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第二章 海鳴り
5 身代わりの祈りと懺悔
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「せっかくですので、礼拝堂へ行くまえに少し遠回りをしましょう」司祭ゼーゲンが馬車に乗りこみながら云った。「御者にはこの町の見どころを廻るように命じてあります」
馬車が揺れ、やがて動きだした。
ノモクはまだ屋敷の門を出るまえだと云うのに、はやる気持ちを抑えられない。さっそく目を輝かせて、
「司祭様、途中で馬車を降りて見て廻ることはできますか?」
「王子、司祭様はこれからお仕事があるんだよ。礼拝堂までお送りして、あとでおれたちだけで見にいくのが善いと思うな」
ギーフがすかさず割りこんだ。ひとつ年下なのにノモクを堂々と諭すような口ぶりだ。ノモクは思わず頸をすくめた。
ゼーゲンはふたりのようすを見て、
「おやおや、私でさえどちらが本物の殿下かわからなくなってしまいましたね」
ノモクの右隣りでギーフが、あはは、と笑った。
「ぼくは身代わりだから、誰もがぼくを王子だと思うように心掛けているんです」
町の中心部へ向かう道すがら、ノモクは窓の外の風景をひとつも見逃すまいと眺めていた。オシヤクはよほど信仰心の厚い土地柄と見えて、至る所に気軽に立ち寄れる小さな礼拝所があった。ニナクの神の像が祀られているその神聖な場所のひとつひとつに、ノモクは祈りを捧げた。ゼーゲンはそのたびに、殿下にニナクの神のご加護がありますように、と呟いた。
「王子、そんなに懺悔するようなことでもあるの?」ギーフが揶揄うように云った。「おれの分もお願いするよ」
「お祈りは自分でしないとだめだよ」ノモクはギーフを嗜めた。「それに、君の懺悔の内容は、君にしかわからないだろう?」
「おれは王子の身代わりだよ。だから王子が赦されたら、おれも赦しを受けるのさ」
「司祭様、そんなことないですよね?」
ノモクは、ゼーゲンに助けを求めた。
「おやおや、また始まったようですな」
ゼーゲンは、しかしノモクとギーフのやり取りを、微笑ましく見つめるだけだった。
ノモクは、家政婦長の言葉を思い出した。ノモクを叱る者がいない以上、ギーフも誰からも叱られることはない。それは、ギーフがノモクと同じ待遇を受けているからだ。いっそニナクの神に叛くようなことをして、ふたり揃って罰を受けようか。ふとそんな思いが頭を過ぎったが、ノモクはしばらく考えて、その考えを打ち消した。ギーフの非礼を赦してほしいと祈るほうが、神の御心にかなうように思えたのだ。
馬車は静かに走りつづけた。広場を過ぎ、果樹園を過ぎた。それから牧場を過ぎたところで速度を上げた。これから岬の礼拝堂に向うのだろう。ノモクは謙虚に胸のまえで両手を組み、こうべを垂れ、心のなかで祈った。
『ニナクの神よ。私をオシヤクに導いてくださったことに感謝いたします。滞在中、何事もなく穏やかに過ごせますようお護りください! わたしはまだ従騎士ですが、近い日に立派な騎士になれますようお導きください! 父と母が、わたしを好きになってくれますようにお力添えください! あらゆる誘惑、やましい慾望、好くない考えに打ち勝ちますように! それから奴隷たちにも祝福をお与えください! 彼らは異教徒ですが……」
ノモクは、はっとして、そこで祈りを中断した。組んでいた両手をほどいて視線を落とす。異教徒のペニスの熱が、脈動が、感触が両の手のひらの表面にまた戻ってきた。
「殿下、どうかなさいましたか?」
ゼーゲンが訊いた。
「いえ、もうすぐ岬の礼拝堂だなと思ったものですから……」
ノモクは、両手を組みなおした。
馬車が左に大きく曲がり、いつの間にか居眠りをしていたギーフがノモクに凭れかかった。ギーフは髪から、頬から、耳許から、頸筋から、胸許から、腋窩から、ノモクと接するあらゆる部位から、荒々しく暴力的な汗の匂いを漂わせた。ノモクは胸騒ぎがした。
