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第二章 海鳴り
4 ふたりの王子
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衣装部屋では、着替えを手伝ってくれる女の使用人たちが、きびきびと動いている。窓から差しこむ初夏の陽の光が室内を明るく照らし、お忍びの外出への気分を盛りあげてくれる。ノモクは外出着を選んでそれに袖を通し、姿見の前に立った。
「王子、これ似合うかな?」
少し遅れてギーフがすぐ隣りの衝立てから出てきた。
「ねえ、ギーフ。海に泳ぎに行くんじゃないんだよ。司祭様を礼拝堂まで馬車で送り届けて――」
「そのあと市場を見て廻って夕方にまた司祭様をお迎えに礼拝堂に戻るんだろ? わかってるよ」
ギーフの選ぶ外出着は、夏の装いとは云え、どれも露出度が高いようにノモクには思われた。ましてやこの部屋で自分たちの他は、皆、女たちだ。だから、ノモクはあえて素肌を殊更に曝さないおとなしめの外出着を選んだのだった。
「王子、おれが選んであげるよ」ギーフは、つまらなそうな目でノモクを見た。「休暇なんだからもっと派手なの着なきゃ」
ノモクは、用意されている衣服を眺めた。「こんなにたくさんあると、選ぶだけで日が暮れちゃうね」
「どのお召し物もお似合いですわ。背格好もほとんど同じですし、まるで双子のご兄弟みたいですこと!」
女の使用人たちを取り仕切る家政婦長が云った。
「王子、聞いた? ぼくたちそっくりなんだって」
「でなきゃ、ぼくの身代わりにならないじゃないか」
ギーフが衝立てのなかに入った。
「司祭様のご準備ができるまで、まだ時間がかかりそうですわね。お着替えは一旦お休みになさって、お茶は如何ですか? すぐにお持ちいたします」
家政婦長がこう云うと、使用人が三人、ノモクにお辞儀をして部屋を出ていった。
しばらくしてギーフが衝立てから出てきた。いろとりどりのストールが数枚、トーガのようにからだに巻きつけられている。下半身はきちんと覆われているが、上半身は自由奔放そのものだ。剣と盾を持つ両腕が――ようやく筋肉の盛りあがりが見えだしたにすぎないのだが――惜しげもなく曝され、肩から腰にかけて緩やかに垂らされた布地の隙間からは、白く細いわき腹がちょうど腰のうえまで覗かれた。ノモクはその大胆さに、見ている自分のほうが恥ずかしくなった。
「ねえ、ギーフ。やっぱり似たような服じゃないと、司祭様に何か云われるんじゃないかな?」
「そうかなあ。司祭様だって休暇だから許してくださるんじゃない?」
ギーフが大きく伸びをした。目を閉じて顔を天井に向け、小石のような咽喉仏を曝し、心地好さげに身をよじりながら、彼はわざとのように両腕を下さなかった。腋窩の窪みには、細く頼りなげな毛がまばらに生えていた。
これを見たとき、ノモクは朝食のまえに見たソルブの旺んな毛とたくましい裸身を思い出した。寝台のうえでノモクに差しだされた男奴隷の肉體は、ニナクの神によってその動きを封じられた状態であったのにも関わらず、隅々まで精力に満ち溢れていた。特にその精力の源である異教徒のペニスは、ノモクの手による辱めに屈するどころか、その快活さでかえってノモクを畏れさせた。そしてソルブの姿は、そのままエシフの美しい裸身へと段階的に繋がっていった。ギーフの体軀自慢など、成熟した男のまえでは児戯でしかない。自分たちは、まだこの肉體を恥じとして隠さなければならないのだと、ノモクは思いなおした。
なるべく素肌を露出しないものを着なければ。ノモクは外出着を念入りに衣装掛けに探しはじめた。そこでようやくギーフが両腕を下ろした。
「殿下、修道服は如何でしょう。頭巾もございますし、お忍びでお出掛けになるのでしたら、お顔を隠されたほうが宜しいかと」
家政婦長がゆったりとした口調で進言した。その声音には、しかし何処となく、すでに用意されている解に、それと気づかれぬよう巧みに誘導するような含みがあった。
ノモクは、そのさり気ない押し付けを瞬時に嗅ぎとって、衣装掛けから生成りのローブと紺のスカプラリオを取りだし、衝立ての陰に這入った。入れ替わりに衣装部屋の扉が開く音がしたので、ノモクは着替えを急いだ。お茶が運ばれたのだ。そして部屋に漂う甘い匂いは、焼きたてのお菓子なのだろう。
「ねえ、ギーフ。これ、涼しそうだよ」ノモクは衝立てから飛びだした。「それに見て。胸の真んなかに、かくしもあるんだ」
「ちょっと地味じゃないかなあ」
ギーフはすでにお茶の席に着いていた。ノモクの修道服姿には見向きもせず、お菓子を食べている。使用人がギーフのカップにお茶を注いだ。
「地味じゃないとお忍びにならないよ。これから舞踏会に行くわけじゃないんだからさ」
ノモクは家政婦長の顔いろを窺った。彼女は、そのとおりでございます、と云わんばかりに微笑んで、仕上げの腰紐をノモクに手渡した。
ギーフが腰をあげて衣装掛けのほうに戻ってきたので、ノモクは入れ替わりにお茶の席に向った。すれ違いざまにギーフが、「王子と同じものにしてくれ」と使用人に対してぶっきらぼうに云った。いくら相手が使用人だからと云っても、口の利き方ってものがあるじゃないか。ギーフの態度は、叙任の儀式をすませたばかりの男が往々にしてひけらかす、不遜で不粋な意気がりそのものであった。ノモクは眉をひそめた。
家政婦長に促されてお茶の席に着くと、お菓子はすでになくなっていた。ギーフが食べてしまったのだろう。おろおろとしている使用人に、家政婦長が慌てて指示を出した。
「ぐずぐずしているから、王子の分も食べちゃった」
ギーフは悪びれるようすもなく、また誰もギーフを咎めようとはしなかった。
「殿下、お気を悪くしないでくださいましね」家政婦長が申し訳なさそうに云った。「ギーフ様は殿下の身代わりなので、殿下がふたりいると思ってお世話をするようにと、旦那様から云いつかっているのです」
反論しようのない家政婦長の弁明に、ノモクはただ頷くしかなかった。
「王子、これ似合うかな?」
少し遅れてギーフがすぐ隣りの衝立てから出てきた。
「ねえ、ギーフ。海に泳ぎに行くんじゃないんだよ。司祭様を礼拝堂まで馬車で送り届けて――」
「そのあと市場を見て廻って夕方にまた司祭様をお迎えに礼拝堂に戻るんだろ? わかってるよ」
ギーフの選ぶ外出着は、夏の装いとは云え、どれも露出度が高いようにノモクには思われた。ましてやこの部屋で自分たちの他は、皆、女たちだ。だから、ノモクはあえて素肌を殊更に曝さないおとなしめの外出着を選んだのだった。
「王子、おれが選んであげるよ」ギーフは、つまらなそうな目でノモクを見た。「休暇なんだからもっと派手なの着なきゃ」
ノモクは、用意されている衣服を眺めた。「こんなにたくさんあると、選ぶだけで日が暮れちゃうね」
「どのお召し物もお似合いですわ。背格好もほとんど同じですし、まるで双子のご兄弟みたいですこと!」
女の使用人たちを取り仕切る家政婦長が云った。
「王子、聞いた? ぼくたちそっくりなんだって」
「でなきゃ、ぼくの身代わりにならないじゃないか」
ギーフが衝立てのなかに入った。
「司祭様のご準備ができるまで、まだ時間がかかりそうですわね。お着替えは一旦お休みになさって、お茶は如何ですか? すぐにお持ちいたします」
家政婦長がこう云うと、使用人が三人、ノモクにお辞儀をして部屋を出ていった。
しばらくしてギーフが衝立てから出てきた。いろとりどりのストールが数枚、トーガのようにからだに巻きつけられている。下半身はきちんと覆われているが、上半身は自由奔放そのものだ。剣と盾を持つ両腕が――ようやく筋肉の盛りあがりが見えだしたにすぎないのだが――惜しげもなく曝され、肩から腰にかけて緩やかに垂らされた布地の隙間からは、白く細いわき腹がちょうど腰のうえまで覗かれた。ノモクはその大胆さに、見ている自分のほうが恥ずかしくなった。
