15 / 93
第二章 海鳴り
6 死の舟と海風
しおりを挟む
馬車が停まった。岬の礼拝堂に着いたのだ。ノモクは馬車を降りると、歓声を上げた。
「殿下、こちらがオシヤクの礼拝堂でございます」ゼーゲンが目を細めた。
「この岬全体が、お祈りの場なのですね!」ノモクは、自然と調和した赤煉瓦の建造物に目を見張った。礼拝堂の前庭が岬の入口とひと続きになっていて、そのまま坂を降りてゆけば町へとたどり着く。「オシヤクじゅうの人々が、ここでお祈りを出来そうなくらいだ」
「王子ったら、まったく。皆んながここに集まったら、町が空っぽになるじゃないか」
ギーフが笑った。
ノモクは、何か好い云いかえしはないかと考えて、
「ああ、ニナクの神よ。わたしの身代わりであるギーフを、どうかお赦しください!」
ギーフがまた笑う。
「外でお祈りするより、なかでやったほうが善いと思うけどな。そうだよね、司祭様?」
「そうですね。可愛らしい修道士がふたりもいらしたのですから、ニナクの神もお待ちでしょう」
ノモクはゼーゲンに促され、ギーフとともに礼拝堂に這入った。黄金いろのニナクの神は、窓からの陽の光を浴びて、扉の先でひときわ輝いていた。お祈りをすませ、ノモクはようやく救われた気がした。
ゼーゲンは執務があるので、代わりに若い修道士が、ノモクたちを裏庭に案内した。海風が礼拝堂の壁に潮の香を叩きつけ、乾くか乾かないかの焦ったい湿り気を与えていた。目の前には海が広がっている。
遠くに見える島を指差して修道士が云った。
「殿下、あれが『死の舟』でございます」
「ヴォワーダ王国のあった場所ですよね?」
「そうです。十年前に滅びました。邪教を信仰していたので、ニナクの神の怒りにふれたのでしょう」
十年前の天変地異でニナクの神から見捨てられたその島は、座礁した舟のように見えた。救いを求めても赦しを得られなかった罪深い人たちが、ただその場で死ぬのを待っているような雰囲気を漂わせている。手つかずのままなので、緑の樹々が鬱蒼と繁っていた。
「彼らは改宗しなかったのですか?」ノモクは修道士に訊いた。「そうすれば生き延びたでしょうに」
「王子は考えが甘いなあ」ギーフが云った。「邪教の信者たちが、そんなに簡単に改宗するわけないじゃないか。それどころか宣教師を襲ったりするんだよ。火炙りにしたり、土に埋めたりしてさ」
ノモクは、本当にそんな恐ろしいことがあるのかと、修道士の顔を見た。痛ましい過去に胸を痛めるような表情がそこにあった。
「殿下、そろそろ町をご案内いたしましょう。市場は如何ですか?」
修道士が話題をかえた。
ノモクが頷いたとき、海風が強く吹いた。慌てて頭巾を押さえたが間に合わず、髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまった。
ギーフが笑った。「市場では身代わりのおれが顔を出して歩くからね。その頭だと王子が恥をかいてしまう」
修道士がやんわりと云った。
「お忍びだとうかがっております。おふたりとも頭巾を被ったままでお歩きください」
市場はその入口から賑わっていた。
「この市場は東西に長く伸びていて、市場の端はそれぞれ入江に繋がっています。西の入江は交通の要でして、外国との交易で賑わっております。東の入江は危険ですので、お近づきにならないでください」修道士はノモクとギーフにこう伝えると、ふたりに木製の札を手渡した。手のひらに収まるその木札は、中央に王家の紋章が焼きつけられている。「もし市場ではぐれたり道に迷われた場合には、警備隊の詰め所が至る所にありますので、これを警備隊にお見せください」
「王子に一番必要な物だね」ギーフが快活に笑った。「すぐ迷子になっちゃうんだ」
ノモクはギーフの揶揄いを無視して修道士に訊いた。
「同行していただけるんですよね?」
「ほら、王子の心配ぐせが始まった。おれが付いているから大丈夫だよ」ギーフが胸を張った。
「大通りを見て廻るだけであれば、わたしがいなくても問題ないでしょうが……」
修道士が渋い表情を作ったので、ノモクは彼を困らせてはいけないと、ギーフに向かって、
「ふたりきりで行動するのはよそうよ」
「王子、おれたちは従騎士だよ。怖いものなんかこの世にあるもんか」ギーフはノモクにこう云うと、こんどは修道士に向ってこう云った。「それならこの大通りを、ふた手に分かれて端まで行って、またここに戻ってくるのはどうかな?」
修道士はしばらく考えて、こう云った。
「わかりました。それではわたしは、この中央広場でおふたりをお待ちしています。ですが、大通りを散策するだけになさってください」
「それじゃあ、王子。どっちが先に戻ってくるか競争だ!」
ギーフはこう云い残して、雑踏のなかに消えていった。
ノモクは反対側の大通りを見た。修道士の顔を窺う。修道士は、致し方ないと云いたげにため息をついた。
「殿下、ギーフ様には内緒ですが、もし迷子になった場合には、東の入江へお進みください。領主様のお屋敷に続く一本道がございます。お屋敷に着かれましたら、礼拝堂まで伝令を飛ばしていただければ、問題はございません」修道士は、ノモクの味方のように微笑んだ。
「その道はすぐわかるの?」
「見つからなければ、漁師たちが東の入江にいます」
