魔拳のデイドリーマー

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第17章 夢幻と創世の特異点

第329話 イレギュラーな展開

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1日目の終わりに、早くも、という言い方でいいのか……ムースをつかまえることができたため、とりあえず地下の牢屋スペースに入れておくことにした。

尋問? しないしない、今んとこはね。

とりあえず、お世話とかは屋敷内のメイドさんの1人か2人に声かけて任せて、牢屋の中で大人しくしていてもらえばそれでいい…………

…………っていうのは楽観的な見方なんだろうなあ。

「そうね。そんな風に警戒を緩めちゃったら、即、他のメンバーが助けに来て脱獄されちゃうだろうし……ムースって言ったっけ? あの娘自身も脱獄できないかトライするはずよ」

と、クロエの意見。

元特殊部隊だけあって、古巣のことをよくわかってる。なるほど、油断大敵ってことね。

ムースは見た目、おっとりでほわほわ系だけど……以前の模擬戦の時は、躊躇なく僕を沼の中に引きずり込んで溺れさせにかかったくらいには、きちんと任務に沿った非常な行動ができる娘だ。

今回も、あんな汚いわ臭いわ、僕からしても1秒だっていたくない配管パイプの中に、僕の隙を伺うために平然と潜んでいたくらいだし……特種部隊としての覚悟や技量、精神力は本物だ。

色んな問題を力技で無理やり解決してきた僕とは違う、今取れる手の中から最善手を選び、それがどれだけ過酷でもためらいなく実行することができるっていうのは、時にいわゆる『ジャイアントキリング』すら引き起こす、ある種の『強さ』だと言える。
万が一にも油断していいわけがない。

とはいうものの……あんまし今までそういう状況になったことがないからどのへんをどう油断しなければいいのかがわからん。
地下牢、それも一般に設置されてるそれなんて、どれも同じに見える。

具体的には、僕がちょっと力入れて引っ張るだけで鉄格子ごと破壊できるような感じ。拘束設備足りえないレベルでどっこいだ。

それを基準にするのは間違ってるのはわかるが……要するに、だ。

(油断しないならしないで、こんな程度の設備じゃ心配どころじゃないんだよな)

ホントなら、僕の拠点『カオスガーデン』にある、空間系魔法まで使った鉄壁の牢獄設備を持ち込みたいところだけど、あれはあれで管理大変だから……妥協点として、この牢獄を改良することにした。
そして、もう終わらせた。

「というわけでムース、君にはここに入ってもらうけど、脱獄しようとすると色々洒落にならないトラップとかが作動するので、ケガしたくなかったら大人しくしてることをお勧めします」

「ぐ、具体的には……?」

「鉄格子に電流、目には見えないけど赤外線センサーと温度感知器、圧力センサーも何となく床に着けてみた。マジックアイテムで常時映像も記録してる。あと、迎撃装備として魔導機雷と毒ガスと真空空間発生装置。僕オリジナルの人工モンスターも何体か巡回させる。ランクAAA相当の奴。そしてこれらのどれか1つでも作動ないし異常を検知した場合、僕のスマホに連絡がいく」

「救出に来るかもしれない仲間の人が心配になるレベルで殺傷力の塊ね」

隣で呆れているエルクの感想はもっともだと思うけど、このくらいしないと、この道のプロ相手には安心して拘束しておけないと思う。

訓練だし、これでも自重した方だよ。

「どのへんが……って聞きたいところだけど、聞くと余計疲れそうな気がするからやめるわ」

「自分で言うのもなんだけど、賢明だと思う」

ちなみに、拘束される当の本人であるムースは、恐らく専門?用語が多くて理解できていない。
まあ、エルクも今の話は全部は理解できなかっただろうし、しかたないだろう。師匠とネリドラくらいだ、10割理解できるとすれば。

ただ、やばいレベルのセキュリティを敷いていることだけ理解してくれれば、それでいい。

とりあえず僕は、ムースをそこに入れて、今言った通り+いくつか隠し要素のセキュリティをセットした後、牢獄前の通路に『CPUM』の新作である、機械仕掛けの蜘蛛みたいな魔物を何体か放って、この周辺を巡回させる。

詳しい説明は略すが、こいつらは最近作った僕の自信作だ。
今言った通りの戦闘能力もそうだが、直接的なそれ以上に、色々と便利な機能をいくつも搭載しているため……人の頭程度の大きさしかない、小さいザコだと思ってかかると痛い目に遭う。

