこの窮屈な箱に入れられていなければいけないんだ?」
「四半刻が過ぎますれば、封術は解け、中から扉が開きます」

 あ、そう。それまで閉じ込められていろ、というわけか。呆れて物が言えなかった。

 気だるげに御輿の中で横になったまま、担ぎ手たちが遠ざかっていく足音を聞く。靴音が硬く、少し反響している。なるほど、楼閣内に放置されたのか。

 こんなところに置き去りにされて、一カ月と生き延びる自信なんてなかった。料理や家事なんてできるわけがない。果物の皮を剥いて、お茶を入れるくらいしかできない。そもそも、人の手が入らない楼閣内の生活環境はどうなっているのだ。

 剣はまず、荷の中にないだろう。否、もしかしたら刃物類は全般無いかもしれない。自害して、貴い楼閣を汚されてはかなわないからだ。

 ひとりで生活できないことなんて、わかりきっていることだろうに。よほどさっさと死なせたいんだろう。

 大人しく死んでやるのも癪だ。悪あがきくらいしたって罰は当たらない。

「……。……物は試しに、か」

 ゆっくりと体を起こして、じゃらじゃらと頭の上で音を鳴らす簪を引き抜いた。珠の連なった銀の簪だ。

「……はっ!!」

 簪をきつく握りしめ、硬く閉ざされた扉目掛けて振り下ろす。ガツンッと先が少しだけ突き刺さり、蒼い火花が散った。

 霊力を全身に巡らせ、丹田(体の中心。臍のこと)に力を入れる。



 蓮雨リェンユーは仙門を潜っていないが、母が、意外にも仙術に精通している人だった。ただ知識として知っているだけでなく、気を巡らせて霊力を放出する、秘術を実際に扱うことができたのだ。

 仙門を潜らずとも、母の教えと、独学で付け焼き刃だが身に着けた仙術は蓮雨リェンユーの力となってくれた。

「ぐッ、ぅ、」

 だが、扉に施された術はよほど頑丈で、仙位の高い道士によってかけられたのだろう。扉を爆発させるはずだったのが、術返しによって握りしめてた簪が吹き飛んでしまった。とっさに手を離したが、握りしめていた手のひらは火傷を負い、血が溢れ出ている。痛む手のひらに舌を打ち、どかりと座席に腰を下ろした。不貞腐れてあぐらをかいて頬杖を付く。やるだけ無駄だった。

 残念ながら、緻密な集中力と技術が必要な医術まで扱うなんてことは蓮雨リェンユーにはできなかった。せいぜいできるのは簡単な結界陣を張ることと、対象を爆破させること、あとは舞い踊り見る者を魅了することくらい。

「なぜ、私なんだ」

 不満を口にしても、返事はない。狭い箱の天井を見つめて、シミの数を数えるのにも厭きてを目蓋で覆い隠した。

 ――華蝶国の王族は、淡い髪色に白銀の瞳をしている。蓮雨リェンユー以外、皆そうだった。蓮雨リェンユーだけが、色違いで、仲間はずれだった。

「……考えても、無駄なことか」

 短く息を吐き出して、扉を見た。パキンッ、と甲高い、何かが割れる音がする。まるでガラスが割れるような音だった。

(開くにしては、早すぎないか?)

 訝し気に眉を顰めて扉に手をかけるが、硬く閉ざされている。では、音は箱の外から聞こえてきたということになるが、神仙の住まう楼閣に人は出入りできず、ましてや神仙以外に住んでいる者はいない。

 窓もないので、扉が開くまでは外の様子を知ることはできない。言いようのない不安と恐怖に、背筋がぞわぞわと粟立った。

「なんだ? 誰か、いるのか?」

 声を張って問いかけるが、返事はない。その代わりに――獰猛な獣の鳴き声が聞こえた。しゃがれて、喉を潰されたような鳴き声だ。

「は!? どういうことだ、楼閣内に生物は入れないはずでは、」

 ガタンっ、と箱が大きく揺れる。バッと天井を見上げる。がりがりと爪で掻く音が聞こえた。

 謀られたか、実は楼閣ではなく、獣の住処にでも置き去りにされただろうか――と、邪推して、首を横に振る。ありえない。国の繁栄のために、蓮雨リェンユーは花神仙に婿入りさせられているのだ。獣の餌にしては本末転倒。となれば、花神仙を祀る楼閣の陣が弱まり、獣すら入ってこれるということか。管理が杜撰すぎやしないか。神祇庁の奴らに文句を言ってやる。

