魔拳のデイドリーマー

osho

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第19章 妖怪大戦争と全てを蝕む闇

第425話 乱れ咲く業火

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 『ヤマタノオロチ』。
 日本神話に登場する中でも最大クラスの怪物であり、八つの頭と八本の尾を持つ。その巨大な体躯は、いくつもの山や谷にまたがるほどだとまで言われている。
 日本新は云々はともかくとしてだが、ミシェルはミナトから、『もし僕の知識にある通りならとにかくヤバい怪物』だとして、『ヤマタノオロチ』に関する話を知識として聞いていた。

 もっともその評価は、『諸国行脚』の後、『ヤバい怪物』から『美味しい食材』に変わってしまっていたのだが。

 だが今こうして目の前にしているそれを見るに、ミシェルは内心、『ヤバい怪物』の方の評価も妥当だったのだな、と思っていた。

 今こうして、AAAランクの強さを誇る『デスジェネラル』を、いともたやすく粉砕している光景が、実にわかりやすくその力を物語っていた。

「いやいやすごいなコレは……鬼軍団もヤバい切り札持ってたもんだ」

 強力な手駒が無残に蹴散らされている光景を見てなお、そんな軽口を独り言つミシェルは、続けて何体ものアンデッドを召喚する。
 先程までと同じ『デスジェネラル』に加え、強力な武器と防具に身を包んだ白骨の騎士『パラディンスケルトン』、屍肉と白骨の体を持ち、毒を含んだ炎を吐く龍『ドラゴンゾンビ』など、強力なアンデッドを惜しげもなく戦線に投入していく。

 それらはいずれも、1体で都市を容易く蹂躙し、小国であれば1体か2体現れるだけで存亡の危機に立たされてもおかしくないほどの危険度である。

 しかし、今目の前にしている災厄そのものといった見た目の巨大な多頭龍を前にしては、時間稼ぎがせいぜいであるという現実がそこにあった。

「……見た感じ、知能はそんなに高くない……術者が誰だかはわからないけど、完全にコレを制御できてるわけでもなさそうだ。襲い掛かってくる敵を優先して攻撃して、そういうのがいなくなった時のみ周囲に破壊を振りまき始める……とりあえず、現状維持が吉かな」

 そんな脅威にさらされている状況下でも、冷静に状況を分析しているミシェル。目の前では、やはり次々とアンデッドたちが蹴散らされているものの……焦ったり怯える様子はない。
 時間稼ぎがせいぜいとは言うが、逆に言えば、『時間稼ぎならできる』あるいは『時間稼ぎさえしていればいい』と割り切っているのかもしれない。ミシェルの分析通りなら、そうしている間はこの怪物を抑えることができ、自分の身も守っていられるのだから。

 もっとも、その『時間稼ぎ』ができているという点が、まず何より重要なのだが。

 キロメートル級の巨体である。並のモンスターなど、戦うまでもなく、少しの身じろぎですりつぶしてしまえるだろう。人が歩いている時、気づかぬうちに蟻を踏み潰しているように。
 それを相手に時間稼ぎができる、戦闘になっているという点が……ミシェルもまた、常識の枠内には収まらない超のつく実力者だということを如実に物語っていた。

 言ったように、ミシェルに焦りや怯えの色は見られないが、召喚した手駒が次々と蹴散らされていくこの状況は、決して楽観視していいものではないだろう。
 アンデッドの召喚には魔力が要り、ミシェルのそれは有限だ。召喚できなくなった時、ミシェルは目の前の災厄から身を守る術を失うことになる。その時が、彼の最後だ。

 ……と、普通なら考えるのだろう。この光景を傍から見ている、何も知らない他人であれば。

 だが、

「……ん。よし、あらかた避難したな」

 周囲を軽く見まわし、友軍……朝廷軍や狸軍の兵士や妖怪が、少なくとも見える範囲には残っていないことを確認したミシェル。
 『ヤマタノオロチ』が出現した直後、恐慌状態になるより前に指示を出して撤収を進めさせていたのだが、負傷者の回収も含めて、それがようやく済んだようだ。見える範囲には、敵味方の死体とアンデッドの残骸くらいしか転がっていない。

 撤収させた理由は2つ。
 1つは、雑兵程度の力では、AAAランクの魔物を容易く葬るあの力に太刀打ちできるはずもないのは明らかであり、兵士たちがここにいたところで無駄死にになるだけだったから。

 そしてもう1つは……実はある意味、同じような理由である。
 単に邪魔だったのだ。ミシェルが本気で戦うためには……友軍という足手まといは。

「じゃ、そろそろ……こっちも出すもん出させてもらおーかな」

 ちょうど、先程召喚したしもべたちの最後の1匹……空を飛んで攪乱していた『ドラゴンゾンビ』が、鞭のような尾の一撃で粉砕されたところを見届けて、ミシェルは再度魔力を練り上げる。

 群がってくる屍たちは全て粉砕した。今現在、ヤマタノオロチの一番近くにいるのは……それらを呼び出し、使役していたミシェルである。
 使役云々などヤマタノオロチが認識しているかどうかはわからないが、とりあえず近くにいる者を殺そうと考えたのだろう。8つある首のうちの1つが、その場から1歩も動かず魔力を練り続けているミシェル目掛けて伸びていき……口が開いた。ずらりと並んだ鋭い牙が襲い掛かる。

 しかし、ミシェルの体を食いちぎらんとしたそれは……彼の黒装束に覆われた体を捕らえることはなく、その目の前に突如現れた、すさまじい熱風によって押し戻された。

 ミシェルの数歩前方の地面。そこにいつの間にか、超がつくほど巨大な魔法陣が出来ていた。
 構造は、先程までミシェルがアンデッド達を召喚するのに使っていた召喚用の陣と同様のようだが、明らかにただの魔方陣ではない。ヤマタノオロチの大きさが大きさゆえに、並べてしまうとそこまで大きく見えないかもしれないが……直径にして100mは確実にあるだろう。十分に巨大だ。

 そこから熱波があふれ出てきているわけだが……少し遅れて、なんと今度はマグマが湧き出してきた。液状でありながら赤々と燃え、ボコボコと音を立ててあぶくを弾けさせている。粘性が高く、ドロドロと中心から同心円状にゆっくり広がっていく光景は、かえって不気味で恐ろしく思える。

 そんなマグマの中から、巨大な骨の腕が突き出された。
 ただの骨ではない。というか、よく見れば骨ですらない。

 骨の形をしているように見えるが、よく見るとそれは、黒い岩のような何かであり、明らかに石灰質の人骨ではない。
 これの正体は冷えて固まった溶岩だ。それが骨のような形をしているのだ。赤々としたマグマの中から出てきたためか、所々赤熱しているようだ。

「以前ミナトにくっついてったクエストで、偶然コイツを見つけられたのはラッキーだったなあ。研究して、自分にまだ力が足りないってわかってからは修行もして……どうにか実用化にこぎつけて。いやー、年甲斐もなくはしゃいじゃったっけ。ま、出番は今まで来なかったんだけどね」

 腕だけではなく、肩や肋骨、さらには背骨や脛骨、そして頭蓋骨までもが出現。漆黒の巨大な溶岩骨格が姿を見せる。そしてその体のいたるところに、まるで屍肉がこびりついているかのようにマグマが纏わりついて……いや、湧き出しているようにすら見える。
 体の各部から湧き出たマグマが、溶けた肉か、あるいは血のように流れて地面に滴り落ちてはじけている。おどろおどろしい光景だ。

「何せコイツ、強力だけど……うん、強すぎるし周りを盛大に巻き込むし、使い勝手はいいとは言えないからねー……とうとうこうして出番が来てくれたことに、実は感激してたり。ははは」

 さしずめその姿は……骨と肉ではなく、溶岩(固体)とマグマで形作られたアンデッド。
 だが形だけではなく……その身が纏う膨大な死のエネルギーや瘴気が、それを証明している。
 この魔物は、魔法生物系の魔物ではなく、れっきとした『アンデッド』なのだと。

 ヤマタノオロチに比べれば見劣りするとはいえ、足先まで出てきて、全高100mを超えようかと言うその巨体は、負けず劣らず凄まじい力を、瘴気を、そして熱を周囲に迸らせていた。

 その姿を見て、敵と認識したのだろう。ヤマタノオロチは、また別な首を伸ばして、その巨体を半ばから食いちぎらんと襲い掛かってくるが……その瞬間、こちらもまた動いていた。
 黒い溶岩骨の腕を振り上げ、こぶしを握り締めたかと思うと……膨大な熱と瘴気がそこから噴き出し、溶岩があふれ出し、さらには腕そのものが、赤熱して膨張していく。表面にひび割れが起こり、中から赤々とした、眩しくも禍々しい光が覗くまでしていた。

 その拳を持って、突っ込んできたヤマタノオロチの頭を殴りつけ……その頭が爆散した。

 殴りつけたその瞬間、今まで周囲にまき散らしていた熱を遥かに上回る、まるでミサイルでも直撃したかのような爆炎と爆風が吹き荒れ、打撃の威力そのものも相まって、大蛇の首は消し飛んでしまった。加えて、その際の熱による燃焼もまた暴虐の限りを尽くし、首半ばまでが焼けただれたり、炭化して崩れ落ちたりしていた。