ノモクは、修道士のこの言葉を「エシフが東の入江にいる」と理解した。そのとき、東風が吹いた。エシフの匂いがした。
「殿下、こちらがオシヤクの礼拝堂でございます」ゼーゲンが目を細めた。
「この岬全体が、お祈りの場なのですね!」ノモクは、自然と調和した赤煉瓦の建造物に目を見張った。礼拝堂の前庭が岬の入口とひと続きになっていて、そのまま坂を降りてゆけば町へとたどり着く。「オシヤクじゅうの人々が、ここでお祈りを出来そうなくらいだ」
「王子ったら、まったく。皆んながここに集まったら、町が空っぽになるじゃないか」
ギーフが笑った。
ノモクは、何か好い云いかえしはないかと考えて、
「ああ、ニナクの神よ。わたしの身代わりであるギーフを、どうかお赦しください!」
ギーフがまた笑う。
「外でお祈りするより、なかでやったほうが善いと思うけどな。そうだよね、司祭様?」
「そうですね。可愛らしい修道士がふたりもいらしたのですから、ニナクの神もお待ちでしょう」
ノモクはゼーゲンに促され、ギーフとともに礼拝堂に這入った。黄金いろのニナクの神は、窓からの陽の光を浴びて、扉の先でひときわ輝いていた。お祈りをすませ、ノモクはようやく救われた気がした。
ゼーゲンは執務があるので、代わりに若い修道士が、ノモクたちを裏庭に案内した。海風が礼拝堂の壁に潮の香を叩きつけ、乾くか乾かないかの焦ったい湿り気を与えていた。目の前には海が広がっている。
遠くに見える島を指差して修道士が云った。
「殿下、あれが『死の舟』でございます」
「ヴォワーダ王国のあった場所ですよね?」
「そうです。十年前に滅びました。邪教を信仰していたので、ニナクの神の怒りにふれたのでしょう」
十年前の天変地異でニナクの神から見捨てられたその島は、座礁した舟のように見えた。救いを求めても赦しを得られなかった罪深い人たちが、ただその場で死ぬのを待っているような雰囲気を漂わせている。手つかずのままなので、緑の樹々が鬱蒼と繁っていた。
「彼らは改宗しなかったのですか?」ノモクは修道士に訊いた。「そうすれば生き延びたでしょうに」
「王子は考えが甘いなあ」ギーフが云った。「邪教の信者たちが、そんなに簡単に改宗するわけないじゃないか。それどころか宣教師を襲ったりするんだよ。火炙りにしたり、土に埋めたりしてさ」
ノモクは、本当にそんな恐ろしいことがあるのかと、修道士の顔を見た。痛ましい過去に胸を痛めるような表情がそこにあった。
「殿下、そろそろ町をご案内いたしましょう。市場は如何ですか?」
修道士が話題をかえた。
ノモクが頷いたとき、海風が強く吹いた。慌てて頭巾を押さえたが間に合わず、髪の毛がぐしゃぐしゃになってしまった。
ギーフが笑った。「市場では身代わりのおれが顔を出して歩くからね。その頭だと王子が恥をかいてしまう」
修道士がやんわりと云った。
「お忍びだとうかがっております。おふたりとも頭巾を被ったままでお歩きください」
市場はその入口から賑わっていた。
「この市場は東西に長く伸びていて、市場の端はそれぞれ入江に繋がっています。西の入江は交通の要でして、外国との交易で賑わっております。東の入江は危険ですので、お近づきにならないでください」修道士はノモクとギーフにこう伝えると、ふたりに木製の札を手渡した。手のひらに収まるその木札は、中央に王家の紋章が焼きつけられている。「もし市場ではぐれたり道に迷われた場合には、警備隊の詰め所が至る所にありますので、これを警備隊にお見せください」
「王子に一番必要な物だね」ギーフが快活に笑った。「すぐ迷子になっちゃうんだ」
ノモクはギーフの揶揄いを無視して修道士に訊いた。
「同行していただけるんですよね?」
「ほら、王子の心配ぐせが始まった。おれが付いているから大丈夫だよ」ギーフが胸を張った。
「大通りを見て廻るだけであれば、わたしがいなくても問題ないでしょうが……」
修道士が渋い表情を作ったので、ノモクは彼を困らせてはいけないと、ギーフに向かって、
「ふたりきりで行動するのはよそうよ」
「王子、おれたちは従騎士だよ。怖いものなんかこの世にあるもんか」ギーフはノモクにこう云うと、こんどは修道士に向ってこう云った。「それならこの大通りを、ふた手に分かれて端まで行って、またここに戻ってくるのはどうかな?」
修道士はしばらく考えて、こう云った。
「わかりました。それではわたしは、この中央広場でおふたりをお待ちしています。ですが、大通りを散策するだけになさってください」
「それじゃあ、王子。どっちが先に戻ってくるか競争だ!」
ギーフはこう云い残して、雑踏のなかに消えていった。
ノモクは反対側の大通りを見た。修道士の顔を窺う。修道士は、致し方ないと云いたげにため息をついた。
「殿下、ギーフ様には内緒ですが、もし迷子になった場合には、東の入江へお進みください。領主様のお屋敷に続く一本道がございます。お屋敷に着かれましたら、礼拝堂まで伝令を飛ばしていただければ、問題はございません」修道士は、ノモクの味方のように微笑んだ。
「その道はすぐわかるの?」
「見つからなければ、漁師たちが東の入江にいます」
ノモクは、修道士のこの言葉を「エシフが東の入江にいる」と理解した。そのとき、東風が吹いた。エシフの匂いがした。
10
お気に入りに追加
168
あなたにおすすめの小説

