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第16話

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 私──アニエスは、ちゃぽんと湯船から手を出して、その両手にすくったお湯がちょろちょろと流れ落ちる様を見つめていた。

 魔法使いジルベールの塔の最上階には、浴室もあった。

 ほかにも台所やリビングなど中流階級の邸宅にある設備はあらかた揃っていて、普通に快適な居住空間となっている。

 ちなみに、浴槽のお湯はジルベールおじさまが魔法で作り出せるので、設備として必要なのは排水機能だけなのだとか。

「ホント、何でもありだよね、あのおじさま……」

 頭の上にタオルを乗せつつ、裸身でお湯につかった私は、ふぅと息をつく。
 湯加減はちょうど良くて、私の体はいい感じにぽかぽかだ。

 私はおじさまから、ここまで疲れただろうからお風呂でも入ってきなよと勧められたのだ。

 特に断る理由もないし、実際にお風呂はありがたい心境だったので、「覗かないでくださいよ」とだけ釘を打って、厚意に甘えることにした。

 私の衣服やマント、鎧や剣などは今、すべて浴室の前の脱衣所にまとめて置かれている。
 少しだけ、落ち着かない。

 おじさまのことはもう敵とは思っていないけれど、でも心のどこか奥底で、ここは敵地なのだという警戒心が拭いきれていない。

 今、武器一つ手にしていないこの状況下で、裸のおじさまが浴室に突然入ってきて迫られたら、私は──

「あぁあああああっ、もう、私のバカ! どうしてそんな変なこと想像するの!」

 私はぶんぶんと首を横に振る。
 頭の上に置いたタオルが、ちゃぽんと湯船に落ちた。

 それを拾って、絞って再び頭の上に乗せると、私はぶくぶくと湯船に沈む。

(……そもそも、武器があろうがなかろうが勝てないし。どうせ私はあの人の手の内だし。……恋って多分、こういうのじゃない)

 私は湯船に顔を半分だけ沈めながら、おじさまの姿を想像する。

 おじさんだけど、顔立ちは整っていると思う。
 もっと身なりをちゃんと整えれば、イケオジで通用するはず。

 中肉中背で、筋肉はあまりついていない。
 褐色の髪と瞳はパッとしない地味さで、普通の服を着てその辺を歩いていたら本当に普通のおじさんだ。

 いつもへらへらしていて、あまり格好いいという気はしない。
 ときどき見せる真剣な表情には、ドキッとさせられることもあるけれど。

 何よりスケベなおっさん丸出しだ。
 あんなの全然格好良くなんてない。

 吊り橋で出会った異性とは、恋に落ちやすいという話を聞いたことがある。
 身の危険によるドキドキ感を、恋心のドキドキ感と混同してしまうんだとか何とか。

 だから多分、私のこの胸のドキドキも、そういう種類の気の迷いなのだ──と、思う。
 命懸けの戦いを挑む敵として出会ったのが、きっといけなかったんだ。

 そもそも恋をするとかしないとか、そういうのと私は無縁だったわけで。

 聖騎士としてこの身と生涯は人々を守るために捧げるつもりだったし、男なんてだいたいろくでもないし、恋愛なんてくだらないと思っていた。

 でもひょっとしたらそれは、盲目的になれる相手に、これまで出会えていなかっただけなのかも──

 そこまで考えて、私はまたぶんぶんと頭を振る。
 またタオルが湯船に落ちた。

 ああもうめんどくさい、放置だ。

「私のこと好きだとか、結婚しようとか、どういうつもりで言ってんのよ……」

 つぶやいてみて、「結婚しよう」じゃなくて「俺と家族にならない?」だったっけ、と頭の中で修正する。
 でもどっちだって、私にとっては大差ない。

 そもそも歳の差がありすぎる。
 お父さんが生きていたら、おじさまと同じぐらいの歳だっただろうか。

 自分のお父さんぐらいの歳の人と結婚とか、さすがにありえない……と思う。
 向こうだって私のこと、子供だと思っているだろう。

「って、じゃあ、子供に欲情しているわけ……? ……あ、ダメ、ホントあり得ない。ロリコンとか死んじゃえ!」

 手で水鉄砲を作って、湯船に浮かんだタオルにビュッとぶつける。

 お湯の射撃を受けたタオルは、空気がぽこんと抜けて、お湯の中にずぶずぶと沈んでいった。
 ざまぁ見ろ。

 ……何をやっているんだろう、私は。

「……全部おじさまが悪い。ぜーんぶおじさまが悪いんだ」

 私はタオルを手に取って湯船から出ると、そのタオルを絞って体を拭き、脱衣所に出る。

 脱衣所にはもう一枚、乾いた大きいタオルが用意してあったので、それでまた体を拭く。

「うぅ、至れり尽くせりすぎるんだよなぁ……」

 私は体を拭き終えると、衣服を着て、鎧や剣やマントはまとめて抱えてリビングに持っていく。
 すると台所にいたおじさまが、ひょこっと顔を出して声をかけてきた。

「あ、風呂上がった? 湯加減大丈夫だった?」

「はい、おじさま。ありがとうございます。とても気持ちよかったです」

「それはよかった。……にしても、湯上りのアニエスちゃんもまた綺麗だね」

 そう言って、おじさまはまた台所に戻っていく。

「……そ、そうですか。ありがとうございます」

 顔が熱くなって、うつむかざるを得ない私である。
 どうしてああ、さらっと「綺麗」とか言ってくるかな……。

 まあ容姿を褒められることは、昔から少なくはない。
 お母さん譲りの美貌だと、よく褒められた。

 でも子供の頃のはともかく、ある程度私が大きくなってからは、男の人が言ってくるそれは下心とワンセットだった。

 おじさまのあれも、ひょっとしたら下心なのかもしれない。
 でもなんだか、嫌じゃない。

 そう考えると、ああ、やっぱり私は──なんて思ってしまうわけで。

 ──それから私は、おじさまが作ってくれた夕食をいただいて、また少しおじさまとお話をして、それから客室の柔らかいベッドで床についた。

 この塔に来るまでの遠征では、たいていが野宿か、あるいは村の住居で床を借りて毛布に包まっての雑魚寝だったから、敵地でこんなにぬくぬくしているのは我ながら意味が分からない。

 ていうか、ここは敵地なんだろうか。
 それとも、私のこれからのお家なんだろうか。

 ひとつ屋根の下での暮らし、なんて言葉を思いついてしまって、ベッドの中で身もだえしてしまったりもして。

 でも翌朝、目覚めたばかりの私が寝ぼけ眼で寝室を出ていくと、朝食を用意していたおじさまがこう言ったのだ。

「じゃあアニエスちゃん、今日からしばらくこの塔を離れるよ。二人で旅をしよう」

「……はい?」

 私は首を傾げた。
 どういうこと?
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