 頭の1つを潰され、予想だにしない深手を負わされたヤマタノオロチは、激痛にか、あるいは怒りでか、凄まじい音量の叫び声を響かせる。
 その様子を満足そうに『うんうん』と眺めながら、ミシェルは改めて、その魔物に命令を下す。

「デビュー戦だ。遠慮はいらない……目の前にいるデカブツを叩き潰し、焼き尽くし、消し飛ばせ……ランク測定不能の力を見せてみろ、『サラマンダーアンデッド』!」


 ☆☆☆


(……まいったのう。わしとしたことが……見誤ったか)

 瞼の裏に移る『光景』のうちのいくつか。
 ここから挽回していくつもりで打った手が、あまりにあっさりと対応され……もとい、『対抗』されてしまったその光景に、オウバは内心で舌打ちしていた。

 『ヤマタノオロチ』は、彼女の切り札だ。
 そのあまりの強さゆえ、完全に支配・使役することこそできないが、封印を解いて自分の手駒にするくらいであれば十分に可能だった。完全に支配できていない点は、最初から野生の獣か何かを捕まえたのだと思うことにして、言うことを聞くよう教育・誘導すればすぐに解決したのだから。

 ゆえに、『ヤマタノオロチ』と真正面から戦える存在……巨大な灼熱の亡霊『サラマンダーアンデッド』が出てくるというのは、そして戦いが始まるのは、流石に予想外のことだった。

(加えて、この小娘がここまで戦えるというのも想定外じゃったな)

 ―――ズガガガガガガガ!!

 目の前で、手に持った鉄の筒のような武器から、無数の魔力弾を打ち出してくるクロエ。
 しかも、ただ闇雲にばらまいているというわけではなく、それらはばらけこそすれど、ほぼ的確に目標と定めたものに命中し、それらに無数の風穴を開けている。

 オウバを守るために前線に出て来た、鬼の兵士たち。
 それと手を組んでいる、土着の妖怪達……の中でも、反逆者の枠組の者達。
 オウバ自身が召喚した、何体もの式神、あるいは妖怪。

 それら全て、クロエが手に持つ『軽機関銃型』マジックウェポンから射出される魔力弾にハチの巣にされ、出現し、突撃する端から死を迎えている。

 何体か、その死線を潜り抜けて彼女に肉薄する者もいなくはないのだが、接近されたとしてもクロエに隙があるわけではなく、もう片方の手に持った、刃渡り長めのナイフによって、いともたやすく急所を切り裂かれ、同じように屍となる。

 あるいは、防御に優れた者がまとまって突破しようという所に、グレネードが投げ込まれて周囲一帯を消し飛ばす。

 そうして発生した土埃を目くらましにし……一瞬の隙を見てそこを突っ切ったクロエは、土煙の向こうでしかし、油断なく構えていたオウバにナイフで斬りかかる。
 ギィン、と甲高い耳障りな音が響き、しかし鍔迫り合いにはなることなく、一瞬でクロエは離れ……離れながら機関銃の掃射をオウバに浴びせる。

 オウバはがそれを、強力な障壁によってどうにか防ぐも、それすら見越していたかのように今度はクロエは横に跳び……いや、ただの跳躍ではありえない、曲線的な軌道を描いて、一気にオウバの斜め後ろに回り込んだ。

 その動きを可能にしたのが、クロエが今の一瞬――マシンガンの掃射をオウバが防いでからクロエが跳躍するまでのコンマ一秒の時間――でオウバの背後の木に打ち込んだ鋼線を使い、それを巻き取ることで体を引っ張らせるという、ある種のワイヤーアクションだ。

 髪の毛ほどの細さでありながら、太い鋼の鎖以上の強靭さを誇るそれにより、クロエはオウバの死角に回り込み、またしてもマシンガンを放つ……かと思いきや、手に持っていた黒く丸い何かを放り投げる。
 それも、投げつける感じではなく……ぽーん、と、優しく放る形で。放物線を描いて、オウバが振り向いた時、ちょうど目の前に来るように。

 そしてその直後、攻撃に対処しようと実際に振り向いたオウバの、まさに目前十数センチほどのところで……『スタングレネード』が爆発し、周囲に爆音と閃光をまき散らした。

「ぬうぅぅうっ!?」

 予想外のことに驚き、流石に目をつぶってしまうオウバ。

 その瞬間を見逃さず、クロエは懐からスローイングナイフ……投擲用のナイフを、それも刃に致死毒を塗り付けたそれを取り出して投げつけ、さらに同時に同じものを1本、ワイヤーに括り付けて飛ばし、横側から回り込ませるようにして襲い掛からせる。そしてもう片方の手で、今度はグレネードを放り投げる。さっきと同じように、オウバ本人には当たらず、その1歩前に落ちるように。

(目を潰したとはいえ、迂闊に踏み込むのは危ない。力では負けてるんだから、確実に……っ!)