『タランテラ』を捕まえる、または迎撃するために『蜘蛛』を動員するか……狙ったわけじゃないんだけど、意図せず洒落が効いてしまった気がする。

ともあれ、今日はもう休もうホント。
これがあと6日続くとなると……下手な戦闘より疲れそうだ。

☆☆☆

1日目の終わり際、ミナトが配管の中に隠れていたムースを捕獲した……その数時間後。

そこからさらなる追撃を警戒しつつも、まずは何もなく済んだことにほっとして、ミナト達は自室で眠りについていた。
無論、セキュリティにいくつものマジックアイテムを発動させ、万全の防備を敷いた上で。

侵入しようとすれば、まずただでは済まないレベルの防御力である。恐らく、その侵入者の命を真っ先に心配しなければならないであろうほどに。

そこに踏み込むのは流石に危険だとわかっているためか、ミナト達は夜間の侵入者に脅かされることもなく、ぐっすりと眠ることができていた。

……それと同じ頃、屋敷から少し離れた……木立の中の、少しだけ開けた場所。

夜番でもない使用人の女性が1人、そこを訪れていた。ミナトはおそらく名前も覚えていないであろう、屋敷でエキストラ的に働いているメイドの1人だ。

位置的には王都の中とは言え、明かりもなく、女性が1人で出歩くには物騒、と言わざるをえないのだが、その女性は寝間着にも見えるような薄手の部屋着で、すたすたと何ひとつためらうことなく、木々の間をすり抜けるように歩いて行き……やがて、ある場所で止まる。

そこは、周囲より少しだけ生えている木が少なく、少しだけ開けている場所だった。
月の光が多く入ってくるので、目を凝らせば周囲の様子がわかる程度には明るいが……やはり、足元も見えないのでは、普通の人間が出歩くには暗すぎると言わざるを得ないだろう。

そんな場所に、部屋着の女性が1人。
あまりにもミスマッチな光景な中……突如としてその眼前に、音もなく人影が降り立った。

勢いからして、それなりに高いところから落下してきた……もとい、飛び降りてきたのだろうに、地面に降り立った際の着地音も、身じろぎした際の衣擦れの音も全くせず、視界でしかその何者かが現れたことを悟れないほどである。

しかし、突然目の前でそんな光景が繰り広げられても……降り立ったその影がすくっと立ち上がってこちらに歩いてきても、その女性は動揺一つ見せない。

それどころか、胸元に手を入れ……中から、1本のガラスの小瓶を取り出した。
掌に乗るサイズで、そのまま手を握ればその中にすっぽりと隠れてしまう程度の、小さな瓶。

その栓を開け、中身の液体をくいっと飲み干すと……異変はすぐに表れた。

「すぅー……はぁー……」

聞こえるくらいに大きく、深く、その女性が深呼吸するたびに……彼女の体が変わっていく。

ふわりとウェーブのかかった茶色のロングヘアは、つやのある濃い紺色のセミロングの髪に、

幼さの残る『かわいい』顔立ちは、大人らしい色気を含んだ『きれい』なそれに、

そこそこの大きさだったバストやヒップはさらに大きくなり、グラマラスで肉感的な体つきに、

やや小柄だった背丈すら、徐々に、女性としては大柄な……170cmをこえたそれに変わっていく。

最終的に、当初とは似ても似つかない姿になったその女性は……ふぅ、と一息ついて、

「待たせてごめんなさいね、メガーヌ。ミナト君達が完全に寝静まってから動きたかったものだから」

「仕方あるまい……彼らの感知能力を考えれば、中途半端な隠遁は簡単に見破られるだろう。ムースだけでなくお前まで捕まっては、いよいよ詰みだからな、ミスティーユ」

『タランテラ』所属隊員、ミスティーユ・デビ。
同じく副隊長、メガーヌ・ベルガモット。

この『模擬戦』において、ミナト達の敵役となっている最強の特殊部隊のメンバーの、闇夜に紛れた定時連絡のための会合が、ひそかに始まっていた。



「まずは簡単に報告から。予想通りではあるけど、ミナト君はお手製のマジックアイテムをふんだんに使って防衛線を引いてるわね。普通に出入りして仕事をする分には問題ないけれど、少しでも仕事以外の動きをしようものなら、何かしらの機能性働いて感知されてしまうみたい」

「予想できたことではあるが、我々の技能や技術力で突破できる水準ではないか。セオリー通りにいく選択肢は、これでなくなったな。しばらくは様子見に徹して隙を探ろう。……そちらは今の所、ばれていないだろうな?」

