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12巻
12-2
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☆☆☆
話は少しだけ遡る。
王子様に関する話を終えた後、フレデリカ姉さんから聞き捨てならないことを告げられた。
フレデリカ姉さんは母さんが依頼した一件の情報収集に加えて、もう一つの事件の目撃者の捜索も行っていたようだ。
王子様陣営でも僕ら『邪香猫』でもない、あの場にいた第三者……そう、『ディアボロス亜種』に『ゼット』と名付けた、あの金髪の女の子である。
母さんから伝えられていた情報――女の子の身なりや特徴をもとに検討して、恐らくはスラム街に住んでいる孤児か何かだろうと当たりをつけ、フレデリカ姉さんが部下に命じて捜索を行っていたとのこと。
その少女の情報だけは、わりと簡単に集まったようだった。
女の子の名前は『エータ』。苗字は不明。
スラム街の一角にある廃屋に住んでいる孤児らしい。日雇いの仕事で僅かばかりの生活費を稼いで、周辺の住民から必要なものを買ったり食料を分けてもらったりして暮らしていたんだそうな。
陰鬱な雰囲気が漂うスラム街では珍しく快活な性格のエータちゃんは、一生懸命働いて、一日一日を生きていたらしい。
なのでスラム街ではわりと沢山の人に知られていて、毎朝、日雇いの仕事に出かける彼女の姿を見ていた人も多かったみたい。
そんな普通の女の子だが、事件を目撃している以上、放っておくとどんな危険が及ぶかわからない。
さらに強力な魔物である『ディアボロス』、それも『亜種』と何らかの繋がりがある可能性が高い訳だから、フレデリカ姉さんは見つけ次第保護するように部下さん達に命じていたという。もちろん、手荒なことはせず、丁重に扱うことと厳命して。
だが……見つからないんだってさ、そのエータちゃん。
スラム街の住人によれば、エータちゃんはほんの数日前から、突如としてスラム街から消え失せてしまったらしい。そのことが気になっている住人達も多かったようだけど、どうしていなくなったのか、どこに行ったのかという具体的な情報を持っている人はいなかった。
養子にもらわれていったとか人攫いにあった、あるいは奴隷商人に捕まったみたいな噂だけが飛び交っている状態。
結局、今に至るまでエータちゃんは見つかっていないらしく、あと数日探して見つからなければ諦めるという方針だそうだ。
それをフレデリカ姉さんから聞いて、ふとコイツ――『ディアボロス亜種』にエータちゃんのことを聞けないかなと思って、ダメ元でここに来てみた。
もっとも話を聞く以前に、コイツが見つかるかどうかも怪しかった訳なんだけど……思っていた以上にあっさりと見つけられて今に至る。
で、エータちゃんのことを尋ねてみたんだけど……ダメっぽいな、やっぱ。
こっちの言葉は通じているとは思うんだけど……いかんせん、僕がコイツの言葉を理解できない。ジェスチャーでもしてくれればなんとかなるかもしれないが、それ以外に、僕には『ディアボロス亜種』と意思疎通するための術がない。
首を縦横に振るみたいな、『はい』とか『いいえ』の簡単な動きなら期待できるかな? とも考えたんだけど、無理みたいだ。
エータちゃんがゼットと名付けた、この『ディアボロス亜種』は、唸り声を上げて僕を睨んでくるばかり。襲いかかってくる気配はないけど、協調するような態度でもない。
……まあ、いいか。
さっきも言ったようにダメ元だった訳だし。
別にそこまで期待はしてなかったから……そもそも、相手は知能が高いとはいえ魔物。
マンガやアニメじゃないんだから、意思疎通もろくにできない相手から情報を得られる訳がない。
こいつがエータちゃんの行方を知ってるのかどうかすらも、わからないしね。
それに……徐々に警戒されてきているみたいだ。
これは攻撃される前にさっさと帰ったほうがいいかも、と考え始めた瞬間。
視界の端に、湯気のような変わった形の魔力光が発生したかと思うと、そこの空間がぐにゃりと歪み……一瞬の後、一人の男が現れた。
もう……これでもかってくらいに、見覚えのある男――何度も拳を交えたケルビム族の青年、ウェスカー。
その男を肉眼で確認した瞬間の僕の表情は、これ以上なく、うんざりって感じだったと思う。
「……何なの、最近のこの超展開が起こる確率の高さは?」
「出会い頭に露骨なまでの嫌悪の意思表示。どうもありがとうございます。しかし……相変わらず独特な交友関係? を築かれているようですね?」
僕とゼットを交互に見てから、いつもの調子でウェスカーが軽口をたたく。
一方のゼットはウェスカーを見ると、一瞬で警戒レベルを最大まで上げていた。
野性の本能で、こいつのタチの悪さを悟ったんだろうか。
「何か用? 僕を暗殺でもしに来た?」
「まさか。違いますよ、ちょっとしたお使いです。さて、いかにもさっさと帰って欲しそうなお顔ですので、早速用事を済ませるとしましょうか……どうぞ、これを」
言うなり、ウェスカーはひゅっと僕の方に何かを投げてくる。
放物線を描いて飛んできたそれをキャッチし、掌に載せて見る。
……ただの、金貨?
