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第5話
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天井から大量に降り注いでくるピンク色のスライムを見て、アニエスは一瞬だけ少女らしい恐怖の表情を見せた。
だが次の瞬間には凛とした騎士の顔を取り戻す。
アニエスは左腕の盾を傘にするように、素早く頭上に掲げた。
そこにどどっと、大量のピンクスライムが降り注ぐ。
「ぐぅっ……!」
アニエスが装備している盾は、体の前面に構えれば胴体全部をギリギリ覆い隠せるぐらいの中型の騎士盾だ。
それを頭上に構えて防御すれば、大部分のピンクスライムは盾の上に降り注いで、アニエスの全身をほぼ守り切った。
だが盾の周りから垂れ落ちるスライムは、アニエスのマントの裾や服の袖など細かい部分にわずかに付着すると、それらに次々と虫食いのような穴をあけていく。
しかも盾に降り注いだスライムは大量で、それはあっという間に盾の表面の金属部分を食い破っていった。
このままでは、数秒も持たない──そう判断したのだろう。
「こんのぉおおおおおっ!」
アニエスは盾を腕に固定するための革バンドを力ずくで引き千切ると、ピンクスライムまみれになった愛用の騎士盾を躊躇なく投げ捨てた。
がらん、という音を立てて東の部屋の床に転がったアニエスの盾は、ほどなくしてピンクスライムに溶かし尽くされてしまった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
荒く息をつく聖騎士アニエス。
彼女の体には、いまだ鎧などの細かい部分にわずかな量のピンクスライムが付着し、ゆっくりと鎧の金属などを溶かしていたが、もはや少女はそんなものには怯えなかった。
それでもアニエスが盾で守った外側、少女の立ち位置の周囲の石床にたくさん落っこちていたピンクスライムは、うぞっ、うぞぞっという様子で、ゆっくりと聖騎士少女へと近付いていく。
「アニエス様! ──おのれ、悪の手下のモンスターめ! 食らえぇっ!」
兵士の一人が、床のピンクスライムの一部に向かって剣で切り掛かっていく。
だが──
──ガキィンッ!
「ぐぅっ……!? 手ごたえがない……!?」
兵士が振るった剣の刃は、ピンクスライムをたやすく貫通して、石床を叩いていた。
粘液体なので、剣で斬っても基本的に意味がないのだ。
ついでに言うと──
「なっ……!? 剣が、溶かされるだと……!?」
ピンクスライムは切り掛かった剣にへばりつくと、その刃の部分をじわじわと溶かしていった。
兵士は必死になって剣を空振りしてスライムを振り飛ばそうとするが、なかなか離れず、やがてスライムは剣の一部を溶かし切ってしまう。
「アニエス様! これではこの怪物を倒しようがありません! 攻撃魔法を使える魔法使いでもいないと……!」
「アニエス様、我々はどうすれば! すぐに指示を!」
兵士たちは、木偶の棒のように立ち尽くしてアニエスの指示を仰ぐ。
いい歳をした大人がああも狼狽し、十歳も二十歳も年下の少女に頼りきりというのは、何とも情けない姿だ。
あれじゃアニエスちゃんも大変だろうと思っていると、案の定、聖騎士少女は苛立ったように爪を噛んでいた。
「チッ……! 今考えているから、少し待ってください!」
考え込むアニエス。
舌打ちしてしまうあたり、精神的に余裕がなくなってきているのが分かる。
そんなアニエスに、周囲のピンクスライムどもがゆっくり、ゆっくりと近付いていく。
その動きは、人間の徒歩と比べても遥かに遅いスピードであり、飛び越えて逃げるのは造作もないだろう。
だがアニエスはそれすらせず、思考に集中する。
「部屋の奥の扉まで走って、さっさとここを突破する……? ……いや、違う。扉の向こうに別のモンスターでもいれば、今度こそ厄介なことになる可能性がある。……じゃあ、一度撤退? それがひとまずは順当な──」
そうつぶやきながら、アニエスは元いた部屋──南の部屋のほうへと視線を向けた。
そして少女は、目を真ん丸に見開く。
アニエスの視線の先には、南の部屋の壁にかかっている、松明のように燃え盛る炎を宿した燭台があった。
燭台は取り外しも可能な作りになっている。
アニエスはビシッと、その燭台を指さした。
「それです! その燭台の炎で焼けば、このスライムどもだって!」
アニエスのアイディアを聞いた兵士たちは、「おおおっ!」と感動の声を上げた。
「そ、そうか……! スライムは炎に弱いと聞きますからね! さすがアニエス様、素晴らしい機転です!」
「お世辞はいいですから、すぐに動いてください!」
「はっ、失礼しました! 直ちに取り掛かります!」
兵士の一人がアニエスの指示を受け、壁掛けの燭台を取り外しに向かった。
──はい、正解です。
よくできました。
聖王国の兵隊だからか、部隊に攻撃魔法を使える魔法使いがいないようだったから、優しい俺はあらかじめ対処法を用意しておいてあげたのだ。
あのスライムは動きが非常に鈍いので、落ち着いて対応できる状況なら、燭台の炎程度でも十分に対処できる。
ちなみにあのピンクスライムは、俺が昔、好事家に頼まれて作った試作スライムである。
人体を傷つけることなく衣服や鎧だけを溶かすスライムは作れないか、などというマニアックな要望だったのだが、莫大な報酬と研究費を渡されたので研究開発してみた。
なおあのスライムに媚薬成分を混ぜたタイプも開発しており、そちらも件の好事家に大変好評だったが、今アニエスたちを襲ったのは残念ながらそれではない。
……いや、何が残念なのかなどと問い詰められると非常に困るのだが。
ぼく、わるいまほうつかいじゃないよ?
