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第11章 大監獄と紅白の姫
閑話3 貴人たちの休日
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明日明後日で、5巻発売に伴うまとめを行う予定でいます。
ご承知おきいただければと……
そして多分、次章前の閑話はこれが最後です。どうぞ。
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よく晴れた、ある穏やかな日の午後のこと。
王都ネスティアから少し離れた所にある、静かな草原。
背の高い草もなく、どちらかと言えば芝生のような……自然のものとは思えないほどに整って生え揃っている緑の絨毯。
何人かの男女が、そこに大きな布を敷いて、持参したと思しき弁当を食べながら談笑していた。
見るからに、楽しいピクニックの真っ最中、といった感じである。
……周囲半径数百mに散らばるように配置された、武装した見張りの兵士がいなければ。
「全く……何とかならんかったのか、これは。せっかくのリンスとのピクニックだというのに」
「面子が面子だ、仕方ないだろう。気にしなければいいだけの話だ」
「……そうは言うがな、これでは景色を楽しむどころでは無いぞ? どこを見ても、開放感溢れる大自然の風景に、鉛色の金属の塊がもれなく一緒に視界に入ってくる」
「そのようなことを言ってはいけませんよ、お姉さま。皆、私達を守るためにこうして一緒に来てくれているのですから。私なら、こうして皆さんと一緒にお外でお食事が出来るというだけで、これ以上何も望むことなどございませんわ」
「だそうだ。主賓が納得しているんだから、文句はそれくらいにしておけ。飯がまずくなるぞ」
「むぅ……」
ビニールシート(のような大きな布)の上に腰を下ろしている、6人の男女。
何十人もの武装した兵士達に守られている彼ら彼女らは、無論、一般人ではない。
このピクニックの主催者である、ネスティア王国第一王女・メルディアナ。
その妹であり、主賓と呼ばれた第二王女、リンスレット。
公務でネスティアを訪れたところを呼ばれた、ジャスニア王国第五王子・エルビス。
その元影武者であり、腹違いの妹である……ルビス。
そして、2国の王族に名を連ねる彼らの傍らには、最も近くで4人を守る2名の護衛がいた。
1人は褐色の肌に豊満な体、パープルグロンドの髪が特徴的な、王国軍大将・イーサ。
そしてもう1人は……屈強そうな大男だった。
剃っているのか、丸坊主、を通り越して禿頭といっていい状態の頭に、浅黒い肌が特徴的だ。厚手の布の軍服に身を包んでいるが、その上からでもわかる筋肉質な肉体をしている。
が、それら以上に特徴的なのは……彼には腕が4本あるということだった。
4本のうち2本を体側にそろえ、もう2本で腕組みをしている。
そして、腰には4本の長剣をさしている。
軍服のデザインが明らかにイーサと違う彼は、ジャスニアから同行してきたエルビス達の護衛。
ジャスニア王国軍中将……デンゼル・ビート。希少種『昆虫系』の獣人族である。
「デンゼル。お前も座ってはどうだ? 立ちっぱなしでは疲れるだろう」
「……いえ、自分はこのままで」
エルビスの誘いに、やや小さいがよく通る低い声でそう答えるデンゼル。
イーサが4人と共にシートに腰を下ろしているのに対し、デンゼルはシートのそばに仁王立ちして身じろぎ一つせずにいる。遠目からだと、置物にでも見えてしまいそうである。
「硬くならずともよいのだぞ、デンゼル中将? この場は別に公務でもなんでもない、友達同士で遊びに来ているだけだ。見ろコレを。このくらい力を抜いておくくらいで丁度よかろう」
「コレとは何ですか殿下、コレとは」
隣に座って、文字通り遠慮せず一緒に料理をつまんでいるイーサを指差して言うメルディアナ。
もっとも、別に怒ったりいらだった様子などは微塵もないが。普通に友達の軽口に付き合うようなノリで返していた。
しかしそれでもデンゼルは、軽く会釈してそこに立ち続ける。
「相変わらず堅苦しい男じゃのう。硬派は結構じゃが、四六時中そんなでは息が詰まるぞ?」
「……自分、不器用ですから」
そんな言葉と共に、再び沈黙するデンゼルだった。
友達同士の交流はもちろん、リンスレットの快気祝いとして開催されている、このピクニック。
明るい外を出歩くことができ、そしてそこで家族や友人と楽しく談笑できている、今の一瞬一瞬の幸せをかみ締めながら、リンスレットは心の底から笑っていた。
それを見て、メルディアナやイーサ、エルビスやルビスの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。
デンゼルだけは仏頂面のままに見えたが、それなりに付き合いの長いエルビスには、喜んでいる様子だということがわかっていた。
そんな穏やかな時間が過ぎていく中、ふと思い出したようにリンスレットが言った。
「それにしても……王族のお務めって、やはり忙しいものですね。長らく離れていたせいで忘れていました……今まで私の分までお姉さまたちにお任せしていたなんて、申し訳ない限りです」
「何を水臭いことを言う、リンス。しかし、貴族連中も気がきかんというか……もう少しくらい養生の時間をくれてもよかろうにな」
「そういえば、リンスレットは先日公務に復帰したのだったな」
「忙しいのは公務もそうだが、リンスが表舞台に元気で帰ってきたと見るや、うちの貴族連中と来たら、ここぞとばかりに謁見を申し込んで来おって……しかも、ほとんどがわざわざ年の近い息子やら何やらを連れてきていると来たものだ。いっそ清清しいくらいに魂胆が透けて見える」
「貴族などというものはそんなものだろう……まあかく言う私も、今ちょうど似たような苦労を味わう身となっているが……」
「む? どういうことだルビス? 初耳だが」
少し尻すぼみ気味な声で呟くように言ったルビスの言葉を、メルディアナは聞きのがさなかった。
「あー、その……エルビスが完全に復帰して以降、私の立場がどういった形のものになったかというのは知っているだろう?」