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

禁断の祈祷室
土岐ゆうば(金湯叶)
BL
リュアオス神を祀る神殿の神官長であるアメデアには専用の祈祷室があった。
アメデア以外は誰も入ることが許されない部屋には、神の像と燭台そして聖典があるだけ。窓もなにもなく、出入口は木の扉一つ。扉の前には護衛が待機しており、アメデア以外は誰もいない。
それなのに祈祷が終わると、アメデアの体には情交の痕がある。アメデアの聖痕は濃く輝き、その強力な神聖力によって人々を助ける。
救済のために神は神官を抱くのか。
それとも愛したがゆえに彼を抱くのか。
神×神官の許された神秘的な夜の話。
※小説家になろう(ムーンライトノベルズ)でも掲載しています。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)


皇帝陛下の精子検査
雲丹はち
BL
弱冠25歳にして帝国全土の統一を果たした若き皇帝マクシミリアン。
しかし彼は政務に追われ、いまだ妃すら迎えられていなかった。
このままでは世継ぎが産まれるかどうかも分からない。
焦れた官僚たちに迫られ、マクシミリアンは世にも屈辱的な『検査』を受けさせられることに――!?

【完結】国に売られた僕は変態皇帝に育てられ寵妃になった
cyan
BL
陛下が町娘に手を出して生まれたのが僕。後宮で虐げられて生活していた僕は、とうとう他国に売られることになった。
一途なシオンと、皇帝のお話。
※どんどん変態度が増すので苦手な方はお気を付けください。

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる