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第九章 帆舟を出す夜
8 アイラムの告白
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イェロードはアイラムについて回廊を歩いた。アイラムはこの迷路のような回廊を迷うことなく歩いてゆく。まるでこの館の構造を隅々まで知り尽くしているようだった。
「さあ、坊ちゃん。こちらに近道があります」
アイラムが壁の一部を手で押した。そこは隠し扉になっていた。イェロードが覗き込むと、下り階段があるのが見えた。
「ねえ、アイラム。どうして知っているの?」イェロードが訊いた。「ここって……」
奴隷たちが使っている近道だよね、と云いそうになったのをイェロードは堪えた。地下で行われている女の使用人たちと男の奴隷たちの秘め事が思い出されたのだ。
アイラムが云った。「エジーランに聞いたのです。彼がアラディーム王国に関するすべての知識を持っているのは、坊ちゃんもご存じでしょう? さあ、足許に気を付けて」
「うん」
イェロードはアイラムに誘われるまま階段を下りていった。
やがて階段を下り切ると、真っすぐな道が現れた。薄暗がりのなかだったが、右側の壁だけが木で出来ているように見える。一方、左側にあるのは冷たい石の壁だった。
「坊ちゃん、これからこの先を真っすぐに進みますよ」アイラムが木の壁の感触を確かめるように右の手指で触れながら歩いてゆく。「歩きながらお話をしましょう。まずは国王の件から」
イェロードは、はっとした。シュードから国王が亡くなったと聞かされたばかりだった。「父が亡くなったってほんとうなの?」
「もうご存じでしたか」
「シュードが教えてくれたんだ」
そうでしたか、と云ってアイラムは話を続けた。国王が突然亡くなったこと。それとともに、王妃サーダが王位を継承すること。そこまではイェロードもすでに聞いている内容だった。
イェロードは先を焦るように云った。
「ぼくは誰の子なの? サーダの子じゃないよね?」
「まあ、それもシュード様からお聞きになったのですか?」ふり返ってアイラムはイェロードの手を取った。温かい手だ。「いづれは坊ちゃんにお話ししなければと思っていたことです。このアイラムが何を云っても驚かないでください」
「ぼく、覚悟できてるよ」
アイラムは手を解くと、また歩きながら話しはじめた。
「サーダは、もともと側妃だったのです」
「その前はこの館の使用人だったんだよね?」
「それもシュード様に?」
アイラムがイェロードの顔を見た。イェロードが頷くと、アイラムが云った。
「あの女は重罪を犯して刑に処されるところを、ローエの情婦となることで命拾いし、その後、ゼーゲンの取り計らいで側妃となったのです。国王と王妃のあいだには永らく子がありませんでしたから」
「その王妃って……」
「坊ちゃんのお母さまです。王妃も国王と同じように病弱でした。何度も流産をくり返し、ようやく産まれたのが坊ちゃんだったのです。しかしそのときにはすでに側妃であるサーダが六人の王子を——」
アイラムは感情を抑えるように淡々と語りつづけた。王妃が出産後、一年を待たずして病死したこと。そして亡くなる前の遺言として、当時王妃に仕えていたアイラムに我が子を託したこと。その後、ゼーゲンの取り計らいでサーダが新たな王妃となったこと。……
「王妃は、ゼーゲンの手が坊ちゃんに及ばないか、最期まで案じておられました」
「でもゼーゲンは、ぼくをすぐには殺さなかった」
「情けを掛けたのでしょう。王位継承権など無きに等しいのですから。それでこのアイラムが坊ちゃんの乳母となり、フーシェやエジーランとともに離れでお育てすることになったのです」
ようやくこれまでの冷遇の謎が解けた。サーダの実の子でない以上、イェロードが愛情を注がれるわけがない。
「ぼく、サーダが産んだのはギーフだけかと思ってた……」
「それももうご存じなのですね。この国の王子も王女も、坊ちゃん以外はみんなローエとサーダのあいだに産まれた子たちです」
「王家の血筋を引くのは、ぼくひとりだけなんだ……」
イェロードは力なく呟いた。父と母は、側妃の産んだ兄たちよりも自分たちの血を受け継ぐ男子の誕生を願っていたのだ。それも命を懸けてまで。
「そうです」アイラムが云った。「国王は、坊ちゃんのお母さまの寝室以外には決してお入りにはなりませんでした。ですからサーダが国王の子を産むなどということはありえません」
「でも王妃と騎士団長が通じていたら、王宮じゅうに噂が広まっちゃうよ。たとえゼーゲンの後ろ盾があったとしても」
「ゼーゲンに逆らう者など誰がいましょうか」と云ってアイラムは突き当りの角を右に曲がった。同じような木の壁が右側に続いている。「この国の聖職者が、国王のつぎに権力を持っているのはご存じですよね」
イェロードもあとをついてゆく。「うん。ニナクの神の意を伝えるのがゼーゲンの役目だからね」
「ゼーゲンに逆らうことは神に逆らうことと同じなのです。その上、ゼーゲンは怪しげな薬を使って、王宮の人々を操っていました」
「あっ!」イェロードには思い当たる節があった。「ひょっとして、あの砂糖菓子……」
「もうお気づきですね」
「じゃあ、あれを食べたあと、アイラムが必ず飲ませてくれた薬草の汁は……」