 しかしその瞬間、オウバは目を閉じたまま、飛んでくるナイフを切り付けて弾く。さらには、横合いから襲ってくるもう1本も同じようにし……その上で鋭い動きで横に飛び退った。

 結果、ナイフ2本はもちろん、爆風からすら完璧に逃れたオウバは、着地と同時にその目を開いたかと思うと、はっきりとクロエの方を見て……構えを取る。
 同時に、その体中から悍ましいまでの、黒々としたオーラが……『百物語』で吸収した怨念のエネルギーが滲み出す。オウバ自身が醸し出している威圧感や存在感も加わり、あたりの空気が一遍に緊張感に満ちたものとなった。

「さすがは鬼の古強者、ってとこ? アレ、普通ならショックで動けなくなる上に、視力もたっぷり数十秒は回復なんてしようにないはずなんだけど……」

「ふん……眼が潰された程度で動きを止めているようなかわいらしい小娘だった時代など、どれ程前じゃったかの。『鬼』とは戦の中に生きる化生、命のかかった死闘すら糧とすることで強さを練り上げて来たわしらが、いかな事態に陥ろうと、戦場で頭と足を動かすことを止めることなどない。そのような玩具を振り回して強くなった気になっている若造にはわからんかの?」

「そっちはそっちで『百物語』なんておまじないに頼って迷惑振りまいといて何言ってんだか……あんまり昔の古臭い常識ばっかり偉そうに語ってると、そのうち恥かくわよ? にしても……どこでもお年寄りのいうことは一緒ね。ホントなんだって、新しく作られたいいものの良さってもんを認めてくれない人が多いのかしら。便利で強いんだから活用すべきでしょうに」

「言いおるわい、小娘が。これだからわびさびや、何より戦の礼節というものを知らん若いもんは……戦いというのは、ある種の真理なのじゃよ。効率だの戦略だの、そういったものに……所詮は小手先の技であるそれらにかまけるぎるがゆえに、今の若いもんは真理を見失っとる」

 オウバは語る。彼女達が持つ、『鬼』としての……『戦い』に関する価値観を。

 太古の昔から、人々はことあるごとに争って来た。
 人だけではない、動物も、妖怪も、植物すら時にはそうだった。

 その根源にあるのは、『奪い合い』だ。

 時に金を、時に食料を、時に物資を、時に土地を、時に女を、時に命を、時に誇りを、
 あらゆる時代のあらゆる戦いは、様々なものをかけた『奪い合い』だった。それが外聞としていいものか否かを問わず、何かしらのやり取りがそこにはあった。
 望むものが、結果が欲しいから戦う。戦って、勝ち取る。それを皆、繰り返してきた。

 それは、今の時代も変わらない。あらゆる存在は自分の欲するもののために戦って勝ち取ろうとする。ゆえに、戦いとは、競争とは、この世の最も単純で、全てに通じる真理なのだと、オウバは語る。

「昔に比べて少しばかり人が小利口になり、着飾ってふんぞり返るようになった。しかし、その理はいつの時代も変わらん。じゃが、外聞だの血筋だの権威だの、そういったものが混じってきて、戦いを穢すのじゃ。それら一切を取っ払い、雄々しく、気高く、潔く……真に美しい『戦い』の果てにこそ、真に正しい世界がある。そしてその世界の頂点に君臨するのが我ら『鬼』なのじゃよ」

「ふーん……だからって今もう平和な世の中を壊されたんじゃ、たまったもんじゃないけどね」

 今の世の中は間違っている。腐敗に満ちた世界は正しくない。
 だから壊して、作り直す。そして、真に強い自分達こそがその頂点に立つ。

 要約するとそう言っているのだろう、とクロエは解釈した。

「ひゃっひゃっひゃっ、お主らのような、ぬるま湯につかることになれた者達からすれば理不尽に感じるかもしれんがの、世の中とは元々そうなっとるんじゃよ。わしらはただ、世をあるべき姿に戻すだけのこと。それに、お前達の言う平野な世が、社会が、指導者達が、わしらが暴れた程度で壊れるというのなら……所詮はその程度のものだったということじゃろうて」