 この箱自体にも護りの陣がかけられている。この中にいれば安全だが、それもいつまで持つことやら。

「がっぁぁあッ!!」
「グルァッ! ガアァ!!」
「……一匹じゃ、ないのか」

 一匹、二匹、三匹。把握出来たのはそこまでだが、もっと多くの獣が箱を取り囲んでいる。

 粗雑に舌を打ち、箱の中にサッと目を走らせる。武器になる物はもちろん無い。ならば、と血の滴る手の平に、反対の手指を押し付けた。筆も墨もないなら、血で陣を書くしかない。護りの陣は役に立つから、と母が暗記できるまで何度も教えてくれた。

 自身を囲う円を描き、しゅを書き込んでいく。正式な形で書いている時間はない。こういうとき、護符があれば良かったのだがそれも取り上げられてしまっている。まったく、本当に狐狸妖怪共は碌な事をしない。

 簡略式版の血陣を描き、なんとなし、ふ、と扉に目をやった。キィ、と薄く光が入ってくる。

「なぜ、扉が……! いや、待て……中からは開かないと、いや、そういうことか……!」

 箱に入る前に言われたのは「中からは開けられないようになっています」という一言だけ。つまり、外からはいつでも開けられたのだ。

 どうせなら外からも開けられないようにしておけ、と心の中で悪態をついた。口に出している暇などない。箱の中に突進してきた獣とすれ違う形で外へ転がり飛び出した。箱が吹き飛び、周囲の物を巻き込んでいく。

 到底人には聞かせられぬ皇子らしからぬ悪態を吐いて、硬い床の上を転がった。鋭い爪が頭上から襲いかかる。

!」

 指を揃えて印を組み、邪を祓う。

 至近距離で獣が爆散し、向こう壁まで飛んで行った。爆風に煽られたら蓮雨リェンユーも背中を打ち付け、痛みに激しく咽せ返る。

「げほっ、ごほっゴホッ」

 冷たい床に手を付き、呻きながら体を起こした。嗚呼、三匹どころじゃない。十何匹という群れに、掠れた笑い声が零れてしまった。

 遠巻きに様子を伺い、唸り声を上げる獣からは瘴気が立ち上っている。邪鬼が憑りついているのだ。それもまた、可笑しな話だった。清廉であるはずの楼閣に邪気を纏った獣が現れるなど、凶疫の兆しだとしか思えなかった。

「ふっ、ハハッ――わたしは、私は、こんなところで、死ぬわけにはいかないんだ」

 手のひらの傷を自らの爪先で抉り、ボタボタと流れる血を掬い上げて唇に赤を乗せる。血に濡れた指先で印を組み直し、霊力を一層研ぎ澄ませた。

「――花散る夜、雨匂う月、」
「全く、俺の楼閣で何をしている? せっかくの調度品が台無しじゃないか」

 花の香りに、柔らかな甘い声。

 白の衣が、風も吹いていないのにはためいていた。



 印も、歩も結ばずに術が放たれる。

「そこのお前、大丈夫かい?」

 背を向けていたその人が、こちらを振り向いた。

 光に透ける繊細な髪色に、とろりと甘やかな蜂蜜色の瞳。垂れた目尻に、柔らかく笑みを描いた薄い唇。人ならざるものの美しさに、目を奪われてしまう。

「おや? おーい、大丈夫かい?」
「――っぁ、た、助けていただき、感謝致します」
「うん? あぁ、いいさ。陣が弛んでいたのは俺のせいでもあるからな。それで、お前は? なぜ、此処にいるんだ?」

 見ず知らずの男に「花神仙に婿入りしに来ました」とは言い難い。むしろ、逆に問いたかった。ここに徒人は入れない、はずだ。否、そのその前提はもういろいろと崩れてしまっているが、なぜこの男は平然と、我が物顔で振舞っているのか。

「――いや、待て、言わなくていい。分かった。また、あの悪習だな? はぁ……しばらく無いと思ってたんだがなぁ」

 美しい見目とは裏腹に、粗雑な仕草や口調に人間味を帯びていた。

「あ、の……貴方様は、なぜ、この梦見楼閣に? 此処は、徒人は扉を開けることすら不可能だと、聞いていたのですが。貴方様は、さぞ名のある仙師様なのでございましょうね」

 ぱちり、と蜂蜜色が瞬いた。次いで猫のような笑みを浮かべ、男の指先が蓮雨リェンユーの白い頬を撫で、顎先を強引に掴んだ。

「ふふ、母猫と引き離された子猫のような威嚇だな。よく見るといい。――お前が、供物として捧げられた相手だ」
「は、何、を」
「我が名は花神仙。花と緑と、美しいものが好きな、この楼閣の主だよ」

