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第8話

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 アニエスは身を低くして、ローパーに向かって疾駆した。

 闘気によって増幅された少女の脚力は、恐るべき速度を生む。
 常人離れしたスピードで、少女騎士はローパーへと駆け寄っていく。

 そこに──ビュッ、ビュッ!
 ローパーの触手が襲い掛かった。

「邪魔っ!」

 ──シュピンッ!

 アニエスが剣を一閃させると、彼女に襲い掛かった触手の数本が一気に断ち切られた。

 少女騎士は怯んだ触手の合間をかい潜り、ローパーの本体へと迫る。
 そして──

「はぁああああああっ!」

 ──ズシャアッ!

 アニエスはローパーの巨体の横を、閃光のように斬り抜けた。

 ローパーの胴体が半ば近くまで大きく断ち切られ、そこから緑色の体液があふれ出す。
 キュォオオオオオッと、ローパーが奇妙な悲鳴をあげた。

「ふん、大したことないわね! さあ、八つ裂きにしてあげ──っとぉ!?」

 アニエスが振り返ってさらなる攻撃を仕掛けようとしたところに、また触手が襲い掛かった。

 今度はアニエスの四方八方、側面から上方からの無差別包囲攻撃。

 アニエスはとっさに後ろに跳んで、襲い掛かる触手の群れをどうにか回避する。

 だがその少女騎士の動きを、数本の触手が角度を変えてすぐさま追った。

「くっ……しつこいのよっ!」

 アニエスは一度ローパーから距離を取ろうと思ったのだろう、後ろに向かって駆ける。

 追いすがってきた触手は剣で斬り払い、あるいは盾で弾こうとする。

 だが、それが失敗だった。

「あっ……そうか、盾っ……!」

 訓練を積み重ねた戦士特有の、癖のような動作だったのだろう。
 そこに盾があるつもりで触手に向けた左腕。

 しかしアニエスの騎士盾ナイトシールドは二階のピンクスライムに溶かされてしまったため、そこにはなかった。

 触手はアニエスの左手首、小手ガントレットを装備したそこにくるんくるんと巻き付き、少女を拘束してしまった。

「くぅっ……! このっ、離しなさい!」

 アニエスはその触手を剣ですぐさま断ち切った。

 だがそれによってわずかに生まれた隙が、命取りとなる。

「くあっ……! や、やめっ……! うぁあああっ……!」

 無数の触手がアニエスに襲い掛かり、両足首に、腰に、首に、両腕にと次々に巻き付いていく。

 少女騎士はそれで、一切の身動きが取れなくなってしまった。

「しまっ……た……! 離し……なさい……!」

 ぎゅうううっと、少女の体を締めつける触手たち。

 全身を無数の触手に拘束されてしまったアニエスは、締め上げられて苦しげに吐息する。
 片目をつぶり、頬を紅潮させ、苦悶に身をよじらせる。

 どうにか右手の剣で攻撃しようとしているようだが、その右腕にも複数の触手が巻き付き、厳重に拘束されてしまっていた。

「くぁっ……あっ……! くる……しい……!」

 アニエスの体を、触手がさらにぎちぎちと締め上げる。
 少女騎士は身をのけぞらせ、苦悶に頬を染めながらも、締めつけ攻撃に耐えていた。

 もはやアニエスに、為すすべはないように思われた。

 それでも聖騎士の少女は、必死に抵抗を続けようとしていた。
 だが──

「うあっ……あっ……うぅっ……」

 ついにがくりとうなだれ、まぶたを閉じてしまう。
 触手に拘束された全身も、ぐったりと力を失っていた。

 アニエスの手から、剣がこぼれ落ちる。
 からんと音を立てて、少女騎士の剣が無様に床に転がった。

 だがその光景を【遠見の水晶球】で見ていた俺はというと──

「んんー?」

 どうにも、その状況変化にわずかな違和感を覚えていた。

 アニエスの戦闘力から推察される闘気量と、そこから導き出される彼女の肉体耐久力を計算に入れると、ちょっとおかしい気がする。

 ローパーの力で全身締めつけ攻撃を行ったとして、あのアニエスがこれだけの短時間で意識を失うだろうか?

 だが実際問題、アニエスは唯一の武器である剣を取り落としている。
 短剣などの補助武器を携帯している様子もない。

 あれが演技だとしても、剣を手放すのは腑に落ちない。
 うぅむ……。

 しかし当然、ローパーはそんな細かいことは考えない。
 四階を守るモンスターは、犠牲者が抵抗力を失ったとみなしたようだ。

 アニエスの両脚をつかんでいた触手が、気を失った様子の少女の体を、宙へと持ち上げる。
 少女騎士の体は逆さ向きの宙吊りにされ、ほかの触手はシュルシュルと離れていった。