(……この分だと、自分達に都合のいいことばっかり言って……というか、解釈からしてそんな感じになってるってことに、気付いて……ないんだろうなーこのお婆さんも。ハイエルフの連中といい、変な方向に頑固というか頭固いのが多くて困るわ……それに……)

「年食ってる割に、戦いに夢見がちなのね、おばーさん」

「……何じゃと?」

 クロエの言葉を聞いて、怪訝そうな表情をするオウバ。
 機嫌を悪くしたから……ではない。単に、彼女の言っていることの意味がわからなかったから。

 苦し紛れに適当を言って、オウバの論を否定しようとしたのかとも思ったが、そうではないということはすぐに分かった。

 クロエの目が……オウバを射抜くように見据えるそれが、これまで見たことも無いほどに鋭く、そして冷たいものだったから。
 そして、その視線に乗っている感情が……『怒り』でも『憎しみ』でもなく、『殺意』ですらなく……『呆れ』と『軽蔑』だったからだ。

 その真意を察しかねているオウバに向けて、クロエは、なぜかテンションが下がったような冷めた態度になったままで、

「私のところのリーダーはさ、『価値観を押し付けること』が嫌いなの。するのもされるのも。まーその割には色々周囲を巻き込んでバカやってる部分は多いんだけどさ……」

 唐突に語りだすクロエ。まだ、意図は読めない。

「でさ、これはあくまで私の価値観だから、別に語るだけして押し付けるつもりはないし、理解しろとも言わないけど……戦いって、そんないいもんじゃないわよ? 無きゃ無いほうがいい」

「ほう、そのこころは?」

「人が傷つく。この一点」

 何の迷いもなく、考えることすらせず、クロエはノータイムでそう言い切った。

「目的とか関係ない。大義の有無も関係ない。仕方ないことだとしても、単なる個人の我が儘や欲望が原因だとしても、戦いが起これば、それによって傷つく人が出る。それが嫌」

「なるほどのう……まあ、ままある考え方じゃな。特に、花よ蝶よと育てられた世間知らずの小娘なんぞには。しかし見たところ、お前さんがそんな風な育ちには見えんがの?」

「まあ、そうでしょうね……ある意味、それとは対極なところにいたからね。まあ、それも必要なことだと思って、わかってたからそこでの仕事もまじめにやってたけどさ」

 はあ、とため息をつくクロエ。

「でも別に私、間違ったことは言ってないでしょ? 人は、自分が、あるいは他人が傷つくのが嫌だから、そうならないように色々と工夫して生きてきた。まとまって村や町を、国を作り、他者の暴力に集団となって対抗しようとした。法律を作り、暴力によらず問題を解決できるようにした。他にも、それまで傷ついたり、犠牲を出すことなしにはできなかった物事を、傷つかずになしとげるため、傷つくような争い自体が起こらないような工夫や発明を繰り返して、人は生きて来た。今ある社会は、そういう、過去の人達の平和への渇望が形になったものなのよ……」

「じゃが、それでも戦いは起こる。万人にとって受け入れられる社会などありはせん。世に不満を持つ者によって、その社会を変えようと、壊そうという動きはいつの世も、どこにでもある。その口ぶりじゃと、大陸も同じだったようじゃし……それについてもわかっとるようじゃな?」

「そうね……そして、そんな連中が出てくるから……」

 一拍、

「私達みたいなのが必要とされるし、出番が回ってくるのよね」

 瞬間、クロエが持っていたナイフが消える。
 それと同時に、ナイフを持っていた手に……もう片方の手に持っている者と同じ、『軽機関銃』が握られる。二丁拳銃ならぬ、二丁機関銃。
 その殺傷能力を知っているオウバは、流石に警戒して身構える。いつでも動けて、いつでも防御の術を発動できるように。

「私にとって、戦いはあくまで仕事だった。仕事だから真面目にやってた。ちょっとやり方は特殊だったけど、平和を守ってたわけだし、やりがいも感じてた。それによって平和を守れているんだと思うと、作戦の成功は嬉しかったし、誇らしかった。でも……戦いそのものが楽しかったことなんてない。一度だって、そんな風に思ったことはなかった」

「…………」

「それでいいと思ってた。いや、今も思ってる。だから、私達以外がこんな風な思いをしなくてもいいように頑張ってきてたけど……結局最終的に、ポカやらかして辞めることになった上に、策略に嵌められて全部失って……まあ別に、そうなったのは半分くらいは私の自業自得な部分あるから、それについてあんた達に八つ当たりとか何かする意図はないんだけどね。それでも……」

