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第16章 摩天楼の聖女
第294話 思惑と疑惑
しおりを挟むミナトが部屋で仲間たちに『報告』を行っていたその頃。
聖都『シャルクレム』の郊外にある、とある廃屋の中。
『聖都』などという大層な呼び名に反して、ここには他の大都市と同じように、いやそれよりも大きな貧民街……いわゆる『スラム』がある。
そこには、特に詳細に説明の必要もないだろうが……そういう場所にいかにも住んでいるであろう者達が、それに見合った生活をしている。貧しい中で必死に、と言えばいくらか聞こえはいいし悲壮感すら漂うが……生きるためならばおよそ何でも、それこそ、盗みでも殺人でもためらいなくやってのける者達が。
そんな連中が跋扈するその一角に、今、1人の住人が返ってきた。
見すぼらしい身なりの、長い黒髪を後ろで束ねてまとめた女性だった。年若く、まだ20にもなっていないのではないか、という風体に見える。
時刻はすでに夜遅く、彼女のような若い女性にとっては、色々な理由で決して安全とは言えない場所だ。しかし、そんな中を……上手く隠れて来たのか、はたまた他の方法でどうにかしたのか、彼女は無事に家にたどり着いていた。
そして、その家には……先客がいた。
もっとも、彼女はその者を、さらにはここにいることも知っていたようで、驚いた様子も警戒する気配もなかった。
その『先客』は……見てくれこそボロボロの外套を身にまとってはいるものの、よくよく見れば、その下に見え隠れする衣服や装備はかなり上等な品であり、ここのようなスラムに暮らす者でないことは一目瞭然だった。
それとは逆に、帰ってきた少女は、服も何もかも、上から下まで見すぼらしい身なりだが……その手に持っている、同じく見すぼらしい鞄の、その中身だけは違った。
息を切らしているままに、少女は部屋の隅に置いてある机の上に、その中身を乱暴に出す。
それは……ほんの数十分前に行われた戦闘によって、傷ついたり焼けこげたりした、『女義賊』の装束だった。それを目にして、先にいた『先客』の顔色が変わる。
「……何があった? お前が、そこまでやられるなど……」
「邪魔が、入った……。すまない、例の金は、その時に落として……拾っている、暇が……」
「いや、いい、しゃべるな! わかった、今日はもう休め……」
よく見れば、少女の体にはいくつも戦闘の痕跡がある。程度は軽いが、やけどの痕や……無意識にかばっているのか、打撲か何かと思しきものも。さほど深刻でもなく、休んでいれば快方に向かう程度のものに見えるが……それを目の当たりにしたもう1人は、ごくり、と喉を鳴らした。
少女は、言われるままに部屋の中の椅子の1つに腰を下ろし……ふぅ、と息をついた。
「……すまん、せっかくお前がお膳立てしてくれた計画に、けちがついた」
「気にするな、目的は達成している……金は残念だが、必要経費だったと割り切ろう。それよりも……お前をそこまで追い込むとは、一体どんな奴と戦ったのだ?」
「……お前が教えてくれた式典出席者の中に、心当たりがある。恐らく……例の『災王』だ」
「っ……SSランクの冒険者……! よりにもよって……顔は見られたか?」
「いや、仮面はつけていたから大丈夫だろう。ただ……」
「ただ?」
「……勝てる相手じゃない。そう確信できるほどの実力差だった」
その言葉に、立って話を聞いている女性は驚きを隠しきれない様子だったが……それを、深呼吸して無理やり落ち着かせると、
「……わかった。なら、極力『災王』との戦いは避けて通れるように調整しよう。……だが、『本番』の日程はずらせないぞ、それは……大丈夫か?」
「問題ない、それまでには治すさ……ただ、しばらく義賊は休業だ」
窓から差し込む月明りだけが光源の部屋の中で、2人の女は終始小声で、その後しばらく何事か話していた。数分後、話を終えてその場を解散し……先に部屋にいた、身なりのいい女性が出ていく、その時まで。
その去り際に2人は、あらためて確認するように、
「……わかっているな。もう後戻りはできないし、迷っている暇も……ない」
「ああ……必ず成功させよう。『聖女・アエルイルシャリウス』の……抹殺を」
☆☆☆
『アガト』。
この名前は、エルクが言った通り……アドリアナ母さんに聞いた、僕の生き別れの兄の名だ。それも……キャドリーユ家じゃなく、僕が『最初に』生まれた時の兄弟だ。
まあ、接点とか全然なかったわけだし、生まれた家と同じで、今更そんなもん持って来られても、っていう思いはあるものの……同時に、何も思わないわけでもなく。
今生きてるのかな、どんな奴かな……とか、思ったりもしてた。
けど、僕同様、クーデターの騒乱の中にいたわけだし、死んでるかもな、とも思ってた。
つまり、そこまで気にしてはないなかったのだ。
そこに出て来た、今回の『アガト』……さて、どう見るべきか。
「……本物なの?」
と、エルク。うん、聞くよねそりゃ。真っ先に聞く、っていうか、思うよね。
「単純に、名前が同じとかじゃなくて? あんたの……ホントに、本物の兄だったの?」