 神仙が、実在しているなんて聞いてない。いや、待て、それよりも花神仙は――。

「男……!?」

 顎を掴む手を振り払い、飛び退る。

「おや、酷い。お前、俺に捧げられたんだろうが」
「な、な、花神仙は、女仙なんじゃ……!?」

 どの書物を漁っても、花神仙は花の美貌をした女仙であると記されていた。それなのに、男!? 男に婿入りだなんて、意味がわからない。今から帰って、他の皇女と交換してもらうのでは駄目だろうか。……駄目だろうな。他の皇子や皇女たちは後ろ盾がある。後見人たちが許すはずがない。

 首を傾げた花神仙だったがすぐに合点がいって声を弾ませた。

「あぁ、初代のことか」
「初代……? 待て、神仙とは、代替わりするものなのか!?」
「する者もいるし、しない者もいる。初代の花神仙は確かに女仙だ。癒神仙や秀神仙は昔から変わらないが、俺は三代目の花神仙。初代はどっかの山で仙門を開いている。二代目はその手助けをしているんだったかな」

 神仙って、代替わりするんだ。目から鱗とはまさにこのこと。

 無防備な表情を晒す蓮雨リェンユーは、年齢よりも幾分か幼く見えた。

「俺は名乗ったぞ。次はお前の番だ」
「私、は、華蝶国が第二側妃・蒼薔香ツァンショウシャンの息子・第三皇子の蒼蓮雨ツァンリェンユーと、申します」
「何? 華蝶国の皇族は、淡い髪色に、白銀の瞳をしているはずだろう」
「それは、母の遺伝で……」
「王族ならば、その色になるはずだ。そうなるように、当代の神仙たちは創ったはずなのだがな」

 花神仙の言葉に唇を噛み締める。塗りたくった赤は乾き、パリパリと音を立てて剥がれていく。

 皇族は必ずその色彩になるように創ったのなら、どうして私は色変わりなんだ。偉大なる神仙なら、例外なくすべからくそうであるように創れよ。色変わりなんかじゃなければ、母はもっと良い待遇を受けれたはずなのに。

 ぐしゃり、と艶やかな射干玉をかき乱す。

「じゃぁ、それなら、私は誰だって言うんだ……!」

 吠えるような、心の叫びだった。

 ぶわり、と気が昂って、普段は姿を消しているはずの蝶が姿を現す。透ける蒼い翅の美しい蝶が、ふわり、ゆらり、と数匹、蓮雨リェンユーを慰めるために周囲を飛んだ。

夢蝶モンディエは、皇族の周りにしか現れない。その夢蝶モンディエが全てを表しているじゃないか」
「…………」

 カシャン、と髪飾りが落ちる。はらり、夜の帳が広がった。

 皇子と名乗ったが、こうして見ると女人に見える。感情を失ったかんばせは、精巧に作られた人形のように美しい。美しいモノは好きだ。かつて、人であった頃を思い出し、目を眇める。色変わりというだけでこの皇子は苦労をしてきただろう。

「おいで。俺に捧げられたモノならば、俺には面倒を見る義務がある。いつまでも此処にいるわけにもいかないだろう」
「……他の、荷は」
「あとで適当に運ばせる」

 さぁ、と手を差し出される。

 母は、いつも蓮雨リェンユーの手を引きながら歩くのが好きだった。

 無意識に差し出された手に重ねようとして、自身の手が赤く汚れているのに気が付く。血は止まっているが、治療をしなければ痕が残ってしまうだろう。触れる直前で躊躇い、尊い神仙に自分のような者が触れてよいのだろうかと、目線が下を向く。

「怪我をしていたのか」

 だが、花神仙は不浄の血に躊躇せず、怪我をしている方の手首を掴むと、柳眉を寄せ合わせた。

「あの獣に?」
「いえ、……箱に、かけられていた封の陣を一か八か破ろうとして、術返しに……」
「おや、お前は仙術の心得があるのだね。どこの門だ?」
「仙門は潜っていません。母の教えと、独学で……あの、花神仙、手を離してください。血は、汚らわしいでしょう。衣が汚れてしまいますから」
「汚れて怒るほど狭量ではない。せっかくの綺麗な手だ、治してやろう」