 ジャキン、と、
 両手に持った機関銃……その銃口が、オウバに向けられる。あとは少し指を動かすだけで、雨あられと魔力弾が吐き出されてオウバに襲い掛かるだろう。

「やっぱり今でも、どうしても嫌いなのよね……そういう考え方も、そうして引き起こされる戦いも。悪くない人が悪いことにされ、傷つかなくていい人が傷つく、はた迷惑な『戦い』。それを嬉々としてまき散らし、当然の権利のように利益をむさぼる連中……目の前にすると、頭と心が冷えていくのがわかる。まったく……軍人時代の嫌な感覚思いださせてくれたわね、覚悟しなさいよ」

「なるほどのう、戦場に立つ戦士とは少し違えど、曲がりなりにも戦いを、そして命のやり取りを理解する者じゃったか。よかろう、異国の戦士よ……このババに見せてみるがよい、戦いを嫌うと語る、お主の戦いを。それすらも飲み込んで、その記録をわしら鬼の覇道に添えるとしよう」

 自分の方を向く2つの銃口に対抗するように、仕込み刀とその鞘を持つオウバ。

 両者の間の空気が張り詰めていき……しかし、両者、相手の出方をうかがって動かないがために、不気味なほどの静寂がそこにある。風が木の葉を揺らす音が、やたらと大きく聞こえていた。

 どちらが先に動くか、何が飛び出すか、
 極限の緊張感と言っていい空気の中、ふいに、クロエが口を開いた。

 その唇の動きにすら、オウバが注意して身構える前で、クロエが口にしたのは……



「見せるわけないでしょ、何ボケたこと言ってんのよこのテロリストは」



「……何じゃと?」

 この空気の中にあって、あんまりと言えばあんまりなセリフだった。
 一部、横文字でわからない言葉がまじっていたものの、大方の意味はオウバも理解でき……しかし、理解できるからこそ唖然とする。

 しかし次の瞬間、オウバは異変に気づく。

(体が……重い……!?)

 突如として襲い掛かってきた異変に、オウバは内心で困惑しつつも、それを表には出さず、異変が起こったことを感じさせないままに構え続ける。
 しかし、わずかなその姿勢の揺らぎと表情の変化から、クロエはその異変に気づいていた。

 それも当然なのかもしれない。
 それをもたらしたのは……彼女なのだから。

「さっき私が言ったこと覚えてる? あんた、戦いに夢見すぎだって」

「……毒か……? 小癪な、いや、無粋な真似をするものよ……刃を交えて己が信念をぶつけあうことの尊さすら理解できぬか」

「そういうとこよねー。おばーさん、あんたさあ……妙に戦いを美化してるっていうか、まるで崇高で神聖な行事か、スポーツみたいに思ってるっぽいわよね。でもさ、これもさっき言ったことだけど……私にとって戦いってのは、無いほうがいいものなの。そしてもし起こってしまったら、あるいは起こりそうだとしたら……さっさと終わらせるべきだと思ってるのよ。迅速に、効率的に」

「そのためならば、毒でも使うか」

「違うわね、使えるもの全部使うわよ。法も、良心も、常識も、己の誇りも信念も、何もかも投げ捨ててでも……ただ1つ、目的、ないし任務の達成のみを至上命題とする。特殊部隊ってのは……そういう連中よ。あー全く、昔のいらんこと思いだした……」

 冷めた目で語るクロエ。
 彼女が使ったのは、無色無臭の毒ガスである。あまり広い範囲に広がって効果を発揮するものではないが、先程から戦い続けているオウバが立っている辺りならば、問題なく射程圏内だ。

 しかも遅効性の上、実はこの毒は致死毒ではない。麻痺毒だ。命に直結せず、徐々に体の動きを、妖力の操作能力ごと奪っていく凶悪なもの。
 それをガスにして、ずっと前からクロエは散布しながら戦っていた。

 だが、体が動かなくなる感覚を確かに感じ取りつつも……オウバは焦ったり、怯んだりする様子を見せない。

「舐めるなよ小娘……この程度の毒でわしを葬れると、あるいは止められると思うているのなら、その傲慢を正してくれよう。そのおかしな鉄の筒でも、あのよう斬れる小太刀でも、何でも使ってこのババを殺してみるがよい。殺せるものならな」

 やや体勢を低くし、刀を構えるその姿には、一分の隙もない。やせた体躯ながら力強く、また放っている覇気は歴戦の古強者のそれ。本当に毒が回っているのかと疑問に思えるほどだ。

「毒だの罠だの、戦に生きて来たわしのような鬼からすれば、実に慣れ親しんだものじゃよ。幾度もこの身に受けて、それでなおその全てを踏み越えて来た。小手先の小細工でわしを殺せると思うなら、何をしてもいい、試してみるがいい。首と胴体が泣き別れになるその瞬間、貴様らは己の甘さを真の意味で知ることとなろうよ」