「解毒剤です。あの砂糖菓子を滅多にもらえないことは、坊ちゃんにとって良いことだったのです。こちらに来てからは、口にしていませんよね?」
イェロードは何と云えばいいのか、言葉に詰まってしまった。……
「さあ、坊ちゃん。こちらに近道があります」
アイラムが壁の一部を手で押した。そこは隠し扉になっていた。イェロードが覗き込むと、下り階段があるのが見えた。
「ねえ、アイラム。どうして知っているの?」イェロードが訊いた。「ここって……」
奴隷たちが使っている近道だよね、と云いそうになったのをイェロードは堪えた。地下で行われている女の使用人たちと男の奴隷たちの秘め事が思い出されたのだ。
アイラムが云った。「エジーランに聞いたのです。彼がアラディーム王国に関するすべての知識を持っているのは、坊ちゃんもご存じでしょう? さあ、足許に気を付けて」
「うん」
イェロードはアイラムに誘われるまま階段を下りていった。
やがて階段を下り切ると、真っすぐな道が現れた。薄暗がりのなかだったが、右側の壁だけが木で出来ているように見える。一方、左側にあるのは冷たい石の壁だった。
「坊ちゃん、これからこの先を真っすぐに進みますよ」アイラムが木の壁の感触を確かめるように右の手指で触れながら歩いてゆく。「歩きながらお話をしましょう。まずは国王の件から」
イェロードは、はっとした。シュードから国王が亡くなったと聞かされたばかりだった。「父が亡くなったってほんとうなの?」
「もうご存じでしたか」
「シュードが教えてくれたんだ」
そうでしたか、と云ってアイラムは話を続けた。国王が突然亡くなったこと。それとともに、王妃サーダが王位を継承すること。そこまではイェロードもすでに聞いている内容だった。
イェロードは先を焦るように云った。
「ぼくは誰の子なの? サーダの子じゃないよね?」
「まあ、それもシュード様からお聞きになったのですか?」ふり返ってアイラムはイェロードの手を取った。温かい手だ。「いづれは坊ちゃんにお話ししなければと思っていたことです。このアイラムが何を云っても驚かないでください」
「ぼく、覚悟できてるよ」
アイラムは手を解くと、また歩きながら話しはじめた。
「サーダは、もともと側妃だったのです」
「その前はこの館の使用人だったんだよね?」
「それもシュード様に?」
アイラムがイェロードの顔を見た。イェロードが頷くと、アイラムが云った。
「あの女は重罪を犯して刑に処されるところを、ローエの情婦となることで命拾いし、その後、ゼーゲンの取り計らいで側妃となったのです。国王と王妃のあいだには永らく子がありませんでしたから」
「その王妃って……」
「坊ちゃんのお母さまです。王妃も国王と同じように病弱でした。何度も流産をくり返し、ようやく産まれたのが坊ちゃんだったのです。しかしそのときにはすでに側妃であるサーダが六人の王子を——」
アイラムは感情を抑えるように淡々と語りつづけた。王妃が出産後、一年を待たずして病死したこと。そして亡くなる前の遺言として、当時王妃に仕えていたアイラムに我が子を託したこと。その後、ゼーゲンの取り計らいでサーダが新たな王妃となったこと。……
「王妃は、ゼーゲンの手が坊ちゃんに及ばないか、最期まで案じておられました」
「でもゼーゲンは、ぼくをすぐには殺さなかった」
「情けを掛けたのでしょう。王位継承権など無きに等しいのですから。それでこのアイラムが坊ちゃんの乳母となり、フーシェやエジーランとともに離れでお育てすることになったのです」
ようやくこれまでの冷遇の謎が解けた。サーダの実の子でない以上、イェロードが愛情を注がれるわけがない。
「ぼく、サーダが産んだのはギーフだけかと思ってた……」
「それももうご存じなのですね。この国の王子も王女も、坊ちゃん以外はみんなローエとサーダのあいだに産まれた子たちです」
「王家の血筋を引くのは、ぼくひとりだけなんだ……」
イェロードは力なく呟いた。父と母は、側妃の産んだ兄たちよりも自分たちの血を受け継ぐ男子の誕生を願っていたのだ。それも命を懸けてまで。
「そうです」アイラムが云った。「国王は、坊ちゃんのお母さまの寝室以外には決してお入りにはなりませんでした。ですからサーダが国王の子を産むなどということはありえません」
「でも王妃と騎士団長が通じていたら、王宮じゅうに噂が広まっちゃうよ。たとえゼーゲンの後ろ盾があったとしても」
「ゼーゲンに逆らう者など誰がいましょうか」と云ってアイラムは突き当りの角を右に曲がった。同じような木の壁が右側に続いている。「この国の聖職者が、国王のつぎに権力を持っているのはご存じですよね」
イェロードもあとをついてゆく。「うん。ニナクの神の意を伝えるのがゼーゲンの役目だからね」
「ゼーゲンに逆らうことは神に逆らうことと同じなのです。その上、ゼーゲンは怪しげな薬を使って、王宮の人々を操っていました」
「あっ!」イェロードには思い当たる節があった。「ひょっとして、あの砂糖菓子……」
「もうお気づきですね」
「じゃあ、あれを食べたあと、アイラムが必ず飲ませてくれた薬草の汁は……」
「解毒剤です。あの砂糖菓子を滅多にもらえないことは、坊ちゃんにとって良いことだったのです。こちらに来てからは、口にしていませんよね?」
イェロードは何と云えばいいのか、言葉に詰まってしまった。……
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