「ええ。屋敷にいるときは、さっきの姿に『変身』しているから……それに、さすがにミナト君も、私達に関する、そこまで詳細な情報……種族とかはともかく、例えば、私の体質なんかは知らないでしょうしね」

言いながら、ミスティーユは懐から取り出した、先程のとはまた違う見た目の薬瓶を、ちゃぷ、と音を立てて揺らしてみせた。

その中身を一口飲めば、たちまち彼女は先程までの、別人そのものといった形に姿を変えるだろう。その身が発する声や体臭、髪色や瞳の色、さらには骨格や魔力の質すら変化させて。

まごうことなき『禁忌』の品であるこの薬は、人体を急激に変化させ、飲む前とは全くの別人に体を作り替えてしまうものである。狙った姿に変化できるようなものではないが、普通の手段ではまず間違いなく、変身前と同一人物だとは気づかれないだろう。

実際、ミナトですら気づかなかったのだ。魔法薬やその原材料の匂い、さらには、そういったものを使った結果として感じ取れる不自然な体臭の変化なども感じ取れなかったがために。

匂いについては特に警戒していたミスティーユは、それについてもさらに別な魔法薬も組み合わせることによってカモフラージュしている。犬系の獣人であるメガーヌに頼んで、事前に不自然な体臭になっていないか確認しておく念の入れようである。

しかし、それほどの変化をもたらす薬ゆえに、当然のごとく副作用も強力である。
そもそも薬自体に毒性があり、並の人間ならこれだけで十分に致死量である。摂取してから1時間も立たないうちに命を落とすだろう。

加えて、あまりに急激な変化ゆえに体に負担がかかり、体が拒絶反応を起こすなどして、最悪、耐えきれずショック死してしまう可能性すらある。毒自体に耐えきれたとしてもだ。

己の命を使い捨てにするかのような薬である。通常であれば、いかに特殊部隊の隊員であろうと、使うという選択肢はないが……ミスティーユだけは別だった。

彼女はその身に、類稀なまでの毒物・薬物への耐性を持っていた。さらに、薬物などの作用に対する『柔軟性』とも呼ぶべき、負担を負担としない特異体質までも併せ持っていた。

これこそがミスティーユの武器である。本来ならば人間の肉体では使用に耐えられないであろうレベルの負荷や副作用を無視して強力な薬物や毒物を摂取することができるため、準備さえ整えられれば、圧倒的に戦術・謀略の幅が広がるのだ。

単に耐性を生かして毒味役をするのに始まり(毒は効かないが毒の有無は味や感覚でわかる)、今回のように禁忌の魔法薬を使って姿を変える、魔力回復薬を許容量を超えて摂取することで膨大な魔力を身に宿して戦闘を行うなど、応用の幅は広い。

最初の奇襲の際に、シェリーに変装していたのも彼女である。

こちらもまた『禁忌』の薬で、狙った人物に変身できる作用を持つそれを作り――例によって副作用は致死レベルの毒性である――シェリーに変身して、まだ警戒が不十分だったミナト達に奇襲をかけ、見事にエルクの『宝』を奪っていた。

現在は、あくまで偽装に絞って、遠目に調査することだけを目的にして使用している。屋敷内で務めているメイドの1人として、遠巻きに観察するだけにとどめている。

薬を飲んでからしばらく時間を置き、残り香も全て消えてから彼らの前に現れるようにしていたため、ミナトにも気づけなかったのだ。

そうして、近いところから観察するのがミスティーユの役目であるが……その反対に、遠くから観察するのがメガーヌの役目である。

彼女は今日1日、ミナト達に基本近づいていない。
より正確に言えば、ミナト達が生活している屋敷の周囲半径500m以内に近づいていない。

特殊部隊のエリートだけあり、隠密技能で言っても破格の能力を有しているメガーヌだが、それであってもミナト達の感知能力をごまかすのは厳しいと考えた。
ゆえに、邸内での観察をミスティーユに任せ、彼女はそこから外に出た際、あるいは外から確認できる範囲での監視を引き受けた。

気配や匂いを悟られないよう、風下に立つことを徹底しつつ、物音も立てないようにし、極力魔力も表に出して纏うことはしない。遠隔ながら、すぐ近くで尾行でもしているかのような慎重さで観察し……スケジュールや癖などを研究・把握しつつ、隙を伺う。

