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第二章 海鳴り
9 祈りの文字は天へと舞いあがる(1/2)
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その日の夕食は、ギーフの部屋でとった。ふたりで食べようと誘われたのだ。世話係のソルブがちょうど夜の漁に出ていたので、ノモクはふたつ返事で誘いに応じた。使用人たちがつぎつぎに運んでくる料理は、昨晩のような豪華なものではなかったが、ノモクはそれでも充分だった。
ギーフがデザートを一緒に食べようと誘ったが、ノモクはひとりになりたかったので、
「もうお腹いっぱいで何も食べられないよ。疲れているし、お祈りをしたらすぐ寝たいな」
と云って、ノモクはギーフの部屋を出た。廊下に出てすぐ、夜の警備当番のナコシュとすれ違った。昨晩、ノモクの部屋を訪れた三人の女奴隷たちも一緒だった。ノモクはナコシュと手短かにひと言ふた言だけ交わしてそそくさとその場を離れた。
礼拝室はまたもノモクしかいなかった。
ノモクは一日の出来事をニナクの神に伝えた。感謝することもあれば懺悔すべきこともあった。しかし神と対話しているうちに、すっかり心が洗われたような気になった。
司祭様にお休みの挨拶をしなければ。ちょうど壁の扉が少し開いていた。ノモクは奥の部屋に這入った。壁のほぼすべてが書架になっていた。執務室は別にあるらしかった。ノモクは書架をながめながら、寝る前に読む本を探した。壁際にひとつだけポツンと置かれた書架にたどり着いた。
「おや、殿下。こんなところで何をなさっておられるのです?」
ノモクが気になる本を見つけて手を伸ばそうとしたとき、背後から声をかけられた。ゼーゲンだった。
「司祭様。勝手に這入ったりしてすみません。でも扉が開いていたものですから。そうしたら本がたくさんあったので寝る前に何か読もうかと」
「この一角に集めてあるのは、すべて異教徒の聖典でございます。今、手に取ろうとなさっていたのは、そのなかでも一番の邪教の聖典なのですよ」
邪教の聖典? ゼーゲンの言葉にノモクは身構えた。
「どうして司祭様が異教徒の聖典を集めておられるのですか? ニナクの神の怒りに触れるのではありませんか?」
「ここにあるのは、すべて奴隷たちから取りあげたものです。そしてニナクの神の御心にかなうよう、異教徒の聖典を使っているのです」ゼーゲンは、ノモクが手に取ろうとしていた書物を書架から引きぬいた。「ちょうど今から使うところでしたので、ご覧にいれましょう」
ゼーゲンが書架を左に引いた。それは隠し扉になっていて、ノモクの目の前に下へ向かう階段が現れた。
「さあ、殿下。参りましょう」
ゼーゲンはふっくらとした笑みを泛かべた。
そこは拷問部屋だった。ランプが煌々と照らす空間でノモクが最初に目にしたのは、背の高い男の後ろ姿だった。彼は部屋の中央で、両腕を高くもたげた状態で天井から降りる縄にその両手首を縛られ、素裸かで拷問台の上に立たされていた。展げられた両脚のあいだに香炉があって、夥しい煙が男の尻から背中を舐めるように登っていた。それは岩礁に立つエシフの後ろ姿に似ていた。
エシフ? だとしたら、どうして彼がこんな目に? ノモクは目の前の光景にたじろいだ。
「準備は出来たかね?」
「はい、司祭様」
ノモクはこのやり取りを耳にしてはじめて、ほかにも人がいることに気づいた。修道士が三人いたのだった。
「殿下もお見えでしたか」市場を案内してくれた修道士が、ノモクを認めて頭を下げた。「さあ、こちらへどうぞ」彼はノモクの手を引いて縛られた男の正面へと誘った。
拷問台に立たされているのは、エシフだった。香炉の白煙がスカラプリオのように彼の胴体を覆っている。香油が垂れるほど、たっぷりと塗られているので、剥きだしの両腕と両脚がランプの灯りで艶めいていた。
修道士はノモクの右に立って、
「香油にはデオの木の樹液を混ぜてあるのです」
「デオの木?」
ノモクは、乳母アイラムの話を思い出した。デオの木の樹液に手を触れると、かぶれてしまって痒みが止まらないが、痛みを感じなくなるので適量であれば傷の手当てに使える。薬草に詳しい彼女は、こう云っていた。