さておき、アニエスの部下は燭台の炎を使ってピンクスライムを焼いていった。
あのスライムは、火で焼くとすぐに小さくなり消し炭になってしまうタイプなので、大きな手間はない。
東の部屋にあった燭台にも火が移され、手分けして焼かれていった。
無論、アニエスの鎧に付着したものなどは、最優先で焼かれた。
それでも最初に付着してからだいぶ時間がたっていたため、アニエスの鎧は小手や肩当て、胸甲の背面部などいくらかの部分が穴あきになってしまっていた。
ほかにもアニエスの外装は、マントや衣服などもだいぶずたぼろにされており、悲惨な目に遭った感がすごい。
兵士がすべてのスライムを焼き終えた頃には、アニエスはどっと疲れたというように崩れ落ちていた。
「はあ……もうやだこんな塔……。──あのおっさん魔法使い、絶対ぶん殴ってやる! ボコボコにしてやる! ムキィイイイイッ!」
両手でばりばりと頭をかきむしる聖騎士アニエス。
だがやがて、そんな自分の姿を見てぽかーんとする部下たちの目に気付くと、スッと立ち上がり、こほんと咳払いをしてすまし顔になる。
「な、何でもありません。さあ、先に進みましょう」
アニエスは部下の目から逃げるように、慌てて探索を再開した。
……部下の前で弱いところを見せられない子って、大変そうだなぁ。
そんなことを思いながら、アニエスたちの探索再開を確認した俺もまた、三階の準備を始めることにする。
「心が折れちゃっても困るし、そろそろアニエスちゃんにも花を持たせてやらないとな」
俺はつぶやきつつ、再び【短距離瞬間移動】の魔法を使って、五階の私室から三階へと飛んだ。
だが次の瞬間には凛とした騎士の顔を取り戻す。
アニエスは左腕の盾を傘にするように、素早く頭上に掲げた。
そこにどどっと、大量のピンクスライムが降り注ぐ。
「ぐぅっ……!」
アニエスが装備している盾は、体の前面に構えれば胴体全部をギリギリ覆い隠せるぐらいの中型の騎士盾だ。
それを頭上に構えて防御すれば、大部分のピンクスライムは盾の上に降り注いで、アニエスの全身をほぼ守り切った。
だが盾の周りから垂れ落ちるスライムは、アニエスのマントの裾や服の袖など細かい部分にわずかに付着すると、それらに次々と虫食いのような穴をあけていく。
しかも盾に降り注いだスライムは大量で、それはあっという間に盾の表面の金属部分を食い破っていった。
このままでは、数秒も持たない──そう判断したのだろう。
「こんのぉおおおおおっ!」
アニエスは盾を腕に固定するための革バンドを力ずくで引き千切ると、ピンクスライムまみれになった愛用の騎士盾を躊躇なく投げ捨てた。
がらん、という音を立てて東の部屋の床に転がったアニエスの盾は、ほどなくしてピンクスライムに溶かし尽くされてしまった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
荒く息をつく聖騎士アニエス。
彼女の体には、いまだ鎧などの細かい部分にわずかな量のピンクスライムが付着し、ゆっくりと鎧の金属などを溶かしていたが、もはや少女はそんなものには怯えなかった。
それでもアニエスが盾で守った外側、少女の立ち位置の周囲の石床にたくさん落っこちていたピンクスライムは、うぞっ、うぞぞっという様子で、ゆっくりと聖騎士少女へと近付いていく。
「アニエス様! ──おのれ、悪の手下のモンスターめ! 食らえぇっ!」
兵士の一人が、床のピンクスライムの一部に向かって剣で切り掛かっていく。
だが──
──ガキィンッ!
