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第22章 双黒の魔拳
第529話 覇王・テーガン
しおりを挟む『ダモクレス財団』において、『女楼蜘蛛』というのは、突き詰めれば『過去の存在』という扱われ方をしていた。
おおよそ200年前に活動していた、構成メンバー6人全員がSSランクという、史上最強・最高の冒険者チーム。冗談のような功績をいくつも打ち立てて、今なお多くの冒険者達は、顔も名前も知らない彼女達に憧れを抱いてやまない。
彼女達に憧れて冒険者を志した、あるいは冒険者でなくともその強さや英雄の精神に倣おうと考える者は決して少なくないだろう。
しかし、そうだとしても、冒険者チームとして解散し、歴史の表舞台から姿を消して久しい存在であるがゆえに、一般社会における彼女達に関する正確な認識は、200年の間にすっかり変わってしまっていた。
特に、『実力』及び『人格』について、それは顕著だった。
尊敬こそされつつも、余りに非常識過ぎるそれらの『伝説』は、当然ながら『盛られている』と認識され、実際には『Sランクよりは強いけどこんなデタラメじゃなかったでしょ』『ていうか当時の話だし、今のSランクの中には彼女達より強い人もいるんじゃ?』などと言われる始末。
また、彼女達の存命を知る者達の間では、彼女達が『女楼蜘蛛』解散以降、全く歴史の表舞台に姿を現さないことから、『世俗の中で生きるのに疲れて世捨て人のようになったのだろう』という考え、ないしとらえ方が主流だった。
冒険者や高位の貴族の中では、それほど珍しくない話でもある。権謀術数渦巻く政治の世界や、果てない戦いの続く冒険者としての世界で生きることにつかれ、引退した後はそれらに一切かかわらなくて済む場所に隠居して静かに余生を過ごす、という者は、決して少なくない。
そしてそういう者達は、若い頃、野心やら欲望やらにギラギラと燃えていた炎をすっかりと小さくし、それが消えない程度に保ってゆったりと過ごしているのが大多数だった。
彼女達もそうだろうと、多くの者達は考えていた。
いかな力を持っている――あるいは、持ってい『た』――としても、それを振るって何かをする気も、そもそもこの世界への興味もあらかた失せてしまったのだろうと。
ゆえにこそ、自分達に直接関わりがない限りは、どこで何が起ころうとも、向こうから出張ってくるようなことはないのだろうと、『ダモクレス財団』を含む、彼女達の存命を知る一部の者達は考えていた。
関わってきたところで、所詮は『過去』の存在、苦労はするだろうが、どうとでも対処できると。
実力に関する評価はともかくとして、実際彼女達はどんな権力にも靡かず、自分達が興味を持ったこと以外には関わることはほぼほぼなかったので、全く的外れというわけではない。
たとえどこかの国が滅びそうになったとしても、『自分達には関係ない』『そこに生きる者達の問題』として、関わろうとはしなかっただろう。
ゆえに『ダモクレス財団』は、彼女達の現存を認識しつつも、自分達の計画実行に差しさわりはないだろうと考えた。
関わってこないだろうし、来たとしても対処できる。我々財団には、それだけの力がある、と。
伝説と言えど、所詮は過去の遺物。どうとでもできるだろう、と。
……そんな、甘いにもほどがある考えが、実際にはどうだったのかといえば。
「くそったれ、話が違う!!」
名も知られぬ財団の戦闘員の、そんな怒号、あるいは悲鳴は、虚しく戦場に響いて消えた。
あちこちから聞こえてくる、似たような悲鳴と、それ以上の戦闘音にかき消されていた。
場所は、フロギュリア連邦『ヒュースダルト環礁』付近。
そこに完成したラインの守護のために、最高幹部サロンダースを含む精鋭たちが陣を敷いて備えていた場所である。
もっとも、そこに攻め込もうとしているフロギュリア連邦の艦隊は、それよりもはるか前、魔物のスタンピードへの対処で足踏みしている状態にあった。
それゆえ、自分達の仕事は実質ない――今のところは、だが――状態。ゆえに、戦いを仕掛けることもできずにいる正規軍たちの体たらくを、高みの見物で嘲っていたところに……それは現れた。
今が夏とはいえ、寒風吹きすさぶ極北の大地で行動するにはありえないような、薄着を通り越して露出が多い装束の……獣人と思しき、湾曲した2本の角を持つ女が。
多くは『何だコイツは』といぶかし気な視線を向け、一部の兵士はその見事なプロポーションに欲情した視線を向ける中で……ただ1人、総大将であるサロンダースだけが、初見でその人物が誰かを悟り、その危険度を感じ取っていた。