「……でしょうね。毒に耐性つけるくらいなら、私の古巣でも結構やってたし、まあコレもそんなに効かないだろうなー、とは思ってたわ。そもそもあんたたち、『百物語』のせいで色々無駄にタフだしね…………だから……」

 さらりとそんなことを言った直後……その場から、一瞬でクロエの姿が消えた。

「…………?」

 困惑しながらも、オウバは周囲の気配を探る。
 幻惑か何かで姿を消し、死角から襲ってくるか。それとも、怖気づいて逃げたのか。
 油断なく周囲の様子を伺うが、周囲には本当に何者かが潜んでいる気配はない。

 本当に逃げたのか? と、オウバが眉をひそめた……次の瞬間。



 ―――ガガガガガガガガガガ!!! ドッッゴォォオォォオオン!!



 突如として響き渡った轟音。抉れる地面。引き起こされた大爆発。
 その爆心地に立っていた……そして、毒によって素早く動けず、回避することもできなかったオウバは……何が起こったのかを、否、何かが起こったとすら認識する前に、超のつくほどの高熱と強烈な爆風の前に、纏っていた『邪気』ごと一瞬にして蒸発した。

 そしてその直後、

 ギュオオォオン!! と空を着る轟音を響かせて、上空からほぼ垂直に急降下してきた戦闘機『ヤタガラス』が、急速に方向転換、地面すれすれを飛行してから急上昇する形で飛んだ。
 そして、今しがた急降下爆撃――垂直落下に近い軌道で急降下しながら、これでもかというほどの量の爆弾や魔力弾を叩き込む――によって、周囲一帯を何も残さず消し飛ばすほどの火力を叩きつけたその場所から……その場から飛び去っていった。

 もちろん、そのコクピットに……クロエを乗せて。

 数秒前、転移のマジックアイテムによって、あらかじめ召喚して隠蔽し、空中に待機させていた『ヤタガラス・改』に乗り込んだクロエ。
 そのまま急降下し、狙いを定めて全弾発射。

 毒で動きが鈍っているオウバに対し、かわしきれない範囲にとても防げないほどの威力の攻撃を叩き込むべく、対人戦だったところに何のためらいもなく戦闘機を持ち込んで火を噴かせた。
 『百物語』の効力を持ってすら減衰できないほどの大火力により、ある意味であっけなく、いきなりと言っていい速さ、あるいは唐突さで決着がついたのだった。


 ☆☆☆


 そしてこちらの戦いでも、決着がつこうとしていた。

「ミナトが前に言ってた話だと、この『ヤマタノオロチ』って怪物はさ、手が付けられないほどの力を持った災厄にも等しい存在なんだそうだよ。ただ、酒好きってところが弱点で……ある物語では、英雄が酒をたらふく飲ませて酔い潰して眠らせ、その間に斬り殺したんだってさ」

「あの子は相変わらず変な知識持ってるわねー……どこから仕入れてくるんだか。というか酒好きの私としては、そんな風にだまし討ちの道具に使いたくないんだけどね。お酒はみんなで楽しく、美味しく飲むものよ」

「むしろそのおつまみにヤマタノオロチコイツ食べる勢いだよね。美味しいらしいし……ミナトやクローナさんがここにいたら嬉々として回収して食材にしただろうね。もうちょっと加減して倒せばよかったかな?」

「私も食べたけど、アレは美味しかったわねー……まあでも、コレ・・はしょうがないんじゃない? いくら何でも……戦闘中っていうか、戦争中なんだしさ」

 高台から戦場を見下ろしつつ、そんな軽口を叩きあう2人。
 セレナとミシェルの見ている先で……勝負は既に決している、と言っていい状況だった。

 8つの首で吼え、8つの尾を唸らせて大暴れしていた……妖怪、というよりも怪獣という表現が似合っていそうな、生ける災厄……ヤマタノオロチ。

 それが今、8つあった頭のうち、5つが無残にも潰されて動かなくなり、その体の動きを阻害する重りのようになってしまっている。頭以外にも全身には無数に傷が刻まれており、そのほとんどは火傷だ。

 そしてそれらを刻み込んだのは……ヤマタノオロチの前方に仁王立ちしている、もう1体の魔物……もとい、大怪獣である。

 黒い溶岩を固めてできた、赤熱し所々から赤い光を放つ骨格と、それに屍肉のようにまとわりつき、あるいはそこから滲み出すようにして流れ出ているねばついたマグマ。その体の全てから暴力的なまでの熱を周囲に放ち、自然発火で火の海を作り出している。
 赤と黒に染まった骨の体を持つ、熱と死の巨人……『サラマンダーアンデッド』。