 医術とは限られた仙師しか扱うことのできない高度な秘術だ。医術を目の前で拝見することができるのだろうかと、少しだけ心を弾ませた。

「――……ん」
「――ッ!?!?」

 あろうことか、花神仙は傷ついた手のひらに唇を寄せ、赤い舌を差し出した。れろ、と生暖かく柔らかな肉の感触が手のひらを這う。ぞわぞわと、背筋が粟立ち、全身の毛が逆立った。頬に垂れた髪を耳にかける仕草がやけに色を纏っており、顔が熱くなる。

「ッ、花、神仙っ、なにを、おやめくださいッ! そのようなこと、するべきでは……う、ぁッ」

 ぐちゅり、と。舌先が傷口を抉る。自分でやるのと、他人にやられるのでは勝手が違う。痛みに涙が滲み、捕まれた手を引き抜こうとするがビクともしない。上背は確かに花神仙のほうがあるけれど、筋肉隆々と言うよりも華奢で細見な男性だ。どこに、そんな力があるって言うんだ。

 ス、と握られた手首を緩やかに指の腹が撫でる。舌が傷口を、手のひらを舐め、最後に指先に滴る血の筋を唇で吸い上げて行った。

「……ッ、は、……ぁ、」

 唇を離し、掴んでいた手首も開放される。同時に気も抜けて、尻もちをついてしまう。すっかり熱が上がって紅潮してしまった頬は白い肌を色付け、半開きの口の端からは飲みこめなかった唾液が溢れている。官能的で、艶めいた蓮雨リェンユー様子に花神仙は「しまった」と額を抑えた。

 このやり方は、裂けた肉やら皮膚やらを再生させて無理やりつなぎ合わせるもので、その際にとてつもない快感に襲われるんだった。師に、徒人には刺激が強すぎるからやってはいけない、と言われていたのを今さら思い出すが、やってしまってから思い出しては遅い。そもそも、徒人と触れ合うのだって久々だった。

「あ、あー……大丈夫、か?」

 頬を指先で掻き、苦笑いをしながら蓮雨リェンユーの間の前で手を振る。

「――…………ッ、け、」
「け?」
「ケダモノっ!! し、信じ、られない……! 貴方みたいなのが風流を愛する花神仙だなんて……!」

 真っ赤な顔で、瞳を潤ませてそんなことを言われても、正直煽られているとしか思えなかった。これが俺ではなく、美神仙であれば一も二もなく食われていただろうなぁ。

 警戒心が強い子猫。綺麗な黒髪に、蒼い瞳。人並み外れた容姿は、精霊に通ずるものを感じさせた。

「はいはい。すまなかったね。謝るから、許しておくれ」
「せっ、誠意が感じられない! ……けれど怪我を、治してくれたことは感謝、しますが」

 おや、と目を瞬かせる。捻くれ者かと思ったのだが、素直に感謝を述べられる子のようだ。少し素直じゃないが、それくらいのほうが面白くて良い。

 にんまりと笑みを浮かべて、腰が抜けて立てないのだろう蓮雨リェンユーを抱き上げた。

 頭一つと半分ほどの身長差が、一気に縮まって、美の暴力たるかんばせが目と鼻の先に現れる。

「うっ、わ、ぁ!? 今度は、何を」
「だから、いつまでも此処にいるわけにもいかないだろう。上へ行く。しっかり捕まっていなさい」

 ふわりと、桃色の花びらが視界をよぎった。

「え」

 トン、と軽く地面を蹴り、どこからともなく舞い散る花びらに足先を乗せては蹴り、楼閣をどんどん上昇していく。神仙がなせる業だ。

 この人は、本当に花神仙なのかもしれない。花の人みたいだし、使う仙術も徒人とは思えないほどに洗練されている。びゅう、と突如一迅の風が吹き、目を瞑る。甘い、花の香りが鼻先を擽り掠めて行った。

「さぁ、着いた」
「此処、は……?」

 蒼い瞳を瞬かせて、見渡す。

 美しい、桃色の花が咲き誇る宮だ。白を基調としており、赤い屋根に、金の蝶が飾られている。

「俺の暮らしている場所さ。楼閣は、単なる通り道でしかない。お前の部屋もすぐに用意する。それまで、客間にいてくれ」

 さくり、と緑の上に降ろされた。

 ハッとして後ろを振り返る。空を見上げる。どこに、楼閣なんてなかった。空は雲一つない青空が広がっており、緑の香りが、確かに存在しているのだと実感させられる。

「こちらにおいで。客間に案内する」

 背中を向けた花神仙は、少し歩いてから着いてこない蓮雨リェンユーに首を傾げて「どうした?」と尋ねた。

「……なんでも、ありません」

 言葉を飲みこんで、かすかに踏み出した足を無理やり踏み出した。




 
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