何の変哲もない、どこにでもあるただの金貨だ。銀貨の百倍、銅貨の万倍の価値があり、日本円にしておよそ百万円相当になる……Sランクである僕が受注するクエストの報酬としてはさほど珍しくもない、ただの金貨――という認識は、三秒後に消失した。
どうしてと聞かれれば、なんとなく、という答えを返す以外にない。
目で見て、手で触れて、何もなかったので何となく匂いを嗅いでみた。それだけ。
……金属の匂いに混じって僕の鼻腔に流れ込んできたのは、二つの覚えのある匂い。
爬虫類の匂いと混じり合ったエータちゃんのもの、そして忘れようにも間違えようもない僕の母のもの。
結果、わざわざ考えるまでもなく、この金貨の意味を理解させられてしまった。
母さんがエータちゃんに、僕の居場所を教えてもらったお礼として渡した金貨だろう。
その話を聞いた時は、なんつうもんをポンとやってんだって呆れたけど。
「……さっさと帰って欲しいのは今も変わらないんだけど、その前に聞かせてくれる? お前さ、何でコレ持ってんの?」
僕はウェスカーにそう言いつつ金貨をゼットの方に突き出して、その匂いを嗅がせる。
コイツがどのくらい匂いというものに敏感なのかは知らんが、ひと嗅ぎでエータちゃんの匂いだとわかったようだった。
次の瞬間、ゼットのウェスカーに向ける敵意と警戒が段違いに増した。
よし、煽り成功。
味方が増えたな。敵の敵的な意味だけど。
「ご心配なく、彼女に何かした訳ではありませんから。順を追って簡潔に説明させていただきますと……とある理由から、先日、我々の組織で彼女を保護しました」
「保護? 拉致じゃなくて?」
「いえ、誓ってそのようなことはしておりません。彼女は彼女の意思で、我々のもとへ身を寄せました。その際、騙したり、脅迫したりといったことも一切していませんし、これから彼女に何らかの害になるようなことをするつもりも一切ありません」
「……それを信じろっての?」
「……そうですね。証明する方法はありません。詳しくは言えませんが、彼女は今、外に出られない状態ですし……手紙を持ってきても信じないでしょう?」
そりゃまあ、いくら直筆の手紙だと言われても、筆跡なんてものは真似されちゃうからね。
「てか、そもそも僕、彼女の字を知らないし」
「そのエータ嬢から頼まれたのですよ。こんな大金は受け取れないから、返しておいてほしい、とね……お母様に渡しておいていただけませんか?」
「……よくわかったね? コレを彼女にあげたのが、僕の母さんだって」
「人の記憶を読めるのは夢魔だけではないと言っておきましょう」
「あっそ」
一応、この金貨は帯に収納しておいた。
それを見届けてから、ウェスカーは踵を返して、僕とゼットに背を向ける。
その佇まいに、隙は一切なかった。
「用事も済みましたし、これで失礼します……これ以上ここにいると、そちらの『ゼット』殿に噛み付かれてしまいそうだ。怪我していたところを手当てして仲良くなったと聞きましたが……予想以上に大切に思っているようですね、彼女を」
へー、そんな感じの出会い方だったのか、コイツとあの子。まるでマンガのテンプレみたいだ。
「……さっき、お前が言っていたことの確認みたいになるんだけど、本当にあの子、納得してお前らについていったの? コイツと離れるのも覚悟して?」
「ええ。事情が事情ですからね……その点において、少々彼女を説得させていただきましたが……おっと、今しがた言ったように、後ろ暗い意味では決してありませんよ?」
「でも、その辺は説明してくれないんでしょ?」
「ええ、申し訳ありませんが。ただ……」
「ただ?」
「……遠からず知ることにはなりますよ。もうすぐ……大きく世界が動く。そうなれば、また私はあなたと相見えることになるでしょう……願わくばその時、敵として出会うことのありませんように……」
何だか芝居がかった感じのセリフを言い残して、ウェスカーはこの場を去った。
転移を使って気配ごと一瞬で消え去った跡を最後まで鋭い目で睨んでいたゼットは、少しだけその警戒を和らげた。
ウェスカーが消える寸前、ゼットから殺気っぽいのまで漏れ出てたなー……それでも襲いかからなかったのは、それなりに言っていることを理解していたからだろうか。
納得しているかどうかは、微妙だけど。
一応、この場に限ってはウェスカーの言っていたことを信じるしかないか……疑ってかかったところで、今の僕には何もできないし。
せいぜいフレデリカ姉さんにこの件を説明する時に、ウェスカーの言うことを全部鵜呑みにはしない方がいいって注意するくらいかな……いや、それも必要ないか。
釈迦に説法、余計なお世話だろう。
そうなると、もうマジでやることなくなったんだけど……。
「……お前、これからどうするの? あの子はもうここにいないし、来ないだろうし……見たところ、怪我もとっくに治ってるっぽいけど」
エータちゃんがコイツと出会った時に手当てをしてやった怪我とやらが、どんなもんだったのかは知らないけど、Sランクの『ディアボロス原種』を苦もなく倒していたくらいだから、もう完治してるんだろう。
ゼットは僕の質問を受けて、僅かの間を置いて考え込むように虚空を睨んだかと思うと……唐突に跳躍し、近くの岩場の高い位置にシュタッと着地した。