頷くメルディアナ。それについては、以前に本人から聞かされていたし、そもそも事実として公表されている1つである。貴族ならほぼ誰でも知っていると言っても過言ではない。
無論、全てを、というわけではないが。
罹患の事実自体が隠されていた『蝕血病』の完治後、エルビスは完全に王子としての公務に復帰することが出来た。それと同時に、影武者を務める必要もなくなった。
しかし、影武者として貴族社会や国の中枢にそれなりに深く関わったルビスは、そのままお役御免としてもとの一市民の暮らしに戻れるか、と言われれば、それは否だった。
今回の『影武者』の一件は、ジャスニア王国内でもほんの一部にしかその全容は認知されていないが、その『ほんの一部』の中には、ルビスの実の父親である国王も含まれていた。
2人の病が無事に完治したと知った国王は、ルビスとその母親……以前自分が一夜の過ちを犯した元・女軍人である彼女に直接会い、以前から考えていたという提案を告げた。
このまま王都にとどまり、貴族として暮らさないか、と。
ルビスが影武者をやるようになってからは、実は彼女の母親も、王都で働いていたのだ。
さすがにルビスと同じ王宮に住む、あるいはそこで働くことは出来ないが、王の信頼の置ける貴族の屋敷で住み込みで雇い、ルビスの近くにいられるように取り計らっていた。
そして、たまにではあるが親子で会えるように機会を設けたりもしていた。
そしてルビスの影武者としての仕事は終わったが、もし王都にこのままとどまりたければ、引き続き居場所を用意させてもらいたい、と王自ら申し出たのだった。
その提案を、ルビスは受けた。
贅沢な暮らしや地位などに特に未練はなかったが、一時的にとはいえ国家権力の中枢に関わった自分が、今後のどかな田舎で暮らし続けられるかといえば、おそらくはNO。目ざとくかぎつけてきた何者かによる干渉がある可能性が極めて高いと、そう考えて。
そしてその他に、理由がもう1つ。
それは、『影武者』の彼女の世話をしていた侍女……ヴィットのことだった。
ルビスの出生時に起こった騒ぎについては、以前に話に上がった。
ルビスが、王との間に生まれた不義の子だと知った、彼女の母の嫁入り先の男爵家当主が、嫉妬と怒りから王の暗殺を企て……家の存続を危ぶんだ忠臣によって殺された、というもの。
その、主君殺しの汚名を被って家を守り、そして処刑された忠臣の娘こそが、ヴィットなのだ。
物騒な言い方をすれば、ヴィットの父はルビスの父を殺したために処刑されたのである。
その後、夫の罪によって貴族籍剥奪の上、追放刑に処されたヴィットとその母だったが、数年後、酌量の余地ありとして遠縁の貴族家が使用人として迎え入れた。
そこでの働きが買われ、ヴィットは王都で仕事を任されるまでになり……その後、因縁浅からぬルビスと出会い、何の因果か彼女に仕えることになったのである。
しかし、その件でヴィットに負い目を感じていたルビスと違い、ヴィットはその時のことを全くと言っていいほど気にしていなかった。父が信念のもとにやったことなのだから、と。
そして、ルビスやその縁者を恨むこともせず、誠心誠意彼女に仕えた。
ルビスが影武者を終えてなお貴族として王都に残ることを望んだ理由の1つは、そのヴィットの気高い姿勢に少しでも報いるためという責任感と……貴族になるに際して与えられる名が、かつてヴィットが名乗っていた家名だったからであった。
ルビスは王都に残るに際し、様々な理由から名前を凍結されている貴族家の名を譲り受けて貴族になる、という手法をとることになった。貴族家の有能な次男坊や三男坊が、生家を長男などに任せて独立する際に用いられることのある手法である。
生家については権力乱用で偽造し、王家の遠縁の出ということにした。これで、エルビス王子に容姿や特徴が似ていることについては言い訳が立つ。
その上で、事実上新興の貴族として、いくつかの後見をつけて独立させたのである。
新たな名……『ルビス・レイリアル』と共に。
そして、その傍らには、引き続き……ヴィットの姿があり続けているという。
さて、ここまでが裏事情であり……表向きには、ルビスは地方で手柄を立てて中央に呼び上げられた出世株ということになっている。その際に、貴族として独立を許された、と。
そんな彼女は、覚悟はしていたものの……貴族社会の荒波に揉まれる毎日を送っていた。
そこから、先程の愚痴のようなセリフが出るに至ったのであった。
「何だ、嫌がらせをしてくる貴族でもいるのか?」
心配そうに言うエルビス。対面の位置に座っているメルディアナやリンスレットも気になるようで、心なしか前に身を乗り出しているようにも見える。
女の当主の貴族というのは珍しい。
そして同時に、貴族は基本的に男社会であるため、あまりよく思われないのである。それをしっている3人が不安そうに見るが……ルビスは口ごもるようにして、
「いや、裏で国王陛下が動いて、大口の後見をいくつも付けてくれたおかげで、それはない。ないんだが……その……」
「?」
「……さっきメルディアナが言っていたのと同じで……貴族の長男とかが、その……」
(((……ああ、それか)))
全員が悟った。『政略結婚』か、と。
その予想、大当たりであった。ここ数週間ほど、ルビスのもとにはそろそろ両手両足の指では数えるのに足らなくなりそうな数の、そういった話が持ち込まれているのである。
嫁にほしいというものもあれば、うちの子を婿に、というものもある。中には、うちに妾に来ないか、というものも……おおっぴらにではないが、誘いが来ていたりする。
後見についている貴族達が有力な家ばかりであるがゆえに――王がわざわざ目をかけたのだから当然なのだが――将来性があると見込んで今のうちから取り込もうと熱心な者たちだ。
……まあ中には、欲望だけのものも……いないではないが。
その怒涛の攻勢に、これまでこういう立場に立ったことのないルビスは、盛大に戸惑っていた。
影武者をしていた時に、そういう誘いを受けたことがなかったわけではない。しかしその時のルビスはあくまで『エルビス』を演じていたのであり、求婚その他も『エルビス王子』に向けられたものだった。
しかし、今ルビスが受けているのは……紛れもなく、彼女自身へ向けてのアプローチなのだ。