ついでノモクの左にゼーゲンが立った。
「頭のてっぺんから足の裏まで、からだじゅうの孔という孔をすべて塞ぐように塗りこんであります。もちろん髪の毛や体毛の一本一本にも」
ゼーゲンは、陰鬱な笑みを泛べた。
ギーフがデザートを一緒に食べようと誘ったが、ノモクはひとりになりたかったので、
「もうお腹いっぱいで何も食べられないよ。疲れているし、お祈りをしたらすぐ寝たいな」
と云って、ノモクはギーフの部屋を出た。廊下に出てすぐ、夜の警備当番のナコシュとすれ違った。昨晩、ノモクの部屋を訪れた三人の女奴隷たちも一緒だった。ノモクはナコシュと手短かにひと言ふた言だけ交わしてそそくさとその場を離れた。
礼拝室はまたもノモクしかいなかった。
ノモクは一日の出来事をニナクの神に伝えた。感謝することもあれば懺悔すべきこともあった。しかし神と対話しているうちに、すっかり心が洗われたような気になった。
司祭様にお休みの挨拶をしなければ。ちょうど壁の扉が少し開いていた。ノモクは奥の部屋に這入った。壁のほぼすべてが書架になっていた。執務室は別にあるらしかった。ノモクは書架をながめながら、寝る前に読む本を探した。壁際にひとつだけポツンと置かれた書架にたどり着いた。
「おや、殿下。こんなところで何をなさっておられるのです?」
ノモクが気になる本を見つけて手を伸ばそうとしたとき、背後から声をかけられた。ゼーゲンだった。
「司祭様。勝手に這入ったりしてすみません。でも扉が開いていたものですから。そうしたら本がたくさんあったので寝る前に何か読もうかと」
「この一角に集めてあるのは、すべて異教徒の聖典でございます。今、手に取ろうとなさっていたのは、そのなかでも一番の邪教の聖典なのですよ」
邪教の聖典? ゼーゲンの言葉にノモクは身構えた。
「どうして司祭様が異教徒の聖典を集めておられるのですか? ニナクの神の怒りに触れるのではありませんか?」
「ここにあるのは、すべて奴隷たちから取りあげたものです。そしてニナクの神の御心にかなうよう、異教徒の聖典を使っているのです」ゼーゲンは、ノモクが手に取ろうとしていた書物を書架から引きぬいた。「ちょうど今から使うところでしたので、ご覧にいれましょう」
ゼーゲンが書架を左に引いた。それは隠し扉になっていて、ノモクの目の前に下へ向かう階段が現れた。
「さあ、殿下。参りましょう」
ゼーゲンはふっくらとした笑みを泛かべた。
そこは拷問部屋だった。ランプが煌々と照らす空間でノモクが最初に目にしたのは、背の高い男の後ろ姿だった。彼は部屋の中央で、両腕を高くもたげた状態で天井から降りる縄にその両手首を縛られ、素裸かで拷問台の上に立たされていた。展げられた両脚のあいだに香炉があって、夥しい煙が男の尻から背中を舐めるように登っていた。それは岩礁に立つエシフの後ろ姿に似ていた。
エシフ? だとしたら、どうして彼がこんな目に? ノモクは目の前の光景にたじろいだ。
「準備は出来たかね?」
「はい、司祭様」
ノモクはこのやり取りを耳にしてはじめて、ほかにも人がいることに気づいた。修道士が三人いたのだった。
「殿下もお見えでしたか」市場を案内してくれた修道士が、ノモクを認めて頭を下げた。「さあ、こちらへどうぞ」彼はノモクの手を引いて縛られた男の正面へと誘った。
拷問台に立たされているのは、エシフだった。香炉の白煙がスカラプリオのように彼の胴体を覆っている。香油が垂れるほど、たっぷりと塗られているので、剥きだしの両腕と両脚がランプの灯りで艶めいていた。
修道士はノモクの右に立って、
「香油にはデオの木の樹液を混ぜてあるのです」
「デオの木?」
ノモクは、乳母アイラムの話を思い出した。デオの木の樹液に手を触れると、かぶれてしまって痒みが止まらないが、痛みを感じなくなるので適量であれば傷の手当てに使える。薬草に詳しい彼女は、こう云っていた。
ついでノモクの左にゼーゲンが立った。
「頭のてっぺんから足の裏まで、からだじゅうの孔という孔をすべて塞ぐように塗りこんであります。もちろん髪の毛や体毛の一本一本にも」
ゼーゲンは、陰鬱な笑みを泛べた。
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