『ニナクの神よ。もしギーフがわたしと同じ待遇を受けているのでしたら、昨夜、彼にもわたしと同じ試練を与えたのでしょうか? 彼もまた、わたしと同じように娘たちの誘惑を受けたのでしょうか? 彼はその誘惑に勝ったのでしょうか?』
馬車が揺れ、やがて動きだした。
ノモクはまだ屋敷の門を出るまえだと云うのに、はやる気持ちを抑えられない。さっそく目を輝かせて、
「司祭様、途中で馬車を降りて見て廻ることはできますか?」
「王子、司祭様はこれからお仕事があるんだよ。礼拝堂までお送りして、あとでおれたちだけで見にいくのが善いと思うな」
ギーフがすかさず割りこんだ。ひとつ年下なのにノモクを堂々と諭すような口ぶりだ。ノモクは思わず頸をすくめた。
ゼーゲンはふたりのようすを見て、
「おやおや、私でさえどちらが本物の殿下かわからなくなってしまいましたね」
ノモクの右隣りでギーフが、あはは、と笑った。
「ぼくは身代わりだから、誰もがぼくを王子だと思うように心掛けているんです」
町の中心部へ向かう道すがら、ノモクは窓の外の風景をひとつも見逃すまいと眺めていた。オシヤクはよほど信仰心の厚い土地柄と見えて、至る所に気軽に立ち寄れる小さな礼拝所があった。ニナクの神の像が祀られているその神聖な場所のひとつひとつに、ノモクは祈りを捧げた。ゼーゲンはそのたびに、殿下にニナクの神のご加護がありますように、と呟いた。
「王子、そんなに懺悔するようなことでもあるの?」ギーフが揶揄うように云った。「おれの分もお願いするよ」
「お祈りは自分でしないとだめだよ」ノモクはギーフを嗜めた。「それに、君の懺悔の内容は、君にしかわからないだろう?」
「おれは王子の身代わりだよ。だから王子が赦されたら、おれも赦しを受けるのさ」
「司祭様、そんなことないですよね?」
ノモクは、ゼーゲンに助けを求めた。
「おやおや、また始まったようですな」
ゼーゲンは、しかしノモクとギーフのやり取りを、微笑ましく見つめるだけだった。
ノモクは、家政婦長の言葉を思い出した。ノモクを叱る者がいない以上、ギーフも誰からも叱られることはない。それは、ギーフがノモクと同じ待遇を受けているからだ。いっそニナクの神に叛くようなことをして、ふたり揃って罰を受けようか。ふとそんな思いが頭を過ぎったが、ノモクはしばらく考えて、その考えを打ち消した。ギーフの非礼を赦してほしいと祈るほうが、神の御心にかなうように思えたのだ。
馬車は静かに走りつづけた。広場を過ぎ、果樹園を過ぎた。それから牧場を過ぎたところで速度を上げた。これから岬の礼拝堂に向うのだろう。ノモクは謙虚に胸のまえで両手を組み、こうべを垂れ、心のなかで祈った。
『ニナクの神よ。私をオシヤクに導いてくださったことに感謝いたします。滞在中、何事もなく穏やかに過ごせますようお護りください! わたしはまだ従騎士ですが、近い日に立派な騎士になれますようお導きください! 父と母が、わたしを好きになってくれますようにお力添えください! あらゆる誘惑、やましい慾望、好くない考えに打ち勝ちますように! それから奴隷たちにも祝福をお与えください! 彼らは異教徒ですが……」
ノモクは、はっとして、そこで祈りを中断した。組んでいた両手をほどいて視線を落とす。異教徒のペニスの熱が、脈動が、感触が両の手のひらの表面にまた戻ってきた。
「殿下、どうかなさいましたか?」
ゼーゲンが訊いた。
「いえ、もうすぐ岬の礼拝堂だなと思ったものですから……」
ノモクは、両手を組みなおした。
馬車が左に大きく曲がり、いつの間にか居眠りをしていたギーフがノモクに凭れかかった。ギーフは髪から、頬から、耳許から、頸筋から、胸許から、腋窩から、ノモクと接するあらゆる部位から、荒々しく暴力的な汗の匂いを漂わせた。ノモクは胸騒ぎがした。
『ニナクの神よ。もしギーフがわたしと同じ待遇を受けているのでしたら、昨夜、彼にもわたしと同じ試練を与えたのでしょうか? 彼もまた、わたしと同じように娘たちの誘惑を受けたのでしょうか? 彼はその誘惑に勝ったのでしょうか?』
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