「今までそんなこと考えたこともなかったからな……私が、その……女として誰かに求められるような日が来ようなどと……」
「まあ、年中無休で体つきごと男装していたのだから当然だな」
「女として過ごすようになってから、周りからの視線も違って感じるし……普通に過ごしているだけのつもりだったのにヴィットに怒られることが増えたし……はしたないって」
「女顔なだけの仏頂面の野郎とクールな感じで色気のある女では、そりゃ見る目も違うだろうさ」
「男と女の礼儀作法は違うからな、ヴィットの指摘も当然だろう。むしろ注意してくれるなんていい従者じゃないか……所でメルディアナ、『女顔で仏頂面の野郎』って私か? ん?」
(……まあ、エルビス殿下の影武者……要は真似をしとったわけじゃから、そうじゃろうな)
イーサの心の声。
「……正直、欠片も想像できんのだ。私が、その……誰かと結婚して、家庭を築いたり、その……こ、こど、こど、こど……も……を……設けたり、産んだり、とか……」
「何だ、いきなり周囲にいい女扱いされるようになって照れているのか?」
「……だったらまだよかったんだがな……。いきなり周囲の反応が性別込みで変わってみろ、困るとか恥ずかしいとか通り越して気持ち悪くなってくるぞ? それまでの人生で学んできた対応やら何やらがことごとく通用しなくなるんだからな」
照れている、というよりはげんなりしている様子のルビス。
人生経験的な意味で、将来があまりにも見通せないがために純粋に不安になっているらしい。
しかし、無理もないのかもしれない。演技とはいえ、長らく男として生きてきたルビスが、突然女の人生を歩むことになったのだから。
環境は激変。周囲の見る目も、求められるものも、注意すべきことも全てが変わったのだ。
「……正直これから先、女として生きていける自信がない……正直、あのまま男として人生を歩んでいっていた方が気楽でよかったんじゃないか、とか思う始末だよ」
「何を言い出すんだこの褐色美女は」
「ほ、本気で参っていらっしゃるようですね……」
「ヴィットからは日夜『淑女らしく振舞われませ』とか『貴族の子女としての自覚があるのですか』とか言われるし……だからないんだよ、私には、そんなもの」
どうしたらいいんだよ、とぶつぶつと呟くようにつむがれるルビスの愚痴を聞いていたメルディアナは……ふと思いついたような仕草と共に、
「貴族の子女はともかく、女であることの自覚についてなら……そんな感じの経験はないか思い返してみるのはどうだ? 直接的な経験でなくとも、自分が女であることを自覚した瞬間とか、そういう気分になった出来事とか……ないか?」
「そう言われてもな……だから私は男として過ごしていたんだから、そんな機会がそもそも……」
「いや、機会というほどのものがなくてもいい。例えば……精悍な顔つきや、たくましい体つきの男を見てドキッとした、とか」
「いや、ないな」
「かわいらしい装飾の服や小物を見て、着てみたいと思ったとか」
「無いな。女物の服など動きづらいだけだ。出来ることなら社交会なんかもズボンで出たい」
「ヴィットの苦労がしのばれるな……なら、小さな子供を見て『自分もほしい』と思ったり……」
「ああ、それなら時々あるぞ?」
「おぉ!?」
「動きのいい、将来有望そうな子供を見ていると……つい、こう、剣や槍を教えてやりたくなるというか……体を動かすことの楽しさや、戦う力を身につけることの意義をだな……」
「……お前、今からでも男に戻ったらどうだ?」
「ちょっ、メルディアナ!?」
さすがにぎょっとして聞き返すエルビス。
その視線の先には、三白眼になっているメルディアナ。顔に『ダメだこいつ』と書いてある。
「いや、だってコイツダメだろもう。仮にそうだな……入浴の時とかに男と一緒になって、全裸を凝視したりされたりしたとしても多分コイツ顔色変えないぞ?」
「さ、さすがにそれは……」
「まあ、減るものでもないしな。裸ぐらい別に何も……」
エルビスの冷や汗を流しながらの反論をも、同じ調子でルビスがバッサリ切って捨てるかと思われた……が、なぜかその言葉は、とちゅうてぷっつりと切れたように止まった。
というか、何かを言いかけたルビス本人が、ビデオの一時停止のように止まっている。
何事かと全員の視線が集中する中……褐色の肌でもわかるくらいに、急激にルビスの顔色が赤くなっていった。
「……ルビス?」
「何だ、想像してみるとやっぱり恥ずかしいか?」
「い、いや別にそんな、み、ミナト殿に見られたくらい何も……あ」
「「「……は?」」」
予想外の返答に、ルビス以外の全員の声が揃った。
その直後、面白そうな気配を悟ったメルディアナの頭脳がフル回転し、素早く今の発言の意味と、現在のルビスの状態・反応その他があらわすものを導き出した。
(……そういえばコイツ、女に戻った瞬間の裸体をミナトに……ははぁん?)
「なるほど……そういう経験が全くないわけではないのか」
「え!? あ、や、あの……」
『オルトヘイム号』での会談の席で聞いた、ある事実。
『薬湯』によって体から薬物が抜け、女性の体に戻ったルビスの裸体を……入浴事故でもあったのかと心配して飛び込んできたミナトにまじまじと見られたという事件。
一国の王族に名を連ねる者の裸体を凝視……冷静に考えるととんでもない暴挙なのだが、その前後の話の内容があまりにも突拍子もなかったために完全に流されていた事実である。
おそらくはそれを思い出したのであろうルビスの顔が赤く染まった、となれば……男に裸を見られても平気だと語る彼女にも、少なくとも1人、意識している異性がいるとわかる。
(なるほどな……やはりルビスも女か。しかし、他の男には無反応でミナトを想像した時だけ恥ずかしさがよぎとなると、まさか……もしそうだとすると少し困ったことになるな……)
面白いことに気付いたと顔がにやつく反面、メルディアナの頭には1つ、別な懸念事項も浮かんできていた。
それを思い浮かべると同時に……自然と、隣に座っている妹に視線が行く。
それに気付いたのか、視線を返してくる妹は……いつも通りの笑顔を浮かべていた。
(……リンスにとっては……恋敵、になるわけなのか……?)
