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第九章 帆舟を出す夜

3 身代わりの運命

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 わけもわからないまま、イェロードはシュードのあとをついて行った。正体がバレてはいけないと薄々感づいていたので、頭巾を深く被り、うつむき加減でひたすら歩いた。幸いなことに回廊に人はおらず、ただしんと静まりかえっていた。
 どれだけ歩いただろう……。
「――」
 聞き慣れた男の声にイェロードはハッとした。頭巾の隙間からそっと窺うと、いつの間にか食堂の入口に着いていた。イェロードは半信半疑でその声の主を盗みみた。
 ――フーシェ? どうしてここに?
 シュードがフーシェに何かを云った。しかしその言葉は、よその国の言葉だった。ふたりは何か重要な話をしているようだった。
 ――でもどこかで聞いたような言葉がいくつかある……。
 イェロードはうつむいたまま、凝っとふたりの会話に耳を傾けた。
 ――あれは、アイラムの!
 それは乳母アイラムが、決して口にしてはいけないと教えてくれた毒草の名だった。それは熱冷ましに用いる薬草にそっくりで、薬草に詳しい彼女でも見分けることの難しいものだった。間違ってそれを口にすると命に関わるのだとアイラムは云っていた。
 どういうことだろうと思っていると、こんどは食堂の奥からフーシェを呼ぶ男の声がした。
 ――まさか!
 それは家庭教師エジーランの声だった。
 ――ひょっとしてアイラムも来ているのかな?
 イェロードは食堂のなかをどうにかして覗きこみたかった。しかしフーシェがさっと食堂のなかに引っ込み、シュードがまた歩きはじめたので、それは叶わなかった。
 回廊のどんつきの扉をシュードが開けて、
「ここから外に出る。おまえの部屋への近道だ」
「シュード……?」
「なんだ?」
 イェロードは、シュードがさっきフーシェと何の話をしていたのか気になっていた。さらにふたりは知りあいのようだった。けれども何故か訊いてはいけないような気がして、
「ぼくに見せたいものって?」
 とだけ口にした。
「ついてくればわかる」
 と云って、シュードは先を進んだ。
 石畳が月明かりに照らされている。それはまるで暗闇にくっきりと泛ぶカーペットのようだ。イェロードは、シュードの大きな背中を見ながら歩を進めた。
 潮風が心地よく吹いていた。その匂いはシュードそのものだ。イェロードは、寝台のうえでの交わりを思い出した。
 まるで夢のような時間だった。誰よりもたくましい男。誰よりも騎士に相応しい男。誰よりも神々しい男。そんなシュードに時間をかけてたっぷりと愛撫され、快楽を教えられ、尽きせぬ泉のように湧きいでる精を注いでもらった……。
 シュードが立止まった。「なかに入れ」
 そこは離れから少し距離のある奴隷たちの控え小屋だった。入ってすぐ奥に小さな窓がある。シュードがその窓を開けた。
「向うにおまえが使っていた離れがある」シュードが手招いて云った。「よく見るがいい」
 イェロードは窓の外に顔を出した。
「あっ」
 そこには騎士たちが大勢いた。彼らは離れの客室をぐるりと取り囲み、赤々と燃えさかる松明を、つぎからつぎへと窓から客室のなかへと投げこんでいる。黒煙が窓から外に洩れだし、窓の奥は真っ赤に染まっていた。
 燃えさかるその客室に向けて、騎士たちの或る者は野次を飛ばし、また或る者は嬌声をあげている。それは、男奴隷と女奴隷が交わる余興を愉しむ騎士たちの姿とまったく同じだった。彼らは、何かにとり憑かれたかのように騒いでいた。
 ――これは……いったい……。
 あのなかには、ギーフと護衛のナコシュ、そして修道士エークがいるはずだ。イェロードは身震いした。しかしシュードは動じるようすもなく黙っている。そこでイェロードは周囲を見わたした。騎士たちから少し離れて立っている者がいる。それは、あろうことか――騎士団長ローエだった。
「ローエも哀れな男だ……」シュードが呟いた。「権力のために我が子を手にかけるとはな」
「え?」
 イェロードが声をあげた丁度そのとき、海からの風が吹いた。潮の香と肉の焼ける匂いが鼻に流れこむ。せそうになったイェロードは、思わず袖口で口許を覆った。
 大きな音を立てて屋根が崩れ落ちた。潮風に煽られてほのおはますます勢いを増し、火の粉が天高く上った。すると騎士たちはますます熱狂した。
「ローエ宛の文にはこうあった――」不意にシュードが呟いた。「おまえの父――国王が亡くなったそうだ。そしてサーダが王座につく」そしてイェロードの顔を見て、「ギーフを産んだ女だ。おまえの母ではない」
「ギーフの……?」
 シュードの云うことが正しければ、ギーフはローエとサーダのあいだに出来た子ということになる。ならば何故、ローエはギーフを手にかけたのだろう。イェロードは頭が混乱した。
「そしてギーフ宛の文には――」シュードが話を続ける。「『今夜、ノモクを亡き者にする』とあった」
 外壁の一部が轟音を立てて引き裂かれた。その隙間から焔が吹きあがり、その赤黒い舌でチロチロと外壁を舐めまわす。離れの客室は次第に形を失いつつあった。
「ギーフは、おまえの身代わりだったな」シュードは淡々とした口調で云うと、ククッ、と笑い、さらに続けた。「役目を果たしたというわけだ」
「ギーフ……」
 イェロードは、燃えさかる焔をただ見つめるばかりで、立ちすくんだまま動けなかった。
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