「ぐぅっ……!? 手ごたえがない……!?」
兵士が振るった剣の刃は、ピンクスライムをたやすく貫通して、石床を叩いていた。
粘液体なので、剣で斬っても基本的に意味がないのだ。
ついでに言うと──
「なっ……!? 剣が、溶かされるだと……!?」
ピンクスライムは切り掛かった剣にへばりつくと、その刃の部分をじわじわと溶かしていった。
兵士は必死になって剣を空振りしてスライムを振り飛ばそうとするが、なかなか離れず、やがてスライムは剣の一部を溶かし切ってしまう。
「アニエス様! これではこの怪物を倒しようがありません! 攻撃魔法を使える魔法使いでもいないと……!」
「アニエス様、我々はどうすれば! すぐに指示を!」
兵士たちは、木偶の棒のように立ち尽くしてアニエスの指示を仰ぐ。
いい歳をした大人がああも狼狽し、十歳も二十歳も年下の少女に頼りきりというのは、何とも情けない姿だ。
あれじゃアニエスちゃんも大変だろうと思っていると、案の定、聖騎士少女は苛立ったように爪を噛んでいた。
「チッ……! 今考えているから、少し待ってください!」
考え込むアニエス。
舌打ちしてしまうあたり、精神的に余裕がなくなってきているのが分かる。
そんなアニエスに、周囲のピンクスライムどもがゆっくり、ゆっくりと近付いていく。
その動きは、人間の徒歩と比べても遥かに遅いスピードであり、飛び越えて逃げるのは造作もないだろう。
だがアニエスはそれすらせず、思考に集中する。
「部屋の奥の扉まで走って、さっさとここを突破する……? ……いや、違う。扉の向こうに別のモンスターでもいれば、今度こそ厄介なことになる可能性がある。……じゃあ、一度撤退? それがひとまずは順当な──」
そうつぶやきながら、アニエスは元いた部屋──南の部屋のほうへと視線を向けた。
そして少女は、目を真ん丸に見開く。
アニエスの視線の先には、南の部屋の壁にかかっている、松明のように燃え盛る炎を宿した燭台があった。
燭台は取り外しも可能な作りになっている。
アニエスはビシッと、その燭台を指さした。
「それです! その燭台の炎で焼けば、このスライムどもだって!」
アニエスのアイディアを聞いた兵士たちは、「おおおっ!」と感動の声を上げた。
「そ、そうか……! スライムは炎に弱いと聞きますからね! さすがアニエス様、素晴らしい機転です!」
「お世辞はいいですから、すぐに動いてください!」
「はっ、失礼しました! 直ちに取り掛かります!」
兵士の一人がアニエスの指示を受け、壁掛けの燭台を取り外しに向かった。
──はい、正解です。
よくできました。
聖王国の兵隊だからか、部隊に攻撃魔法を使える魔法使いがいないようだったから、優しい俺はあらかじめ対処法を用意しておいてあげたのだ。
あのスライムは動きが非常に鈍いので、落ち着いて対応できる状況なら、燭台の炎程度でも十分に対処できる。
ちなみにあのピンクスライムは、俺が昔、好事家に頼まれて作った試作スライムである。
人体を傷つけることなく衣服や鎧だけを溶かすスライムは作れないか、などというマニアックな要望だったのだが、莫大な報酬と研究費を渡されたので研究開発してみた。
なおあのスライムに媚薬成分を混ぜたタイプも開発しており、そちらも件の好事家に大変好評だったが、今アニエスたちを襲ったのは残念ながらそれではない。
……いや、何が残念なのかなどと問い詰められると非常に困るのだが。
ぼく、わるいまほうつかいじゃないよ?
さておき、アニエスの部下は燭台の炎を使ってピンクスライムを焼いていった。
あのスライムは、火で焼くとすぐに小さくなり消し炭になってしまうタイプなので、大きな手間はない。
東の部屋にあった燭台にも火が移され、手分けして焼かれていった。
無論、アニエスの鎧に付着したものなどは、最優先で焼かれた。
それでも最初に付着してからだいぶ時間がたっていたため、アニエスの鎧は小手や肩当て、胸甲の背面部などいくらかの部分が穴あきになってしまっていた。
ほかにもアニエスの外装は、マントや衣服などもだいぶずたぼろにされており、悲惨な目に遭った感がすごい。
兵士がすべてのスライムを焼き終えた頃には、アニエスはどっと疲れたというように崩れ落ちていた。
「はあ……もうやだこんな塔……。──あのおっさん魔法使い、絶対ぶん殴ってやる! ボコボコにしてやる! ムキィイイイイッ!」
両手でばりばりと頭をかきむしる聖騎士アニエス。
だがやがて、そんな自分の姿を見てぽかーんとする部下たちの目に気付くと、スッと立ち上がり、こほんと咳払いをしてすまし顔になる。
「な、何でもありません。さあ、先に進みましょう」
アニエスは部下の目から逃げるように、慌てて探索を再開した。
……部下の前で弱いところを見せられない子って、大変そうだなぁ。
そんなことを思いながら、アニエスたちの探索再開を確認した俺もまた、三階の準備を始めることにする。
「心が折れちゃっても困るし、そろそろアニエスちゃんにも花を持たせてやらないとな」
俺はつぶやきつつ、再び【短距離瞬間移動】の魔法を使って、五階の私室から三階へと飛んだ。
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