メルディアナがそんなことを内心で思ったと、リンスが気付いたかどうかは定かでは無い。
☆☆☆
「で、どうするんだ、リンス?」
「? どうする、と言いますと?」
その日の夜。
場所は、王城の中、談話室のようなスペース・
ナイトガウンに身を包んだメルディアナとリンスレットは、寝酒代わりのホットミルクを飲みながら談笑している中、メルディアナが思い出したように聞いた。
「昼間のアレだよ。あの顔見たろ? おそらくルビスの奴……多少なりミナトに気があるぞ?」
「ああ……そのことでしたか」
こともなげにそう返すリンスレット。
「平気なのか? もしそうなら、お前にとっては恋敵になるかも知れんぞ?」
「なるかも知れん、じゃなくて、なると思いますよ? 私は」
さらりとそう返す妹に、メルディアナは少し不思議そうな表情になる。
それに構わずリンスレットは、柔らかく微笑んだ表情のまま続ける。
「ミナト様は魅力的な方ですから。優しくて、誠実で……聡明で、多才で、その上……実際に見たことはありませんが、とてもお強いとか。それに……仕事でもプライベートでも関係なく、本当に心から真剣に人と向き合って下さる方です。そのお心に触れて、あまつさえ命を救われたりしてしまったとなっては……好きになってしまっても不思議ではありませんわ」
「お前のように、か?」
にっこりと微笑みだけを返すリンスレット。
「まあ……お前やルビスだからこそ、そういう惚れ方をした、あるいは『できた』のかもな」
「……と、申されますと?」
「私のように、貴族や商人相手の腹芸に慣れてしまうと、結婚なんてものは政治・外交の手段にしか見えなくなってしまうものでな……正直私はこの先、まともな恋愛などできる気はせんよ。お前はそういうのとはまだ無縁のうちに、そういう相手に出会えたというわけだ」
「まあ、そうなのですか……。でも、それではお姉さまは……」
「気にするな。私はこの国の王女だ……結婚すら政治の道具になることなど、とうの昔に覚悟の上だ、忌避感も最早ない。ゆくゆくは国内の大貴族あたりから婿をとって、王にすえるか……私自ら女王という形で国を治めるのもありだが……まあ、その時の情勢を見て決めるさ」
年頃の乙女とは思えないせりふがさらりと口から出てくるメルディアナ。そして、
「だから……」
「…………」
「……お前やレナリアは、そこまで肩肘張らんでも大丈夫だ。多分な」
「……!」
いつの間にか、メルディアナは窓の外の夜の空を眺めていた。
今夜は雲がないため、満点の星空がよく見える。
「幸い、お前の初恋相手は、上手く行けば大いにネスティアの国益に貢献してくれそうな人物だ。無位無官ゆえ、私が婿に迎えるのは無理だったが……父上の例もある。お前なら問題ないだろう。だから……思う存分恋とやらを楽しめ。人生の10割を国益に当てるのは、私だけでいい」
「……お姉さま……」
「……だからこそ言っておくが、本気で恋に身を焦がすなら覚悟しておけ。私達のような身分の者の恋は、はっきり言って実らんことの方が多い。理由は……いくらでもある」
視線をリンスレットに戻し、今度はメルディアナははっきりと言い切った。
目を逸らさず、リンスレットはそれを受け止める。こちらも、メルディアナの目を見て。
しかしそれでも、リンスレットの口元の笑みが揺らぐことはなかった。
どこか、寂しげというか……悲しげな雰囲気が混じっているようには見えたが。
「……それでも」
「?」
「今すぐに、捨ててしまいたくはないんです。初めての、気持ちですから」
そして今度は、リンスレットが窓の外に目を移す。
その脳裏には……数週間前、光を取り戻した目に思い人を映しながら、柔らかに、しかし真剣に自分の思いを告げた時のことがよみがえっていた。
『え……? い、今、何て……』
『ですから……私は、ミナト様のことが好きです。もっとはっきり言えば……愛しています』
『や、ちょ……え!? そ、そんないきなり……』
『……困ってしまいますよね。いきなりこんなことを言われても……でも……』
『……?』
『どうしても今……伝えたかったんです。でないと、絶対に後悔すると思ったから……』
『……あの、でも僕は……』
『わかっています。前にお聞きしましたから……ミナトさんには好きな人がいることも、冒険者としての自由な生活が好きだから、国に身を置く気はないことも。だから……私、返事は要りません。ただ、知っておいて欲しかっただけなんです……私の気持ちを』
『は、はあ……』
『もしご迷惑だったり、私のことがお嫌いなら、そうおっしゃって下さって結構ですし、忘れてくださっても構いません。でも、もし許されるのなら……これからも機会があれば、ミナト様とお会いしたり、御傍にいられれば、と思っています。それで……ミナト様が頭の片隅ででも、私のことを覚えておいて、ほんの少し気にかけてくれるようなことがあれば……私、幸せです』
(……あんなことを言って……ミナト様を困らせるだけなのはわかっているはずなのに……。でも、それでも……言わずにはいられなかった……)
少しだけ、その記憶に苦いものを感じるリンスレット。
しかしそれ以上に、意中の男性の顔と共にそれを思い返すと、胸が、顔が熱くなった。
(理屈でわかっていても、感情と衝動で口が動いてしまう……これが、恋心……)
柔和な微笑の裏に、未知の感覚に対する戸惑いを抱えながら……リンスレットは思う。
人生で始めての……ひょっとしたら最後になるかもしれない、この恋について。
この恋がどういう形で決着を迎えることになるのかは、誰にもわからない。
求めても実らず片思いで終わるかもしれない、いつの間にか冷め切って自然消滅するかもしれない、権力に引き裂かれるかもしれない…………ひょっとしたら、実るかもしれない。
しかし、どんな結末になろうとも、後悔のない恋にしたいと、リンスレットは思った。
……その直後、
リンスレットの口からこんな質問が出たのは、ただ単にふと思いついただけか、あるいは……
「……もしも……」
「ん? 何だ?」
「もしも、ですよ? ミナト様が王都に、王室に来てくれなくて、貴族位を差し上げることも出来なくて、エルクさんとの間もほころびのないまま、それでも私の恋が実るとしたら……どんな形になると思いますか?」
「……難しいというか、ありえんことを聞いてくるな。だが、ふむ……」
メルディアナは虚空を睨む。
そのまま、数秒、十数秒と経過し……1分近くにもなろうかという時間が経てようやく、
「……そうだな、例えば……あの男が、ネスティア以外の国ないし地域で、無視できんレベルの武力やら軍事力やらを保有する、超巨大な1つの勢力を立ち上げたりして、大陸の勢力図に多大な影響を及ぼしかねんような超重要存在にでもになったら……外交戦略の一環として、嫁ないし側室にわが国から何人か出すことになるかも知れんが……」
「……なるほど」
「……おい、大丈夫だとは思うが本気にするなよ? そんな人身御供のような贈り物などミナトは一番嫌いだから受けとらんだろうし、そもそもそんなぶっ飛んだ状況になどなるはずがない…………こともないような気がしなくもないが…………おい? 聞いているのかリンス? おい」
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……深い意味は無いですよ?