そして、体を丸めて背中に力を込めるような動作をしたかと思うと、肩甲骨のあたりの鱗が、剥がれるように盛り上がった。
次の瞬間、飛行型の龍が備えているのと同じような骨と皮、そして鱗によって形作られた翼がバサッと拡がった。翼の飛膜は……琥珀色、角や爪と同じ色だ。
あまりのことに唖然としている僕を一瞥すると、ゼットは大きく羽ばたいて空に飛び上がった。
そして魔力を流したらしく、飛膜が琥珀色に強く光った直後……凄まじい速さで空の彼方へと飛び去って行った。
……ついに空まで飛べるようになったのか、あんにゃろ。
「……帰ろっか、アルバ」
ピーッと耳元で鳴いたアルバの声は、何となく疲れているようにも感じられた。
それにしても今回は……王子様の一件といい、エータちゃんの行方といい……何だかすっきりしない結末になっちゃったもんだな……何というか、不完全燃焼だ。
ま、気にしてもどうしようもないんだろうけどさ、どっちも。
第二話 最強親子の一日 朝のトレーニング
ジャスニア王国の第五王子様ことエルビスから受けた魔物討伐の依頼に始まり、最後には幻の海底都市の探検に行くこととなった今回の一件。
フレデリカ姉さんの協力もあり、一応の収束を見せたその翌朝。
僕は『オルトヘイム号』の自室で朝を迎えた。
この部屋で僕が目覚める時は三つのパターンがある。
まず、僕一人で寝て起きるパターン。
次に、隣にエルクかシェリーが寝ているパターン。
最後に、両方に挟まれてっていう場合。
……なのだが、今日はそのどれでもなかった。
というか、ここ数日間はずっとそうなんだけど。
母さんが寝ているのだ。僕のベッドで一緒に。
そして、母さんは例外なく僕を抱き枕にしている。
だから……こんな風に目が覚めると身動きが取れませんでしたってことは、洋館に住んでいた時に毎朝、経験してきた。
今、僕の顔は首の辺りに手を回して抱きしめられているせいで、ぷにゅんと母さんの胸に埋められている。
しかも、母さんが着ているものはやっぱりというか、ネグリジェ。しかも薄い。
男の子としては嬉しいシチュエーションではあるけど、相手は母親だし僕はもう慣れているので、正直、興奮するというより安心するというのが正しい気がする。
それに……頭が押し付けられている位置が母さんの胸なので、そこからトクン、トクン……と母さんの規則正しい心臓の音が聞こえてくる。
この母親の心音は、子供を落ち着かせる音と潜在意識に刷り込まれている……っていうのを前世で聞いたことがあったけれど、本当かもなぁ……とても落ち着くから。
母さんに抱きしめられているっていう状況もあいまって、安心感がすごい。
それにしても、昨日の夜は普通に並んで寝たと思っていたんだけどな……毎度毎度、いつの間に抱きついているんだろう、この人。
母さんとの訓練の賜物で、僕は深く寝ていても何か物音がしたらサッと目が覚めるはずだけど……母さんが抱きついてくるのだけは、気付けたことがない。
母さんが何か妙な技術でも使っているのか、それとも僕の母さんに対する信頼がMAXだから? ……はたまた、もはや反応や抵抗をしても無駄だと本能で悟ってるのか。
まあいいや、とりあえずそろそろ起きなきゃいけない。
このまま二度寝ってのも、魅力的な選択肢ではあるけれど……朝練をサボりたくないし。
母さんが抱きついた状態のままじゃ起きられないが、心配は要らないだろう。
なぜなら、そろそろ……。
「……ふぁ……うん! よく寝た! おはようミナト!」
「ん、おはよう母さん」
母さんもこう見えて、規則正しい生活を送る人だからだ。
洋館にいた頃から、きちんと朝練をした後に、朝ごはんって感じの日々を過ごしてきたからね。
寝起きの母さんは、自分の収納カバンから丁寧に折りたたまれた服をいくつか取り出し……何着目かでお目当ての服を見つけたみたい。
いつものワンピースみたいな普段着ではなく、運動するのにちょうどよさそうな、ジャージのような服だ。
洋館でも朝練の時によく着てたっけ。
それを何で母さんが今着るのかというと、もちろん、これから僕と一緒に朝練をするからだ。
☆☆☆
「へー、朝練っていうからてっきり船外に行くのかと思ったら、船の中にこんなスペースがあるなんてね……さすが我が息子、考えることが独特」
「そうかな? そうでもないと思うけど……近くにあった方が普通に便利じゃん」
ここは、オルトヘイム号のトレーニングルーム。
母さんは物珍しそうに周囲を見回して、感嘆の声を上げている。
僕らの眼前には、僕と師匠が作ったいくつものトレーニングマシンが並んでいる。
もちろん……全部が特別製だったりする。
日課となっている朝練をするために、『邪香猫』メンバーのほとんどがここに来ていた。
あと、その面子に時々シェーンが、たまーにターニャちゃんが加わったりする。
どうやら、体を動かしたいという理由らしい。
シェーンは昔の勘を鈍らせないために、僕らと模擬戦をすることもあるけど。
しかし今朝は、昨日まで『アトランティス』に行っていたために皆疲れているみたいなので、やりたい者のみ参加ってことを事前に伝えていた。