もっとも、それ以外のメンバーがそれを『身をもって』知ることになるまでに、そう時間はかからなかったのだが。
「はっはっはっは! やるもんじゃのうお主ら! 昨今はどこもかしこも歯ごたえのない奴らばかりだと思っておったが、なかなかどうして精鋭ぞろいではないか!」
凶悪な笑みを浮かべながら、その女……『覇王』テーガン・ヴィンダールは、その手に持った巨大な矛を大きく振り回し、配置していた戦闘員や、調教済みの魔物などを切り裂き、吹き飛ばしていく。
その世界の人間に言ってもわからないだろうが、その動きは最早『無双ゲーム』さながら。
近づく端から、凄まじい勢いで振るわれる大矛の刃にかかり、暴風に吹き散らされる木の葉のように吹き飛んでいく。
斬りかかっても武器ごと叩き切られる。
防ごうとしても鎧や盾ごと叩き切られる。
逃げようとしても逃げられず叩き切られる。
四方八方から一斉に襲い掛かっても、間合いに入ってから誰か1人の攻撃が届くよりも先に、全員が刃にかかって吹き飛ばされる。
最早『戦い』になっているようには見えない。なっていない。
攻撃も防御も逃走も、全てが無意味。
人も、魔物も、さらには、騒ぎを聞きつけて戻ってきた『神域の龍』すらも、平等にその刃の前には無力だった。
それでも、テーガンからしてみれば、『斬った衝撃で木端微塵にならないだけ頑丈。大したものだ』という評価だった。
彼女の矛は、振り抜いた風圧だけで人などひしゃげて吹き飛ぶレベルのそれだし、直撃などしようものなら、今彼女が言った通り、木端微塵になる。
心臓を狙って突き出された大槍の一突きを、真正面から振り抜いた大矛で『槍を』『縦に』真っ二つにして、驚愕に目を見開く敵兵をそのまま両断する。
その直後、両手で持つ大盾を構えて突っ込んできた重装甲の戦闘員がいた。
魔法金属で作られている上に、様々な魔法の重ねがけによって強化されているらしいそれは、巨人の攻撃やドラゴンのブレスにすらびくともせずに防ぐであろう力を持っていた。
しかし、正面から振り抜かれたテーガンの矛の一撃に、発泡スチロールかと思うほどに簡単に、粉々に粉砕された。盾どころか、その向こうで構えていた戦闘員ごと。
その盾の戦闘員の犠牲を無駄にするまいと、加速魔法でも使ったのか、凄まじい勢いで突っ込んできて首を狩らんと刃を振るった別な戦闘員。
しかし、振り向きざまにテーガンは、首を少しかしげるように動かし……というか、頭を振る。
なんとテーガンは、頭に生えている角で、その猛烈な勢いで振るわれた剣を受け、弾いた。
「……っ……バケモ……」
そして、言い終わる前に、素早く切り返して繰り出された矛による突きで串刺しになる。
そのままテーガンは、周囲の敵を吹き飛ばすために、大回転して矛を薙ぎ払う。その衝撃が刃からダイレクトに伝わってしまったその戦闘員は、矛に刺さったまま木っ端微塵になった。
これでもなお、テーガンはまだ、全く本気ではない。
本気になった彼女が矛を振るうと何が起こるかと言うのは、説明がそもそも難しいものであるし……とりあえず、小さな島や不安定な地形で出していいようなものではない、とだけ。
ハリケーンのような勢いで、周囲を守っていた雑兵達を物理で消し飛ばし、残ったのは……サロンダースただ1人。
彼自身も、今までただ黙って見ていたわけではなく……兵士達の相手をしていてできたわずかな隙をついてテーガンを仕留めるべく、剣を取って立ち向かっていた。
しかし、財団最高幹部の名に恥じぬ実力を持つサロンダースであったが……本物の『伝説』の前には、まるで相手にならなかった。
最初で最後の一撃にするつもりで、必殺のタイミングと見て放った斬撃は、振り向きざまに、長物で出せるものではない速さで放たれた切り返しの一撃により、あっけなく弾かれて吹き飛ばされていた。
その際、龍を切り裂いても刃こぼれ一つしないであろう魔剣が、たった1合斬り合っただけで刃こぼれ……というには大きすぎる破損をし、使いものにならなくなっていた。
実を言うと今、サロンダースは、その時に吹き飛ばされて環礁地帯の反対側まで吹き飛び、今ようやく戻ってきたところだった。
(……デタラメだナ。誇張された話だなんてとんでもない……むしろあれでも過小評価ダ。しかもまだ全く本気では……勝てる気がしない)
「ん~? 何じゃ、来んのか?」
ニヤニヤと笑い、手招きするような動きで挑発するテーガンだったが、サロンダースからすれば、その挑発に乗った瞬間に死が確定するとわかっている。