たとえ話デスヨ?
ご承知おきいただければと……
そして多分、次章前の閑話はこれが最後です。どうぞ。
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よく晴れた、ある穏やかな日の午後のこと。
王都ネスティアから少し離れた所にある、静かな草原。
背の高い草もなく、どちらかと言えば芝生のような……自然のものとは思えないほどに整って生え揃っている緑の絨毯。
何人かの男女が、そこに大きな布を敷いて、持参したと思しき弁当を食べながら談笑していた。
見るからに、楽しいピクニックの真っ最中、といった感じである。
……周囲半径数百mに散らばるように配置された、武装した見張りの兵士がいなければ。
「全く……何とかならんかったのか、これは。せっかくのリンスとのピクニックだというのに」
「面子が面子だ、仕方ないだろう。気にしなければいいだけの話だ」
「……そうは言うがな、これでは景色を楽しむどころでは無いぞ? どこを見ても、開放感溢れる大自然の風景に、鉛色の金属の塊がもれなく一緒に視界に入ってくる」
「そのようなことを言ってはいけませんよ、お姉さま。皆、私達を守るためにこうして一緒に来てくれているのですから。私なら、こうして皆さんと一緒にお外でお食事が出来るというだけで、これ以上何も望むことなどございませんわ」
「だそうだ。主賓が納得しているんだから、文句はそれくらいにしておけ。飯がまずくなるぞ」
「むぅ……」
ビニールシート(のような大きな布)の上に腰を下ろしている、6人の男女。
何十人もの武装した兵士達に守られている彼ら彼女らは、無論、一般人ではない。
このピクニックの主催者である、ネスティア王国第一王女・メルディアナ。
その妹であり、主賓と呼ばれた第二王女、リンスレット。
公務でネスティアを訪れたところを呼ばれた、ジャスニア王国第五王子・エルビス。
その元影武者であり、腹違いの妹である……ルビス。
そして、2国の王族に名を連ねる彼らの傍らには、最も近くで4人を守る2名の護衛がいた。
1人は褐色の肌に豊満な体、パープルグロンドの髪が特徴的な、王国軍大将・イーサ。
そしてもう1人は……屈強そうな大男だった。
剃っているのか、丸坊主、を通り越して禿頭といっていい状態の頭に、浅黒い肌が特徴的だ。厚手の布の軍服に身を包んでいるが、その上からでもわかる筋肉質な肉体をしている。
が、それら以上に特徴的なのは……彼には腕が4本あるということだった。
4本のうち2本を体側にそろえ、もう2本で腕組みをしている。
そして、腰には4本の長剣をさしている。
軍服のデザインが明らかにイーサと違う彼は、ジャスニアから同行してきたエルビス達の護衛。
ジャスニア王国軍中将……デンゼル・ビート。希少種『昆虫系』の獣人族である。
「デンゼル。お前も座ってはどうだ? 立ちっぱなしでは疲れるだろう」
「……いえ、自分はこのままで」
エルビスの誘いに、やや小さいがよく通る低い声でそう答えるデンゼル。
イーサが4人と共にシートに腰を下ろしているのに対し、デンゼルはシートのそばに仁王立ちして身じろぎ一つせずにいる。遠目からだと、置物にでも見えてしまいそうである。
「硬くならずともよいのだぞ、デンゼル中将? この場は別に公務でもなんでもない、友達同士で遊びに来ているだけだ。見ろコレを。このくらい力を抜いておくくらいで丁度よかろう」
「コレとは何ですか殿下、コレとは」
隣に座って、文字通り遠慮せず一緒に料理をつまんでいるイーサを指差して言うメルディアナ。
もっとも、別に怒ったりいらだった様子などは微塵もないが。普通に友達の軽口に付き合うようなノリで返していた。
しかしそれでもデンゼルは、軽く会釈してそこに立ち続ける。
「相変わらず堅苦しい男じゃのう。硬派は結構じゃが、四六時中そんなでは息が詰まるぞ?」
「……自分、不器用ですから」
そんな言葉と共に、再び沈黙するデンゼルだった。
友達同士の交流はもちろん、リンスレットの快気祝いとして開催されている、このピクニック。
明るい外を出歩くことができ、そしてそこで家族や友人と楽しく談笑できている、今の一瞬一瞬の幸せをかみ締めながら、リンスレットは心の底から笑っていた。
それを見て、メルディアナやイーサ、エルビスやルビスの顔にも、自然と笑みが浮かぶ。
デンゼルだけは仏頂面のままに見えたが、それなりに付き合いの長いエルビスには、喜んでいる様子だということがわかっていた。
そんな穏やかな時間が過ぎていく中、ふと思い出したようにリンスレットが言った。
「それにしても……王族のお務めって、やはり忙しいものですね。長らく離れていたせいで忘れていました……今まで私の分までお姉さまたちにお任せしていたなんて、申し訳ない限りです」
「何を水臭いことを言う、リンス。しかし、貴族連中も気がきかんというか……もう少しくらい養生の時間をくれてもよかろうにな」
「そういえば、リンスレットは先日公務に復帰したのだったな」
「忙しいのは公務もそうだが、リンスが表舞台に元気で帰ってきたと見るや、うちの貴族連中と来たら、ここぞとばかりに謁見を申し込んで来おって……しかも、ほとんどがわざわざ年の近い息子やら何やらを連れてきていると来たものだ。いっそ清清しいくらいに魂胆が透けて見える」
「貴族などというものはそんなものだろう……まあかく言う私も、今ちょうど似たような苦労を味わう身となっているが……」
「む? どういうことだルビス? 初耳だが」
少し尻すぼみ気味な声で呟くように言ったルビスの言葉を、メルディアナは聞きのがさなかった。
「あー、その……エルビスが完全に復帰して以降、私の立場がどういった形のものになったかというのは知っているだろう?」
頷くメルディアナ。それについては、以前に本人から聞かされていたし、そもそも事実として公表されている1つである。貴族ならほぼ誰でも知っていると言っても過言ではない。
無論、全てを、というわけではないが。