僕はそこまで疲れが溜まっていないし、母さんがぜひ見学したいと言っていたので、休まずにやることにしたのだ。
しかしいざ来てみればエルクとシェリー、そしてナナがすでにトレーニングに励んでいた。
疲れをものともせず、みんな頑張るなあ。
ザリーとミュウ、セレナ義姉さんはお休みのようだ。
まあ、それもいいだろう。
エルクたちには普段通りにやっておいてと告げて、僕はトレーニングルームの各種設備の説明を母さんにすることにした。
どの器具も見た目や使い方については、転生前のフィットネスクラブとかにあったトレーニングマシンと同じ。
説明している間は見た目の奇怪さから、母さんは随分と不思議そうにしていた。
まあ、こんな近代トレーニングマシンなんて見たことないだろうから仕方ないか。
母さんはそれとは別に、これらの器具がトレーニングに効果があるのかって点を心配していた。
当然の懸念ではあるだろう……何せ、普通の方法じゃ僕や母さんみたいな一定レベル以上の肉体の持ち主には、全く意味がない訳だし。
どういうことかと言えば、至極単純である。
筋トレってのは、酷使されて損傷した筋繊維が再生する時にこれまで以上に強靭になって生まれ変わる仕組みを利用して、身体能力を向上させるというものだ。
つまり、ある程度の負荷が必要なんだけど……仮に僕が普通の筋トレをやったところで、てんで苦もなくこなせるため、鍛錬にならない。
まあ、数トンの重さの魔物を持ち上げられる僕が、自分の体の重さで筋肉に負荷をかける腕立て伏せなんかしても、全く意味がないという訳だ。
洋館を旅立ってから少なからずあった、鍛えすぎたためのトレーニングでの苦労。
それを解消すべく作ったのが、ここにあるマシンの数々である。
さて、いかに特別かってことを詳しく説明しようとしたところで……丁度いい見本(?)が目の前にあった。
とりあえず、母さんの視線をそこに誘導する。
僕が指差す先には、フィットネスクラブで最もポピュラーなものであろうランニングマシンを使っている、エルクとシェリーとナナがいた。
ランニングマシンは床がベルトコンベアっぽい感じになっている。
この上を走り続けることで心肺機能を鍛え、持久力を高めることを目的としたマシンだ。
あくまで普通のものならば、という但し書きが付くけど。
今母さんは、僕お手製のランニングマシンの使用状況を見て、キョトンと不思議そうにしている。
「ねえミナト? あの『ランニングマシン』って確か、あなたの説明だと……床が前から後ろに動いて、その上を走り続けることで持久力を鍛えるのよね?」
「うん、そうだよ? ……まあ見ての通り、それだけじゃないけど」
「うん、そうね……何アレ?」
母さんの視線の先にある、三人が使っているランニングマシンで展開されていた光景は……ただ走るだけなんていうものではもちろんなかった。
まあ、アレを作った僕が色々と機能を追加したせいなんだけども。
エルクは普通に走っている。
一般的なジョギングくらいの速度で。
そこだけ見れば、ごくごく普通にランニングマシンを使っている女の子って感じだろう。
しかし、おかしな点が一つだけある。
彼女の足元をよく見ていただきたい。
さっきまで滑らかな平面だったはずのマシンの床が……砂浜とか砂漠みたいな砂地になっていた。
なぜかというと、普通の舗装道路よりも、砂の地面を走る方が足腰を鍛えることができるから。
ちなみに砂利道やぬかるんだ道なんかにも変えられる。
エルクは少し前までは普通の道モードでトレーニングに励んでいたんだけど、最近はこれまで以上に足腰を鍛えるために、特殊な路面に切り替えていた。
さて、次にシェリーを見てみよう。
彼女はエルクと違って、普通の舗装道のような平坦な道を走っている。だが、もちろん現代日本のそれとは違う。
彼女の場合は、速度が異常なのだ。
このランニングマシンは時速一~二百キロメートルまで速度を変えられる。
エルクがちょっと速いジョギング程度だったのに対して、シェリーは自動車みたいな速度で疾走している。
まあ理由は単純で、シェリーの瞬発力と持久力を考慮しつつ、適切な運動量を考えた結果こうなった訳だ。
そして、最後のナナは……一見するだけでもわかるくらいに、『否常識』な光景になっていた。
「……ねえ、ミナト? コレも他の二人が走っているのと同じ『ランニングマシン』なの?」
「うん」
「走っているって……言えるの? お母さんには壁登りしているように見えるんだけど」
傾斜の角度を変えて足腰への負荷を大きくするっていう機能は、転生前の世界のランニングマシンには必ずと言っていいほど付いているだろう。
もちろん、コレにも備わっている。
ただし、傾斜を最大九十度、すなわち直角まで上げられるぶっ壊れ仕様だけどね。
今のナナは傾斜を六十度くらいにして、さらに動く床の表面を岩場に近い凹凸の大きい形状に設定し、それを駆け上がったり跳躍しながら走る(?)トレーニングを行っている。
……うん、確かに壁登りだ。時々、手も使ってるし。
ま、まあ……こういう使い方もできるというか……ランニングマシンだけどロッククライミングマシンにもなるというか……そんな感じに考えてくれればいいでしょう。うん。