「……挑発が挑発になっていないネ。腹を立てて突っ込む気にもならないヨ……なるほど、総裁が言っていた通り、戦闘意欲が失せるような強さダ……財団の誇る精鋭部隊がここまで一方的に壊滅させられるとはね。……何より、一線を退いたあなた方が、こうも積極的に介入してくるとは」
「んん? 何じゃ、黙って見ていて欲しかったとでも? それとも、わしらみたいなのは世俗に最早興味がないから、誰が何をしていても興味を持たず静観するとでも思っとったのか?」
「少なくとも、直接的にこちらから干渉しなければ……ネ。そうでなくとも、引退したロートルが出しゃばりすぎの暴れすぎしゃないのかナ、とは思うヨ」
「はっ、わしらがどこで何をしようがわしらの勝手じゃろうが。そもそもどこの誰がどう行動するかなんぞ、その時になってみなければわからんじゃろうに、希望的観測でものを考えすぎじゃな。あ奴らに知られたら爆笑されるか失笑されるか……それとも……」
テーガンは、肩に担ぐようにして持っていた矛で、とんとん、と肩を叩きながら、まるで世間話をするかのような気軽さで話す。
「万が一出てきても、犠牲を覚悟で、策をめぐらせばどうにかできる……とでも思っておったか? この程度の力でのう……むしろできるもんならしてみてほしいところじゃよ。近頃は勝負になる奴が身内しかおらん上に、どいつもこいつも丸くなってしまってのう?」
向けられる凶悪な笑みに、思わず一歩後ずさるサロンダース。
(……今更死など怖くはないが……『無駄死に』は勘弁ダ。この場において最善は……)
サロンダースが必死に突破口を探っていたその時、彼が背にしていた『ライン』がひときわ強く光り輝いた。
『お?』とちょっと驚くテーガンと、突然のことに困惑するも、何が起こったか即座に理解したサロンダースの目の前で……『神域の龍』の第二波、あるいは増援が、光の柱の中から滲み出すように現れた。
それを理解したサロンダースの反応は速かった。
テーガンの気がそれた一瞬の隙に海に飛び込み、そのまま深海まで潜水する。
追撃が飛んでくることも覚悟したが、追う気はないのか、それはこなかった。
代わりに、かすかに地上で戦闘音が響いているのが、水面越しでもサロンダースの耳には届いていた。どうやら、逃げる自分よりも、襲い掛かってくる『龍』との戦いを選んだようだ。
命拾いしたことに安堵しつつも、サロンダースはすぐに、次に何をすべきかについて頭を巡らせる。
(今のままでは勝てない……どころか、勝負にもならない。さらなる力が必要だ……これは私も、いよいよ覚悟を決める時と見た方がいいカ)
「ふむ……また奇襲してくるかと思っておったが、本当に逃げおったのか……つまらん」
その数十秒後、
ため息をつくテーガンの周囲には、屠殺を通り越して解体された『神域の龍』の亡骸がいくつも転がっていた。
極寒ゆえに、傷口から流れる血やら何やらはあっという間に凍り付きつつある。
テーガンの矛についた血液も同様だが、テーガン自身は一滴の返り血も浴びていなかった。
大小問わず、これだけの数の敵を叩き切ったにもかかわらず、衣服が乱れた様子すらない。
「まあ、クローナの言う通り、そこそこいい運動にはなったな。頑丈じゃったし、戦意も高かったし……動いたら腹が減ったな。こいつら食えるんじゃろうか……おっと、その前に」
ふと思い出したように言うと、テーガンは腰についているポーチから何かを取り出した。
それは、銀色のメダリオンだった。
作り自体は簡素なものだが、中心部にかなり大きな宝石が埋め込んである……そして、単なる装飾品ではないことは、そこから漏れ出る異様な魔力を見れば明らかだった。
テーガンは、立ち上っている光の柱……『ライン』にすたすたと近寄ると、そのメダリオンをそこに投げ込む。
その直後、シュウウゥゥゥ……と空気が抜けるような音があたりに響き……数秒後、光ゆえに明滅し、ゆらゆらと揺れていた『ライン』が……凍り付いたように動かなくなった。
そして、次の瞬間、粉々に砕け散った。
ガラスの破片のようにあたりに散らばる、いわば『光の破片』。だが、それらはすぐに、空に溶けてそのまま消えていき、後には何も残らなかった。
「ほぉ……見事なもんじゃな。これだけの魔法構築物を跡形もなく破壊するとは……流石はクローナとミナトの合作。これなら、さっさとこのバカ騒ぎも静まりそうじゃな」
フロギュリア連邦・ヒュースダルト環礁付近の『ライン』
テーガン・ヴィンダールにより、破壊完了。
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