「いや、実のところ……そう明言はしてなかった。ただ、そう思わせるようなことはいくつか言ってただけで」
「え? それ、怪しくない?」
と、今度はシェリー。
「思わせぶりにしとくって……ひょっとして、こっちの動揺を誘ってるとかじゃない? 生き別れのお兄さんが生きてて、しかも敵になってるっていうこのシチュエーションで、ミナト君に敵対する意思を鈍らせるとか……あわよくば、取り込もうとしてるとか。会議で勧誘されたんでしょ?」
「もし仮に後からまずい事態になったとしても、明言していなければ、すっとぼけることも可能……ということか? ありえなくはないな」
続けてシェーンも言うが……そこに待ったをかける声が。
隣に座っていたミュウである。
「でも、その推理はちょっと無理があると思いますよー? 目的ががミナトさんを惑わすこと、あるいはミナトさんを勧誘することのいずれにしても……正直、お粗末すぎる気がします」
「そうですね……作戦としては完全に破たんしていると言ってもいいレベルです」
と、ナナもそれに続けて言う。さらにはネリドラも、ちょっと考えて、
「……ミナトを勧誘したいなら、この……『アガト』がとった行動は不自然。敵対心を煽るばかりになってメリットがない。勧誘する気なら、もっと別な……友好的ないし、少なくとも敵対しないようなものにするはず。完全に逆効果だと思う。それに、騙して動揺を誘うのはもっと不自然……そもそも、ミナトに双子の兄がいたっていう事実を知っているのは、仲間だけのはず」
「「「あ」」」
そのネリドラの一言に、全員が気づく。
そう、僕に『アガトという名の双子の兄』がいた、という事実を知っているのは、僕がそれを告げたあの時に一緒にいた、『邪香猫』メンバー&スタッフ、そして『女楼蜘蛛』の一部だけだ。
その僕は、アドリアナ母さんから聞いた。
その他に知ってる者といえば……まあ、僕の出生当時に立ち会ったりして知っていた関係者とかなら知ってるかもしれないけど。しかし、そもそもその当時の身分……『ベイオリア王国』の王子っていうそれと、今の僕を結びつけること自体、ほぼ不可能だろう。
僕……SSランク冒険者『災王』ミナトの正体が、旧ベイオリアの元・王子で、
死産になったと言われているけど生きていた王子で、しかもそこに双子の兄弟がいた。
こんな、十何年前のことな上に、その途中を結びつけるような資料も何も一切ないであろう情報を……どうやって入手できるっていうんだか。
まあ、それでも探し当てたのかもしれない……と思えてしまうのが、あの『ダモクレス』の怖いところでもあるんだが。
そして、それとは別にネリドラが言っていたように……仮に連中がこの事実に行き着いたとしても、ほかならぬ僕がその事実を知っているとは限らない。自分に双子の兄弟がいたなんて。
もし知らなかったら、それこそこっちをかき乱すための罠だと思われて『何言ってんのこいつ』的に言われて終わりだろうし……いやでも、『アガト』って名前に反応しちゃったのは僕からだっけ? あー、ちょっと失敗したかな?
しかし何にせよ……僕は結論から言えば、あの『アガト』は……
「……実はさ……」
☆☆☆
一方その頃、また別な場所で。
そのあたりの露店か何かで買ってきたらしい、サンドイッチのようなものをガツガツと乱暴にむさぼりながら、アガトはいらだちを募らせていた。
その様子を、呆れた様子で見ているウェスカーだが、特に声をかけようとはしない。
既に『総裁』に会い、今回はお咎めなしだと言われている以上、ウェスカーから言うことはない。ないのだが……ああも空気を悪くしていられると、無視しているのも難しい、という状態だ。
代わりにそこに……彼よりもだいぶ軽薄な男から声がかかった。
「カリカリしてんねえ、アガト……弟ちゃんとの感動の再会がそんなに嬉しかったの?」
「……口を閉じろ、このヘラヘラ野郎、殺すぞ」
「おー、怖っ。やれやれ……未だに信じらんないね、コレとミナト君が兄弟? 全然似てないじゃん……そりゃ、髪色や目の色は同じだし、2人とも童顔だけどさ」
「はっ! いっそテメェの言う通り、他人であってくれれば嬉しかったんだがな! 似てないのは逆に、俺の方がホッとしてるぜ……まあ、育った環境の差だろうよ。いい子いい子で平和に育ってきた軟弱野郎とは違うんだよ!」
「……この感じでミナト君にも突っかかってったのか。ミナト君、可哀そうに……初対面の、こんなチンピラに絡まれて戸惑っただろうに」
今度はとうとうバスクも呆れた視線を向ける。
その先で、何個目かのサンドイッチに手を伸ばしながら、アガトは先程まで目の前にいた……実に充実した、平和な日常を謳歌していそうな、自分と同じ黒髪黒目の少年を思い出し……一層苛立ちを募らせていた。
その様子を、バスクと同じく呆れた様子で、
しかし……その口元には、いつもの『何か企んでいそうな笑み』を浮かべた状態で……ウェスカーもまた、見つめていた。
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