なお、このマシンの傾斜は上り坂だけでなく、下り坂にすることもできる。
さらに、どちらも九十度まで設定できるので、下り方向九十度にすれば、下降するロッククライミングの訓練とかもできるのだ。
話は少しだけ遡る。
王子様に関する話を終えた後、フレデリカ姉さんから聞き捨てならないことを告げられた。
フレデリカ姉さんは母さんが依頼した一件の情報収集に加えて、もう一つの事件の目撃者の捜索も行っていたようだ。
王子様陣営でも僕ら『邪香猫』でもない、あの場にいた第三者……そう、『ディアボロス亜種』に『ゼット』と名付けた、あの金髪の女の子である。
母さんから伝えられていた情報――女の子の身なりや特徴をもとに検討して、恐らくはスラム街に住んでいる孤児か何かだろうと当たりをつけ、フレデリカ姉さんが部下に命じて捜索を行っていたとのこと。
その少女の情報だけは、わりと簡単に集まったようだった。
女の子の名前は『エータ』。苗字は不明。
スラム街の一角にある廃屋に住んでいる孤児らしい。日雇いの仕事で僅かばかりの生活費を稼いで、周辺の住民から必要なものを買ったり食料を分けてもらったりして暮らしていたんだそうな。
陰鬱な雰囲気が漂うスラム街では珍しく快活な性格のエータちゃんは、一生懸命働いて、一日一日を生きていたらしい。
なのでスラム街ではわりと沢山の人に知られていて、毎朝、日雇いの仕事に出かける彼女の姿を見ていた人も多かったみたい。
そんな普通の女の子だが、事件を目撃している以上、放っておくとどんな危険が及ぶかわからない。
さらに強力な魔物である『ディアボロス』、それも『亜種』と何らかの繋がりがある可能性が高い訳だから、フレデリカ姉さんは見つけ次第保護するように部下さん達に命じていたという。もちろん、手荒なことはせず、丁重に扱うことと厳命して。
だが……見つからないんだってさ、そのエータちゃん。
スラム街の住人によれば、エータちゃんはほんの数日前から、突如としてスラム街から消え失せてしまったらしい。そのことが気になっている住人達も多かったようだけど、どうしていなくなったのか、どこに行ったのかという具体的な情報を持っている人はいなかった。
養子にもらわれていったとか人攫いにあった、あるいは奴隷商人に捕まったみたいな噂だけが飛び交っている状態。
結局、今に至るまでエータちゃんは見つかっていないらしく、あと数日探して見つからなければ諦めるという方針だそうだ。
それをフレデリカ姉さんから聞いて、ふとコイツ――『ディアボロス亜種』にエータちゃんのことを聞けないかなと思って、ダメ元でここに来てみた。
もっとも話を聞く以前に、コイツが見つかるかどうかも怪しかった訳なんだけど……思っていた以上にあっさりと見つけられて今に至る。
で、エータちゃんのことを尋ねてみたんだけど……ダメっぽいな、やっぱ。
こっちの言葉は通じているとは思うんだけど……いかんせん、僕がコイツの言葉を理解できない。ジェスチャーでもしてくれればなんとかなるかもしれないが、それ以外に、僕には『ディアボロス亜種』と意思疎通するための術がない。
首を縦横に振るみたいな、『はい』とか『いいえ』の簡単な動きなら期待できるかな? とも考えたんだけど、無理みたいだ。
エータちゃんがゼットと名付けた、この『ディアボロス亜種』は、唸り声を上げて僕を睨んでくるばかり。襲いかかってくる気配はないけど、協調するような態度でもない。
……まあ、いいか。
さっきも言ったようにダメ元だった訳だし。
別にそこまで期待はしてなかったから……そもそも、相手は知能が高いとはいえ魔物。
マンガやアニメじゃないんだから、意思疎通もろくにできない相手から情報を得られる訳がない。
こいつがエータちゃんの行方を知ってるのかどうかすらも、わからないしね。
それに……徐々に警戒されてきているみたいだ。
これは攻撃される前にさっさと帰ったほうがいいかも、と考え始めた瞬間。
視界の端に、湯気のような変わった形の魔力光が発生したかと思うと、そこの空間がぐにゃりと歪み……一瞬の後、一人の男が現れた。
もう……これでもかってくらいに、見覚えのある男――何度も拳を交えたケルビム族の青年、ウェスカー。
その男を肉眼で確認した瞬間の僕の表情は、これ以上なく、うんざりって感じだったと思う。
「……何なの、最近のこの超展開が起こる確率の高さは?」
「出会い頭に露骨なまでの嫌悪の意思表示。どうもありがとうございます。しかし……相変わらず独特な交友関係? を築かれているようですね?」
僕とゼットを交互に見てから、いつもの調子でウェスカーが軽口をたたく。
一方のゼットはウェスカーを見ると、一瞬で警戒レベルを最大まで上げていた。
野性の本能で、こいつのタチの悪さを悟ったんだろうか。
「何か用? 僕を暗殺でもしに来た?」
「まさか。違いますよ、ちょっとしたお使いです。さて、いかにもさっさと帰って欲しそうなお顔ですので、早速用事を済ませるとしましょうか……どうぞ、これを」
言うなり、ウェスカーはひゅっと僕の方に何かを投げてくる。
放物線を描いて飛んできたそれをキャッチし、掌に載せて見る。
……ただの、金貨?