 その躯体は、骨でありながら弱弱しさ、脆さなど微塵もなく、ヤマタノオロチの巨体による突進や締め付けにも耐えて見せた。

 また、溶岩でできた骨格を一度溶解させて形を変え、再度固めることで変形することもできた。時に骨の太さを何倍にもした巨大な腕で殴りつけ、時に指の先を鋭い刃に変えて切り付けた。

 さらに、強烈な一撃によって体の一部が破損しても、もともと体は溶岩である。すぐにまた形を取り戻して固まり、ダメージなどなかったも同然に動き出す。

 極めつけに、その熱によって、近接攻撃では攻撃したヤマタノオロチの側がダメージを受ける。直接攻撃しなくとも、高熱で体力が奪われ、呼吸をするたびに体が内側から焼かれる。

「『サラマンダーアンデッド』の厄介なところは、その巨大さや馬力、超のつく高熱もそうだけど……それ以上に『倒せない』ところなんだよねえ。体はスケルトン系に見えても、骨まで全部溶岩で変幻自在で、物理的な攻撃は実質意味がない。本体はそれらに取り付いて動かしている霊魂であり……それをどうにかしない限りは何度でも再生する」

「うちのミナトみたいに、問答無用で魂ごと殴り飛ばしたり、強制的に成仏させるみたいな能力が使えない限りは……いや、それ以前に基本的な戦闘力というか、危険度がもうアレなんだけどね」

「それもまあ確かに」

 最初の首は、赤熱して肥大した骨の拳による一撃で爆散した。

 次の首は、噛みついた瞬間に口の中を焼かれ、怯んだところを捕まって……そのまま、高熱で焼かれながら握りつぶされた。

 3つ目の首は衝撃波のブレスをぶつけて来たが、それで僅かに砕けた骨(岩)も、すぐに再生。お返しとばかりに手から飛んできた、怨念のこもった溶岩に包まれて焼け、溶けた。

 4つ目の首は、襲い掛かろうとしたところで……『サラマンダーアンデッド』の手の指が長く伸び、同時に鋭く研がれた刃と化した。その5本の鋭い爪により、一瞬で輪切りにされて焼かれた。

 5つ目の首はなりふり構わず突っ込んで噛みついてきたが、それをつかんで、まるで背負い投げのようにその巨体を投げ飛ばし、地面に叩きつけられ、衝撃と火傷で動けなくなったところを踏み潰されて爆散した。

 そして今、6つ目の頭が首元から引きちぎられ、7つ目がお返しとばかりに噛みついて……しかし痛打にはなりえず、逆に喉元に噛みつかれてそのまま食いちぎられた。

 最後に残った8本目の頭。
 最早、体を動かす力もないのであろうヤマタノオロチだが、古の王者のプライドか、はたまた『恐怖』という感情をそもそも知らないからか、怖気づくこともせず睨みつけ、吼えかかってくる。

 その様子を、全身が燃え上がっていながらも……やはりアンデッドなのだろう、邪悪さは感じれど、生物的、感情的な意味での『熱』を持っていない瞳で見下ろしていた『サラマンダーアンデッド』は、不意に、息を吸い込むように周囲の空気を吸収し始めた。
 当然ながら、アンデッドであるこの魔物には、呼吸など不要なのだが……どんどん口から……だけでなく、骨の隙間全てから空気を吸い込む。吸い込み、胸の伽藍洞に圧縮してため込む。
 それは加熱により膨張し、それをさらに圧縮し……を繰り返していく。

 肋骨の中にため込まれた空気は、圧縮、補充、過熱、膨張を繰り返したことによりプラズマ化し、骨の隙間からその光が周囲に漏れ出すまでになっていた。
 そして、それが……肋骨の前部分が左右に展開されると同時に、破壊光線となって発射された。
 地面に転がっているヤマタノオロチの最後の頭に直撃し、そのまま体部分をなぞるように照射された極熱の閃光は、周囲一帯を火の海……を通り越してマグマオーシャンに変えるほどの威力。戦場が荒地でなければ、余波だけで大変な被害をもたらしていたことだろう。
 当然だが、直撃を食らったヤマタノオロチも、その周囲に転がっていた鬼の軍勢たちの亡骸も、何一つ残っていない。全て、燃え散って灰か消し炭になってしまっている。

 『イズモ』を舞台に行われた戦いは、こうして、鬼の古強者と伝説の怪物が……何の偶然か、共に焼き尽くされて骨の欠片一つ残さずこの世から消え去るという結末を迎えたのだった。



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