そしていざその時が来たら、一気に距離を詰めて襲い掛かり、『情報』ないし『宝』の奪取に動く……これが、メガーヌの役割だった。

(最も、奇襲とはいえ、あれからさらに強くなっているミナト殿を相手に戦えるとは思わない方がいいだろう……あくまで、付き添いの女性たちを相手取ると考えるべきだ。仮にミナト殿に手を出すとすれば……完全に警戒が解けるレベルで油断している時くらいだな)

かつてミナトと、これとは別な『模擬戦』で戦った際、全く相手にならず敗北させられたことをメガーヌは思い出していた。

こちらも素手だったとはいえ、殺す気で繰り出して命中させた一撃がクリーンヒットしたにも関わらず、平然としていたミナト。
自分もあの時から鍛えてはいるが、各方面から聞こえてくるであろう話から察するに、ミナトの成長度合いはそれ以上であろうことは想像に難くない。

(であれば当然、私が彼にダメージを与える手段は実質ない。それこそ、目などを狙えば別かもわからないとはいえ……そもそもそれは今回の模擬戦の趣旨ではないしな。ミナト殿を相手取る本命は、ムースが無力化された今、彼女の救出が不可能だと仮定すれば……モニカだろうしな)

基本的に、特種部隊『タランテラ』は、全員があらゆる任務内容をこなせるように訓練されたオールラウンダーである。が、各自にはやはり、より力を発揮できる得意分野というものはあった。

本人の好みや『夢魔』という種族の特性もあり、時に体を使ってハニートラップで、時に時間をかけて精神的に懐に入り込んで、対象を篭絡するのが得意なマリーベル。

自分が服用するのみならず、豊富な薬物・魔法薬の知識で戦闘・暗殺から尋問、破壊工作や証拠隠滅まで幅広くこなすミスティーユ。

水中での活動を利用した隠密行動に加え、水と魔力を介して自分の知覚範囲を広げることで――ミナトに発見された際もそうしていた――情報収集を行うムース。

隠密行動や、犬の獣人としての鋭い嗅覚を生かした追跡を得意斗詩、そして何より、隊長であるカタリナを除けば『タランテラ』随一である戦闘能力を持つメガーヌ。

そして……唯一ミナトに顔を知られていないという利点があるのに加え、ある特殊な才能ゆえに、ミナトのセキュリティを突破するだけの可能性を持っている切り札……モニカ。
現在、万が一にも彼女が無力化されることのないよう、現時点においては、任務そのものから切り離す形で温存されている。

これらの『得意分野』をそれぞれ生かすことを考えた時、戦闘で役に立てない……というよりも勝てる見込みが限りなく低い以上、メガーヌが切れる手札の最も有効な活かし方は、鋭い感覚器官を生かした遠方からの監視である。

そう心の中であらためて結論付けると、メガーヌはミスティーユとさらに二言三言話した後、それぞれの『持ち場』に戻るためにその場は解散した。

帰り際、ミスティーユが例の薬を飲んで姿を変えていく様子を視界の端に見つつ、メガーヌは屋敷から500m以上の場所に陣取り、夜中だろうが構わず、ミナト達が寝ているであろう寝室や、その周辺の私室(という扱いになっているスペース)を見張り続ける仕事に戻った。


☆☆☆


さて、一気に時間が飛ぶけど……この『模擬戦』が始まってから、今日で4日目だ。

あれから、マリーベルの提示するスケジュールに沿って『貴族の生活』を疑似体験する毎日を送っている。

事務仕事はもちろん、会食とか視察、商談なんてものもあって、戸惑いつつも色々と楽しめた。普段じゃできないような経験もできたし。

……その内の何割かは、僕が今まで、ナナとかエルクに任せっきりだったんだろうな、っていうものも含まれてた気がするけど。
うん、そういうのを学ぶ意味でもいい機会だったと思う。

加えて、そういうイベントのたびに、ネスティアの関係者で今まで出会った人が相手役を務めるために次々出てきて、なんかこう……楽しかったというか嬉しかったというか。

テレビアニメとかマンガで、大きな事件が起こって、以前戦った懐かしいキャラが味方になって一緒に戦ってる時みたいな感じ? いや、実際に戦ったりはしてないけどさ。

『視察』の仕事では、実際に建設中だっていう王都の施設の現場を見学に行って、そこで現場主任の人(本物)から説明を受けたりした。

どうやら、アクィラ姉さんの管轄である『魔法院』がらみの施設のようで、そこかしこに術式やマジックアイテムを組み込んだ作りになっていて、見ているだけでも中々楽しめるものだった。