「ねえ、ギーフ。やっぱり似たような服じゃないと、司祭様に何か云われるんじゃないかな?」
「そうかなあ。司祭様だって休暇だから許してくださるんじゃない?」
ギーフが大きく伸びをした。目を閉じて顔を天井に向け、小石のような咽喉仏を曝し、心地好さげに身をよじりながら、彼はわざとのように両腕を下さなかった。腋窩の窪みには、細く頼りなげな毛がまばらに生えていた。
これを見たとき、ノモクは朝食のまえに見たソルブの旺んな毛とたくましい裸身を思い出した。寝台のうえでノモクに差しだされた男奴隷の肉體は、ニナクの神によってその動きを封じられた状態であったのにも関わらず、隅々まで精力に満ち溢れていた。特にその精力の源である異教徒のペニスは、ノモクの手による辱めに屈するどころか、その快活さでかえってノモクを畏れさせた。そしてソルブの姿は、そのままエシフの美しい裸身へと段階的に繋がっていった。ギーフの体軀自慢など、成熟した男のまえでは児戯でしかない。自分たちは、まだこの肉體を恥じとして隠さなければならないのだと、ノモクは思いなおした。
なるべく素肌を露出しないものを着なければ。ノモクは外出着を念入りに衣装掛けに探しはじめた。そこでようやくギーフが両腕を下ろした。
「殿下、修道服は如何でしょう。頭巾もございますし、お忍びでお出掛けになるのでしたら、お顔を隠されたほうが宜しいかと」
家政婦長がゆったりとした口調で進言した。その声音には、しかし何処となく、すでに用意されている解に、それと気づかれぬよう巧みに誘導するような含みがあった。
ノモクは、そのさり気ない押し付けを瞬時に嗅ぎとって、衣装掛けから生成りのローブと紺のスカプラリオを取りだし、衝立ての陰に這入った。入れ替わりに衣装部屋の扉が開く音がしたので、ノモクは着替えを急いだ。お茶が運ばれたのだ。そして部屋に漂う甘い匂いは、焼きたてのお菓子なのだろう。
「ねえ、ギーフ。これ、涼しそうだよ」ノモクは衝立てから飛びだした。「それに見て。胸の真んなかに、かくしもあるんだ」
「ちょっと地味じゃないかなあ」
ギーフはすでにお茶の席に着いていた。ノモクの修道服姿には見向きもせず、お菓子を食べている。使用人がギーフのカップにお茶を注いだ。
「地味じゃないとお忍びにならないよ。これから舞踏会に行くわけじゃないんだからさ」
ノモクは家政婦長の顔いろを窺った。彼女は、そのとおりでございます、と云わんばかりに微笑んで、仕上げの腰紐をノモクに手渡した。
ギーフが腰をあげて衣装掛けのほうに戻ってきたので、ノモクは入れ替わりにお茶の席に向った。すれ違いざまにギーフが、「王子と同じものにしてくれ」と使用人に対してぶっきらぼうに云った。いくら相手が使用人だからと云っても、口の利き方ってものがあるじゃないか。ギーフの態度は、叙任の儀式をすませたばかりの男が往々にしてひけらかす、不遜で不粋な意気がりそのものであった。ノモクは眉をひそめた。
家政婦長に促されてお茶の席に着くと、お菓子はすでになくなっていた。ギーフが食べてしまったのだろう。おろおろとしている使用人に、家政婦長が慌てて指示を出した。
「ぐずぐずしているから、王子の分も食べちゃった」
ギーフは悪びれるようすもなく、また誰もギーフを咎めようとはしなかった。
「殿下、お気を悪くしないでくださいましね」家政婦長が申し訳なさそうに云った。「ギーフ様は殿下の身代わりなので、殿下がふたりいると思ってお世話をするようにと、旦那様から云いつかっているのです」
反論しようのない家政婦長の弁明に、ノモクはただ頷くしかなかった。
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