罹患の事実自体が隠されていた『蝕血病』の完治後、エルビスは完全に王子としての公務に復帰することが出来た。それと同時に、影武者を務める必要もなくなった。
しかし、影武者として貴族社会や国の中枢にそれなりに深く関わったルビスは、そのままお役御免としてもとの一市民の暮らしに戻れるか、と言われれば、それは否だった。
今回の『影武者』の一件は、ジャスニア王国内でもほんの一部にしかその全容は認知されていないが、その『ほんの一部』の中には、ルビスの実の父親である国王も含まれていた。
2人の病が無事に完治したと知った国王は、ルビスとその母親……以前自分が一夜の過ちを犯した元・女軍人である彼女に直接会い、以前から考えていたという提案を告げた。
このまま王都にとどまり、貴族として暮らさないか、と。
ルビスが影武者をやるようになってからは、実は彼女の母親も、王都で働いていたのだ。
さすがにルビスと同じ王宮に住む、あるいはそこで働くことは出来ないが、王の信頼の置ける貴族の屋敷で住み込みで雇い、ルビスの近くにいられるように取り計らっていた。
そして、たまにではあるが親子で会えるように機会を設けたりもしていた。
そしてルビスの影武者としての仕事は終わったが、もし王都にこのままとどまりたければ、引き続き居場所を用意させてもらいたい、と王自ら申し出たのだった。
その提案を、ルビスは受けた。
贅沢な暮らしや地位などに特に未練はなかったが、一時的にとはいえ国家権力の中枢に関わった自分が、今後のどかな田舎で暮らし続けられるかといえば、おそらくはNO。目ざとくかぎつけてきた何者かによる干渉がある可能性が極めて高いと、そう考えて。
そしてその他に、理由がもう1つ。
それは、『影武者』の彼女の世話をしていた侍女……ヴィットのことだった。
ルビスの出生時に起こった騒ぎについては、以前に話に上がった。
ルビスが、王との間に生まれた不義の子だと知った、彼女の母の嫁入り先の男爵家当主が、嫉妬と怒りから王の暗殺を企て……家の存続を危ぶんだ忠臣によって殺された、というもの。
その、主君殺しの汚名を被って家を守り、そして処刑された忠臣の娘こそが、ヴィットなのだ。
物騒な言い方をすれば、ヴィットの父はルビスの父を殺したために処刑されたのである。
その後、夫の罪によって貴族籍剥奪の上、追放刑に処されたヴィットとその母だったが、数年後、酌量の余地ありとして遠縁の貴族家が使用人として迎え入れた。
そこでの働きが買われ、ヴィットは王都で仕事を任されるまでになり……その後、因縁浅からぬルビスと出会い、何の因果か彼女に仕えることになったのである。
しかし、その件でヴィットに負い目を感じていたルビスと違い、ヴィットはその時のことを全くと言っていいほど気にしていなかった。父が信念のもとにやったことなのだから、と。
そして、ルビスやその縁者を恨むこともせず、誠心誠意彼女に仕えた。
ルビスが影武者を終えてなお貴族として王都に残ることを望んだ理由の1つは、そのヴィットの気高い姿勢に少しでも報いるためという責任感と……貴族になるに際して与えられる名が、かつてヴィットが名乗っていた家名だったからであった。
ルビスは王都に残るに際し、様々な理由から名前を凍結されている貴族家の名を譲り受けて貴族になる、という手法をとることになった。貴族家の有能な次男坊や三男坊が、生家を長男などに任せて独立する際に用いられることのある手法である。
生家については権力乱用で偽造し、王家の遠縁の出ということにした。これで、エルビス王子に容姿や特徴が似ていることについては言い訳が立つ。
その上で、事実上新興の貴族として、いくつかの後見をつけて独立させたのである。
新たな名……『ルビス・レイリアル』と共に。
そして、その傍らには、引き続き……ヴィットの姿があり続けているという。
さて、ここまでが裏事情であり……表向きには、ルビスは地方で手柄を立てて中央に呼び上げられた出世株ということになっている。その際に、貴族として独立を許された、と。
そんな彼女は、覚悟はしていたものの……貴族社会の荒波に揉まれる毎日を送っていた。
そこから、先程の愚痴のようなセリフが出るに至ったのであった。
「何だ、嫌がらせをしてくる貴族でもいるのか?」
心配そうに言うエルビス。対面の位置に座っているメルディアナやリンスレットも気になるようで、心なしか前に身を乗り出しているようにも見える。
女の当主の貴族というのは珍しい。
そして同時に、貴族は基本的に男社会であるため、あまりよく思われないのである。それをしっている3人が不安そうに見るが……ルビスは口ごもるようにして、
「いや、裏で国王陛下が動いて、大口の後見をいくつも付けてくれたおかげで、それはない。ないんだが……その……」
「?」
「……さっきメルディアナが言っていたのと同じで……貴族の長男とかが、その……」
(((……ああ、それか)))
全員が悟った。『政略結婚』か、と。
その予想、大当たりであった。ここ数週間ほど、ルビスのもとにはそろそろ両手両足の指では数えるのに足らなくなりそうな数の、そういった話が持ち込まれているのである。
嫁にほしいというものもあれば、うちの子を婿に、というものもある。中には、うちに妾に来ないか、というものも……おおっぴらにではないが、誘いが来ていたりする。
後見についている貴族達が有力な家ばかりであるがゆえに――王がわざわざ目をかけたのだから当然なのだが――将来性があると見込んで今のうちから取り込もうと熱心な者たちだ。
……まあ中には、欲望だけのものも……いないではないが。
その怒涛の攻勢に、これまでこういう立場に立ったことのないルビスは、盛大に戸惑っていた。
影武者をしていた時に、そういう誘いを受けたことがなかったわけではない。しかしその時のルビスはあくまで『エルビス』を演じていたのであり、求婚その他も『エルビス王子』に向けられたものだった。
しかし、今ルビスが受けているのは……紛れもなく、彼女自身へ向けてのアプローチなのだ。
「今までそんなこと考えたこともなかったからな……私が、その……女として誰かに求められるような日が来ようなどと……」