僕も技術屋の端くれであるので、どういう作りになっていて、どういう効果をもたらす、ないし持たせる予定なのかはよくわかったし、重ねて楽しめた。
途中で意見を求められた時も、緊張するとか以前に、自然体で話せたし。

加えて、また別な『視察』では、兵士たちの訓練風景を、他の貴族の人たちと一緒に見学する、みたいなのもあった。
あんまりそっち方面は詳しくもないので、あんまり専門的な意見はやり取りできなかったけども。

なお、そこで再会……ないし出くわしたのは、以前の模擬戦の時、最初に僕と戦っていた人達や、第一王女様と一緒に行った『狩り』の時に会ったザヴァルさん、さらに、こないだの5VS5の模擬戦で戦った、セルリオさんやアイーシャさんだった。

模擬戦のみならず……というか、あらかじめ模擬戦でとっかかりを作った上で、ここでこうして再度関わりを持つという形なので、緊張しない、関わり安いという意味でも好都合なのかも。

特にザヴァルさんは、会うのも随分久しぶりだったし、結構話して楽しめたな。

そろそろ引退を考えてるみたいなこと言ってたけど、まだまだ元気そうだったし、体も弱ってきてるなんてことはないようだった。恐らく、後進が十分に育ってきてるから、という意味での話だったんじゃないかとは思う。

本来なら、体が衰える前、あるいは、衰え始めたと思った時にもう引退するのが理想的なんだろうけどね。
軍人なんていう、危険が前提の仕事についてりゃ……そりゃ、ほんのわずかな体力の衰えが、命の危機につながることも当然あるだろうし。

……けどだからって『君のような若人が来てくれれば安心して引退できるのだが』とか言わないでください。
状況が状況だけに、冗談や社交辞令の類なのか、それとも第一王女様の息がかかってるのかわかりづらいんで。あなた何気に、『直属騎士団』の中では古株の部類で、第一王女様とかとも付き合いが長くてわがままもよく聞いてるっていう話だったし。

……そもそもまじめな話、僕が来たところで補填できるのは戦闘能力と技術力ぐらいで、今ザヴァルさんが担ってる、老練の判断力やら戦場勘、長年の国への貢献でで積み上げて来た人望、上流階級の世渡りその他の能力なんかは持ってないんだから、あんたの代わりには……

(……今、それを勉強させられてるんだよな、僕……)

いらん想像に、疑惑に、拍車がかかるー……。
ザヴァルさん自身は、ユーモアもわかって懐も深くて、いざって時には守るべき主君のためにためらいなく命をかけられる、純粋にいい人なのは知ってるが……そのザヴァルさんが忠誠を捧げている第一王女様がさあ……曲者だからさあ……。

彼女、僕が『1国で抱えるには手に余る手札だ』『他国との関係もあるし』って、リアロストピアの一件で知ってからというもの、抱え込むのはあきらめて、なるたけ有効な関係を作るにとどめる、っていう風に方針転換した、って聞かされてた。
他ならぬ、第一王女様本人から。

……相変わらず、独特な交渉術というか何というか……本来なら本音を隠して徐々に進める人がほとんどでありそうなところを、ためらわず、あえて本音を一切隠さずにくるもんだから……

……多分、この『模擬戦』の趣旨に関しても、聞けば教えてくれるんじゃないかな。彼女なら。

で、僕を取り込もうとするのはやめたはずだったのだ。制御できる気がしないし、1国だけが僕を持つと、大国間のパワーバランスにダイレクトに影響するからって。

…………よく考えると、その宣言を保護にするみたいに、今の感じでやってるのって……ちょっと違和感あるな。あの第一王女様にしては。

僕は彼女……メルディアナ王女を、ある意味では信頼していると言える。

確かに彼女は、隙あらばこっちと何かしらのつながりを作ろうとしてくるし、厄介ごとの類も色々と持ち込んでくることが多々ある。隠し事はあまり好まず、とにかく全部開けっ広げにした上で、真正面から色々とぶつけてくるのだ。堂々と。

その都度、それに見合った、あるいはそれ以上の破格のリターンを、適切以上にもたらしてくれているが……実のところ、何度『もう勘弁してくれ』と思ったことか。
気づいてるかどうかわからないが、僕が宮仕えをしないと心に決めた理由には、あの人との接点が増えること、あの人が僕に色々と命令できる立場になることというのが、結構あるし。