何の変哲もない、どこにでもあるただの金貨だ。銀貨の百倍、銅貨の万倍の価値があり、日本円にしておよそ百万円相当になる……Sランクである僕が受注するクエストの報酬としてはさほど珍しくもない、ただの金貨――という認識は、三秒後に消失した。
どうしてと聞かれれば、なんとなく、という答えを返す以外にない。
目で見て、手で触れて、何もなかったので何となく匂いを嗅いでみた。それだけ。
……金属の匂いに混じって僕の鼻腔に流れ込んできたのは、二つの覚えのある匂い。
爬虫類の匂いと混じり合ったエータちゃんのもの、そして忘れようにも間違えようもない僕の母のもの。
結果、わざわざ考えるまでもなく、この金貨の意味を理解させられてしまった。
母さんがエータちゃんに、僕の居場所を教えてもらったお礼として渡した金貨だろう。
その話を聞いた時は、なんつうもんをポンとやってんだって呆れたけど。
「……さっさと帰って欲しいのは今も変わらないんだけど、その前に聞かせてくれる? お前さ、何でコレ持ってんの?」
僕はウェスカーにそう言いつつ金貨をゼットの方に突き出して、その匂いを嗅がせる。
コイツがどのくらい匂いというものに敏感なのかは知らんが、ひと嗅ぎでエータちゃんの匂いだとわかったようだった。
次の瞬間、ゼットのウェスカーに向ける敵意と警戒が段違いに増した。
よし、煽り成功。
味方が増えたな。敵の敵的な意味だけど。
「ご心配なく、彼女に何かした訳ではありませんから。順を追って簡潔に説明させていただきますと……とある理由から、先日、我々の組織で彼女を保護しました」
「保護? 拉致じゃなくて?」
「いえ、誓ってそのようなことはしておりません。彼女は彼女の意思で、我々のもとへ身を寄せました。その際、騙したり、脅迫したりといったことも一切していませんし、これから彼女に何らかの害になるようなことをするつもりも一切ありません」
「……それを信じろっての?」
「……そうですね。証明する方法はありません。詳しくは言えませんが、彼女は今、外に出られない状態ですし……手紙を持ってきても信じないでしょう?」
そりゃまあ、いくら直筆の手紙だと言われても、筆跡なんてものは真似されちゃうからね。
「てか、そもそも僕、彼女の字を知らないし」
「そのエータ嬢から頼まれたのですよ。こんな大金は受け取れないから、返しておいてほしい、とね……お母様に渡しておいていただけませんか?」
「……よくわかったね? コレを彼女にあげたのが、僕の母さんだって」
「人の記憶を読めるのは夢魔だけではないと言っておきましょう」
「あっそ」
一応、この金貨は帯に収納しておいた。
それを見届けてから、ウェスカーは踵を返して、僕とゼットに背を向ける。
その佇まいに、隙は一切なかった。
「用事も済みましたし、これで失礼します……これ以上ここにいると、そちらの『ゼット』殿に噛み付かれてしまいそうだ。怪我していたところを手当てして仲良くなったと聞きましたが……予想以上に大切に思っているようですね、彼女を」
へー、そんな感じの出会い方だったのか、コイツとあの子。まるでマンガのテンプレみたいだ。
「……さっき、お前が言っていたことの確認みたいになるんだけど、本当にあの子、納得してお前らについていったの? コイツと離れるのも覚悟して?」
「ええ。事情が事情ですからね……その点において、少々彼女を説得させていただきましたが……おっと、今しがた言ったように、後ろ暗い意味では決してありませんよ?」
「でも、その辺は説明してくれないんでしょ?」
「ええ、申し訳ありませんが。ただ……」
「ただ?」
「……遠からず知ることにはなりますよ。もうすぐ……大きく世界が動く。そうなれば、また私はあなたと相見えることになるでしょう……願わくばその時、敵として出会うことのありませんように……」
何だか芝居がかった感じのセリフを言い残して、ウェスカーはこの場を去った。
転移を使って気配ごと一瞬で消え去った跡を最後まで鋭い目で睨んでいたゼットは、少しだけその警戒を和らげた。
ウェスカーが消える寸前、ゼットから殺気っぽいのまで漏れ出てたなー……それでも襲いかからなかったのは、それなりに言っていることを理解していたからだろうか。
納得しているかどうかは、微妙だけど。
一応、この場に限ってはウェスカーの言っていたことを信じるしかないか……疑ってかかったところで、今の僕には何もできないし。
せいぜいフレデリカ姉さんにこの件を説明する時に、ウェスカーの言うことを全部鵜呑みにはしない方がいいって注意するくらいかな……いや、それも必要ないか。
釈迦に説法、余計なお世話だろう。
そうなると、もうマジでやることなくなったんだけど……。
「……お前、これからどうするの? あの子はもうここにいないし、来ないだろうし……見たところ、怪我もとっくに治ってるっぽいけど」
エータちゃんがコイツと出会った時に手当てをしてやった怪我とやらが、どんなもんだったのかは知らないけど、Sランクの『ディアボロス原種』を苦もなく倒していたくらいだから、もう完治してるんだろう。
ゼットは僕の質問を受けて、僅かの間を置いて考え込むように虚空を睨んだかと思うと……唐突に跳躍し、近くの岩場の高い位置にシュタッと着地した。