「まあ、年中無休で体つきごと男装していたのだから当然だな」
「女として過ごすようになってから、周りからの視線も違って感じるし……普通に過ごしているだけのつもりだったのにヴィットに怒られることが増えたし……はしたないって」
「女顔なだけの仏頂面の野郎とクールな感じで色気のある女では、そりゃ見る目も違うだろうさ」
「男と女の礼儀作法は違うからな、ヴィットの指摘も当然だろう。むしろ注意してくれるなんていい従者じゃないか……所でメルディアナ、『女顔で仏頂面の野郎』って私か? ん?」
(……まあ、エルビス殿下の影武者……要は真似をしとったわけじゃから、そうじゃろうな)
イーサの心の声。
「……正直、欠片も想像できんのだ。私が、その……誰かと結婚して、家庭を築いたり、その……こ、こど、こど、こど……も……を……設けたり、産んだり、とか……」
「何だ、いきなり周囲にいい女扱いされるようになって照れているのか?」
「……だったらまだよかったんだがな……。いきなり周囲の反応が性別込みで変わってみろ、困るとか恥ずかしいとか通り越して気持ち悪くなってくるぞ? それまでの人生で学んできた対応やら何やらがことごとく通用しなくなるんだからな」
照れている、というよりはげんなりしている様子のルビス。
人生経験的な意味で、将来があまりにも見通せないがために純粋に不安になっているらしい。
しかし、無理もないのかもしれない。演技とはいえ、長らく男として生きてきたルビスが、突然女の人生を歩むことになったのだから。
環境は激変。周囲の見る目も、求められるものも、注意すべきことも全てが変わったのだ。
「……正直これから先、女として生きていける自信がない……正直、あのまま男として人生を歩んでいっていた方が気楽でよかったんじゃないか、とか思う始末だよ」
「何を言い出すんだこの褐色美女は」
「ほ、本気で参っていらっしゃるようですね……」
「ヴィットからは日夜『淑女らしく振舞われませ』とか『貴族の子女としての自覚があるのですか』とか言われるし……だからないんだよ、私には、そんなもの」
どうしたらいいんだよ、とぶつぶつと呟くようにつむがれるルビスの愚痴を聞いていたメルディアナは……ふと思いついたような仕草と共に、
「貴族の子女はともかく、女であることの自覚についてなら……そんな感じの経験はないか思い返してみるのはどうだ? 直接的な経験でなくとも、自分が女であることを自覚した瞬間とか、そういう気分になった出来事とか……ないか?」
「そう言われてもな……だから私は男として過ごしていたんだから、そんな機会がそもそも……」
「いや、機会というほどのものがなくてもいい。例えば……精悍な顔つきや、たくましい体つきの男を見てドキッとした、とか」
「いや、ないな」
「かわいらしい装飾の服や小物を見て、着てみたいと思ったとか」
「無いな。女物の服など動きづらいだけだ。出来ることなら社交会なんかもズボンで出たい」
「ヴィットの苦労がしのばれるな……なら、小さな子供を見て『自分もほしい』と思ったり……」
「ああ、それなら時々あるぞ?」
「おぉ!?」
「動きのいい、将来有望そうな子供を見ていると……つい、こう、剣や槍を教えてやりたくなるというか……体を動かすことの楽しさや、戦う力を身につけることの意義をだな……」
「……お前、今からでも男に戻ったらどうだ?」
「ちょっ、メルディアナ!?」
さすがにぎょっとして聞き返すエルビス。
その視線の先には、三白眼になっているメルディアナ。顔に『ダメだこいつ』と書いてある。
「いや、だってコイツダメだろもう。仮にそうだな……入浴の時とかに男と一緒になって、全裸を凝視したりされたりしたとしても多分コイツ顔色変えないぞ?」
「さ、さすがにそれは……」
「まあ、減るものでもないしな。裸ぐらい別に何も……」
エルビスの冷や汗を流しながらの反論をも、同じ調子でルビスがバッサリ切って捨てるかと思われた……が、なぜかその言葉は、とちゅうてぷっつりと切れたように止まった。
というか、何かを言いかけたルビス本人が、ビデオの一時停止のように止まっている。
何事かと全員の視線が集中する中……褐色の肌でもわかるくらいに、急激にルビスの顔色が赤くなっていった。
「……ルビス?」
「何だ、想像してみるとやっぱり恥ずかしいか?」
「い、いや別にそんな、み、ミナト殿に見られたくらい何も……あ」
「「「……は?」」」
予想外の返答に、ルビス以外の全員の声が揃った。
その直後、面白そうな気配を悟ったメルディアナの頭脳がフル回転し、素早く今の発言の意味と、現在のルビスの状態・反応その他があらわすものを導き出した。
(……そういえばコイツ、女に戻った瞬間の裸体をミナトに……ははぁん?)
「なるほど……そういう経験が全くないわけではないのか」
「え!? あ、や、あの……」
『オルトヘイム号』での会談の席で聞いた、ある事実。
『薬湯』によって体から薬物が抜け、女性の体に戻ったルビスの裸体を……入浴事故でもあったのかと心配して飛び込んできたミナトにまじまじと見られたという事件。
一国の王族に名を連ねる者の裸体を凝視……冷静に考えるととんでもない暴挙なのだが、その前後の話の内容があまりにも突拍子もなかったために完全に流されていた事実である。
おそらくはそれを思い出したのであろうルビスの顔が赤く染まった、となれば……男に裸を見られても平気だと語る彼女にも、少なくとも1人、意識している異性がいるとわかる。
(なるほどな……やはりルビスも女か。しかし、他の男には無反応でミナトを想像した時だけ恥ずかしさがよぎとなると、まさか……もしそうだとすると少し困ったことになるな……)
面白いことに気付いたと顔がにやつく反面、メルディアナの頭には1つ、別な懸念事項も浮かんできていた。
それを思い浮かべると同時に……自然と、隣に座っている妹に視線が行く。
それに気付いたのか、視線を返してくる妹は……いつも通りの笑顔を浮かべていた。
(……リンスにとっては……恋敵、になるわけなのか……?)