しかしながら、こちらを騙して利益を貪るようなことはせず、またどういう無茶ぶりをこっちにもたらすにせよ、それらにはいつもきちんとした理由が毎回ある。
国の利益や未来のために有用であれば、それを手にするために手段を択ばないという、暴君とも呼べる性格や行動様式を、自覚してとっていつつも、そこにある道理や理念、自分がこうと決めたルールは絶対に破らない。
迷惑に思ったことは何度もあるが、道を外れた行いをされたとまで思ったことはない。

だから僕は、その意味では彼女を信頼しているのだ。

(そんな彼女が、前言を翻すような行動を……いや、まだそうと決まったわけじゃないにせよ……)

もしそうなら……第一王女様が前言を撤回、ないし保護にしてでも僕に干渉しようとしているなら、それはいかなる理由によるものなのか……

少し、この『模擬戦』の期間中に考えてみた気がいい日がしていた。



さて、そんな問題はさておき、『模擬戦』の続きだ。

視察、会食、商談など、色々と経験になることを楽しみつつ、この4日間を過ごした。

そしてその途中、3日目を迎えた時に、話に聞いていた『情報の引き渡し』のイベントがあった。

カタリナさんから連絡が入り、王都の中央広場の噴水前のベンチにて、封筒に入ったままのそれを受け渡した。
なお、偽物ではなくきちんと本物のカタリナさんであることは確認した上で。

そこに至るまで、気配も含めて一度も『情報』を奪いに来るようなことはなく、ちょっと拍子抜けしてしまった。
警戒していたから引っ込んだのかもしれないけど……ちょっとだけ、緊張して損した、的な気分になったかもしれない。

……いや、こうして一旦、徹底的に油断するところまで行かせておいて、あとで一気に……っていう可能性もある。
ムースの奪還にも動くだろうし、引き続き警戒は継続だな。

明日は5日目。2回目の『受け渡し』がある日だ。さすがにそろそろ動くだろう……ますますもって油断せず、あらゆる罠を警戒しておかないとな。

僕はそう、改めて気を引き締めなおし、残り3日の日程を過ごそうと考えていた。



……しかし、その決意が空回りに終わることになろうとは、流石に僕も予想できていなかった。


☆☆☆


4日目の途中……場所を移して、同盟関係の貴族家とのお茶会(相手の邸宅に御呼ばれするパターン)を行ってみていた僕の所に、あまりにも突然すぎる来客があった。

その屋敷から帰ろうと、扉を開けてまさに今出ていくところだった僕は……扉の前に立っていたその人物と鉢合わせし、危うく正面衝突しそうになってしまったのだ。

「……えっ、と……何してるんです、王女様?」

「……!? メルディアナ殿下?」

「間に合ったか……とつぜん、しかもこんな出先で訪ねてしまってすまんな、ミナト・キャドリーユ」

扉の前に立っていたのは、この『模擬戦』の依頼人でもある、ネスティア王国第一王女……そして、ちょいちょい僕のところに面倒ごとを持ってくる要注意人物。
メルディアナ・ネストラクタス殿下その人だった。

この人がいきなり現れたってだけで、そりゃ僕もびっくりするけど……どうもこの来訪、予定にない完全なイレギュラーらしい。隣にいるマリーベルも、頭の上に『?』を浮かべて戸惑っている。

そしてその理由は、すぐに彼女自身の口から明かされた。

「すまんが、大至急1つ話さなければならん事柄があるので、手短にな……マリーベルも聞け。現時刻をもって、依頼していた『模擬戦』をキャンセルする。まだ途中ではあるが、すまんがここまでにしてくれ」

「「はい!?」」

キャンセル!? え、ちょ……どういうこと!? そんないきなり……

隣では、マリーベルも戸惑っている。
ただ、真面目な話なのかもしれない、という気配を感じ取って、いつもの軽い感じが鳴りを潜め、『特殊部隊の隊員』という『公私の公』の顔で、王女様の次の句を待つ。

そして続けて語られたのは、このいきなりの通告の理由。


「すまないミナト、依頼途中でのキャンセルだから、依頼料はきちんと全額支払う。すまんが、今はこれで納得してほしい。そしてマリーベル……直ちに『タランテラ』全員に訓練中止を通達し、1時間以内に遠征の準備を整えて集合するよう伝えろ。特殊部隊としての緊急任務が入った」



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