そして、体を丸めて背中に力を込めるような動作をしたかと思うと、肩甲骨のあたりの鱗が、剥がれるように盛り上がった。
次の瞬間、飛行型の龍が備えているのと同じような骨と皮、そして鱗によって形作られた翼がバサッと拡がった。翼の飛膜は……琥珀色、角や爪と同じ色だ。
あまりのことに唖然としている僕を一瞥すると、ゼットは大きく羽ばたいて空に飛び上がった。
そして魔力を流したらしく、飛膜が琥珀色に強く光った直後……凄まじい速さで空の彼方へと飛び去って行った。
……ついに空まで飛べるようになったのか、あんにゃろ。
「……帰ろっか、アルバ」
ピーッと耳元で鳴いたアルバの声は、何となく疲れているようにも感じられた。
それにしても今回は……王子様の一件といい、エータちゃんの行方といい……何だかすっきりしない結末になっちゃったもんだな……何というか、不完全燃焼だ。
ま、気にしてもどうしようもないんだろうけどさ、どっちも。
第二話 最強親子の一日 朝のトレーニング
ジャスニア王国の第五王子様ことエルビスから受けた魔物討伐の依頼に始まり、最後には幻の海底都市の探検に行くこととなった今回の一件。
フレデリカ姉さんの協力もあり、一応の収束を見せたその翌朝。
僕は『オルトヘイム号』の自室で朝を迎えた。
この部屋で僕が目覚める時は三つのパターンがある。
まず、僕一人で寝て起きるパターン。
次に、隣にエルクかシェリーが寝ているパターン。
最後に、両方に挟まれてっていう場合。
……なのだが、今日はそのどれでもなかった。
というか、ここ数日間はずっとそうなんだけど。
母さんが寝ているのだ。僕のベッドで一緒に。
そして、母さんは例外なく僕を抱き枕にしている。
だから……こんな風に目が覚めると身動きが取れませんでしたってことは、洋館に住んでいた時に毎朝、経験してきた。
今、僕の顔は首の辺りに手を回して抱きしめられているせいで、ぷにゅんと母さんの胸に埋められている。
しかも、母さんが着ているものはやっぱりというか、ネグリジェ。しかも薄い。
男の子としては嬉しいシチュエーションではあるけど、相手は母親だし僕はもう慣れているので、正直、興奮するというより安心するというのが正しい気がする。
それに……頭が押し付けられている位置が母さんの胸なので、そこからトクン、トクン……と母さんの規則正しい心臓の音が聞こえてくる。
この母親の心音は、子供を落ち着かせる音と潜在意識に刷り込まれている……っていうのを前世で聞いたことがあったけれど、本当かもなぁ……とても落ち着くから。
母さんに抱きしめられているっていう状況もあいまって、安心感がすごい。
それにしても、昨日の夜は普通に並んで寝たと思っていたんだけどな……毎度毎度、いつの間に抱きついているんだろう、この人。
母さんとの訓練の賜物で、僕は深く寝ていても何か物音がしたらサッと目が覚めるはずだけど……母さんが抱きついてくるのだけは、気付けたことがない。
母さんが何か妙な技術でも使っているのか、それとも僕の母さんに対する信頼がMAXだから? ……はたまた、もはや反応や抵抗をしても無駄だと本能で悟ってるのか。
まあいいや、とりあえずそろそろ起きなきゃいけない。
このまま二度寝ってのも、魅力的な選択肢ではあるけれど……朝練をサボりたくないし。
母さんが抱きついた状態のままじゃ起きられないが、心配は要らないだろう。
なぜなら、そろそろ……。
「……ふぁ……うん! よく寝た! おはようミナト!」
「ん、おはよう母さん」
母さんもこう見えて、規則正しい生活を送る人だからだ。
洋館にいた頃から、きちんと朝練をした後に、朝ごはんって感じの日々を過ごしてきたからね。
寝起きの母さんは、自分の収納カバンから丁寧に折りたたまれた服をいくつか取り出し……何着目かでお目当ての服を見つけたみたい。
いつものワンピースみたいな普段着ではなく、運動するのにちょうどよさそうな、ジャージのような服だ。
洋館でも朝練の時によく着てたっけ。
それを何で母さんが今着るのかというと、もちろん、これから僕と一緒に朝練をするからだ。
☆☆☆
「へー、朝練っていうからてっきり船外に行くのかと思ったら、船の中にこんなスペースがあるなんてね……さすが我が息子、考えることが独特」
「そうかな? そうでもないと思うけど……近くにあった方が普通に便利じゃん」
ここは、オルトヘイム号のトレーニングルーム。
母さんは物珍しそうに周囲を見回して、感嘆の声を上げている。
僕らの眼前には、僕と師匠が作ったいくつものトレーニングマシンが並んでいる。
もちろん……全部が特別製だったりする。
日課となっている朝練をするために、『邪香猫』メンバーのほとんどがここに来ていた。
あと、その面子に時々シェーンが、たまーにターニャちゃんが加わったりする。
どうやら、体を動かしたいという理由らしい。
シェーンは昔の勘を鈍らせないために、僕らと模擬戦をすることもあるけど。
しかし今朝は、昨日まで『アトランティス』に行っていたために皆疲れているみたいなので、やりたい者のみ参加ってことを事前に伝えていた。
僕はそこまで疲れが溜まっていないし、母さんがぜひ見学したいと言っていたので、休まずにやることにしたのだ。
しかしいざ来てみればエルクとシェリー、そしてナナがすでにトレーニングに励んでいた。