メルディアナがそんなことを内心で思ったと、リンスが気付いたかどうかは定かでは無い。
☆☆☆
「で、どうするんだ、リンス?」
「? どうする、と言いますと?」
その日の夜。
場所は、王城の中、談話室のようなスペース・
ナイトガウンに身を包んだメルディアナとリンスレットは、寝酒代わりのホットミルクを飲みながら談笑している中、メルディアナが思い出したように聞いた。
「昼間のアレだよ。あの顔見たろ? おそらくルビスの奴……多少なりミナトに気があるぞ?」
「ああ……そのことでしたか」
こともなげにそう返すリンスレット。
「平気なのか? もしそうなら、お前にとっては恋敵になるかも知れんぞ?」
「なるかも知れん、じゃなくて、なると思いますよ? 私は」
さらりとそう返す妹に、メルディアナは少し不思議そうな表情になる。
それに構わずリンスレットは、柔らかく微笑んだ表情のまま続ける。
「ミナト様は魅力的な方ですから。優しくて、誠実で……聡明で、多才で、その上……実際に見たことはありませんが、とてもお強いとか。それに……仕事でもプライベートでも関係なく、本当に心から真剣に人と向き合って下さる方です。そのお心に触れて、あまつさえ命を救われたりしてしまったとなっては……好きになってしまっても不思議ではありませんわ」
「お前のように、か?」
にっこりと微笑みだけを返すリンスレット。
「まあ……お前やルビスだからこそ、そういう惚れ方をした、あるいは『できた』のかもな」
「……と、申されますと?」
「私のように、貴族や商人相手の腹芸に慣れてしまうと、結婚なんてものは政治・外交の手段にしか見えなくなってしまうものでな……正直私はこの先、まともな恋愛などできる気はせんよ。お前はそういうのとはまだ無縁のうちに、そういう相手に出会えたというわけだ」
「まあ、そうなのですか……。でも、それではお姉さまは……」
「気にするな。私はこの国の王女だ……結婚すら政治の道具になることなど、とうの昔に覚悟の上だ、忌避感も最早ない。ゆくゆくは国内の大貴族あたりから婿をとって、王にすえるか……私自ら女王という形で国を治めるのもありだが……まあ、その時の情勢を見て決めるさ」
年頃の乙女とは思えないせりふがさらりと口から出てくるメルディアナ。そして、
「だから……」
「…………」
「……お前やレナリアは、そこまで肩肘張らんでも大丈夫だ。多分な」
「……!」
いつの間にか、メルディアナは窓の外の夜の空を眺めていた。
今夜は雲がないため、満点の星空がよく見える。
「幸い、お前の初恋相手は、上手く行けば大いにネスティアの国益に貢献してくれそうな人物だ。無位無官ゆえ、私が婿に迎えるのは無理だったが……父上の例もある。お前なら問題ないだろう。だから……思う存分恋とやらを楽しめ。人生の10割を国益に当てるのは、私だけでいい」
「……お姉さま……」
「……だからこそ言っておくが、本気で恋に身を焦がすなら覚悟しておけ。私達のような身分の者の恋は、はっきり言って実らんことの方が多い。理由は……いくらでもある」
視線をリンスレットに戻し、今度はメルディアナははっきりと言い切った。
目を逸らさず、リンスレットはそれを受け止める。こちらも、メルディアナの目を見て。
しかしそれでも、リンスレットの口元の笑みが揺らぐことはなかった。
どこか、寂しげというか……悲しげな雰囲気が混じっているようには見えたが。
「……それでも」
「?」
「今すぐに、捨ててしまいたくはないんです。初めての、気持ちですから」
そして今度は、リンスレットが窓の外に目を移す。
その脳裏には……数週間前、光を取り戻した目に思い人を映しながら、柔らかに、しかし真剣に自分の思いを告げた時のことがよみがえっていた。
『え……? い、今、何て……』
『ですから……私は、ミナト様のことが好きです。もっとはっきり言えば……愛しています』
『や、ちょ……え!? そ、そんないきなり……』
『……困ってしまいますよね。いきなりこんなことを言われても……でも……』
『……?』
『どうしても今……伝えたかったんです。でないと、絶対に後悔すると思ったから……』
『……あの、でも僕は……』
『わかっています。前にお聞きしましたから……ミナトさんには好きな人がいることも、冒険者としての自由な生活が好きだから、国に身を置く気はないことも。だから……私、返事は要りません。ただ、知っておいて欲しかっただけなんです……私の気持ちを』
『は、はあ……』
『もしご迷惑だったり、私のことがお嫌いなら、そうおっしゃって下さって結構ですし、忘れてくださっても構いません。でも、もし許されるのなら……これからも機会があれば、ミナト様とお会いしたり、御傍にいられれば、と思っています。それで……ミナト様が頭の片隅ででも、私のことを覚えておいて、ほんの少し気にかけてくれるようなことがあれば……私、幸せです』
(……あんなことを言って……ミナト様を困らせるだけなのはわかっているはずなのに……。でも、それでも……言わずにはいられなかった……)
少しだけ、その記憶に苦いものを感じるリンスレット。
しかしそれ以上に、意中の男性の顔と共にそれを思い返すと、胸が、顔が熱くなった。
(理屈でわかっていても、感情と衝動で口が動いてしまう……これが、恋心……)
柔和な微笑の裏に、未知の感覚に対する戸惑いを抱えながら……リンスレットは思う。
人生で始めての……ひょっとしたら最後になるかもしれない、この恋について。
この恋がどういう形で決着を迎えることになるのかは、誰にもわからない。
求めても実らず片思いで終わるかもしれない、いつの間にか冷め切って自然消滅するかもしれない、権力に引き裂かれるかもしれない…………ひょっとしたら、実るかもしれない。
しかし、どんな結末になろうとも、後悔のない恋にしたいと、リンスレットは思った。
……その直後、
リンスレットの口からこんな質問が出たのは、ただ単にふと思いついただけか、あるいは……
「……もしも……」
「ん? 何だ?」
「もしも、ですよ? ミナト様が王都に、王室に来てくれなくて、貴族位を差し上げることも出来なくて、エルクさんとの間もほころびのないまま、それでも私の恋が実るとしたら……どんな形になると思いますか?」
「……難しいというか、ありえんことを聞いてくるな。だが、ふむ……」
メルディアナは虚空を睨む。
そのまま、数秒、十数秒と経過し……1分近くにもなろうかという時間が経てようやく、
「……そうだな、例えば……あの男が、ネスティア以外の国ないし地域で、無視できんレベルの武力やら軍事力やらを保有する、超巨大な1つの勢力を立ち上げたりして、大陸の勢力図に多大な影響を及ぼしかねんような超重要存在にでもになったら……外交戦略の一環として、嫁ないし側室にわが国から何人か出すことになるかも知れんが……」
「……なるほど」
「……おい、大丈夫だとは思うが本気にするなよ? そんな人身御供のような贈り物などミナトは一番嫌いだから受けとらんだろうし、そもそもそんなぶっ飛んだ状況になどなるはずがない…………こともないような気がしなくもないが…………おい? 聞いているのかリンス? おい」
************************************************
……深い意味は無いですよ?
たとえ話デスヨ?
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