 アニエスが目を覚ます様子はない。
 ぐったりと触手に吊るされたまま、その体はローパーの本体のほうへと移動させられていく。

 やがて少女騎士の体は、ローパーの本体の大口の上まで運ばれてしまう。

「──まずいな」

 俺は椅子から立ち上がり、導師の杖ウィザードスタッフを手に取った。

 このままではアニエスがローパーに丸呑みにされ、消化されてしまう。
 そうなる前に救助にいかなければいけない。

 ローパーの消化液はそれほど強力なものではない。
 呑み込まれたからといって、すぐに骨まで溶かされてしまうなんてことはない。

 だがのんびりしていると、アニエスの玉のお肌が爛れるぐらいはあるだろう。
 それは可哀想だ。
 神官たちの使う治癒術も、万能ではないし──

 と、そんなことを考えながら、俺が【短距離瞬間移動ショートテレポート】の魔法を使おうとした、そのときだった。

【遠見の水晶球】の中で、異変が起こった。

 ローパーが逆さ吊りにしたアニエスの両脚から触手をしゅるりと離し、肉筒上部の大口に少女騎士の体を放り込もうとしたときだ。

「──待っていたわ、このときを!」

【通耳の耳飾り】から、アニエスの声が聞えてくる。

 それを聞いた俺は、導師の杖ウィザードスタッフを机に立てかけて、再び席についた。
 そして【遠見の水晶球】をじっくりと覗き込む。

 見ればアニエスは、ローパーの腹の中に落とされる直前に両手でローパーの口の縁をつかみ、そこからくるっとアクロバティックな動きをしてローパーの真横に着地していた。

 おおっ、やっぱりまだ意識は失ってなかったか。
 気を失ったように見えたのは、やはり演技だったな。

 でも武器がない。
 あそこから取りに走るつもりだろうか。

 などと俺が心配をしていると──

「はぁあああああっ──【聖光拳】!」

 ──ゴォオオオオオッ!

 アニエスが腰だめに構えた両の拳から、光があふれ出す。
 お、あれはまさか──

 アニエスは光り輝く両拳で、ローパーの胴体に向かって連打を繰り出した。

「てぇりゃあああああああっ!」

 ローパーはすぐさまアニエスに触手を向けたのだが、それよりもアニエスの拳打が叩き込まれる方が早かった。

 ──ボンッ、ボボンッ、ボボボボボボンッ!

 閃光をまとった衝撃がローパーの胴体に炸裂し、一発一発が肉筒に大きな風穴を開け、その肉体を次々と吹き飛ばしていく。

 いや、確かにローパーの肉体は脆いといえば脆いのだが、それにしたってあれは尋常じゃないぞ。

 そして数秒の後には、あちこち穴ぼこだらけにされたローパーの本体は力を失い、ズシンと地面に倒れていた。

 蠢いていた触手たちも、一斉に動かなくなる。

 拳打を放ち終えたアニエスが、静かに息を吐いた。

「ふぅぅぅっ……。こちとら修道拳士モンクの技だって修めているんだから。丸腰にしたら無力だなんて思わないでよね」

 それは大きな独り言だった。
 うん、気持ちはよく分かる。

 なおローパーを倒すと、四階の入り口と出口をふさいでいたシャッターが上がり、二つの螺旋階段が再び姿を現わした。
 そういう仕掛けになっているのだ。

 しかしそこでアニエスは、がくりと膝をつく。

「はぁっ……はぁっ……まずったな……神聖力、使い切っちゃった……ははっ、どうしよ……体力、もつかな……」

 アニエスはよろりと立ち上がり、自分の剣を拾いに行く。

 そして彼女は剣を拾うと、それを億劫そうに腰の鞘に収め、体を引きずるようにしてよたよたと五階へ続く螺旋階段へと向かう。

 もはや虫の息といった様子だ。
 その姿を見た俺は──

「うーん……」

 少し困ってしまった。

 あそこまでアニエスが弱ってしまうと、根っから悪党でもない俺としては、ちょっとやりづらい。

 なんだろう、分かるかな。
 元気に歯向かってきてくれればノリノリで返り討ちにしてやろうって思えるけど、弱っていると何か気が引けちゃうこの感じ。

 だったら弱らせるなよって言われたらその通りなんだが、正直そこまで考えていなかった。

「だったら──」

 俺は再び物置部屋へと向かった。
 そして、そこにある荷物の中から、一本の薬瓶を持ってくる。

 いわゆる【治癒の霊薬ヒーリングポーション】というやつだ。

 最もありふれた種類のマジックアイテムだが、材料の希少性と製作の手間、それに流通コストまで考えると、一本あたりの流通価格はなんだかんだで一般市民の給料半月分が吹き飛ぶぐらいの値段になる。

 俺はそれを、五階の入り口の扉の向こう側、四階から続く螺旋階段の最上段にちょんと配置した。

「ま、これでいいでしょ。あとは──」

 俺はアニエスを出迎える準備をする。

 私室の椅子を動かして、机を動かして、本棚から比較的どうでもいい本を適当に引っ張り出してきて、床にばら撒いて……。

 ん、これでよし、と。

「さあ──俺を倒しにおいで、聖騎士アニエス」

 俺は来客用のソファーにゆったりと腰かけ、肘置きに両肘を置いて胸の前で手を組むと、横柄に脚を組んだ姿勢で来賓を待ちわびた。
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