疲れをものともせず、みんな頑張るなあ。
ザリーとミュウ、セレナ義姉さんはお休みのようだ。
まあ、それもいいだろう。
エルクたちには普段通りにやっておいてと告げて、僕はトレーニングルームの各種設備の説明を母さんにすることにした。
どの器具も見た目や使い方については、転生前のフィットネスクラブとかにあったトレーニングマシンと同じ。
説明している間は見た目の奇怪さから、母さんは随分と不思議そうにしていた。
まあ、こんな近代トレーニングマシンなんて見たことないだろうから仕方ないか。
母さんはそれとは別に、これらの器具がトレーニングに効果があるのかって点を心配していた。
当然の懸念ではあるだろう……何せ、普通の方法じゃ僕や母さんみたいな一定レベル以上の肉体の持ち主には、全く意味がない訳だし。
どういうことかと言えば、至極単純である。
筋トレってのは、酷使されて損傷した筋繊維が再生する時にこれまで以上に強靭になって生まれ変わる仕組みを利用して、身体能力を向上させるというものだ。
つまり、ある程度の負荷が必要なんだけど……仮に僕が普通の筋トレをやったところで、てんで苦もなくこなせるため、鍛錬にならない。
まあ、数トンの重さの魔物を持ち上げられる僕が、自分の体の重さで筋肉に負荷をかける腕立て伏せなんかしても、全く意味がないという訳だ。
洋館を旅立ってから少なからずあった、鍛えすぎたためのトレーニングでの苦労。
それを解消すべく作ったのが、ここにあるマシンの数々である。
さて、いかに特別かってことを詳しく説明しようとしたところで……丁度いい見本(?)が目の前にあった。
とりあえず、母さんの視線をそこに誘導する。
僕が指差す先には、フィットネスクラブで最もポピュラーなものであろうランニングマシンを使っている、エルクとシェリーとナナがいた。
ランニングマシンは床がベルトコンベアっぽい感じになっている。
この上を走り続けることで心肺機能を鍛え、持久力を高めることを目的としたマシンだ。
あくまで普通のものならば、という但し書きが付くけど。
今母さんは、僕お手製のランニングマシンの使用状況を見て、キョトンと不思議そうにしている。
「ねえミナト? あの『ランニングマシン』って確か、あなたの説明だと……床が前から後ろに動いて、その上を走り続けることで持久力を鍛えるのよね?」
「うん、そうだよ? ……まあ見ての通り、それだけじゃないけど」
「うん、そうね……何アレ?」
母さんの視線の先にある、三人が使っているランニングマシンで展開されていた光景は……ただ走るだけなんていうものではもちろんなかった。
まあ、アレを作った僕が色々と機能を追加したせいなんだけども。
エルクは普通に走っている。
一般的なジョギングくらいの速度で。
そこだけ見れば、ごくごく普通にランニングマシンを使っている女の子って感じだろう。
しかし、おかしな点が一つだけある。
彼女の足元をよく見ていただきたい。
さっきまで滑らかな平面だったはずのマシンの床が……砂浜とか砂漠みたいな砂地になっていた。
なぜかというと、普通の舗装道路よりも、砂の地面を走る方が足腰を鍛えることができるから。
ちなみに砂利道やぬかるんだ道なんかにも変えられる。
エルクは少し前までは普通の道モードでトレーニングに励んでいたんだけど、最近はこれまで以上に足腰を鍛えるために、特殊な路面に切り替えていた。
さて、次にシェリーを見てみよう。
彼女はエルクと違って、普通の舗装道のような平坦な道を走っている。だが、もちろん現代日本のそれとは違う。
彼女の場合は、速度が異常なのだ。
このランニングマシンは時速一~二百キロメートルまで速度を変えられる。
エルクがちょっと速いジョギング程度だったのに対して、シェリーは自動車みたいな速度で疾走している。
まあ理由は単純で、シェリーの瞬発力と持久力を考慮しつつ、適切な運動量を考えた結果こうなった訳だ。
そして、最後のナナは……一見するだけでもわかるくらいに、『否常識』な光景になっていた。
「……ねえ、ミナト? コレも他の二人が走っているのと同じ『ランニングマシン』なの?」
「うん」
「走っているって……言えるの? お母さんには壁登りしているように見えるんだけど」
傾斜の角度を変えて足腰への負荷を大きくするっていう機能は、転生前の世界のランニングマシンには必ずと言っていいほど付いているだろう。
もちろん、コレにも備わっている。
ただし、傾斜を最大九十度、すなわち直角まで上げられるぶっ壊れ仕様だけどね。
今のナナは傾斜を六十度くらいにして、さらに動く床の表面を岩場に近い凹凸の大きい形状に設定し、それを駆け上がったり跳躍しながら走る(?)トレーニングを行っている。
……うん、確かに壁登りだ。時々、手も使ってるし。
ま、まあ……こういう使い方もできるというか……ランニングマシンだけどロッククライミングマシンにもなるというか……そんな感じに考えてくれればいいでしょう。うん。
なお、このマシンの傾斜は上り坂だけでなく、下り坂にすることもできる。
さらに、どちらも九十度まで設定できるので、下り方向九十度にすれば、下降するロッククライミングの訓練とかもできるのだ。
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